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私は医師からアスペルガー症候群を診断されている男なのですが、タイトルの事が頭の片隅に引っかかって気持ちが悪いので、皆さんのお考えを伺いたいしだいです。

私は、アスペルガーの特性ゆえか、出来ることと出来ないことの落差が非常に激しいです。
今の仕事(工場勤務・部品の開梱と搬送)は、よく出来るほうでして、重宝がられています。
段取りと計画を立てて、先を見通すことが出来るので、複数工程間の調整や情報の共有による効率化の提案など、色々と楽しく仕事をさせてもらっています。

前職で、トラックのドライバーを志していたのですが、こちらのほうがからっきしでした。
とにかく運転時の状況把握とトラックの操縦が連動しないのです。
状況把握も全体を見れず、部分部分を繋ぎ合わせるような方式でして、ずいぶんと訓練したのですが上達せず、それに操縦が入ると「なんとか走れるかな?」程度のレベルにも達しませんでした。
シングルフォーカスという、注意が一点に集中しやすい傾向があり、右を見れば左が疎かに、安全確認すれば操縦が疎かにという具合で、同時に複数のことが処理できないのが原因であるのは判っていたのですが、有効な対処が打てなかったです。
不思議と普通車の運転は出来ているので、余計に「???」でした。

結局、試用期間でクビにされてしまい、結果的には事故も起こさず自分に決定的に不向きなジャンルを知ることが出来て良かったと、今では思っているのですが、
その当時に悩みを相談した際に

「アスペルガーなんて障がいは存在しない」
「出来ないことに対する言い訳、甘えている」
「努力が足りない。結果が出ないのは努力してないからだ」

という指摘をいくつか頂きまして(それも自信満々で)。
当時の私は終業後、食事の時間も惜しんで運転の方法や指導を受けた点を書き起こしたり、マニュアル化して、それを自分の車で練習するなど、時間的にも労力的にも、ずいぶん使いました。
結果として出来ていないので、会社的には「意味がない」と言われるのは納得できるのですが、
努力をしていないという言葉にはずいぶんと釈然としないものを感じたものです。

一方、今の職場では「努力家」として通っています。
やっていることは同じようなもので、問題点や指摘された点、わからない点を確認しながらマニュアル化・文章化して、職場で試験運用・修正を繰り返しています。
労力的にも、時間的にも今のほうがずいぶんと楽です。
正直言うと前職では、魂をすり減らす様な覚悟で必死にやっていましたが、今のマニュアル作りは家で酒を片手に気軽にやっています。自分では「これは努力ではなくて趣味だよね」とすら思えるくらいの気軽さです。
でも、評価は今のほうが高いのです。
現在障害者枠での期間従業員なのですが、現場主任レベルで「正社員にならないか?試験のときに推薦してあげるよ」というお言葉をいただけるくらいには、仕事が評価されているようです。

前置きが長くなってしまいましたが、
今回私が知りたいのは

●以前と今、努力の何が違うのか?

●成功が努力の条件であり、失敗は努力とは看做されないのか?

の二点です。
自己満足としての努力と社会的に認められる努力の二種類があり、後者のほうが難易度が高いことは理解しているのですが、
自己満足なく社会的に認められることは、他人から見て「努力」足りえるのかが非常に不思議・疑問でして、
「じゃあ努力って何なのよ」
となってしまっています。

気になったまま年を越すのも嫌なので、すっきり出来る考え方やお知恵があれば、頂きたいと思いまして。
皆様の思うところを教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。


追記
ちなみに、厳しいお言葉を頂いた方からは
「安全確認なんて幼稚園児でも出来ることが出来ない人間が、まともに仕事など出来るわけがない」
「子どもじみた仕事しか出来ないお前が、評価される事が出来るわけがない」
「今まで努力したこともない生活保護の不正自給者が偉そうな口を利くな」
などというお言葉を頂いております。
私の文面って、そんなに駄目人間に見えますでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 追記に書いた方とは、教えてgooの中だけでの関係です。実際にお会いした方に言われたわけではありません。

    精神疾患を蛇蝎のように嫌う方でして、精神科医は「詐欺師」であり精神系統の薬を扱う製薬会社は「麻薬を販売」していると公言しています。
    追記にあげたことは、普通の人なら当たり前に出来ることで、出来ないのは能力ではなく努力が足りないという感じで言われました。
    ここは、また別で質問を立てたいと思いますので、追記のほうは余談とかおまけくらいで、無視していただいてかまいません。

    よろしくお願いいたします。

      補足日時:2015/12/26 23:21

A 回答 (8件)

支援学校教員です。



お久しぶりです。その後、適職に着かれた様子、うれしいです。

>●以前と今、努力の何が違うのか?

