アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

小学生3、4年生あたりから大学生まで、年齢こそいろいろですが、日本の女学生はフェミニンな服装が多いなと思います。
休日の家族連れでしたが、小学生の可愛い盛りなのに、煽情的なほどおめかしした娘と歩くお父さんが、援助交際でもしているかのような絵柄になっていました。

フランスやスイスにいると、家族連れ、友だち、学校、といったシーンで、女の子は活動的な普段着の服装をしていることが殆どです。
休日の家族連れの行き先が美術館であろうが鍾乳洞見学であろうが、格好はほぼ一緒です。友だちと歩く女の子は十中八九、ズボンやスパッツを履いています。

日本の大学生の女子たちの圧倒多数は、なぜスニーカーにナップザックで学校に来ないのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • お礼欄からの続きです。ひとつ、お伺いしてよろしいですか。

    > 一番重要なのは、所得を自分のものとして使う、ことができたこと
    > です。独身時代なら給金を自分の好きに使うことができましたし、
    > 結婚しても財布を握っているのはほとんどの場合女性です。
    > 櫛・かんざし・巾着など女性が使う小物は昔からありますので、
    > このようなものを自分の好みに合わせて自由に買うことができた、
    > そのために消費文化ができていた、のです。

    これはどの時代を念頭に置いておられますか?
    消費文化が出来ていたころと考えて、西欧で百貨店が建った時期と、江戸末期から明治初期の百貨店前身の商家を比較して、購買層を見比べた場合、西欧の女性が自分の身を飾るものを買えなかったとは言えません。

    >日本女性は所得を自分のためにつかえた
    とおっしゃるのは、具体的にどういうことでしょうか。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/03/05 17:46
  • > 日本の少女たちの「かわいい」自己実現を支えているのは、江戸時代から続く自己表現の豊富さであり、日本では「少女が自己表現すること(かわいく着飾ること)」にタブーが無かった

    谷中の茶屋のお仙みたいに、春信みたいな絵師の活躍を介してアイドルがさまざま生まれましたものね。

    > 消費の形として欧米は「男性が主体的に見たい映画」が多く、日本は「女性が主体的に見たい映画」が多いという証左なのかもしれません。

    面白いことに気付かれましたね。参考になります。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/03/10 02:08
  • No10の回答へのお礼。

    欧米と日本の比較分析、おっしゃるとおりですね。

    質問タイトルが悪かったのかもしれませんが、
    女の子がかっこいいスポーツカジュアルに変身~♪しない傾向は何故あるかという、ご回答いただいた歴史の先にある景色を疑問に思っております。
    欧米では「男性化」のベクトルのところ、日本では「男性から差異化」のベクトルにおいて女性が「自己実現」しているから、というご回答と受け止めました。
    ありがとうございました。

      補足日時:2016/03/10 02:25

A 回答 (16件中1~10件)

飛び入りの横入りで逆質問なのですが。



制服のスカートの丈は なぜあんなに短いのしょう?

誰だか すけべではないかと回答してもいましたが。

★ フェミニン
☆ と見て済まし得るか? フェミニンとは何ぞや?



わたしの高校時代には 長い丈のスカートが――番長
とか言ってましたが――禁じられていました。
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この回答へのお礼

お久しぶりです。
番長。ツッパリですね。あの精神性のほうが、学校の先生にはわかりやすかったのではないでしょうか。現在のカワイイ教ののっぺらぼうちゃんよりも。

今回、誰も、日本が安全だから、とお書きにならなかったのが印象的でした。それと、日本の都会はほとんど歩かないから、という理由も挙がると思っていたのですが。ついでに、休日に家族で登山やカヌーや気球や釣りや乗馬をしないから、というのも無ければ、休日に親不在で近所の路上でバスケや煙草やスケボーやお喋りなどダラダラ地べたで過ごすから、というのも無いのでした。日本はおとぎばなしだという話も出たようですが、まったくそのようです。

日本でも地方ではミニスカのお人形みたいな格好はしにくいのかと思いましたら、ニャンポコリンさんの観察ではじゅうぶんスケベ魂を発揮しているらしいですね。
ときどき、小学生らしい活発な、洗濯しやすそうな格好で電車に乗っている女の子を見ると、ほっとします。シャツもスニーカーもよく似合っていておしゃれ上級ってことになるんでしょうね、それがよほどの自己主張であるらしいから。

お礼日時:2016/03/23 19:46

こんばんは、雨合羽さん。




とりあえず、世界の制服の画像を集めたサイトを見つけまして、なかなか面白かったので貼っておきますね。4ページまであります。
アメリカやカナダやトルコやベトナムやモンゴルや中国あたりだと、女子中学生の制服がズボンだったりスカートだったりするみたいですよ。
http://matome.naver.jp/odai/2138218172080749801? …


そうそう美子さん、ずっと陸上部だったわたしは、学校帰りといえば、カフェのケーキパフェやチョコレートやミスド―、よりも、自転車に跨って、みたらし団子やタコ焼きや串刺しフランクフルトや肉まんを食らうのが好きでした。

朝は授業の前に朝練があったので、ジャージで登校してました。そうして授業後の夕方もどうせまた走るから、ジャージで帰宅してました。セーラー服は、ほとんど部室に置きっぱなしで、朝練が終わってから制服に着替えてました。


とりあえず貼るつもりが、ついおしゃべりばかりになってしまってすみません。お邪魔しました。
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この回答へのお礼

