架空の映画のネタバレレビュー

「弱肉強食」を辞書で調べると、
《弱者が強者のえじきになること。強者が弱者を思うままに滅して栄えること》(大辞林)
とあります。

自然界の理(ことわり)とは、このとおりなのでしょうか?

また、人間界も「弱肉強食」であることが理なのでしょうか?あるいは共存を目指すべきなのでしょうか?
時代としては「弱肉強食」に傾いていると思います。

世界平和ができるもできないも、所詮は大衆がこの一点をどう理解するかにかかっている気がします。

「弱肉強食と共存」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • 捕まってたまるか!

    「弱肉強食と共存」の補足画像1
      補足日時:2016/12/24 08:49

A 回答 (16件中11~16件)

弱者は強者の餌食になる事で進化速度を速め、


天敵のいない環境の同種より進化して、そこに
分布を広げるでしょう。
弱肉強食が真に悪になるのは、分業化が十分に
発達してからです。
理解する前に、理解せねば損するように環境を
整える必要があるのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/12/25 06:36

「自然界の理(ことわり)とは、このとおりなのでしょうか?」


→自然界はその通りですね。
海の中、川の中、草原の中、山林の中、土の中、全ての生物はそうなのです。

「人間界も「弱肉強食」であることが理なのでしょうか?あるいは共存を目指すべきなのでしょうか?
時代としては「弱肉強食」に傾いていると思います」
→それは国や地域によって状況が違うでしょうね。
そして、もちろん共存を目指すべきでしょう。

これからも、”弱肉強食”と”共存”の戦いでしょうね。
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この回答へのお礼

>これからも、弱肉強食と共存の戦いでしょうね

人類の「生存」への戦いと言えるでしょう。

お礼日時:2016/12/25 06:33

自然界の理(ことわり)とは、このとおりなのでしょうか?


    ↑
まあ、そうですね。
いわゆる食物連鎖がそれを顕しています。
人間は、食物連鎖の頂点に立ち、弱肉強食の
頂点に立っています。



人間界も「弱肉強食」であることが理なのでしょうか?
あるいは共存を目指すべきなのでしょうか?
    ↑
基本は弱肉強食であるべきだ、と
思います。

原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦った。
その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き
力を養い、心と体を鍛え、一面で道徳律を築き上げた。
その結果、文明が築かれ文化が創られた。
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この回答へのお礼

自然界において食物連鎖はあくまで「循環」ですから、大型肉食獣が「支配」をしてい
るわけではないと考えられます。

ライオンなどは、大型草食獣に殺されていますし、飢えや病気で死ぬでしょうし、軍隊
アリにやられることもあるし、生存し種を残すことで精いっぱいということだと思いま
す。

「強弱」ということならば、身体的なものでなく、環境にいかに適応しているか、いか
に生き残る知恵を持っているかということではないでしょうか?
人間は確かにとびぬけて「強者」ではあります。

強者たる人間が、食物連鎖の頂点に立ち、支配をする存在であり、自分らの快適さのた
めに46億年かけて作られた地球環境を、自由にしてよいという意識は、現代文明におけ
る人類の重大な根本的「錯誤」であると私は考えます。

それは、人間とて地球環境の循環の中でのみ生存できる存在のはずだと思うからです。

お礼日時:2016/12/25 06:28

弱肉強食というのは元々動植物の世界の言葉です。



獣の話です。人間がそれを真似したり、本能的にそういう性質を持ってたりしますが

人間の本質が弱肉強食な訳じゃありません。人間は共存もできます

実際に共存しています。そこのところをどうコントロールするかです。

弱肉強食を教え込まれたらそれをやります。共存を教えられたら共存しようとします。

資本主義には競争の行き過ぎで弱肉強食的になり勝ちです。

もっと共存 共に存在することを目指すべきです。共産主義ではありません 存在主義です。^^
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この回答へのお礼

小中学生のころ、理科で自然界は食物連鎖であると我々は習ったはずなのに、何故か
「強いものが生き残る」ということが自然の摂理のように思ってしまっている気がし
ます。

私は子供のころから、昆虫や動物の生態に興味があって、「野生の王国」などのテレ
ビ番組をよく見ていましたし、今でもyoutubeなどで見たりしています。

そこには、ライオンなどの肉食獣の生存の厳しさがあります。小さな獲物はすばしこ
く狩りによく失敗をしますし、群れが大きい場合はおなかを満たすことができないの
で、大きな獲物を狙わざるを得ないようです。
そして、カバに噛み殺されたり、キリンに蹴り殺されたりしているわけです。

捕食の場面はあまりにも残酷です。なんでこのバランスなのかとも思います。すべての
動物が草食になり、体が小さくなり、繁殖力を弱くすれば、とても平和な連鎖になるだ
ろうに、なんて思います。

ともあれ、動物が動物を喰うと言う残酷な要素を含んではいるけれども、自然界は「共
存」であるということではないかと思います。

まして、人間は。

存在主義であることは、重々承知しております。

お礼日時:2016/12/24 08:47

下に同意

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この回答へのお礼

下と同じ。

お礼日時:2016/12/23 22:51

世界平和はヒトに欲望がある限り無いと思います

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この回答へのお礼

人を痛めつけてやりたいとか、殺してやりたいなんていう心も確かにある。

でも、友達と仲良くして、楽しく笑っていたいという心もあって、後者が
前者を抑えるということは、人間はできることだと思う。

お礼日時:2016/12/23 22:50

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