プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

1人娘が大学生のときに自死しました。それまでの私の生活は一瞬にして暗転しました。まさか自分の人生にそんな大不幸があるなんて考えていなかったので今でも受け入れることができていません。それまでは専業主婦でしたが今は勤め人となり、会社では元々子供のいない夫婦で通しています。それは良いのですが、今までの親しい友人や親戚(老母と妹にだけ交通事故で即死だったといってありますが他人には口止めしています)には、娘が亡くなったことを言えずにいます。親戚や親しい友人はこれからもお付き合いをすることになる人達ですが、娘を亡くしたことを知れば同情され、かわいそうな人、不幸な人と言われるでしょう。そのようなことを思われても、それはこれから私達夫婦が生きる上で何の足しにもならないと思うのです。むしろ、レッテルを貼られることで本当に不幸な人になってしまうのではないかと。何とか生きていくために、嘘をついてでも娘を失ったことは隠していたい、この考え方はいずれは破綻するでしょうか。間違っていますでしょうか。娘の学校関係者などは亡くなったことを知っていますが、その方たちとの関係は絶ちました。お葬式などのセレモニーも一切しませんでした。今でも、夫と私が娘の話をすることはありません。娘は夫と私の心の中だけにいます。語らなくてもそれは確かです。
このようなことは、その立場になった人にしか理解できないでしょうが、客観的なご意見を伺えましたら幸いです。

A 回答 (10件)

今はそのままでいいと思います。


いつか娘さんの話をなつかしんで話ができる様になったら自然と周囲の人達にも打ち明けていこうかという気持ちになるのではないでしょうか。つまりは今はそこまで心が追い付いていないことと思います。当事者にしか気持ちはわかりませんので無理して話す必要はありません。時間がかかることと思います。ご自分のこの行動について肯定も否定も必要ありません。正解などありませんので。できる限りご自分の心を守る事を最優先として下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そのように言っていただくことで大変救われた気がします。

お礼日時:2016/03/18 01:24

アマゾンで「自死遺族」というキーワードで何冊か本が出てます。

自死遺族会というのがあるらしくて、そこの出版物が多数出てます。
おそらく、自死遺族会で話された内容をまとめた本だと思います。
科学や宗教でどうにもこうにもできない範囲ってあるものですから、一番大事なのは注いできた愛情を「間違ってはいなかった」と肯定することです。
親の教育がどうこうでなく、未遂者から言わせると、本人が良心の呵責を感じて自死を考える、実行する、というのが本音です。
他に考え方がなかったのだと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。確かに、他に考え方が無かったのでしょうね。娘が死ぬことで頭が一杯だったのに、母親の私は全く思いも及びませんでした。酷い母親です。それなのに娘は親を責めず遺書には「育て方は間違って無かったよ。私が勝手に捻くれたんだよ。最後まで迷惑かけてごめんなさい」とありました。
未遂で良かったです。
お陰様で納得ができました。
親身なご意見に感謝致します。

お礼日時:2016/03/18 01:41

自死をした人のことを話すと、遺族が後ろ指さされることがありまして、言わないほうがいいです。


親しい方にも言わないほうがいいです。
なんにも悪いことしてませんが、いまだに偏見が多いです。
頭がおかしい家庭とか、教育が悪かったとか、さんざん言われるそうです。
自分を未遂してるので、あのとき、親にすまなかったと思います。
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No.4です。



2003年に、当時福島大学教授だった 飯田史彦さんが

「生き甲斐の創造」という本を出版されました。

当時で50万部を越えるベストセラーでした。

この本には、親を、我が子を、夫をと、肉親を亡くされた方々が

「永遠の命」の存在を確信しそれによって救われた方々のことが

著されています。

Amazonで購入されて読んで見られたら如何でしょうか?

飯田史彦 完全版「生き甲斐の創造」です。

400頁ぐらいの本です。

心が落ち着かれると思いますよ。

肉親を亡くした多くの方がこの本で救われておられます。
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ご心情は察してあまりありますしご同情も申し上げます。



>この考え方はいずれは破綻するでしょうか。間違っていますでしょうか。
これは不特定多数の赤の他人には、判断出来かねるほどに微妙なお話でしょう
間違っているとは思いませんがされど、正解とも妥当解とも思えません。

亡くなったことを知ってる人らとは絶交ではあまりにも短絡的であり
ご夫婦で以て住む世界を狭めていくスタンスでは賛成しかねるからです。

昔から言われているように人の口に戸板は立てられません
口止め云々と言ったところで漏れない保証はどこにもありません

人はあなた方が思っているほど鈍感なものではありませんよ
恐らく周囲の人達ほとんど大半に、
もう既に知れ渡っていると言っても過言ではないでしょう。

どこかで割り切って開き直るか
開き直って割り切るか 
とにかくこれからの長い人生を思えば、このままで良いはずはない・・
ということだけは確かでしょう 

いくら考えようが悩もうがしょうがないことはしょうがないし
仕方がないことは仕方ないのです。人間にとって諦めも肝心です。
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この回答へのお礼

