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>母の人生は貧との闘いの連続であったが、姉のそれもまた母に劣らぬものだった。
>生活を顧みない父の放浪癖のため、一家は常にその日暮らしを強いられていた。
>その上、姉が12歳の時、とうとう家族を見知らぬ田舎に置き去りにして姿をくらましてしまった。

質問者からの補足コメント

  • 引用した文章は、「猫たちの挽歌」(本間昭南・著)の一節です。ネットで公開されています。会員登録することで無料で読むことができます。

    「次の文章の主語を省略せずにわかりやすく書」の補足画像1
    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/10/07 22:27
  • >母の人生は貧との闘いの連続であったが、姉のそれもまた母に劣らぬものだった。

    母の人生と姉の人生を接続助詞の「が」で接続しています。通常、接続助詞の「が」は、対立する内容の文を接続します。しかし、ここで接続しているのは、対立する内容の文ではありません。それは、同列の内容の文です。

    逆接で使われることの多い接続助詞の「が」が順接で使われると、読み手は、それがどの意味で使われているのかを理解するのに混乱します。ですので、順接で使うことは避けるべきだと、私は思います。池上 彰氏も「伝える力 」(PHPビジネス新書)で同様のことを指摘しています。

    「次の文章の主語を省略せずにわかりやすく書」の補足画像2
      補足日時:2016/10/07 23:55
  • 接続助詞「が」の使い方
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/725311.html

    「次の文章の主語を省略せずにわかりやすく書」の補足画像3
      補足日時:2016/10/08 15:32

A 回答 (3件)

これはいったい誰の書いたものなのですか。


 母の人生、姉の人生と話を続けてて、父の放浪癖が原因だと話が続き、「その上、姉が十二歳の時」と来たので、姉が家出と勘違いしました。おまけに「見知らぬ田舎」にも惑わされました。あまりいい書き手とは思えません。この文章は、誰の目線で書かれているのでしょうか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

OKATさん。回答ありがとうございます。

この文章のわかりにくいのは第三段落にあります。それは、「父は」という主語が欠落しているからです。

第一段落と第二段落は、主語が明示してありますので、すんなり読み進むことができます。しかし、第三段落は、主語が欠落しています。欠落している主語は「父は」です。

主語が同じ場合には、主語を省略しても構いません。しかし、主語が異なる場合には、主語を明示しないと読者は混乱してしまいます。著者は、そういうことに無頓着であると言わざるを得ません。

私だったら、次のように書き換えます。

>母の人生は貧との闘いの連続であった。そして、姉のそれもまた母に劣らぬものだった。
>一家は、生活を顧みない父の放浪癖のため常にその日暮らしを強いられていた。
>父は姉が12歳の時、家族を見知らぬ田舎に置き去りにして姿をくらましてしまった。そのために一家の生活は困窮を極めた。

お礼日時:2016/10/07 22:47

不要だからです。


私はこの三文から父であると判断できましたし、質問者様も同じ判断をしていますよね。
すべての文章に主語をつけると、非常にまどろっこしい日本語になってしまいます。
読んでいらいらすると思いますよ。
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この回答へのお礼

poco_2さん。再度の回答ありがとうございます。

>すべての文章に主語をつけると、非常にまどろっこしい日本語になってしまいます。

すべての文章に主語を表記する必要ありません。No.1の回答へのお礼にも書きましたが、連続する文章の主語が同じである場合は、後に続く文章の主語を省略しても差し支えありません。しかし、主語が異なる場合にはそれを表記すべきだと、私は思います。

>吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

これは、夏目漱石の「吾輩は猫である」の書き出しです。最初の文章には「吾輩は」とあるものの、それ以降は「吾輩は」を省略しています。これは、主語が「吾輩は」であることが明らかであるからです。

主語が表記してある文章でそれを省略しても意味が通じる文章は多くあります。だからと言って、そのすべての主語を省略したら、それこそ読み手は混乱してしまいます。主語が省略してあることによって読み手が「あれっ?」と思うようでは、いい文章であるとは言えないと、私は思います。

お礼日時:2016/09/30 21:37

最後の文章のことですか?


この三文だけで国語の試験問題とされたなら、主語は当然「父」であり、「父は姿をくらましてしまった」になると思いますが、何か腑に落ちない点がありましたか?
もちろん、これが三文だけではない場合は、前後の文章によって父以外でもありえますけど。
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この回答へのお礼

poco_2 さん。回答ありがとうございます。

姿をくらましてしまったのは父であることは間違いありません。主語を省略しなければ「その上、姉が12歳の時、父はとうとう家族を見知らぬ田舎に置き去りにして姿をくらましてしまった。」となるでしょう。

私が疑問に思うのは、なぜ最後の文章だけ主語を著者は省略したのかということです。直前の文章の主語は「一家は」です。最後の文章の主語も「一家は」である場合は、それを省略しても差し支えありません。主語が異なる場合にはそれを表記すべきではないでしょうかね。

以下、アンサイクロペディア「文の構造が原因で読みにくい文章」より

主語のない文章
省略されやすい。 しかし、大切である。 それなのに、この文章には存在しない。わからなくなってしまう。 原因になって、生じるかもしれないので、やめましょう。

お礼日時:2016/09/30 18:45

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