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もう一度言います。幻とは、全てが幻という事です。現実はありません。錯覚です。目を覚ませばそのことがわかります。『今、自分は幻夢の中にあり、幻想を現実と勘違いしているのだ』と決めてください。「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」と決めてください。そうすればあなたの現実は本当に変わり始めます。あなたが信じていた現実は、ガラガラと音をたてて崩れ始めることでしょう。今がその時です。あなたが変わることによって地球は変わり始めます。輝く地球へと変わり始めます。あなたの地球にはあなた一人しか存在しないのですから・・・。
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/24tanin.htm

→ この世=現実=他人は、全て幻なのですか?
現実は、幻だと思うのですが。

A 回答 (14件中1~10件)

一言で片付ける必要もないと思います。

現実は現実、幻は幻、この世はこの世、あの世はあの世、他人は他人、自分は自分ですが、それぞれ何らかの関わりを持つなどしています。
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はて、それが解れば、生きる意味はなんとする?


判らぬから活動し、生活するのではないのかしら?
風流ではないかね? 分からぬということは。
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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9044257.html
一日前に同じ質問を別カテに出されていますね・・・

まぁ、いいです。こちらでは、少し変えて回答しておきます。

引用元の記述が正しければ、
「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」
なので、貴方自身も幻です。(ここまでは、多くの方が仰っています)

で、貴方自身が幻でなく、引用元の記述を信じるのなら
「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」
なので、引用元の記事は幻になります。
したがって、信じる対象にはなりえません。

引用元の記事が正しく、かつ、貴方自身が幻で無いと信じておられるのなら、自分自身を信じる人が少なくとも2人いることになります。

すなわち、自分自身を信じる人がどんどん増えていく理屈になり、引用元の記事は自己矛盾していることになります。

自分自身を信じることができるなら、自分自身を信じることのできる他者がいると信じるなら、
「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」という考えは「ガラガラと音を立てて崩れていく」ことでしょう。
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無常です。

仮の宿です。
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夢か現(うつつ)かではなくて、幻(まぼろし)か現かですね。



自分の五感で感じることも頭で考えることも、すべては脳が働き判断することによりますから、外界(自分以外の世界)がどうあろうと脳がそう思えば、それが幻であろうと現であろうとバーチャルな現実になっちゃいますよね。

そう考えると、現はすべて現実で真実であるかどうかは誰にも検証できません。目、耳、手足などすべてを取り払い脳だけを生きるようにしても、脳がそのように知覚すればこの世にあなた一人しかいない、という現実もあるかも知れません。もっとも人間は社会生活を営み科学を発達させて、その恩恵を相互に受けながら発達してきましたから、外界と遮断し脳の活動だけでは説明がつかなくなります。

まあそんな極論はともかく、苦も楽も脳の判断次第ですから、嫌なことでも快楽と脳が思えば、この世はバラ色です。言い換えるとポジティブ思考に変われば、この世も輝くように変わるってことです。
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幻なら、殴られても痛くはないですね



幻なら、成功も失敗も幻なんですね

幻なら、あなたの大切な人が目の前で殺されても幻なんですね

幻なら、あなたの内にある感情も幻なんですね

あなたには、他人がいるから
自分という存在が成り立つという事を知らないといけないです

かなり偏った、自己中そのものですよ

幻なら、あなたの心に何が存在するのですか?
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サルトルの「存在と無」でも読んで、お勉強してください。



それを、世の中では、「観念論」と言うみたいですよ。

もう少しで、大人になれると思いますよ。多分。
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だから、既知外にかまうなと・・・

「この世=現実=他人は、全て幻なのですか?」の回答画像7
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実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対


によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数hの
収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的
に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の
補完としての時空仮説=宇宙を認識する、という訳です。
無=不確定性無限の潜在としての認識可能性(感受表面での
量子相互作用=光速=現在)からの、自我仮説(時間の流れ=
記憶=過去=超光速)と空間仮説(空間の広がり=予測=未来
=光速下)の対発生。

相対性理論の4次元ミンコフスキー空間時空において、時・空
軸は虚数関係にあり、空間軸と時間軸の等距離点で相殺され、
“ゼロの面”が生じます。
それが「ライトコーン」、即ち光量子子の形成する面であり、
光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面
原点なのです。
そこにおいて、存在の階層現象性において本質的に超弦(量子
定常波=光速)に還元される時、存在の依存する時空的広がり
=非光速性は、物事を階層現象表面的に(=いい加減に)捉え
る事で二次的に派生している幻想だと言えます。

即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の
相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」
という無の射影として、量子=存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
「この世=現実=他人は、全て幻なのですか?」の回答画像6
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これも幻なのですね?だとしたら、質問が成り立ちませんが。

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