ご意見、ご感想をありがとうございました。

お礼日時:2016/03/18 00:39

誰にも話す必要はないと思います。

質問者さんの悲しみは同じ経験をして人にしかわからないものと思います。私にも想像は出来ても、どんな辛さかは決してわかりません。話せばあれこれ詮索する人もいると思いますし、意味のない同情を受けることになります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。同調してくださる方がいることで勇気づけられました。

お礼日時:2016/03/18 00:42

>この考え方はいずれは破綻するでしょうか。

間違っていますでしょうか
合っているか間違っているかは解らないです。
だけど必ず破綻する。
なぜなら絶対に辻褄が合わなくなるんですから。

私は自分の娘が自死を選択してしまった場合の事を考えると、考えただけで気が狂いそうになるので、それを実際に体験成された質問者さんの気持ちはそれこそ想像をはるかに超えるものなんだと思います。
ただ、亡くなった事を言わなければ、「そろそろ娘さん結婚なんじゃないの?」とか「最近会っていないけどどうしてるの?」などと、私だったら耐えられないような事を言われ続けると思うんです。
そして亡くなられた娘さんにも背を向けているように感じるんです。
確かに周囲からの同情も哀れみもいらないでしょう。
>それはこれから私達夫婦が生きる上で何の足しにもならないと思うのです。
まさにその通りだと思います。
他人は確かに勝手にレッテルを貼って、頑張って表面上悲しまない素振りを見せれば心が無いだの勝手なこと言うし、悲しみ続けていれば前を向けだの言うし。
かと言って隠して嘘ついていても、娘さんを見かけないとかなんだとかで、別のレッテルを貼られるだけじゃないですか。
もし何かで周囲に知られたら、結局一緒なんですよ。
この先も不幸な人になってしまうかどうかは、他人にどう言われるかじゃなくて、質問者さん次第じゃないですか。

質問者さんのような壮絶な体験をしていないような私が偉そうに申して本当に恐縮なんですが、それでも本当の意味で娘さんの死と向き合った方が良いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。多分おっしゃる通りなのだと思います。私もそう思うのですが、今の私にはわかっていてもできないのだということが分かりました。

お礼日時:2016/03/18 00:48

64歳主婦です。



この質問を読み、ウッ!と胸が詰まりました。

なんと、どれほど悲しい思いをなされたことでしょう。

何万回、何千万回、言葉を尽くされても、他人である私たちには

サムサラさんの苦しみは、「頭では」理解出来ても

サムサラさんと同じ苦しみは、、、。

本当に、ご自分の人生でこんなことが起こるなんて、

夢にも思うことは出来なかったと思います。

娘さんは、どうして自死などということをなさったのでしょうか?

ご両親が悲しまれることは分かっておられたと思うのですが、、。

病気ならまだサムサラさんやご主人も納得出来たでしょうに、、。


私の母の実家がお寺なので、私は幼い頃から、「霊魂」の

霊魂の存在を確信しています。

娘さんも、今頃、霊界でお母さんやお父さんを悲しませてしまったことを

悔やんでおられると思いますよ。

霊魂は、私たちがその方を偲んだ時に、私たちの五感の目には

見えませんがそばに来てくれてるのです。

娘さんも、貴女のそばにきて「お母さん、何時迄も悲しまないで!」と

必死で訴えておられます。

嘘をついてでも、娘さんが亡くなられたことを隠しておきたいお気持ちは

手に取るように理解できます。

サムサラさんの、なさりたいようになされば良いのではないでしょうか?

良きにつけ、悪しきにつけ、私達は、人の存在を忘れて行くものです。

私も、父親は14年前に、母親は一昨年に亡くしましたが

、両親のことは、既に遠い過去のことになりつつあります。

たまに、思い出す程度です。

母は、94歳、父は90歳と高齢で亡くなりましたから

納得しているからかもしれませんが、、。

娘さんのことは、貴女とご主人様の胸の内だけに

大事にしまっておいてください。

世間様に、何もかも公開しなくても良いと思います。

サムサラさんの年代が分かりませんが、ご主人が定年にでもなられたら

何処か暖かい土地に引っ越しされて住まわれたら如何ですか?

離島とか、、、。

誰も、貴女の娘を亡くした、、という過去を知らない方達の中で

静かにご夫婦で娘さんを偲びながら生きて行かれるといいのでは?

