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生物界の頂点に立ったかにみえるわれわれ人間。
しかしそのおごりをあざ笑うかのごとく、
自然界には人を襲う野生動物がいくつも存在する。

筆頭にあげられるのが'オオカミ'だろう。
ドイツでは、祖母の家を訪ねた少女が、
祖母もろとも、丸呑みにされるという凄惨な事件が起きた。
しかもそのやりくちときたら、
祖母のコスプレで少女の目をあざむき、
信用した少女が油断した隙に襲いかかるという巧妙なものだ。

幸いにも、通りかかった猟師がオオカミの腹を割いて、
二人を無事救出したこの有名な事件は、
ものを食べるときはよく噛んで食べなさいという教訓を
咀嚼力(そしゃくりょく)の乏しい
ネット社会の私たちに与えてくれる。

つぎにあげられるのは'トラ'だろうか。
アフリカでは、黒人の少年が竹やぶでトラの群れに遭遇し、
身ぐるみをはがれるという危機一髪の出来事があった。
命乞いをする少年を、トラたちはなお執拗に追いまわし、
少年が身に着けていたものことごとくを奪いあって、
しまいには仲たがいまではじめたというから恐ろしい。

最終的にトラたちが、なぜ溶けてバターになってしまったのか、
私のなかではいまだに合点がいかない大きな謎なのだが、
その異常性が青少年に与える心理的影響ははかり知れないとして、
出版界がこの事件の公表を自粛する要因のひとつとなっている。

そして近年、日本各地でアイツが人間に牙をむきはじめた。
アイツとは、そう、'クマ'である。

今年の夏には、秋田県で、タケノコ採りに山に入った男女4人が、
つぎつぎに命を奪われる被害があった。
のちに駆除されたクマの胃袋からは、
人体の一部が見つかったという衝撃的な事実が明らかになった。
まさに平成版「三毛別事件(※)」である。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B …

ところがどうも、私が知るクマの生態はこれとはずいぶん違う。
伝え聞くところによると、クマという生き物は、
女の子が森の中で落とした、白い貝殻の小さなイヤリングを、
あとからトコトコとついて来て、届けてくれる紳士のはずだ。

そうかと思うと、自慢のメタボ腹が木の洞(うろ)にはまって、
身動きがとれなくなるという、お茶目な一面も持ちあわせている。
本来クマは、世界中から愛される、ハチミツ好きの下半身露出狂なのだ。
そんなラブリー&チャーミングな彼はいま、熊本県を本拠地に、
TVやイベントに引っ張りだこの、非正規職員だ。

凶悪で無慈悲なオオカミやトラと比べると、
この格差ときたらどうしたことか?
なぜクマだけが、人々から愛されるのだろうか?

A 回答 (15件中1~10件)

寅さん、ネアンデルタール人が洞窟で冬眠クマに遭遇し、クマの姿が多く壁画にとどめられ、頭骨を並べていたことは、クマと人間の最初期の関係の手がかりだそうです。

黄泉の国のような漆黒の洞窟で、死の季節である冬、クマに遭うのでしょうか。ところが春、森が復活するころ、クマも蘇ります。復活と、完全な死とがあることを、ネアンデルタール人は森で見ていたのですね。
クマが森の狩猟者の頂点に君臨していたことは疑いなく、ギリシャ神話に、クマは狩猟と森林の女神アルテミスとなって描かれています。何故かクマの表象は美貌の処女で狩猟に長けているものであり、アルテミスに仕えたカリストもそういう娘です。ゼウスに身籠らされた彼女はヘーラーの嫉妬で大熊座になり、お腹の子は小熊座になります。アルテ・アルクト・といった接頭辞がクマを意味するとミッシェル・パストゥローは『熊の歴史』で教えてくれますが、どちらかというと、それらはトップを意味しており、至高の意味がクマの名称にも付いていると言った方がよい気がします。
ケルト・ゲルマン神話では、雌熊を女神になぞらえるのではなく、勇者が身につけて一体化するトーテムとして、クマが闘士の象徴を担うのです。

