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ショパンの「黒鍵のエチュード」の最後のオクターブ(楽譜)を物凄く速く弾いているピアニストについて教えて下さい。

「ショパンの「黒鍵のエチュード」の最後のオ」の質問画像

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A 回答 (1件)

これで三度目なので、よほど知りたいのかな?


ショパン自身が指定した曲のテンポというのがありますし、
最後のこの部分だけをいかに早く弾けるかを目標にするわけではないので、
音楽的な意味から言っても上限があります。
また、速度だけでなく音量も要求されるので、
技術的な観点から言っても限度があります。

基本的に、曲の終盤に一気にテンポを速めて劇的に終わらせようという解釈と、
逆に、曲の終わりに少しゆったりさせて、大きさを出そうという解釈の二通りが可能です。
早めるという解釈のピアニストの演奏なら、テンポにそれほど大きな差は出ないと思いますよ。

早く弾くピアニストの場合、最初のオクターブの打鍵から、
最後のオクターブの打鍵の瞬間までにかかる時間はわずか1.2秒ほどです。
ここまでの単位になると、耳で聞いただけでどちらが早いかを聞き分けるのは無理でしょう。
ちょっと面倒くさかったですが、早く弾いていそうなピアニストの演奏から、
この部分だけを切り出してタイムを測ったところ、以下のような結果でした。

まず、全曲録音をしていて、全体的にテンポが速いことで知られているアンドレイ・ガブリロフの場合、
最初のオクターブの打鍵から最後のオクターブの打鍵の瞬間までのタイムは約1.17秒。



サンソン・フランソワというピアニストは、曲全体はゆったりしたテンポですが、
この部分だけは早くて、ガブリロフと同じくらい。

https://www.youtube.com/watch?v=ZkO8rFqj5e0

ホロヴィッツとラン・ランを測ってみると、約1.24秒。

https://www.youtube.com/watch?v=UtbF78NApmQ

https://www.youtube.com/watch?v=WK0Ml2BiOAE

しかし、1.17秒とか1.24秒とか書きましたが、正確にタイミングを見て切り出すのは難しく、
これは誤差の範囲内ですので、上の4人は同じ(約1.2秒)と判断してかまわないと思います。
さらに下の4人も、最初の1音、2音だけ少し長めに弾く表現を加えているので、
全体のタイムは1.5秒前後になるものの、それ以降の速さは上の4人と変わらないので、
やはり同じくらい早く弾けていると言ってかまわないでしょう。

ポリーニ
https://www.youtube.com/watch?v=ve5tfzJINaY

プレトニョフ
https://www.youtube.com/watch?v=YkyFkGL70GE

ツィマーマン
https://www.youtube.com/watch?v=h5jHxXMcnPU

ペライア
https://www.youtube.com/watch?v=_CeyQMFETCI

これらの演奏を比較して、どちらが早いかというのはあまり意味がないと思うのですが・・・

なお、前の2回の質問への回答を見合わせたのには理由があります。
この部分を早く弾くにはどうしたらよいのかということだったのですが、
「この点に気を付ければ早く弾ける」というような、特効薬的な「コツ」があるわけではなく、
言葉で説明するのは困難だからです。
ピアノを弾くのに必要なあらゆる動作の基本が身についていることと、
それらを効率的に組み合わせられることが大前提です。
学習者がよくやるまちがいは、手の幅をオクターブにカッチリ固定してしまって、
腕に力を入れてひっぱたくというやり方で、これでは早く弾けない。
指だけの上下の動き、手首から先の「振り」、肘からの動き、肩からの動き、
こういったものをすべてうまく組み合わせて、余計な力を入れずに打鍵できなければなりません。
指使いは、「1+5」と「1+4」を適度に混ぜていかなければならないし、
跳躍の幅の違い(2度と3度)によっても動きが変わります。
打鍵の瞬間も、上から手を落とすような感覚のタッチと、逆に突き放すようなタッチを使い分けます。
余計な力を入れないためには、椅子の高さや、腹筋で状態が支えられているかどうかなど、
ピアノに向かって座る際の姿勢も問題になります。
つまり、0.1秒というごく短い間隔で連続するこれらのオクターブは、
その一つ一つで微妙に打鍵の方法(タッチや動きの組み合わせ方、力の出し入れ)が違ってくるわけですが、
これを全部言葉で説明するのはとうてい無理ですし、
説明したとしても、それを頭で考えてできるというようなものではないです。
一定期間直接指導するのでなければ伝えることができないもので、
中途半端な説明で誤解が生じるとまずいので、回答は控えたいという判断です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