おしゃべり大丈夫ですよ。
アジアは、戦前の日本が制度を整えている部分が大きく、英国やドイツの流儀を日本が真似たうえで、またそれを移植して、という形だと思います。
当時、アジアの国々を欧米列強に占領されては戦況が進んだとき不利になるし、アジアはアジアで列強に搾取されるのを避けたいしで、日本のテコ入れで近代化し、外交関係を深めたんですね。集団行動とか、規律行動とか、基礎教育といった富国強兵思想の移殖は、ある意味で途方もなく大きな遺産になっているのではと思います。
制服を拝見して、そういう名残りをつくづく感じます。あたしは右翼ではありません、念のため。

お礼日時:2016/03/23 19:27

甘党が多い女の子は舌だけじゃなく、視覚からも、


それ以外の有り様からも甘さを感じる独特な感性がある。
甘さ控えめでありつつも、そこにある恵みとメルヘンを堪能できている。

外国のケーキも芳香剤なども甘さがキツイ。
バイオレンスと呼べるほどキツイです。
香りつけの発想が、日本は素材を「生かす」
外国は「うまく隠す」「腐らない適度にずっと生かす」ためかと。
食に対する態度からして、服装の拘りもそんななのかと。

私は自分に優しい。けどもっと自分に優しい人も居られますから
そこは自慢になりませんが、
自分が可愛い人ばかり(主張は立派でも態度は蕾みたいな)だと
世の中メルヘン「不安定が安定」となりそう。
一花咲かせた安定も、かといって改革もまだ無理ですね。

日本人は質素も「侘び寂び」といってメルヘン咲かせるし、
「粋は、千年続いた可愛い」だそうです。辛抱強さもピカイチ☆
可愛いは情だけで出来なさそう。超可愛いはどんだけなんかと!
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この回答へのお礼

潜在性(ヴァーチャル)が得意な日本って、おとぎばなし(メルヘン)っぽさを演出するのでしょうか。可愛いは筋がね入りの共同幻想でしょうか。
しかし頭の中がお花畑のままこの世界情勢を乗り切ることはできないでしょうねえ。

> 食に対する態度からして、服装の拘りもそんななのかと。

流行は違ってきていますが、伝統的フランス料理は素材を殺してソースや香辛料や香りで蘇らせる感があって、伝統的に素材を生かすとなれば、日本食の右に出るものはないですよね。恵まれた国土のおかげです。
日本の少女が女性性を生かして何をしようとしているのかが、まあ、今回の問題といえば問題なんでしょう。

お礼日時:2016/03/23 19:10

#10です。

丁寧にありがとうございます。

>欧米では「男性化」のベクトルのところ、日本では「男性から差異化」のベクトルにおいて女性が「自己実現」しているから、というご回答と受け止めました。

そうですね。私の言わんとするところを煎じ詰めればそうなります。さすが質問者様碩学でいらっしゃいますね。

>西欧の消費文化と日本の消費文化を比較なさっておいででしたので、時代を伺いたかったのと、いちおう、資本の成立と信用経済の成立のころを想定し、なぜ西欧女性が買い物しなかったと思われたのか伺いたかったのです。

いや、比較するつもりはないんです。ただ、消費というはよほど子細にみないと、金額や流通量などでしか比較されません。根付の例のような質というか差異は、なかなか表現しにくいものです。そして、それらを質問者と回答者の共通の理解として提示するのはさらに難しいです。なにせ、どこの誰とも知らない、歳も学歴も専門分野も知らない人とやり取りしているわけですから、どうしても噛み砕いたものにならざるをえません。今回は質問者様の博識を見誤り、だいぶ遠回りした感じがします。

ただ、ひとつだけ「消費」という点についていえば、やはり19世紀以前の西洋女性には「買い物の自由」は少なかっただろう、と考えています。お金があればこずかいで何を買うのかは自由だったでしょうが、自分の所得を可処分する自由は常に同時期の日本女性より少なかったし、結婚すれば財布は旦那が握るのが欧米では普通ですから、自分の買いたいものでも、子供同様主人にねだるしかなかった、わけです。

したがって、自由に旺盛に町娘たちが自分たちの稼ぎで買える程度の小物が店頭に並ぶ江戸時代の日本と、男性が「着せたい、身に着けてもよい」と考えるものしか実質的には売れない西洋のお店では「消費の形・質」というか形而上の差が生まれたと私は考えています。

女性の人権、特に財産権だけ見るとアメリカでは比較的早く男性と同等になりましたが、西洋では国によって違いますが、法律上完全に同じ財産権になったのはフランスの財産法(離婚法)の1975年改正後になります。
日本人が思っている以上に西洋では「女性の人権は制限されていた」のです(質問者様は良くご存知ですよね)

結局、権利制限があるかないか、という点は大きくその後の消費社会に影響を与えると思います。
その点から見渡してみると、たとえばアメリカの黒人文化は常にストリートやギャングから生まれ、上級とかハイクラスの文化に昇華しないのは、やはり奴隷時代があって上流社会がないからかもしれません。
逆に黒人の国であるコンゴに見られるサブールのような文化は、元々白人が持ち込んだ服装だとはいえ、それを「黒人であっても自由に表現できる」というところが、奴隷制のない黒人国家の自由さを表しているのかもしれません。
 あれほど大量に消費し、世界の一流品が集まるアメリカでサブールのようなファッショナブルな黒人男性のブームは起きたことがありませんし、黒人のセレブリティと言われる人々もそれを目指しません。


