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ミュージカル《エリザベート》の中で歌われている、『私だけに』という曲についてお尋ねします。

この曲は、全体を通してDes durだと思いますが、♪義務を押しつけられたら のあたりから、少し調が変化すると思います。
(♪義務を押しつけられたら 出ていくわ わたし までがGes dur、その後の♪誰にも束縛されず 自由に生きるの までがAs dur)

そこの部分について、友人は、この部分で転調してるよね、と話します。
しかし私は、それぞれ4小節ほどのことなので、調は変わっているが、転調というほど大袈裟?なものではなく、曲にメリハリをつけ、サビにむけて盛り上げるための、ちょっとした遊び心?のように感じます。
(表現が曖昧ですみません…)

もちろん、一回目のサビが終わったところの感想は、調号も変わっていますし、転調したと、すんなり受け入れることができます。

そこで、先ほど述べた部分は、転調した、というのか、それとも、転調とは言わないのか。
よく分からない質問で申し訳ありませんが、教えてください。

なお、途中で歌詞を記載していますが、私の持っている楽譜に書いてある歌詞ですので、もしかしたら他のバージョンの歌詞で記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。
その場合は、指摘されずにニュアンスからどこのことを言っているのか予測して応えて頂けると嬉しいです。

宜しくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • すみません、途中誤字がありました。
    1回目のサビが終わったところの感想…とありますが、感想→間奏です。

    宜しくお願いします。

      補足日時:2015/10/02 11:11

A 回答 (1件)

音楽の仕事をしています。

音楽理論の見地から言いますと、この議論にはあまり意味がありません。

この場合問題なのは、Ges durやAs durの個所が転調かどうかではなくて、「転調」という言葉の定義がImさんと御友人の間で食い違っていることです。定義が一致しないまま議論をしても、平行線をたどるだけです。
御友人のおっしゃっている「転調」は、ごく標準的な定義です。「調が変わること」そのものを単純に「転調」といいますので、まちがいではありません。Imさんが「転調」という語で言おうとしていることは、むしろ、曲の各部分の「主調」(中心となる調)が変わるということです。もちろん後者の場合も、調が変わるからには「転調」といってもまちがいにはなりませんが、「転調」という用語自体は、そのような場合にのみ限定して使用するものではありません。

ここからはかなり専門的な解説になりますので、難しかったら斜め読みしてください。
音楽の中で使われる個々の和音は、決まった一つの調においてそれぞれ機能が決まっており、連結のしかたにもパターンがあります。I度の和音、Ges durの場合は「ges, b, des」になりますが、これを「トニカ」といい、V度の和音、「des, f, as」を「ドミナント」といいます。ドミナント→トニカの進行が、その部分の主調を明確にする終止形です。この進行の前に、「サブドミナント」という機能に分類されるII度やIV度の和音が置かれることが多いです。『私だけに』の中のGes durの4小節には、Des durの音階に含まれないcesの音があり、この区間の和音の連続を記号で表記するには、調性をGes durとしないと、各和音の機能を正しく記述できません。4小節中に、サブドミナント(S)→ドミナント(D)→トニカ(T)を含む和声進行(終止形)が2回あり、この部分の調をGes durとして確定しています。以下に、この部分の和音の度数と機能を書きます。7の和音や9の和音など、複雑なものが含まれていますが、ここではそういう表記は省略して、簡略に書いておきます。

Ges dur: II(S)→V(D)→I(T)→VI→II(S)→V(D)→I(T)

このあとの4小節のAs durの部分の和音進行も、Ges durの4小節と全く同じです。

As dur: II(S)→V(D)→I(T)→VI→II(S)→V(D)→I(T)

理論上の分析ではこのような記述になり、明確に調が変わるので、その限りにおいては「転調」と呼ぶことには問題はありません。また、このように全く同じ和声進行を、調を一段ずつずらしながら繰り返すことを「反復進行」といい、クラシック音楽に古くからある技法です。このような転調は、曲全体の構成を考えたうえで計画的に挿入するもので、遊び心というわけではありません。むしろこの部分の転調は、かなり伝統的かつ常套的なものです。
この箇所の場合、Ges durの主和音「ges, b, des」はDes durのIVの和音と一致し、As durの主和音「as, c, es」はDes durのV度の和音と一致します。そのことを考えると、この部分の転調の経過、Des dur→Ges dur→As dur→Des durは、Des dur上の和音進行、I→IV→V→Iに相当し、Ges durの4小節はDes durのIVの和音を経めぐりつつ延長したもの、As durの4小節はDes durのVの和音を経めぐりつつ延長したものとしてとらえることもできます。Ges dur、As durがともにDes durの近親調であること、それぞれが4小節と比較的短いこと、転調の経過をDes dur内部の和声進行の拡大と解釈するのも可能なこと、以上を考えると、転調といえるほどの印象を持てないかもしれません。しかし、それは単に比較上の問題です。また、理論上の分析法にも明確な線引きがあるわけではなく、あくまでも瞬間瞬間の和音の機能だけから決める場合もあれば、耳で聞いた印象を重視して解釈する場合もあります。

調号の変更は、転調が長きに渡った時の記譜を容易にするためなので、調号の変更=転調というわけではありません。それから、間奏の部分によりはっきりした転調効果を感じるのは、この部分がB durという、主調のDes durから大分離れた遠隔調だからです。前後の異なる二つの調の音階構成音に共通音が少なくなればなるほど、耳で聞いたときに劇的な転調効果が感じられます。
つまり、どちらも転調であるには違いないのですが、曲全体の中での意味、役割や聴覚効果の度合いが違うということです。

「転調」に限らず、一般の方たちの多くは、正確な意味や用法を知らないまま専門用語を使っています。たとえば「不協和音」などという言葉も、「政治的不協和音」などのように音楽以外にも使われるようになったためか、ただ単に汚く耳障りな和音と思い込んでいる人がたくさんいます。しかし、音楽理論上で分類される協和音と不協和音の違いは、作曲を専門的に学んでいない限り、耳で聞いただけでは判別できません。そういう場合、どうしても用語の意味が単純化されていきます。Imさんがここでお考えになているような意味での「転調」という語も、ポピュラー音楽を中心に、だれが聞いても違う調で新しい部分が始まっていることがはっきりわかる瞬間、という意味に限定、単純化して、一般の方の間で慣用されているような印象を持っています。すでにある程度広まっている使い方かもしれませんが、本来の意味よりも狭く限定したもので、たぶん日本だけの用法だと思います。詳述は避けますが、「転調」がこういう意味に傾くのは、日本の古い伝統音楽における調や転調の概念が、西洋のそれとは違うことからもきているような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(^^)

転調というものがどこまでの定義を指すのか気になっただけですので、無意味なのは承知での質問でした(^^)笑

よくわかりました!
丁寧な説明、ありがとうございました(*^_^*)

お礼日時:2015/10/02 23:51

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