「環境が違う」と言うのが大きいのではないでしょうか?
「運動」と言う分野で例えれば、「サッカー」と「水泳」での「努力」の違いとも通じるかと。
個人には「得意」「不得意」があり、「苦手」と言うのもあります。
「球技」が苦手な人でも「泳ぐのは得意」と言う人もいます。
どちらの「スポーツ」にも、同じように「ランニング」「筋力アップ」「持久力」などが関係しますが、同じような「努力」「時間の消費」を行っても、個人によって「成果」は違ってくるでしょう。

それと同じように「職種」によっても「人間関係」によっても、同じ「努力」が「成果を出す」場合と「出さない」場合があるのではないでしょうか?

>●成功が努力の条件であり、失敗は努力とは看做されないのか?

いいえ。「努力」は「努力」でしょう。ただし、「成果主義」の「日本のビジネス社会」においては「成功を伴わない努力は、努力と評価されない」側面はあるかとと。

また「努力」は、あくまで「個人の内面」を測る物ですから、他者から見た時に「努力していない」ように見えても「本人はやっている」事は多いかと。反対に「本人は、楽しく、ウキウキしながら、集中しているだけ」の状態を、周囲が「汗をかき、努力している」と捉えることもあります。

***********
アスペルガー症候群の診断について「大きく誤解」されいる方がいるようです。

アメリカの診断基準でも「アスペルガー症候群」と言う「個別の名称での診断基準」がなくなっただけで、「アスペルガー症候群の症状を持つ人は、自閉症スぺクトラムに入れましょう」となったにすぎません。
単に「分類」が変わっただけであって「これを障がいと言わない」となったのではないのです。

また、「自閉症スペクトラム」の「主原因」は「複数の遺伝子の影響」のもと「機能的な変容が脳にある」とするのが「現在の学説の主流」です。もちろん、アスペルガー症候群もここに入ります。今では「fMRI」での「検査」も可能ではないかと言う研究も始まっています。(もちろん、双極性障害やうつ病も「検査」できるようになってきています)

確かに「自閉症スペクトラム」の「症状」は「軽度ならば障がいとは呼ばない」程に、世の中の半分くらいの人が持つ「傾向」ではあります。ただし、その「症状」で「日常生活に支障が出る」のは「障がい」と言えます。そして、「日常生活に困難さ」がある「症状」は「個人の努力」で「どうにかなる程度」ではありません。「医師の診断」はそれぐらい「重い」ものですし、だからこそ「行政が支援する」のです。

******
補足については、私もあなたの「見解」を支持します。^^;

加えて言えば、このネットで「他者を過剰に攻撃する」方たちは「リアルで評価されていないと感じている」方が多いように思います。私見です。

今回の質問を読んで「以前よりも『0か100』の考え方が少なくなった」ように感じます。良いことですね。今のお仕事が、本当にあなたに「適している」からでしょね。
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この回答へのお礼

その節は大変お世話になりました。
お蔭様で現在はある程度安定した生活を営むことが出来ております。
ありがとうございました。

環境、納得です。普遍の努力の方法があるといいのですが、無いんですよね。どうしてもそれを求めてしまう部分があり、素直に受け入れられないのが問題点ですが。
成果主義という部分から離れる=他人の評価を気にしないのであれば、自己満足の努力として意味があるのは仰るとおりです。
私以外の人は、その努力と「成果主義で必要とされる努力」をどうリンクさせ「評価される努力」としているのか?
評価する側は何を基準にして「評価する・しない」を決めるのか、が気になっていたのですが、他の回答者の方のいうとおり、影響が波及するか否かなのかもしれませんね。
まだ白黒はっきりさせないと気が済みませんが、少なくなったといわれて、自覚がもてないのが残念なところです。
申し訳ありません。