最後に質問者様の一説を頂いてまとめると
ーーーーーーー
欧米では「男性化」のベクトルのところ、日本では「男性から差異化」のベクトルにおいて女性が「自己実現」しているから、ですが、それを支えるだけの消費能力・個人所得があり、そこを狙った消費の市場が形成されたために「カワイイ」という自己実現ができるようになったといえます。
 逆に欧米では、女性は常に男性に追従する存在であり、消費も所得も自由ではなかったため「女性のための消費市場」は日本と異なる形になったのです。そして、現在でも欧米の「男性化」つまりマッチョイムズは女性おも束縛し「ヒーローに助けられる価値のあるヒロイン」という女性像が理想とされるのです。また、ウーマンリブの方向性としては常に「男性と同等」というのは「男性と同じだけの能力を有する」という男性化のベクトルが主流になります

 そこには、日本のように(男性がどのような視点で見よう関係なく)「カワイイ」を追求できる風潮はほとんどない、といえます。
 
 日本は逆に男性の目を気にしない「カワイイ」が増長し、女性特に幼女・少女のコミュニティでは「カワイイ同調圧力」が強くなり、コミュニティに参加するには「かわいい恰好をしないといけない」という圧力が日本の女子をより一層カワイイ感じにさせているわけです。
 これは昔から(財産法の感覚から言えば、律令の口分田の時代から)女性には独立した財産権があり、可処分は自由であり、男性とは違ってよい、という風潮が造成されたために、時代・時代において「かわいい」モノの需要が生まれ、供給されたのです。

ーーーーーーー

#10に出した動画のアメリカ人女性は、別の動画で「アメリカではあまりおしゃれな恰好(ひらひらスカートとか)をしていると、男性のヤジが多くなり、場合によっては乱暴される危険も増す」と話されています。

女性は男性の付属品、という考え方は欧米にも未だに色濃く残り、イスラムはまさに付属品扱いです。日本では常にどの時代でも差別はあったにしても「付属品」であったことはないといえるでしょう。
常に「女性としての主体性」はあったといえます。

この主体性が造成される社会感覚が、消費における形而上の差を生み、それが「日本の女の子の服装は女の子らしい」という現象の下敷きになっていると私は考えています。
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こんにちは、雨合羽さん。

通りすがりです。




美子さんやちゃおぽるぽさんのご回答おもしろいです。
うちのムスメは現在中2ですが、
小学校の入学式でスカートを穿いて以来、
中学校の入学式で制服を着るまで
一度もスカートを穿いてくれませんでした。
今も休日はたいていGパンとスニーカーです。
小学校低学年の頃は、よく男の子と間違われました。



最近は少し暖かくなりましたが、
冬は制服のスカートの下にジャージを穿いています。
わたしが思うに、中学校~高校にかけての
女の子の制服=スカート、と決まっている、
のもスカート文化におおいに影響してるんぢゃないかと。
歳がバレますが、わたしが中学生の頃はドレスのような
長いスカートが流行り、その3年後ぐらいから
パンツが見えるくらいのマイクロミニに
ルーズソックスなんてのが流行りました。


それで、その光景を漫画やアニメやドラマが、
ものすごく美化してかわいく描くんですね。
それを観た人たちは、【右にならえ】です。


これは【村八分】とか【世間体】なんかが
怖いからでしょうか。


わたしとしましては、中学校や高校の
女の子の制服も、ズボンかスカートか選択できる
ようにしてもよいのではないかと思うんですけどね。
防寒対策の他、安全面、動きやすさもありますし。






11番のねこりんさんのご意見もおもしろいですね。

ただし(ねこりんさんすみません)、
>女性が社会的に自信をもったため

:というよりは自信がなくなったため、
なのではないかとも思えるのです。
あるいは着飾る以外の【表現方法】を
知らないか考える気力がないか封じられたか、
そんなわけで、承認欲望が服装ばかりに現れる
ということもあるのかなあなどと思いました。
その【表現方法】で、本物の満足感を得ているか
は、いささか疑問ですけれど。




最近、飲み会続きなんですが、
女性は、男性よりも同性の目を気にしている
ように思います。服装以外にお化粧もそう。
あの子には負けたくない!みたいなね。




結論としましては、
自分が何を着たいか、よりも
他人からどう見られるか、
を日本人は考えてしまうから、
ではないでしょうか。




お読みいただきましてありがとうございました。
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この回答へのお礼

こんにちは。お礼が遅くなりましてすみません。
お久しぶりです。またお話できてよかったです。

【抑圧・商品・表現】の化合物みたいな女子制服に、影響を受けている感じはありますね。
外から値踏みされた自分や、そんな自分を承認させることが、大事になってしまうのかな。

「承認欲望」とおっしゃったのは鋭いですね。
幼い子供や、認知症のお年寄りの心は、承認を特に強く求めますけどね。。。受動的で不自由だからでしょうか。

商品はショウウィンドウに閉じ込められ、飾られ、見られ、値をつけられ、求められるもので、流通価値や利用価値、付加価値などなど、価値にまみれています。
日本の女の子には、能動的に活動すること、チャレンジすることや、動いて働きかけることを、もっと知ってもらいたいなと思っています。

学校やメディアや消費生活は、どれも一般的にはそういう受け皿ではないわけで、社会とか家庭とかにその力があるかというと、ちょっと足りないかもしれません。
余暇が少ないし、家賃や地代が高くてお金がないしで、全般的に体験そのものが足りないんじゃないかなあ。自分は何をどうしたいかっていう地固めの。

