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心は実体しているでしょうか?

何故、心(思考している主体)は実体しないと言われているのでしょうか?

明らかにここには、世界を見て、音を聞いている主体が,ある,ように思えます。

例えば、「雨が降っている、学校に行きたくないなぁ」という一連の流れがある場合、,学校に行きたくないなぁ,という思いが生じる為には、その前の,雨が降っている,という景色を,見てなければ,なりませんし、 更には,学校に行きたくないなぁ,と思っている主体は、その前の雨が降っている景色を見て、その景色を保持しておかなければならないはずです。

ここまででも明らかに、景色を,見ている,、その景色を,保持している,という心の働きが必要なはずです。

何故、見ている、聞いている主体は実体していないと言えるのか?

その理由を具体的に答えられるという方はおられませんか?

尚、私は哲学ど素人ですので、 難しい言葉は控えて頂けると幸いです。

質問者からの補足コメント

  • あなたのその解釈もまた、時間が立てばただの誤解だったという事になるかもしれませんね。

    ゲーデルの不完全性定理がそれを証明してくれています。

    故に、心は実体である可能性は否定出来ません。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/13 21:21

A 回答 (12件中11~12件)

川があります、実在論では「川がある」唯名論では「水が流れている」になりますが、いずれにおいても突っ込まなけりゃ「一応、川はある、渡ると濡れる」のであって、川は無いにはならない。


AIの歴史は苦闘だが、チューリング・テストだけじゃ役に立たない。定義だけじゃ「使い物にならない」いや「使い物にはなるが」内在するものがあるのか無いのかさっぱり分からない。もちろん実在論と唯名論を引きずり込んでも良いが不毛だ。
これは枕で、あなたが聡い人ならもう結論まで行っちゃっただろう。川が意識だ、逆でも良い、自我、エゴ、だと言っても良い。時間と共に流れている。時間と共に流れなくなったらあなたは死んだのだ。魂があると主張する人も多いが、既にプラトンとアリストテレスの段階で、前者は実在論、後者は唯名論に別れたが、実在論の方が魂に近いが、余り積極的では無い、魂の質量を測るという実験をした方が居るが、その頃の精度だとやるだけ無駄だ。孔子曰く「往くものはかくの如しか昼夜おかず」、なおこれは河水、黄河のことです。この解釈も火を吹く大論争、バカバカしい、孔丘は見たものから深い感動を受けたからそのまま口にしただけだろう。暴走すると孔丘は魯の国に生まれたから河水など幾度も見ただろう、なぜこの言葉が残ったのだろう、それは最初見たときだと云うのはバカバカしい、魯と河水は近くは無いが広大な中国からみれば東京・大阪間で最初に見たころは多分ガキだった。そんなの誰も書き留めない。もちろん定説はあるがそれは大いに彼の曲がり角の一つだったに違いない。
>何故、見ている、聞いている主体は実体していないと言えるのか?
時間と共に流れなくなったらあなたは死んだ、これが答え。なお数理哲学、物理哲学で厳密な議論がある様ですが、心は扱わない、心は道具であって道具を疑うと「失語症になる」
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「実体しない」「実体していない」という言葉は、難しい言葉でないのであれば、(普通に使用されるわかりやすい言葉と考えると)意味が不明です。


「心(思考している主体)は実体する」「見ている、聞いている主体は実体している」という言葉も意味がわかりません。

『「雨が降っている、学校に行きたくないなぁ」という一連の流れがある場合、学校に行きたくないなぁ,と思っている主体は、その前の雨が降っている景色を見て、その景色を保持しておかなければならないはずです。』とは限らないです。
朝、寝床の中で、あるいは夢の中で、「雨が降っている、学校に行きたくないなぁ」と思っている場合、景色を見てないし、雨音なども聞いてないで、「雨が降っている」ことにしている(実際とは異なる心象で思い込み)かもしれません。 時たまかもしれませんが、「学校に行きたくない、学校に行くのはイヤだ」「勤めに行きたくない、職場に行くのはイヤだ」という強い心情を抱えている方の中には、いろいろな不都合な事情が発生しているので、行くのは難しい状態になっていると思ってしまうヒトもいるようです。

なお、腹が痛い、テニスをしたい、合コンで楽しくしたい、トイレに行きたい、何か飲みたい、お金が欲しい、偉くなりたい、アイドルになりたい、などとの思いが生じるのは、自由意志というよりも、一種の生理現象、電気生理や生化学反応の結果ではないかという説でも解釈は可能です。 それは、極論すると、電気が通った(電圧がかかった、電流が通った)ので、電球やLEDランプが光った、パソコンが計算し、高速コンピュータが明日の天気予報をはじき出したというのと同じようなことであり、《主体》という設定そのものが確実なものとはいえないという解釈の仕方もあるようです。 

自動操縦や自動制御、ロボットなどがたくさん作られ、世界中で重要な機能を果たしています。 多くの重要なこと、キーになる処理を人間に任せると危ないので、コンピュータにゆだねた方が良いと思っているヒトが多いでしょう。 これらの世の中のシステムに主体という用語を使わないのであれば、将棋や囲碁のプロに勝つソフトにも主体という用語は使わないでしょう。 《思考する実体》というのが、そもそも怪しい概念なのかもしれないです。
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