本当にありがとうございました。やはり難しいのですね。
ピアノの弾き方が良く分って凄くためになりました。
こちらこそ何回も、質問してしまってすみませんでした。

お礼日時:2017/03/21 16:23

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QBach の曲について

サテライト ラジオを聴いていて 「いい曲だなぁ。」と思い、曲名を見たら Well- tempered Clavier by J.S.Bach と出ていました。 調べてみたら BWV 846~893. is collection of two series of Pleludos and Fugues in all 24 major and minor keys, composed for solo keyboards by J.S. Bach. と、書いてあります。

日本語では、なんと呼ばれていますか。

Aベストアンサー

日本語では、#1さんのとおり通称「平均律クラヴィーア曲集」と呼ばれます。

第1集が24曲、第2集曲も24曲で構成されます。おのおの、1オクターブを構成する「12の音」(ド、ド♯、レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯(=シ♭)、シ」を基準とした「長調」と「短調」の「合計24の調」を1曲ずつ含みます。

当時、「調」によって「その調の音階」の調律が異なっていましたが(純正率)、これを「ほどよく調律」(Well- tempered)することで、「合計24の調」が自由に演奏できることになったことから作られました。
各々の調の「1曲」は、前半の「前奏曲(Prelude)」と後半の「フーガ(Fugue)」のセットでできています。

この「ほどよい調律」は、現代では「平均律」として完成されていますが、バッハの当時は数学的な「平均律」ではなく、「古典調律」と呼ばれる調律だったと考えられています。それを、和訳の通称として「平均律クラヴィーア曲集」と呼んでいます。その意味では正確な訳ではありません。
興味があれば、「純正率」(和音が美しく響く、周波数比が整数)、「平均律」(オクターブを数学的に均等に12分割)などについての説明を参照ください。「耳で聞く音の調和」と「物理的な音程」の「微妙な差」に関するちょっと奥の深い話です。
「平均律」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B
「純正率」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%AD%A3%E5%BE%8B
「古典調律」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E8%AA%BF%E5%BE%8B
http://gthmhk.webcrow.jp/agordo.html

なお、このバッハの曲にならって、ショパンやラフマニノフ、ショスタコーヴィチなどは、「24曲」の「前奏曲集」ですべての調を網羅するものを作っています。

日本語では、#1さんのとおり通称「平均律クラヴィーア曲集」と呼ばれます。

第1集が24曲、第2集曲も24曲で構成されます。おのおの、1オクターブを構成する「12の音」(ド、ド♯、レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯(=シ♭)、シ」を基準とした「長調」と「短調」の「合計24の調」を1曲ずつ含みます。

当時、「調」によって「その調の音階」の調律が異なっていましたが(純正率)、これを「ほどよく調律」(Well- tempered)することで、「合計24の調」が自由に演奏できることになったことから作ら...続きを読む

Qクラシック音楽といっても、昔はポップミュージックのようなものだったのではないですか?

クラシック音楽は今でこそ厳かな音楽という感じで、ポップミュージックとは対極的な存在とし扱われることが多いですが、作曲された当時は今でいうポップミュージックのように広く人気のある音楽だったのではないでしょうか。

まあ、宗教音楽は違うとしても、それ以外のクラシックは全て当時のポピュラー音楽だったはずです。

バッハは宗教音楽を多く作曲しているから違うとしても、ベートーベンやショパンなんかは完全なポピュラー音楽だったのではないでしょうか。

Aベストアンサー

No.9です。きりがないので最後にします。

>権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

時間のことを言っているのではありません。「権威」になるのは「大衆」に認められることによってではなく、その時点における「権威」に認められることによってそうなるということです。

バッハは、約100年「忘れ去られ」ていました。それを復活させ、「音楽の父」としてドイツ音楽の権威づけの基礎にしたのは、メンデルスゾーンやその時代の「批評家」たちです。その辺のからくりは、No.6に挙げた 岡田 暁生著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」(中公新書)に詳しいです。

クラシック音楽(特にドイツ音楽)がどのように成立したかは、こんな本も読んでみるとよいかもしれません。
ご紹介したような本もお読みなった上で、あとはご自分で考えていただければよいと思います。私の説明を押し付けるつもりはありませんので。

ハンスリック著「音楽美論」(原著は1854年)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%BE%8E%E8%AB%96-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9D%92-503-1-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4003350316

シューマン著「音楽と音楽家」(作曲家シューマン(1810~1856)の書いた音楽批評集)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%AE%B6-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9D%92-502-1-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4003350219/ref=pd_sim_14_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=MGRS25VPQ4NG24D0TDXQ

No.9です。きりがないので最後にします。

>権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

時間のことを言っているのではありません。「権威」になるのは「大衆」に認められることによってではなく、その時点における「権威」に認められることによってそうなるということです。