お礼日時:2016/03/23 18:15

前回は、少々遠慮がちな回答になってしまいましたが、


ぶちゃけですと、「スケベ」だからだと思います。
日本人男性の「スケベ」は世界的に有名ですが、文化は
共有されているので、女性もそうなはずです。私の長年
の観察の結論もそうです。

で、一言抜けていましたが、現代の若い女性は、「異常
に」性を主張していると思います。
それは、女性が社会的に自信をもったため(結構なことで
すが)、以前は、奥ゆかしかった部分が、その反動もあっ
てか、全部出ちゃってるという感じです、スケベさも、
社会的未熟さも人権感覚の低さも。

これらの日本人の欠点は、やはり男女が共有しているはず
なのに、女性は、男性を責めるのです。「オラオラ」とド
スをきかせる、かつて男性がそうしてきたのと同様に。

だから、男性は女性に対して魅力を感じなくなっていて、
嫌いになっているのです。
若い男性が女性の「外見」に魅かれているに過ぎないとい
う状態だと思います。

若い夫婦のセックスレスの問題は過去の比ではないという
話。
また、収入の高い男性の間では、結婚など馬鹿らしいし、
したとしても財布は預けないという風潮の話。等々。

男女がこれほど仲が悪いということは、かつてなかったの
ではないでしょうか?文明の基盤の一つが揺らいでいると
言っていいと思います。
あなたは、文化について造詣の深い方だと思いましたので
少し申し上げてみました。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみません。
頼もしいご意見です。

環境変化で受精卵が着床できなくなる、なんて筋書きのほうが、種の終焉としてもっともらしく聞こえますが、しかし、異性間の心理的な距離が開いて集団心理やミームの作用するところから高度な文明を持った島が1つ滅ぶのであった。。。とならないでもないから、日本は心配ですね。

ところで、バブル経済以前の昭和の女性たちはバスや電車の座席では膝をぴっちり閉じていたと記憶しています。
昨今の膝たちは、かなりゆるい様子です。あれらの膝の奥には深く広い問題がある気がします。
社会にソフィスティケートが無いということには、いろんな負の側面が隠れていて、たぶん哲学も詩情も技術も経済も息絶えつつあり、エロティシズムも喪われているのでしょう。残るのはご指摘のとおりのスケベの考えの浅さ、いってみればスケベ根性でしょうかね。。。

お礼日時:2016/03/20 00:10

#7です。

補足までありがとうございます。
いろいろ、広範囲にひろがってしまうので、補足の部分だけにします。

>日本での消費文化は明治時代からといえるのではないかと思います。江戸の商家主導の浮世消費や、遊女発の文化現象は、持続的なシステムとは言えないでしょうから。

この点について非常に誤解が多いのですが、世界と比較した場合の日本の消費文化はすでに室町時代には始まっているといえます。
なにをもっていうかというと「貨幣」が使われ、遠方との取引も市場も貿易も整備されてきていることです。

その視点から
>>日本女性は所得を自分のためにつかえた
というのは、
1 文字通り自分の好きなものを買うことができた
2 自分または家族のためのお金の決裁権があった(いまも奥さんが財布を握っているのと同じ)
3 財産権・相続権など自分財産が保持された
ということです。たとえ少々の給金があったとしてもそれを保全し、結婚しても自分のお金として使える自由が日本にはあった、ということです。欧州の女性には2.3は20世紀初頭まで保障されていませんでしたし、イスラム教国では今でも1すら難しい国があります。

ですから、江戸時代には今と同じぐらい普通に買い物ができたといえます。

>消費文化が出来ていたころと考えて、西欧で百貨店が建った時期と、江戸末期から明治初期の百貨店前身の商家を比較して、購買層を見比べた場合、西欧の女性が自分の身を飾るものを買えなかったとは言えません
たしかにその通りです。日本と比べて、西洋女性が「買えなかった」とは思えません。

しかし私は「買うものが無かった」と考えています。

最近のネットで、海外との比較のページを見てみると分かるのですが、たとえば欧州には日本の100円ショップに相当するものがありません。仕組みとしては「1ユーロショップ」などがあるのですが、商品の便利さ、隙間をつくアイディアさでは日本のものとは雲泥の差です。
 日本にもフライングタイガーなどが出品し始めているので見てみるとよいと思います。

また、そもそも欧米には現在でも「気の利いた小物」という概念がないような気がします。
たとえば、USBケーブルやLANケーブルなどを買いに行くと、日本や東南アジアでも0.5mぐらいから5mぐらいまで1m刻みとか0.5m刻みで何種類も売っています。延長コードに至っては、コンセントの口数とケーブルの長さを合わせればものすごい数の商品から選べます。

これが欧米に行くと、種類が極端に少なくなります。1mか5m、これぐらいの種類で、メーカーも2社あれば相当に品数がある、という感じになります。特にアメリカはひどいです。

こういう細かい部分まで見た時に、日本は少なくとも江戸時代からかなり子細なものつくりがされてきたことが分かります。たとえば、女性に必要な櫛なども、漆塗り・ぬり無し・竹細工・金属製など庶民でもお金さえ出せば大概のものは変えました。また女性の櫛だけでなく、男性ものの煙管や根付なども相当に種類が豊富です。根付に至っては、現代の食玩の精巧さにも息づいていますし、緻密さ種類の豊富さなどからみても、ちょっと世界に類をみないといえるでしょう。