ところでキリスト教の時代になってクマの表象に何が起こったかというと、唯一神に支配者の座を譲ってしまいました。強さが仇で、クマの能力は悪魔に付随すると考えられ、短気や愚鈍な性格をそなえて、悪さをして聖人に懲らしめられ、聖なる力で骨抜きにされます。悪は聖に封じられ、しかしまたやって来るものであり無くならない、という図式は、キリスト教の物語表象に見られる十八番です。自然の循環節なのか国際政治なのかスピリチュアルなのかは措きますが、いずれにせよ、二足歩行の人間によく似たクマの姿は、人間の姿を神の似姿とみなす人間中心文化の図式の中に、悪魔の姿として呑み込まれたというわけです。

小熊はどうでしょうか。
可愛い小熊はいつも成熊に庇護されて、単独の表象は無かったはずですが、近代の西洋倫理には好都合です。愚鈍さや短絡さを本性としながら、友達や保護者のもとでソフィスティケートされて成長する、ある意味で、完全な人間へと成長する半人間たる子供という、西洋の子供観によく合致しています。昔から人間の近くにあり、人間の形と似ており、聖なる力によく従い、半人前として愛されるべき、一人前になるための豊かな物語をたくさん秘めている、というありようが、子供に与えられるクマキャラの正体かもしれません。
はいしどうどう、はいどうどう、日本で金太郎が跨る熊は、手強い怪物である百獣の長です。江戸の絵草紙では、金太郎に負ける熊は笑っていないと思います。

> いつかクマに食べられる機会があったら、
> 美味しいかどうかクマに訊いてみてください。

問題は、餌付けされた熊の気持ちなのだけれど、たぶん、「人間が持ってくる餌より、いつか持ってくる奴のほうを食べてみたかった」と言いそうです。動物園の猛獣たちからも聞きたくない言葉です。

yy8さんにおすすめするのは、『クマよ』と『森へ』です。図書館でみつかる児童書です。星野道夫をご存じなかったなら、お知らせできてよかったです。
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この回答へのお礼

クマにまつわる深い話をありがとうございます。
古代のヒトにとって、森という世界は、
彼らの居住地と接している異界にも思えたのでしょうか。
人間のもとにおかれたとたんに可愛くされるクマは、
じつは怒っているかもしれませんね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/13 23:01

やはり星野道夫さんは、トラやオオカミ程にはクマを怖がってはいなかったのではないでしょうか。

これがトラだったら避難していた事でしょう。

理性の働きがまだまだであったはずの、ネアンデルタール人のその行動はほぼ感覚・感情の表れだと思えば、身近に居るクマに対しては現代人にとってのトラ同様に獰猛なけものだったのだと思えます。

現代人の理性が発掘した、あるいは創作した「印象」は真実を隠すのですね。
幽霊なんて現代人にとっては刷り込み以外の何者でもないし。

そして、、、嗚呼、現代人が使う理性って諸刃の剣なのだろうか?なんて事も思ったりしてしまいました。
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この回答へのお礼

案外、わたしたちの理性の隙間には、
幽霊だの可愛いクマだのが忍び込んでくるのかもしれませんね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/13 23:03

>マスコットでも、ゆるキャラでも。


世界はクマに癒されすぎなくらい癒されてます。
新商品のイメージキャラ、
とりあえずクマにしとけっ!みたいな。

なるほど。プーさんや、パディントンやテディベアは、あくまでも夢と現実のはざまでいきている子供たちの友達であるはずで、それが「商売道具」「客寄せ」にされるのは困りますね。

くまの愛らしさは罪作りですね。

では次はこれですかね。

俵屋宗達 「虎図」
「ある日、森の中でクマさんに出会った。」の回答画像13
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この回答へのお礼

こんにち、消費されるクマは、
いまや街のありとあらゆるところにあふれていますね。
虎図、こわカワです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/13 22:54