と、私は思います。


この世の中で「死が来ない人」は、誰一人としておりません。

人は、生まれた時から、死に向かって生きているのです。

人は、母親の胎内に入った時には既に自分の人生の筋書きを

描いて生まれてくる、、と言います。

娘さんは、貴女のお腹に宿った時には既に

「私は、大学の時に自分でこの世とサヨナラをする」と

自分の人生を描いてそして計画通りに、亡くなって

自分の人生を生き切って行かれたのです。

娘さんは、自分の描いた、計画した通りの人生を送って

終止符を打たれたのです。

これからは、明るく前向きに、、、というのは、無理だとしても

ご主人と心を寄せ合ってサムサラさんの人生を生き切って下さい。

あまり、力になれることを回答できなくて申し訳ありません。

お元気でね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。思い遣りと温かさが身にしみました。娘は遺書を残してくれました。大好きなパパとママへ、と。私がいなくなっても仲良く暮らしてね、と。自分で自分の命を絶ったのですから無念も恨みもあったでしょうに。優しい娘だったと思います。

お礼日時:2016/03/18 01:06

娘さんが亡くなったことはとてもお辛かったと思います。



悲しみは計り知れません。家族に死なれるほど、それも自殺となればどれほど辛いものでしょうか。

わたしは現在20歳。大学生です。娘さんが亡くなられた歳に近いかもしれませんね。

若いこれからの娘さんが亡くなったというのは娘さんもそれなりに苦しいことがあったのだと思います。

親戚や親しい方に娘さんが亡くなられたことを伝えたくないというお気持ちはわかるような気がします。

他人は他人ですから、人の不幸に関して同じ痛みを理解することはなかなか難しいと思います。確かに話しても同情されるだけかもしれません。

でも、人から同情されるからといって、不幸になるわけじゃないと思います。一番不幸になるのは、自分は不幸だと感じることだと思います。

周りにいくら同情されようが、不幸だと思われようが、自分自身が不幸だと感じなければ不幸にはなりません。

人生はわたしはまだ20年しか生きてませんが、必ずいい時と悪い時があると感じてます。悪い時は自分だけが惨めに感じたりしますが、他の人も時期や大小に違いはあるものの、不幸なことに必ず遭っています。

みんな不幸を言わず痛みを隠して生きていると思います。

わたしも小学生の頃に親が離婚して、周りに話すと気まずそうな同情するような表情されたりします。

でも、同情されたからといってその人に悪気はないのだろうし、こんな反応されてもまあ仕方ないかと思うようにしてます。

わたしのちっぽけな経験を引き合いに出してすみません。

主さんは娘さんが亡くなられて辛い思いをずっと抱えられているから、周りに娘さんのことを言いたくもないのだと思います。

言いたくなければ言わなくても大丈夫だと思います。
どうか不幸な思いにとらわれて引きずられることがないように…
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この回答へのお礼

aa3050さんはご自分の足でしっかりとご自分の人生を歩んでいらっしゃいますね。娘をもっと励ましてあげればよかったとこうなってから後悔しています。娘に謝りたいです。母親の私が娘をこういう結果にしてしまったと。今更どうにもなりませんが。

お礼日時:2016/03/18 01:19

>娘を亡くしたことを知れば同情され、かわいそうな人、不幸な人と言われるでしょう。


大多数がそう反応するでしょう。でもそれが何か不都合でも?

>そのようなことを思われても、それはこれから私達夫婦が生きる上で
>何の足しにもならないと思うのです。
もちろん足しにはなりませんが、カミングアウトで
ケジメと言うか踏ん切りは付くのではありませんか?

>むしろ、レッテルを貼られることで本当に不幸な人になってしまうのではないかと。
>何とか生きていくために、嘘をついてでも娘を失ったことは隠していたい、
>この考え方はいずれは破綻するでしょうか。
別に破たんはしませんが、いずれ「なんで知らせてくれなかったのだろう。
お悔やみの一つも言いたかったのに」と思う人はいるでしょう。

隠すことで、一見ご夫婦の「心の平穏」をぎりぎり維持してきました。
でも、はっきり言ってわが子を失う事はこの上ない不幸に違いありません。
しかも、時期も理由も理不尽極まりありません。
本来なら、収拾つかないほどに「泣き叫ぶ」出来事の筈でしたが、
時期を逃してしまいました。

3回忌、7回忌などの節目にでも、公表してしまいましょう。

>娘は夫と私の心の中だけにいます。
しまう場所が違ってませんか。
故人を重い偲ぶのと、心の奥底へ隠して仕舞い込むのは
似て非なるものだと思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/18 01:25

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