こういう点から見て、日本の「かわいい」に対するこだわりとそれによって生み出される商品の豊富さ、そしてそれを支える消費の旺盛さ、を考えてみた時に、明治期に百貨店が生まれたからではなく、もっと前江戸時代にはそうとう旺盛な消費文化があった、とみています。それを支えていた一つの層が若い女性たちであり、好きなものを買えた、というのは大きな特徴であったでしょう。男でもそうですが、女性は「他人が同じものをもっている」のを嫌います。安くても「かわいくてただ一つ」を江戸時代の経済は十分に支えることができた、ということです。

それに比べれば、西洋の百貨店は産業革命のたまものであり、大量生産・大量消費の時代のものです。

日本の少女たちの「かわいい」自己実現を支えているのは、江戸時代から続く自己表現の豊富さであり、日本では「少女が自己表現すること(かわいく着飾ること)」にタブーが無かった、ということです。

西洋は質問者様も「大人の願望が産み出した子供像」であって、子供自身が主体的に選んだ消費ではありません。

ところで、日本の女性と西洋の女性ではそうとうに位置づけが違っているのはご存知だとも思いますが、これも実情が誤解されているように思います。

日本は、そもそも男尊女卑の国とは言い切れないところがあります。
平安の昔から女性にも相続権はありましたし、実際に家を相続して切り盛りする女主人もいました。あまり知られていないですが、女武士も相当数いた、ようです。これは男児がいないので女性が家を守るために出征したものです。
また日本では武士も庶民も奥と呼ばれる家計費は女性が扱っていました。「男子厨房に入らず」とは奥様の権限を犯すな、という戒めもあったのではないか、と思っています。

それに対して西洋は19世紀まで現代のイスラムの女性の権利程度だった、といえるでしょう。すべて男性が「決定する」のがふつうだったわけです。現代のイスラム教国でも女性が仕事ができる国がありますが、あの程度、であったと思います。
また、多くの人が誤解していますが、欧米で男女同権になっているのは制度上のものであって男女差別が撤廃されたわけではありません。
 先般書いたフィギュアの件もそうですし、映画でいえば、女性が主役のハリウッド映画は男性主役物の1/10だそうです(昨年の調査です)、また「女性が主人公の映画はなんであれほど肌の露出が多いのか」というのも問題になっているそうです。
 日本は(ざっと調べましたが)女性が主人公の映画のほうが男性主人公より間違いなく数倍多いです。

つまりこれも消費の形として欧米は「男性が主体的に見たい映画」が多く、日本は「女性が主体的に見たい映画」が多いという証左なのかもしれません。少なくとも日本の女性主人公の映画は、どうみても男性をメインターゲットにはしていませんね。ヨーロッパではフランスなどは女性主人公の映画が多いですが、他の国はちょっと分かりません。

こういういろいろなことを見た時に世界に比べて「日本の女性は少女の頃から、変身願望を満たす方法がある」ということが言えると思います。
 欧米は「ない」とまでは言いませんが、日本に比べれば選択肢は少なく、より男性目線を意識しなければならない、のだと思います。

これについて最近面白いな、と思っているのは「ムスリムロリータ」です。
http://matome.naver.jp/odai/2143772458234137901

よくよく考えてみると、このような服装は元々西洋から中近東にかけての服装だったはずです。でも、日本の「カワイイ」というフィルターを通さないと、ここにたどり着けなかったわけです。

「それはなぜか?」ということを突き詰めて考えて行ったときに、西洋あるいはアラブの「女性の権利制限」と「女性の自変身願望」が同じこととして規制されていることが理解できると思います。

逆を言えば、日本には欧米ほどの「女性の権利制限」は元々なく、だからこそ江戸時代には「女性の変身願望」を満たす消費が十分に生まれていた、と私は考えています。

その部分と、飽和した大量生産大量消費社会が組み合わさることで起きたのが「日本の女の子の過剰にかわいいファッション」であるといえるのではないでしょうか。

今でも、今でも欧米の女性への男女差別は無くなっていません。

この動画の3:20あたりで「13歳の・・・」と話されていますが、同じようなことがハフィントン・ポストにも書かれています。
http://www.huffingtonpost.jp/gretchen-kelly/thin …

このようなことは、日本では起きにくい、です。痴漢などの問題があるので「起きない」とは言いませんが、欧米(多分アラブも)のように女性を「隷属対象」として見る日本人男性は昔からそれほど多くなかったと思います。

欧米における社会の表層での「男女同権」はたしかに日本より実現しています。しかしそれは「女性が男性並みに能力がある」という前提であり、男性化することでもあります。

日本の女性は「男性とは違う」ということを前提として、自己実現できます。そのような社会的環境が煎じ詰めれば「女子らしい服装を追求できる日本の女の子」を作りだしている、と私は考えています。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

> 室町時代

荘園制が基盤となったいわゆる室町経済ですね。ここでの問題はおそらく2点で、1つは、西欧近代の消費文化とは、信用経済のうえに成立しており、金利生活と一体であることです。さらに、

> ですから、江戸時代には今と同じぐらい普通に買い物ができた

とのご指摘から、もう1つ、室町経済が戦国時代に崩壊し、流通貨幣から価値が米・金銀に移ったため、直接的に江戸時代の文化の母胎といえるのかどうかということです。

> しかし私は「買うものが無かった」と考えています。

そうなのですね。ル・ボン・マルシェやラ・サマリテーヌといった最古の百貨店の様子は、当時の多くの書き手やメディアが伝えていますから、そのご心配はないでしょう。イギリスは水晶宮が出来てから購買客を見込むようになります。万博で好景気になったんですね。市民革命で生まれた市民が資本経済の担い手となることと、幕藩体制下の江戸末期の庶民が充足した生活文化の担い手であることは、あまり比べる意味がないかなという印象をわたしは持っているのです。

