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最近、絵が下手だとかすごい集団(ていうほどでもないのですが…)叩かれてしまいまして、すごいしょげております。

確かに上手くはないですが…特に上手いだとか下手だとか気にせず、自分が好きで楽しんで描いていたのですが、
SNSで、わたし自身が気に食わないとか知らない人が執拗に変に絡んできて、絵が下手だとか何だとか、他にも有る事無い事いろいろ暴言を吐かれすごい叩かれました。
ブロックしても違うアカウントから潜り込んできてこちらを覗いてきて、陰口叩いたり…。
気にくわない人の悪口を専門で言うとかいうアカウントだと自己紹介文に書いてあり、そんな人の嫌な気持ちになる事をしつこく言ってきて、ほんと何なの…と憤りを通り越して悲しくなりました。

誰もお前なんか好きじゃない、みんな嫌いだとか書き込まれました。

たたかれているのを見てた人 数人が、心配してメッセージくれたり、「自分はあなたの絵が好きだ、いつも楽しみにしている、負けないで」と励ましの声も頂いたり、他のサイトでも絵を載せていていつも見てくれたりする方もいて、好きだと言ってくれる人も少数ですが居てくれて嬉しいし、しょげてても心の支えになりました。

でも、どうしても好意の声より、批判の声の方が大きく心に響いてしまい、すごいダメージ…ですが、絵を書く事は何より好きなので今も書いていますが、気持ちはブルーです。
こういう時はどうやって気持ちを持ち直せるばいいんでしょうか?

A 回答 (3件)

その人と人生を交換し、



自分が相手役に成ると想像しましょう。

かわりに自分の人生をプレゼントすると考えましょう。


私は嫌ですね。

他人への嫌がらせが何よりも楽しみになるというのは、

それ以上の楽しい経験が無いと言う事ですよ。

絵を描いて時を忘れられると言う楽しみすら無いんです。

気の毒とは思いますが、自分ではなくて良かったと思いませんか?


誰もが平等に赤ん坊から、

色んな人生に別れていくんです。

自分が相手の人生を歩んだかもしれないんです。



誰かに嫌がらせをする人は、

自分より恵まれていそうな人を選んで八つ当たりをするはずです。

だとしたら、

「俺なんかがウヤラマシイと思うのか?」

と考えられませんか?

「よし変わってやろう!」

と言えば、泣いて感謝すると思いますよ。

しかし正直に言えば、

「それは出来ないし。想像しただけできつい。申し訳ないです。」

となりませんか?



例えば?

罪を犯した人がいたとします。

そしたら、罰が緩くて、本人が反省しなかったとします。

「へへん、得しちゃった~。」

という人がいたとします。



誰もが憎らしいと感じて、追い詰めたくなるでしょう。

しかし、そんなに得をしているでしょうか?

羨ましいですか?

なり変わりたいと思いますか?


例えばです。

もし自分が凄い苦労をして、何か良いことを成し遂げたとします。

そのとき神様が気がついてくれてご褒美を考えてくれたとします。

「おお、お前には、何か得をさせないと気がすまない。

 どういう得を考えよう!

 そうだ、お前が昔、犯罪者を見て『許せない』と言っていたことがあるな。

 『罰が軽すぎている。』

 だったか?

 では、お前に犯罪を犯させよう。

 そして、なんと・・・犯した罪より罰が軽いという得を与えよう。

 多くの人がお前の得を恨んで、追い詰めるようとするだろう。

 しかしなんと、お前は上手に生き延びてしまう、

 『へへん。得しちゃった~。』

 とか憎まれ口を叩けちゃえるぞ。これは気持ちよいと思うぞ。

 そういう得がついてまわる。

 どうだ・・・いかがか?」

「いいえ、それは罰ゲームといいます。お断りします。」

となりませんか?

ところが、次の提案がなされます。

「わかった。ではお前に富を与える。幸福な人生を歩むように計らう。

 がしかし、途中までだ。

 何とお前は、私の呪い・・・ではなく祝福によって、

 どんなに嫌がっても犯罪を犯してしまう。

 全く抵抗できない。

 そして、なんと・・・犯した罪より罰が軽いという得が与えられる。

 以下同文。」

「どんな悪魔なんですか貴方は。上げて落とされる分、もっときついです。」


誰が何と言おうと、

自分がされて酷いと思えることを、他人にされたとき、

それを実施する相手の人生と交換する以上の罰ゲームは無いんですよ。


相手の方はリアルタイムで、

過去から未来まで、そのレールを歩まないといけないんです。

ある意味、罰ゲームが一生続くんです。終身刑ですよ。


私は子供の頃、自分が立派な大人になれるのか心配でした。

不安であり、期待もしておりました。

一生で一回しか人生というものは無いのですから。

せめて、紳士程度の器は欲しいと願っていました。


その方は、どうでしょう?

そこからは遠く及ばないのでは?

一生は一回しかないのに、

そうした自分を死ぬまで演じるのは楽しいのでしょうか?

これ以上の罰を、どうやって他人が与えられるんでしょうか?

他人に嫌がらせをして溜飲を下げる心。

もし、そこが大人にたっても、その人の成長の限界であったとしたら?


自分の人生のほとんどが、

他人への嫌がらせを考え抜いて終わると気がついていない。

そういう人生はどうなんでしょうか?

これ以上の罰は無いはずです。





例えば、泥棒を働いた人がいたとして、

泥棒を働いた人を憎む前に、

泥棒を働くような状況に誘われる過程が幸福じゃないと想像できませんか?