北米、北西部は、広大な森林に覆われていて、現在でも、一年に一度は、夜キャンプで寝ている人が、クマに襲われて食べられてしまうことがあります。

ハイキングでクマに遭遇して、襲われることもたまにあるようです。人食い熊は、レンジャーが射殺するのが慣例です。

そんなことが起こらないように、クマの動静が、観察されていて、州立公園の入り口で、料金を払うときに、クマの出没が確認されているあたりには、ゆかないように、と注意を受けます。食べ物を外に出しておかないように、とも。

陰惨な事件が起きているのに、なお、クマが愛されるのは、その、おっとりした、ペーソスに満ちた様子のせいではないかと考えます。雑食性でもありますね。肉食獣よりは、イメージが軽くなります。

コロラド州で、自動車の中に閉じ込められて、困っているクマ。

自動車の中に好物を見つけて、窓ガラスを割る、泥棒クマさん。周りの人は極めて好意的です。
https://www.youtube.com/watch?v=fBnGe9HDGBI
庭のプールで涼む親子のクマ。
https://www.youtube.com/watch?v=D0tfA7vCBV4

最後に、ディズニーのジャングルブックの中で、オオカミに育てられ、虎に追われたモウブリに、バルー・ベアが、彼の人生の奥義を、歌い、踊りながら、披露するところがあります。”必要最低限だけあればいいのさ~、待っていれば向こうからやってくるのさ~、悩むことはないよ~。気楽にいこうよ~。”

https://www.youtube.com/watch?v=9ogQ0uge06o

”最初から手に入らないものを探して、あくせくするのは時間の無駄さ~”
教育係のクロヒョウは心配しそうですね。

私たちのクマに対するイメージと憧憬が、ほの見えるように思われます。
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この回答へのお礼

おっとりとしたイメージですが、
獲物を襲うときは迫力ありますよね。
パンチ一発、相手を咥えて振り回すんですから。
ディズニーのキャラからは想像できないです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/10 18:57

やっぱり、見た目の印象が強いのでしょうか。


見た目が七割りとかハ割り、とか云った表題の本が出ていたように思います。

オオカミやトラが目の前に現れれば誰もが怖いと思うはずですが、クマの場合はどうでしょう。
体は大きいけどそんなに怖いとは感じないのではないでしょうか。

トラにガオー、と吠えられたら檻の中のトラでも怖いけど、クマにはそこまでの怖さは感じなさそうです。
だから、却って犠牲者が出るのかな?なんて思ったりもします。

クマは野獣、獰猛、と云った印象を伝えてはきませんね。
また、トラが寅になると虎とは違った印象になって、虎さんでなく、寅さんだから愛されたのかな?なんて考えてみればトラも結構頑張っているなぁと思えました。

でもこちらの愛され方はとら、という日本語の語感から来るように思います。

星野さんの事は全く知らないんです。
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この回答へのお礼

本物の(成獣の)クマも意外と怖いですよ。
そしてそのフォルムは獣としては完璧に近い。
移動して獲って食うという意味では、
海のサメに負けないくらい必要最小限の四肢動物です。
けれどマスコットやゆるキャラのクマは、
なぜかあちらこちらで人気なんですよね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/10 18:56

柴又の駅前であんたも愛されてんじゃないかえ。


ところで、

星野道夫さんは、襲ったのが人間に餌付けされた熊でなかったら死んでなかったと思う?どうなんだろうなあ。

マタギの人たちなどは、熊との至近戦はナタが一番だと言う。野生の熊が村人老若男女を襲った凄惨な事件を振り返って、わからねえが人間の味を知っていたのかなあ、、、、と言う。

わからないなあ。
人間と神々が近すぎるってこと。。。。
星野さん、あの世でどう思う?
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この回答へのお礼

ハチミツ好きのクマも、人間の味を学習するそうです。
いつかクマに食べられる機会があったら、
美味しいかどうかクマに訊いてみてください。
彼らは人間を生きたまま食べるそうですから。
星野さん……南無阿弥陀仏。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/10 18:52

No.6のyy8さんの「抱擁性」(こんな言葉があるのかわかりませんが)この「抱擁」感(包容ではない)は案外ポイントかもしれません。

クマのぬいぐるみをギュッと抱きしめた時、或いは実物大のクマと抱き合った時に感じる温かさ、毛皮のモカモカ感、やわらかさなど、ライオンやトラには求められそうにはありません。