>加えて言えば、このネットで「他者を過剰に攻撃する」方たちは「リアルで評価されていないと感じている」方が多いように思います。私見です。

この言葉は他の方が使うのもたまに見かけます。
何故そうなるのか不思議なので、またいつかこの部分に焦点を当てて質問を立ててみたいと思います。
わかりやすくまとめて頂きありがとうございます。

少しでも、発達障がいの偏見や誤解が減っていく世の中であってほしいと願ってやみません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/27 22:10

あなたが求めているのは「他者からの評価」のように感じますが、そうであると仮定してそれについて私の考えを書いてみます。


●以前と今、努力の何が違うのか?
別に変わらないのだろうと思います。
あなた自身「前と変わった訳じゃないのに」と思っているからこそ、そういう質問なんだろうと思います。
努力の量や質を他人が評価することは不能です。
あなたが「以前と変わってはいないのに」と自己評価しているなら、それが評価のすべてなのではないでしょうか。
現在の職場であなたが周囲から「努力家」と評価されているとしても、それはあなたの努力を評価しているのではないでしょう。
現在の職場でのその評価は、「あなたの働きぶり」という結果を見て、その成果に対して、「努力のたまもの」と表現しているのだろうと思います。
ただし、自閉症スペクトラムの人はコミュニケーション能力に欠けるという面もあると思いますので、褒め言葉であれ、そうでないものであれ、相手の言葉が本当に真意であるかに注意されてみる必要はあるかも知れません。

●成功が努力の条件であり、失敗は努力とは看做されないのか?
成功が努力の条件と言うことはあり得ないでしょう。
「天才」と呼ばれるような人が、この世にはごく少数ではありますが、存在します。
言葉通りに、天賦の才能で物事をやって見せてしまう人、です。
「存在します」と書きましたが、実際には「存在することになっている」が私の考えです。
そんな人が存在していてくれた方が夢があるし、楽しめますから、実際は、「存在する」と言うより「存在していて欲しい」が正解のような気がします。
天才ではない、この世の中のほぼ全員は、無才能です。
サッカーのメッシ選手でさえ、才能がないからこそ練習という努力を積み重ねるのです。
そしてこの世界では、結局のところ成功という結果のみが大きな評価を受けます。
浅田真央さんが小さな頃から積み重ねてきた努力は評価されますが、それは彼女がその評価に値する結果を残したからです。
お姉さんの方がむしる可愛いのに、世間的評価は圧倒的に妹です。
高橋尚子さんが今もあれだけ評価されるのは、オリンピックで金メダルを取ったからです。
羽生選手も同じです。
織田信成さんだって相当な努力を積み重ねたはずだろうと思いますが、本番で靴紐を切ってしまうと言う失態は、彼のそれまでの努力を評価につなげる事への障害になりました。
努力というのは、才能のない人がそれでも成功を手に入れようとして足掻いてみるようなことだと私は思います。
そしてこの世のほとんどの努力は結果には結びつきません。
努力と成功が結びついているのだとすれば、オリンピック選手は全員が金メダルを取れるでしょう。

私の娘も自閉症スペクトラムです。
高機能自閉症というやつで、十分大人になってから心身の異変を感じて診察を受けたところ、鬱に始まって様々な病名が付けられ、初診から10年以上過ぎてから、ある病院で「自閉症」と診断されました。
他人からは普通の人のように見えてしまうので実に厄介です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が遅れ申し訳ございません。
実はもう一つ戦線を抱えてまして。

>あなたが求めているのは「他者からの評価」のように感じますが(後略)

まさにそのとおりだと思います。もう少し言葉を付け加えるなら、自身の評価と他者からの評価のギャップと言うことでしょうか。

天才は存在してほしいもの、現実は足掻いた結果成功したものが、努力を遡って認められるというお考え、なるほどと思いました。

ご息女様、心安らかに毎日を過ごしておられることを祈ります。
私も普通に見られて、普通をある程度演じられるもので、逆に難儀する部分もありますので、お気持ちが少しわかる気がいたします。

とりあえず、自己満足でもあがけるだけ足掻いて努力をして見たいと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/30 04:36

[体力15ポイント][知力200ポイント]のヒトが


土方やったら無能だけどコンサルで成功したりする感じ

なんじゃないかな?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。能力の凹凸がうまくはまったか、はまってないかなんでしょうね。
そういう風にいうと「そんなのは甘えだ、努力不足だ! 言い訳するな!!」とこちらで特定の方に言われて、
普通はどう思うのか迷っておりました。

ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/28 11:32

1.以前と今、努力の何が違うのか? について、


<問題点や指摘された点、わからない点を確認しながらマニュアル化・文章化して、職場で試験運用・修正を繰り返しています。> とありますよね。これは職場の全員にも使える、貴重な作業です。これは表彰すべき努力となりますし、会社はその成果の共有化をお願いしているのではありませんか。気付かないでしょうが、マニュアル化・文章化して試験運用・修正を外注すると大変な金額を要求されるようなことを、貴方はしているのです。だから、会社や上司は褒めるのです。

2.成功が努力の条件であり、失敗は努力とは看做されないのか? について、
<マニュアル化・文章化して試験運用・修正> と云う流れのなかで、失敗や不都合も記録し、その原因の確認とそれを再び起こさないようにマニュアルを修正しますよね。失敗を失敗のままに放置していれば会社にとっては損失です。失敗をマニュアル化の材料とするならそれは会社の貴重な経験資産(=経験知)です。すると、この場合は失敗は努力の一部となります。

努力は自分だけに帰結する場合と、自分だけでなく周囲に波及する場合とがあります。周囲がその努力を誉めるのは周囲に波及して、人々がそれを認識した時です。
例えば、調理に関係ない場合、個人的に調理技量向上を勤務外に研鑽しても、それは周囲にとって努力とはなりません。ですが、食品関係、飲食関係ですと、それは隠れた努力として褒められるかもしれません。おなじ行為ですが、周囲の対応は違います。
ただ、個人的技量を要求する職場では、最低要求技量と云う仕切りはあります。運転手は車両を運行して運転手ですし、調理師は調理が出来て調理師です。そこのレベルに達するまでの努力は努力としては認めません。健常な人が歩行することは褒めませんが、身体が不自由になった人の再復帰への歩行は褒めます。同じ歩行と云う行為ですが意味が違います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お褒め頂いてうれしい限りですが、そんな大それたことではないのかなと、私のマニュアルは。
みんながやっていることを細かく分解して、説明書を構築しながら作り直すだけですから。誰でも気があれば出来ることです。
私の場合、元の能力の関係でそういうことに目が行くだけで、本当は必要ない作業かもしれないと、思うときもあります。

>自分だけでなく周囲に波及する場合とがあります。周囲がその努力を誉めるのは周囲に波及して、人々がそれを認識した時です。

なるほど、社会的な努力は、その行為(努力の結果)が対象の利益になったときのみ「努力」と認められるということでしょうか。
それ以外のものは「無関係」とか「無駄」と切り捨てられる可能性があるということですね。

だとすると、同じ条件・同じ結果としても、受け手の立場によっては努力か否かが変わってくることもあるということですよね。
警官が交通違反を取り締まるのは良い事だが、自分が捕まると恨めしく感じるというような…
そんな曖昧なものを、みなさんは同じ「努力」という言葉で表して誤解や齟齬は起きないのでしょうか?
とても不思議です。

回答参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/27 21:58

>●以前と今、努力の何が違うのか?



成功する努力か成功しない努力かの違い。

>●成功が努力の条件であり、失敗は努力とは看做されないのか?

努力は努力だが、無駄な努力というものもある。


>私の文面って、そんなに駄目人間に見えますでしょうか?

一緒にいても楽しくはなさそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、一緒にいても楽しくはないと思います。私も無理に楽しませようとするよりは、少し離れたい位置を好みますから、余計ですね。

無駄な努力というのは、目標に対して適切な方法をしていないという理解で良いでしょうか?フランス料理を箸で食べる特訓をしてテーブルマナーをクリアしようとするような?
そもそも、努力の成功と無効は、どの視点から判断すればよいとお考えですか?
その辺をさらに詳しく教えていただけるとうれしいです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/27 21:49

●以前と今、努力の何が違うのか?