相手を罰したいと思うなら、

相手の人生と交換を申し出ることです。

相手が憎いとか怖いとか感じたら、

相手の人生と交換を申し出ることです。


想像で充分。

「いやいや冗談じゃない。

 申し訳ないが、それは勘弁して欲しい。

 いやいや、それほど悪いって事じゃないんだ。

 まあでもなんだ。

 僕も損をしたくないな。

 すごい、ごめん。

 良かった俺じゃなくて。
 
 なんていうか、立派に思えない。

 それで終わる人生は哀しすぎる。」

と成るならば、これが真実じゃないでしょうか?


自分が困ったとき、

親身になって相談に乗ってくれる人がいたとします。

アドバイスが的確であって、頼りがいがあったら頼もしいですよね。

こういうときも考えましょう。

「その人と人生を交換できたら、今より幸せなのかもしれない。」

単なる有難うではないはずです。

その人の様になりたいですよね。


このように、人生が誰にとっても完全に平等であると考えたら?

嫌な人を恨んだり怖がったりするのは筋違いでしょう。

「そんな程度のまま、生まれてきて死ぬのか・・・。

 今、君がしている、その抑えようもない欲求が、君の定めだろう。

 俺は、抑えようも無い衝動で、人に親切にする人生に近づきたい。」

こちらが本当じゃないでしょうか?


常にこれが真実だとして忘れないことです。

その可能性が全くなくなった人は、見苦しくて当たり前です。

断末魔の苦しみで、他人に嫌がらせをするのも当たり前でしょう。

しかし、人生として違いすぎてしまっており、

自分が何とかできるわけではありません。

見捨てさせていただき、スマンと謝るくらいが宜しいと思います。


そうすれば、

ちょっとした不満を人にぶつける自分の姿や、

許せないことが多い自分の度量について、

「このままで終わるのか・・・」

と思えるはずです。

何よりも哀しいと感じたら、自分への戒めにもなります。



以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。とても考えさせられました。

嫌がらせをしてくる人のようには、わたしもなりたくないです。
何を思ってそんなことしてるのかわからないですが、(わたし以外の方へも嫌がらせをしたり、暴言吐いたりしてるので…)寂しい人生だと思います。
惑わされないようにします。

お礼日時:2016/09/07 21:32

新人さんや絵が苦手な方は確かにそういう事がありますよね。


新人時代の私がまさにそうでした。

しかし、あなたの場合もそうであるように、少数ながら応援してくれている人が元気をくれました。
そこで私はまず応援してくれている人達に一人一人にお礼を言って回りました。
回復してからは評価は一切目もくれずに我が道を突き進みました。
そうしてある程度描いているうちに気付けば応援者の数が急増。
中途半端なアンチ(反発者)を蹴散らしてくれるようになり、
多勢に無勢と判断したのか、批評の声は自動的にほとんど見かけなくなりました。

結論:落ち込んでいる時は、周りを気にせず1人だけで楽しむように描けば落ち着くと思います。
持ち直せたら、応援してくれている方々にお礼を言って回ると良いと思いますよ。
私自身、未だに批評・暴言は来ますが100人の批評より1人の味方の方が大切だと、私は考えていますので。
あまり深く考えず、「見に来てくれただけ感謝」してお互い頑張りましょう。
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「上手いだとか下手だとか気にせず、自分が好きで楽しんで描いていた」んですよね。


「他人に上手だと言われようと下手と言われようと関係なく、自分が好きで楽しんでいればよいのだ」と言う自分。
SNSで「へたくそ」と言われて落ち込む自分。
あれ?他人に何を言われても良いと言ってる自分なのに、なんで落ち込むのか。

誰でも「あなたの絵は上手ですね」とほめて貰う方が気持ちよくて、うれしいに決まってるんですよ。
それなのに「上手だとか下手とか気にしない」というのは、偽りです。

「へたくそって言われた」
「悔しい」
「上手って言ってくれる人もいるんだから、下手って言う人はどこを見てるんだ」
などなど、上手でも下手でも自分が絵をかいてる事自体が楽しければ良いと言う自分とちがう感情があふれ出てるので「なんだ、なんだ、おかしいぞ」って自分が思ってるのですよ。

「絵は自分では上手だと思ってる。
他人も上手だと言ってくれるので、うれしい。
それなのに、下手だというアホがいる。
俺の絵が上手なことをわからないバカがいる」
と思えないんですよ。
なぜ思えないのか。
自分の絵に自信がないからでしょう。

自分の絵に自信が持てないことを「へたくそだな、お前」って言う人にぶつけてもだめですよ。

ラーメン屋さんが、「オタクのラーメンってまずいね」と言われたとしましょう。
自信のある店でしたら「ああ、そうですか。食べていただいてありがとうございました。よろしかったらまた起こしください」というだけです。
自信のない店でした、味付けを変えてみようかとか、量で勝負しようかとか、いっそ閉店しようかとか悩み狂うでしょう。

「自分の味に自信があれば、誰に何をいわれても平気なのです」
自分の絵に自信があれば、誰に何をいわれても平気なのです。

自信のなさを「お前の絵、下手」と言うひとに対しての怒りに替えてるだけです。
自信があれば「無視」しておけば済むんです。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りです、技術は置いておいて…自分の絵は自画自賛になるけど好きで、描くのも好きで、けど自信がありませんでした。言い返したり、自信がつくほどの技術もなかったですし。

負けずに、自信がついて何言われても動じないぐらいに練習して絵を上手くなって見返してやろうって思うことにしました。
ありがとうございます。

お礼日時:2016/09/07 21:26

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