> 江戸時代からかなり子細なものつくり (......) 緻密さ種類の豊富さなどからみても、ちょっと世界に類をみないといえるでしょう。

おっしゃるとおりと思います。根付には、江戸から明治に訪れた外国人が驚嘆していました。

> 日本の「かわいい」に対するこだわりとそれによって生み出される商品の豊富さ、そしてそれを支える消費の旺盛さ、を考えてみた時に、明治期に百貨店が生まれたからではなく、もっと前江戸時代にはそうとう旺盛な消費文化があった、とみています。

明治期の百貨店が生まれたからだとはわたしも申しませんよ。
西欧の消費文化と日本の消費文化を比較なさっておいででしたので、
時代を伺いたかったのと、いちおう、資本の成立と信用経済の成立のころを想定し、なぜ西欧女性が買い物しなかったと思われたのか伺いたかったのです。
室町経済に発する尺度で江戸文化を捉えておられることがわかれば、理解はじゅうぶんです。

(字数の都合により補足欄へ)

お礼日時:2016/03/10 01:56

ありがとうございます。


いろいろ動物の成熟期、発芽についてや、
百匹目の猿とか?世界の深さ広さを検索して楽しんでおりました。
知の海に溺れぬうちに今の所見を書いておきます。

可愛いの反対は「可愛くない(未着地)」だけかもしれない。

可愛いって呪文のように受け入れや、何がしかの意思表示で、
相手を尊ぶ気持ちから自己確認の意味がありそうで、
あまり考えても意味なさそうで・・・ってのがいいのでしょうね?

「凄い」とか「素敵」「最高」と言われれば「OKさ、大丈夫」になるけど、
「可愛い」と言われて戸惑う人が居るのも面白い。


パリジェンヌの「大人の女カッコ良さ」は
経験に基づいて合理的な計算もどこかにされていると思う。
中世的な外見でも、ボディラインやショートヘアーにしてることでうなじを強調してたり、
肌や指が綺麗だったり、目配せしたり、声がセクシーだったり。

女らしさの演出には完全な女の私よりニューハーフのような方が詳しいかと思います。
肌の露出が多ければ「セクシー」というなら、
私は中学まで体育の時間は布面積がパンツと変わりないブルマでしたが
セクシーな気分は微塵もありませんでした。

やはり特別な時でなく、平常時に「女の子らしさに気づいてしまった」
「見えそうで見えない(よって見たくなる)」
「一瞬見えちゃってドッキリ」が日本のお色気考ではないかと。

子供の色気に「無邪気、無意識の楽園」を
固定観念や知識で頭でっかちな大人を楽しませてくれることもあると思う。

男は動物っぽいというのは女より成長に時間も多くのライバルもお金も?
かかるということなのかな。

女の子って生まれながら次世代の卵を持ってて、
自分も生きて子供も生かせの「相互協力」遺伝子プログラムある。
生きることは争うより協力するほうが楽だろ?
争ってばかりじゃ人生寂しいと思う。
でも男は大人になって、誰かを守れるように強くなっても
寂しいのとも戦う。
争うぐらいなら、と弱い相手と寂しくなってるだろ。

って、男心の把握のしかたが間違ってるかもしれませんから
というか男を見る目がない!極度に鈍感らしいので、
まだ女らしく大人にもなれてないんだな。私は。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

> 女らしさの演出

坂東玉三郎の女らしさはエロに焦点があるという気がしますね。触れなば落ちん、に集約しています。しかし現実の女らしさには、いろいろ種類があるかもしれませんね。フィクションの凄みは圧倒的ではあるんですけど。

> 日本のお色気考

ゴダールなどフランス映画の描く日本女性は、日本人からはあんまり色っぽく見えない気がしますが、格別の雰囲気があるとゆうことになっています。というか、そもそもフランス女優はコケティッシュやチャーミングが売りらしくて、色っぽさはいまひとつな感じです。ヨーロッパ人には色気はわからないのかもしれません。アメリカ映画の、フィルム・ノワールというジャンルがありますが、映画ではこれが断然色っぽいのではないでしょうか。結局、粋なものが色っぽいのだと、日本人であるわたしは思います。陰翳礼讃であり粋の構造であり。

> 子供の色気

ユズキカズさんが子どもを描いた漫画は色っぽかった。天衣無縫な生命感ていうんでしょうかね。神様のエロスでしょうか。粋の色気のほうを人間の暗いどよめきとすると。

> まだ女らしく大人にもなれてないんだな。私は。

たぶん、なろうとしたことがなかったのでしょ。

お礼日時:2016/03/10 00:52

日本では、女性が花でいられるのが、せいぜい二十五歳までだからではないでしょうか。

日本の男性は百人いたら、百人全部、才色兼備の四十代の女性よりも、世間知らずの二十歳代の女性を選ぶような気がします。短い花の命なら、着飾って、男性の目を楽しませようという、何か、長い間はぐくまれてきた、日本女性としての本能が、そうさせているようにも思われます。

ごく近世まで、結婚をしたら、眉をそり、お歯黒を塗る習慣がありました。米国在住で、犬の散歩に近所の公園に出かけますと、子供たちを遊ばせているお母さんたちを見かけます。日本人のお母さんは、もう、一目瞭然です。髪は茶色で綺麗にセットされてされています。上質なのに、だぶだぶな、体の線を見せない服装をしています。もう、第一線から退いた感じ。。。お歯黒感があります。