実際には「ベアーハッグ」というプロレスの技があるくらいですから、クマに抱かれるのは命がけですが、
Bear's Hugは、なんとなく心地よさそうです(笑)

クマは走るのは速いのですが、それでも走るとお腹がたっぷんたっぷんと揺れています。ライオンやトラや狼のような、「走る性能を追求した」「無駄を省いたフォルム」などといったキャッチ・コピーが似合いそうな動物たちとはかけ離れているようです。人間て、無駄のないところに「やすらぎ」や「ぬくもり」は感じられないんじゃないかと思います。合理性は人間の「知」に訴えかけ、非合理性は人間の「情」(感覚)に訴えかけてくるものではないかと思います。クマは「無駄」=「ゆとり」をたっぷりと持っているようです。


前の回答で「やはりプーさんはいつまでもくまのプー太郎でいてもらいたいものです。」
などと書きましたが、「くまのプー太郎」ではいかにも世俗的な感じがします。
ここは、「やはりクマはいつまでも子供たち、そして童心を失っていない「大きくなった子供たち」
の夢の世界で、はちみつを舐め、蜂を追うような、自然とともにある存在でいて欲しい。」と。
「生産・消費」の世知辛い現実からの柔らかな逃避場所でいて欲しいと願います。
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この回答へのお礼

マスコットでも、ゆるキャラでも。
世界はクマに癒されすぎなくらい癒されてます。
新商品のイメージキャラ、
とりあえずクマにしとけっ!みたいな。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/10 18:50

№7、Grassさんが"刷り込み感"に注目していたので、思わずこれまでの回答を読み返してしまいました。


№1、のお母さんの頭の中も"刷り込み感"が元になっているんだなぁと思いました。
№2、mmksさんの回答は独特ですね。どうしてこういう発想が持てるのだろうと、そこがうらやましく思います。ちょっとブラックぽいところが好きです。
№3の、だだじゃさん。これも独自の視点ですね。たぶん質問内容を吟味したうえでの意見となったのではないでしょうか。
「対比」になるほどと思いました。

刷り込み感、は思い当たりますね。
直接、自然から学べなくなって、知識は教育に依るばかりになって、動物も植物も図鑑から。或いは絵本から。
だから、本物のクマを見たときにクマってこんなに口がとがっているの!狸って狐みたいなんだなぁ!と思ったものです。
刷り込み、は無意識的知識、認識となっているからほんとは無視できないんですね。
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この回答へのお礼

私が動物園ではじめてクマを見たときには、
その巨大さと獣の臭いに恐れおののきました。
刷り込みってある意味こわいですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/10 18:48

ふたたびこんばんは。



No.5、ciaopolpo2さんの

>二足歩行ができるのだから、人間社会に入ってきても大丈夫。スーツを着て、満員電車に乗るところも、想像できそうです。

というご回答を読んで思い出したのが、下の絵にあるような、スヌーピーの哀しい姿でした。

やはりプーさんはいつまでもくまのプー太郎でいてもらいたいものです。

一見くまの世界のスナフキンにも見えるパディントンくんもね。

No.1のお礼にある

>幼少のころから刷り込まれたクマは、
野生のクマとは、違う生き物なのかもしれません。

まったく同感です。
「ある日、森の中でクマさんに出会った。」の回答画像7
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この回答へのお礼

スヌーピーも二頭身ですね。
そしてぬいぐるみの定番です。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/10 18:47

№1、2、3の、どのお方の視点の違いにも"個性"が有ってなるほどと思いましたが、私は4、と5にgood!しました。



№4、から思ったことは大きさと丸みにも因が有るかな?と云うものでした。
そうしたことに、抱擁性と云うものを感じたからです。

№5、の二足歩行には"ガッテン!"ですね。
№4の方も、そして私を含めた他の回答者さんや、質問者さん、ほかの皆さんも「なるほど」と思ったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

私もなるほどと思いました。
また、ストラップのような小さなクマも人気ですよね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/09/08 21:54

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