努力するといっても、色々なやり方があります。ある人は、記憶力が悪いけどすごいアイデアで成功するかもしれませんし、仕事は無難だけどなぜか他人に信頼されるし、責任もって仕事を任せられる人望に熱い人だっています。「アスペルガー」だからどうというのが実際に社会に適合するのに問題なるぐらい過度ならばまた色々課題はあるとは思いますが、自分が得意とすること得意としないこと、またどうしてもできないことを見分けてできる範囲で自分の強みを生かせる場所を探すという努力の仕方もあります。まあ、どうしても乗り越えなけれいけない壁も時としてあるでしょうが、それならばその時は人一倍努力して合格点がとれれば別にいいんじゃないかと思えばいいかもしれません。要するに、正解は一つじゃないし、「努力する」と言ってもそのやり方は色々あるということを学ぶわけです。

●成功が努力の条件であり、失敗は努力とは看做されないのか?
人生長い目で見れば失敗と成功の違いなんて曖昧です。紆余曲折したからといっても「最終的に良い人生だなあ」と自分が思えるような何かを見つけられれば、何もしないでつまらない人生を歩んで無難に生活して、限られた生活環境のなかで周囲に対する愚痴ばかりを述べて、自分の天命の悪さに嘆いているだけの人生よりもいいかもわかりませんからね。貴方の人生は挫折続きかもしれませんし、病気ならば不運だともうかもしれませんが、それは最高に幸運ではなくても最悪に不幸なわけでもありませんからね。極論言えば、日本人として一人で社会で生きている自由がある時点で全世界の上位10%ぐらいの幸運に恵まれてこの世に生きていることになります。もっとも日本の中でも生きられないぐらいの難病患者や極貧家庭に生まれ育った人だってもっといるでしょうしね。極論言えば一つの会社で怒られてクビになったぐらいの不運ならば、多少努力すれば仕事だって変えられるし、クビになっても死ぬことだってない、ぐらいの努力をしてやろうと思うことが条件ならば決して格別辛いとは思えませんよ。北朝鮮から亡命するみたいに失敗して打ち首になるわけでもありませんし、失敗したなら色々やり方とかを考え直して(時には反省して)努力すればいいんですから。恋愛とかだって、よっぽどのモテ男、イケメン、エリートとかでなければ努力しても、1度や2度降られることだってありますから。ちなみにアインシュタインは「挫折を経験したことのない人間は、新しいことに挑戦したことのない人間だ」と言っています。

最後に、「アスペルガー」とかそういうのが病気か病気じゃないかというのは主治医の判断でいいともいますし、実際そういうので社会的に理解してもらうのは重要なことです。ただし、もうちょっと科学的に言わせると、現代の医療における精神疾患ってのはよくわかってない領域なんで結局「対症療法」であって、診断も主観が大きいですから、「アスペルガー」という診断にも大きく開きがあります。つまり、普通の人の個人差の範囲に入る人もいれば重度の社会に適合するのが困難な場合も想定されます。いずれの場合も、症状の基準はあっても遺伝子の違いがどうとか、脳内の特定の分子メカニズムの何が異常か異常でないかは無関係なんです。精神科の医師は、あくまで診断する臨床の専門家であって、この辺の研究者の認識とは大きく異なってるかもしれません。ややこしい話をしましたが、要するに、「アスペルガーという医学的な(臨床的な)診断が、遺伝子や脳内の何らかの機構が異常であること直接的に関連付ける科学的根拠はない」ということです。社会的に理解してもらうことは大切ですが、個人が努力して何かを成功させようと思ったときにあきらめるかあきらめないか、できるかできないかというのは最終的には個人の考え方の問題ですからあまりこだわりすぎてもシャーないですよということです。ちなみに、トラック運転はもとより、その辺のセダンを普通に運転するのすら怖い、無理、事故るなんていう今時の若い女性だって普通にいますから、より高度なテクニックが必要な専門職であるトラック運転をだれでも上手にできるなんて言う考えも違ってある意味当然でしょうということです。

結論
要は最終的には本人の気持ち、考えの持ち方であって、スポーツ選手の身体能力の差が不利だから大リーグで活躍できないかというのと本質的には同じです。スケートの清水選手は喘息持ちですが、金メダル取りましたし、そのレベル比べればできるとおもえるかもしれませんしね。まあ、努力を楽しめる人、趣味が多い人のほうが人生選択肢が増えるので豊かになると思います。失敗してもどんな場合でも、自分にあったやり方で努力する過程を楽しめるようになれば気が楽になるかもですね。

長文失礼します。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>人生長い目で見れば失敗と成功の違いなんて曖昧です。