一般の日本女性がデヴィ夫人のように振る舞うのは、たぶん、タブーなのでしょう。美魔女コンクールがあると聞きましたが、あれも、ごく一部の女性に限られているのでしょうか。

公立でしたが高校までは、制服ですから、大学にいったとたん、解放感からか、ずいぶんお洒落をしていた友人もいました。バブル期の、ほんの手前でした。

逆に、どうして米国では、女の子らしく着飾らないか。。。高校時代、一年に一度のプロムでは、タキシードとイブニングドレスで、リムジンを駆って、パーティをする習慣がありますが、普段は、男性に媚びるような服装をすると、女性の友人から距離を置かれそうです。

性の垣根をどんどんと取り払っている国ですので、可愛らしさを売りにするのは、”知能指数が低い証拠”みたいな印象がありますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お久しぶりですね。
百人の日本人男性の中に、"老け専"と"範囲の広い人"を1人か2人カウントしておきましょう。あとはまったく同感です。しかも中年以上の男性には、ふっくらと垢ぬけない若い女性が好まれることでしょうね。たぶん幼稚園か小学校で先生に憧れたようなところを引き摺っているのでしょうよ。
お歯黒感。。。。。思わず唸りました。未婚のうちは花で、子供がいたらお歯黒ですね。ま、男性のせいでしょうね。

花のアイデンティティが、4―5歳でどう進むかが分かれ道です。
フリルのついた服なんか着ない、わたしはママのお人形さんじゃない、という抵抗と反抗が、みるみる社会から陰を潜めたように思えます。2000年を過ぎた頃でしょうか。図書委員会かマンガ研究会にしかいなかったような「とろい」系の女子中高生が、電車の中に常にあまりにも多いと感じました。まるで、花のつぼみのまま、幼いまま、凍結させようというかのように幼稚園女児と女子高生の境目がなくなったと思います。
パパの変化もおおいに関与しそうですね。しかし、夫のありかた、父のありかた、社会でのありかた、という空気の変化は、一筋縄では読み解けそうにありません。

> 性の垣根をどんどん取り払っている

それが先取の気風でしょうね。トランスジェンダーの催しなど増えましたが、大抵仕事が丁寧で運営が良く、諸所の対応が適切です。文化的にはこれは間違いなく有能さや知的教養度と結びつくという方向性ですね。抵抗や反抗をとおしてインクルーシヴ社会になるという形が欧米にはありますから。
日本は毎年桜が咲いて散るというような暢気な美意識で、まあ、何よりも旬を大切にしますからね。。。大事なものが違うというところかもしれません。

お礼日時:2016/03/06 02:39

#5です。

お礼ありがとうございます。短い文章でまとめるのは難しいですね・・・以下補足です。

>「子供文化」ですか。その概念の腑分けからすると「大人文化」もあると思われますか?
元々はありました。日本文化の特徴として「若衆」が荒事を担当して、大人「村衆」から一部独立して運営されていた事実もありますし、いまでも銀座のクラブとか(ママのいるほうね)大人の文化もあります。
 ただ、階級社会ではないので若者文化も大人文化も消費社会にどっぷりつかっているのですが、元禄文化の頃から消費文化だったといえばそうなります。

 欧米には「こどもの発見(誕生)」という言葉があります。フランスの歴史学者フィリップ・アリエスは中世以前のヨーロッパには子供はおらず、近代的な教育制度が「子供」という区分を作ったとし「子供服」のようなものも近代以降である、とされます。

 しかし、アジアではかなり昔から子供服のカテゴリがありましたし、髪のゆい方も子供と元服後は違うなど、子供から大人に変わる、という通過儀礼もありました。
 アジアでは大人・子供は区別があったわけです。

> 「着飾る」という文化
> 華美な服装
前回の説明で抜けていたものがありますので、それを中心に書きます。それは「かわいい」です。
質問者様の提示されている子供たちの服装を一言でいえば「かわいい服装」といえるでしょう。現在、世界で注目されている「HARAJYUKU・KAWAII」もこの「かわいい」の一形態です。

このカワイイはある意味、非常に日本独自の文化であるといえます。逆をいえば「欧米にはカワイイがないから、子供の服装はラフになる」といってもいいでしょう。逆に最近の日本では子供であっても(特に女性は)「かわいくなければならない」という圧力によって、かわいくさせられている、と言っていいと思います。
その点については消費文化の圧力でもあるわけです。

ではなぜ、カワイイ、が日本で生まれたか、それは質問者様もご指摘されているように「日本が女性にとって暮らしやすい国であったから」にほかなりません。
 一番重要なのは、所得を自分のものとして使う、ことができたことです。独身時代なら給金を自分の好きに使うことができましたし、結婚しても財布を握っているのはほとんどの場合女性です。
 櫛・かんざし・巾着など女性が使う小物は昔からありますので、このようなものを自分の好みに合わせて自由に買うことができた、そのために消費文化ができていた、のです。
 世界中に原宿のような場所が他にないのは「日本のように若い女性(小学生からの学生ぐらい)が消費できるアイテムを作る文化が無いから」といえます。

 欧米の文化は基本的に「男性文化」です。女性の消費はおまけでしかありません。所得に関しても、独身時代はともかく、結婚した時の所得の管理は男性が行うのが一般的です。男性の趣味のものは豊富にあるのに、女性向けの小物や雑貨・服やおもちゃなどは日本とは違ってバリエーションが少ない、ものです。(そういえば、スターウォーズ7で主人公なのになぜレイのフィギュアが1種類しかないのか、と話題になっていましたね)

