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住宅の外観を公共的な風景の一部としてとらえる風潮が日本で作られるためにはどうしたらいいのでしょうか?景観法はあまり実効性が無いように感じます。

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 一般に、コンテクチュアリズムとは、既存の風景を受け入れ、新しいデザインをそれに連続させようとする保守的なデザイン思想と考えられている。しかしながら、コンテクチュアリズムには、別の側面もあることを忘れてはならない。既存の風景に対して、それとは不連続なデザインを対置するという批判的なスタンスも、コンテクチュアリズムのひとつの態度だからである。その理由は、既存の都市コンテクストに対して、肯定的であるか否定的であるかの違いはあるにせよ、どちらも風景に関して意識的であり、建築のかたちを風景の一部と考える点においては、共通しているからである。
 これに対して、日本では、建築とりわけ住宅の外観を、公共的な風景の一部としてとらえようとする建築家は少ない。日本の戸建住宅の多くは、私的な所有物であるが、その外観、つまりかたちは、一般の人たちの目に触れ、既存の風景に何らかの影響を与える点において、社会的で公共的な存在のはずである。しかしながら、これまで日本では、住宅のデザインにおいて、かたちの社会性や公共性はあまり考慮されることがなかった。かたちの自律性が認められるようになっても、それは自由な造形ができるという意味でしか受け取られず、既存の風景に対して、かたちがどのように寄与しているかというとらえ方は、ほとんとなされていないのである。
放送大学 新しい住宅の世界 難波和彦

A 回答 (7件)

念のためですが、地区協定などはご存知ですか?



「坪面積いくつ以上の建家であること」とか「純和風の外観禁止」とか「塀禁止」とか、それほど珍しくありません。

つまり質問への答えは「既にそういった風潮はある」。

景観法には触れていますが、そもそも何が不服でどうあるべきかが分かりませんので、「既に行われている」としか言いようがないです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
景観条例は知っていますが、地区協定(地区計画)は知りませんでした。すみませんでした。

お礼日時:2016/10/26 22:01

NO4です。

追記します。

この欄は、ご質問に対しての回答をする欄だと、解釈しています。

そして、私は私なりの回答をさせていただきました。

私は、ここで議論をしたいと思っては居ません。

私の回答が理解不能であれば、それで結構ですし、

矛盾と感じられるなら、それで結構です。

ご自分の理解と隔絶しているという理由で、追加の説明を求めるより

何故、そのような回答が出てきたか、理解する努力をされたほうが

有意義であると思います。

追記はこれで最後といたします。
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この回答へのお礼

やはり言いたいことが分かりません。どのような意図であれ回答やアドバイスであればよいと思いますし、質問に不備があるという指摘ならそれはそれで良いと思うのですが、回答が矛盾していることについては説明できません。

お礼日時:2016/10/26 21:08

金を出す分、口を出す。


景観地区を作る。
そこに、減税、補助金、規制緩和などをやる。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/26 21:05

だから何なんでしょうか?



どっかの誰かが言ったから、と言って、何故、そうしなければならない?

京都や奈良などの、景観に市場性(商業価値)があるならば、そこの
市民も協力するでしょうが、それを何故、拡大解釈して、一般に
拡散する必要があるのでしょうか?

混沌の中に美を見出す人も居るし、整然の中に美を見出す人も居る。

上記の文章は、思い上がりだ、と思いますが。
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この回答へのお礼

すいませんが言っていることが矛盾していて意味が分かりません。

なぜ「どっかの誰かが言ったから」になるのでしょうか。そもそも私は景観法に触れました。
また「混沌の中に美を見出す人も居るし、整然の中に美を見出す人も居る。」ということは、まさしく建物の公共性を認めている事になりますが、そうなると今度は「何故、そうしなければならない?」に矛盾します。
何故なら引用文に既に「肯定的であるか否定的であるかの違いはあるにせよ」と書かれているからです。

質問を否定する一方で、質問を肯定していて言いたいことが分かりません。矛盾を無くした上で再回答お願いします。

お礼日時:2016/10/26 19:59

日本人は権利概念を誤解しているのが


多いんですよ。

だから、そこから変える必要があります。

311にしても、あれを契機に街を作り替えよう
という話はありましたが、話だけに終わって
しまいました。

街を作り替えるには被害者全員の同意が
必要だからです。

法律を作れば可能ですが、それでは被害者が
可哀想だ、ということです。

欧州などの街並みの美しさは秩序美です。

街全体が計画的に造られているから美しいのです。
つまり、個人の権利をある程度制限しないと
美しい街並みは出来ないのです。

権利という概念は輸入された概念なので
日本人はまだ十分に咀嚼できていないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/26 19:55

「外から見られることを意識した住宅地」が数多く作られ、それが「流行」を経て定着すれば、日本全てとはいかずとも徐々にそういった意識が浸透するのではないでしょうか。



神奈川平塚市に、東海道新幹線から見えることを意識した町があります。
日向岡と言って、新幹線好きからはよく知られている住宅街です。
これが作られたのはかなり前のことですが、丘片面に並ぶ住宅に共通項を作り、外から見たときに「かわいい」ことを目指しました。
また、住宅地全体ではありませんが、数年前にSNSで話題になった静岡県浜松市の「魔女の家」の例もあります。
あれも外観の独特さ、かわいらしさを重視しており、洗濯ものの干し場所などに制限があるにもかかわらず(明確には存じませんのでもしかしたらないかもしれませんが)入居希望者が殺到したと聞いています。

こういったことが流行し、各地に「見られることを意識した住宅街」ができ、それを良いと感じて入居する人が増えていけば、その後の住宅新築市場では「外からの見え方を気にする」のが普通となるのではないかと思います。
諸外国で街並みが整っている(景観を統一している)ところは、不勉強なのであくまでも予測なのですが、個人ではなく昔国などが一斉にだ―――っと建てて(震災時の仮設住宅のような感じ)、国力増強のために住まわせた、などから結果的に「統一されて美しいと評判になった→美しさを維持していこう、家の外観は景観だ」という意識になったのではないでしょうか。
日本でも、鎌倉、京都など一部では住宅や店舗の外観に制限をかけている地域もあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/26 19:55

まぁ楳図かずお騒動などみても、正当な理由なく個人の権利を抑制することは難しいでしょう

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/26 08:11

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