確かにそうですね。塞翁が馬ではありませんが、挫折が成功の呼び水になったこともありますし、逆も然りです。
回答の内容、非常に納得できます。

ただ、その曖昧さの中から皆さん、努力とそうでないのの(見せ掛けの努力とでもいうのでしょうか?)を分けておられますよね。
そこの基準というか、何でそれが分けれると判断するのかを知りたいと思います。
清水選手の記録は凄いですが、では喘息もちで五輪に出られないスケーターは努力不足と断じる人と断じない人の何が違うのか、という部分です。
その正誤ではなく、何故その判断にいたるのかの過程を知りたいのだと、汲んで頂けたら幸いです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/27 21:44

努力もせず失敗した場合も


努力した結果失敗した場合も
どちらも失敗には違いないが、
努力した結果の失敗ならそれを甘んじて受け入れられるはずだ。
愚痴を言うということは努力をしていないか努力が足りないかではなかろうか。

・・・
厳しいことを言うが、
アスペルガーと言う言葉に甘えてないか?

もう一つ。
アスペルガーを簡単に言い表すと、
「コミュニケーション能力が低い」事に起因する各種の障害
…だ。
残念ながら同情する余地はない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私としては、受け入れているのです。前職についても、出来なかったことは事実だが、あれで駄目なら何をしても駄目だったから、引き際としては良い判断をしたとも思っています。
こういうと、それを「甘えだ」「努力不足だ」「逃げるな」という人がいるもので、
そうかと思えば、そこそこにやっていることで「凄い努力」「無理はしないで」などといわれている今があります。
じゃあ努力って何なのだろう?と疑問に思う訳でして…
愚痴なんでしょうか、これって?

>もう一つ。
アスペルガーを簡単に言い表すと、
「コミュニケーション能力が低い」事に起因する各種の障害
…だ。

同意しますが、もう一つ付け加えるなら
「価値観・認識の社会一般とのずれによって生じる、コミュニケーション能力の低さ」だと、私などは思うんですよね。
なので、ここで質問をすることは、私にとってとても勉強になるんです。

>厳しいことを言うが、
アスペルガーと言う言葉に甘えてないか?

なども、どうして銀鱗さんはそう思うのだろう?
私の文面のどこを、アスペルガーに甘えていると感じたのだろう?
どう修正すれば、アスペルガーを公表しつつ、甘えや怠惰といわれないのだろうか?

など、色々と考えるわけです。
質問の趣旨とずれてしまいますが、どの変で上記のように感じて、同情を欲しているように思われたのかを教えていただけるとうれしいです。
私にその意図が無いもので、どこでずれが生じたかを突き止めたいのです。
意図を汲んでご教授願えれば幸いです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/12/26 23:46

>●以前と今、努力の何が違うのか?


別にアスペルガーであろうが無かろうが、努力しない人はあまり高い位置には上れませんよ。

>●成功が努力の条件であり、失敗は努力とは看做されないのか?
まあそういうふうに思う人もいるかもしれませんが、失敗した人が努力しなかった人ではありませんよ。
努力することを続けて、中には成功する人がいるというのがこの世の中です。

>安全確認
すべての人がきちんとできているわけではありません。そのための事故も多発しています。
安全確認をきちんとすれば事故の可能性が減るだけのことです。

>子どもじみた仕事しか出来ない
世の中にはノーベル賞を取れない人がほとんどです。
その日の仕事ができれば人として十分だと思います。
なかには失敗する日もあるでしょうけど、それが普通です。

>今まで努力したこともない
あなたを実際に知っているわけではありませんが、ここにこうして質問されていることは立派な努力です。
どんな人でも努力を積み重ねることが大事なだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>努力することを続けて、中には成功する人がいるというのがこの世の中です。

これが、いまいち理解できないのかもしれません。
自己満足としての努力なら、成功しなくても自分が成長したと思えば良いですが、
成功しなかった人の努力は「何を持って」測ればいいのでしょうか?
多くの人に共通する基準のようなものがあるのでしょうか?

追記に書いた言葉をくれた方とは、教えてgooでのお付き合いしかないのです。
私の質問は「世の中の害になる悪文・見苦しい自堕落な屑のたわ言」といわれていたので、
>ここにこうして質問されていることは立派な努力です。
と言っていただけて、ほっとしました。

もし、私の疑問にお答えいただけたならうれしいです。
質問返しで申し訳ありません。

お礼日時:2015/12/26 23:16

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