 服装に関しても、女性が男性の視線を意識せずにカワイイと着れる服(ピンクハウスとか)、というのは欧米にはほとんど存在しません。
だからこそ彼らが原宿にくると目を見張るわけです。
 もちろん、大人の所得の高い地位の高い女性は外国のほうがおしゃれかもしれません。しかし、彼女たちは「男性と同等に仕事ができることを証明した後」に化粧や服装を楽しんでいるわけです。しかし、やはり「リラックスして楽しむ服装」というのはほとんど皆無でしょう。

たとえていうなら、浴衣のようなカテゴリーでしょうか。伝統的でありながら自由で色彩が豊かでアレンジが効きます。こういう服(女性が自身の好みで楽しめる)服、というのは外国にはそもそも存在していないのです。欧米の服は50年ぐらいさかのぼるだけでコルセットとセットになります。シャネルがすごいのは「コルセットなしで女性らしさを表現した」初めてのデザイナーだからです。

日本の女性は子供であっても、自由で「自分の好きな」服を着ることができること、それと同時に最近は「かわいい」文化の押し売りが強くなってきていて、カワイイ脅迫症のきらいがあるのではないか、と思います。

ゴスロリのようなものはある意味その反動だと思います。失礼ながら初期のコスプレイヤーは容姿的にちょっとあれな方が多くいました。ようするに普段でのかわいいは無理(かわいい子に勝てない)ということを自覚しているわけです。
ですから、ほとんど変身に近いレベルまで変えることによって「かわいい」&注目願望を満たしていたのが、コスプレのそもそもの走りだったと記憶しています。
 最近はコスプレも市民権を得て、アイドルになれたりするようになったため、普通のかわいい子が参加するようになりましたけどね。

>夕方、可愛い制服を脱いだら、黒いパンツとお気に入りのブランドのファンキーなパーカと買ったばかりのアディダスの シューズで、大好きなロックミュージシャンのコンサートに友達と行く
そういう人もいますよね。でも一部ですし、反抗的と多くの同級生から思われているでしょう。それぐらい「かわいい同調圧力」は高いのだと思います。

>日本のパーティ会場で、中高生くらいの女子のおしゃれ着が、けっして華美というわけではないと思うのです。
 日本のパーティは欧米のパーティとは別のものです。日本にはホームパーティや卒業パーティ(プロムなど)のようなパーティ文化はありません。ですから、パーティを比べるのは不適切だと思います。

 欧米のパーティの基本は男女同伴であることです。ここがまず大きく違います。中学生だって小学生だって「パーティ」ならカップルでくるのです。そのための服装であるわけですから、男性はビシッと、女性はセクシーになるのが当然です。日本のパーティはそういう雰囲気よりも上下関係や取引・人間関係が優先されるわけで、逆に華美であると浮いてしまうことが多いことになります。

ということで、ざっくりまとめると
・日本にはかわいい文化が昔からあった、外国はない
・日本女性は所得を自分のためにつかえた、外国は制限がある
・日本には男性の目を意識しないでいいカワイイがある、外国にはほとんどない
・90年代以降、制服の世界から「カワイイ」が商業主義に乗ったため、どんどん華美になった
・カワイイが消費に結びついたため、かわいい服装でないと仲間外れになる
というところだと思います。

質問者様は博識であられるので、なんかあれば指摘してください。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

フィリップ・アリエスをお読みになるのですね。ミッシェル・パストゥローの綴るヨーロッパの色の文化史も面白いですよ。中世、染色の手間や材料などで色の価値がランク付けされますが、おっしゃるように、当時の子供の地位など階級に等しいことが、衣装の色からも明らかです。

ヴィクトリア朝イングランドに、ご興味はおありでしょうか。
グリーナウェイ・ドレスというスタイルがありますよね。絵本作家のケイト・グリーナウェィがデザインした子供服を、大人が着るようになったあれです。ヴィクトリア朝後期では、都市文化のストレス反動から生まれたノスタルジーを、大人たちは子供に重ね、無垢で田園風のイメージに合った格好をさせて可愛がります。前期に、メディアも生まれ、中間層から裕福層を相手に子供向けの商品が生まれ消費が生まれ、子供像を模索するようになっていたのですね。少し先立ってルイス・キャロルのアリスの服が大流行したりしています。いずれにしても、自分の理想を重ねて可愛がるという、まあ、自分の延長みたいなもので、ゆがんでおりますね。大人の願望が産み出した子供像には、そういう根っこが残り続けるのかもしれません。

いっぽう、日本を見た外国人たちが残した書物では、違う様子が描かれていますでしょう。
回答者様は江戸文化にお詳しくていらっしゃるのですね。
ツュンベリーやハリス、チェンバレンやイザベル・バードは、異口同音に、江戸や明治の人々の清潔さ、貧しくても困窮していない働き者の暮らしぶり、手入れの行き届いた風景や開放的な性格、丁寧さや親切さを伝えていますが、子供をぶたないこと、叱らないこと、学校で読み書きを習う様子は、日本がどれほど西欧と違う価値観を持っているか知らしめます。外国人にも分け隔てない態度を取るくらいですから、日本人にとって子供が人間の下の階級であるはずがなかったのですよね。
日本での消費文化は明治時代からといえるのではないかと思います。江戸の商家主導の浮世消費や、遊女発の文化現象は、持続的なシステムとは言えないでしょうから。

字数制限のため補足欄に続けますね。

お礼日時:2016/03/05 17:43

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