バッハは、約100年「忘れ去られ」ていました。それを復活させ、...続きを読む

Qクラシック作曲家の作品の引用について

クラシック作曲家は他の作曲家、たとえばブルックナーが3番の交響曲でワーグナーを引用したり、またジョン・アダムズが『Absolute Jest』という作品でベートーヴェンの交響曲第7番を引用しています。
ショスタコーヴィチは15番の交響曲で、ロッシーニやワーグナーを引用する一方、自作品を引用したりもしているわけですが、

他作曲家を引用する場合と、自作品を引用する場合の違いについて教えて下さい。

Aベストアンサー

No.2です。「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。
引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。

 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R.シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。いくつ分かるかな・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=9YU-V2C4ryU

 ショスタコーヴィチは引用の天才で、交響曲第15番に限らず他人の作品、自分の作品を自由に引用して使っていますね。
・ピアノ協奏曲第1番の冒頭は、ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情」の引用。「リスペクト」ととるべきか「パロディ」と考えるか。
・有名な交響曲第5番の第1楽章第2主題は、提示部では短調なので気づきませんが、再現部で長調になるとビゼー「カルメン」のハバネラの合唱にカルメンが乗せて歌うオブリガートの引用であることが分かります。
・いろいろな曲への自分のイニシャル(D-Es(=S)-C-H」の引用。スターリン死亡直後の交響曲第10番や弦楽四重奏曲第8番など。
・交響曲第11番「1905年」に、たくさんの革命歌を引用。体制へのすり寄りか、革命の原点へのオマージュか。(ショスタコーヴィチ自身は父親も含めて革命に共感していた)
・弦楽四重奏曲第14番は、弦楽四重奏曲を初演してきたベートーヴェン弦楽四重奏団の創設以来のチェロ奏者「セルゲイ・シリンスキー」に献呈され、自作のオペラ「マクベス夫人」からのカテリーナが愛人セリョージャを歌うアリアがチェロに引用されます。「セルゲイ」の愛称が「セリョージャ」なので。
・最後の作品となったヴィオラソナタには、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」が引用されます。

 バルトークは、亡命先のアメリカで死の病の中で作った「管弦楽のための協奏曲」で、第3楽章「悲歌」に自作のオペラ「青髭公の城」から「涙の湖」の主題を引用するとともに、第4楽章「中断された間奏曲」に、直前にアメリカ初演されたショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」第1楽章の主題(侵攻の主題、これもレハール「メリー・ウィドウ」の引用)を嘲笑するように引用しています。体制を鼓舞するショスタコーヴィチを揶揄していると言われていますが、むしろこの曲のアメリカ初演権を争ったトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーやセンセーショナルに取り扱ったアメリカ音楽界を揶揄したのでしょう。

 思いつくだけで、いろいろな引用がありますな。

No.2です。「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。
引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。

 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R.シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。いくつ分かるかな・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=9YU-V2C4ryU

 ショスタコーヴィチは引用の天才で、交響曲第15番に限らず他人の作品、自分の作品を...続きを読む

Q横山幸雄論 VS Suzuki method

VS というほどのことでもないのですが、横山幸雄氏(言うまでもなく、ピアニスト)の著書に ”新しい曲を始めるときに ある程度ひけるようになるまで CDとかは聴かないほうがいい。子供とかだと耳で覚えてしまいますから。” とあるのですが、 Suzuki Method は 全く、その逆で譜読みをする前に CD を何度も聞かせ、ある程度耳から覚えさせてから、楽譜をみるそうです。 友人の娘さんが スズキ ピアノをならっていますが、譜読はずっとあとです。

色々な発表会にいきますが、スズキ ピアノの生徒はそのせいか 譜面をそのまま弾いているのではない、という意味で表現力があるような気がします。

私は 新しい曲に取り掛かるときは まず、CD 等で聴き、曲のイメージをつかんでから譜読みをします。 練習しながらも、お気に入りの Pianist の何度も聴きます。

色々な考え方があっていいのでしょうが、皆さんはどう 思われますか。

Aベストアンサー

把握されている情報が十分ではなく、誤解されている面があると思います。
結論から言うと、横山氏の言うことが正論ですが、
その前に、何のために音楽を学ぶのか、という前提をはっきりさせないと何も論じられません。

まずスズキメソードなのですが、これはもともと音楽教育を主眼としたものではなく、
音楽による情操教育、人間育成を目的にしたものです。
そのため創立者の鈴木慎一は、スズキメソードの卒業者が
音楽以外の分野で活躍することを喜んでいました。

スズキメソードの、楽譜を使わず音で覚えるという方法は、
母国語の習得と同じという発想を根拠にしています。
言葉は親から教わり、文字の習得は後からです。
音楽も同じ方法で習得できると言うことで、
まだ文字の読み書きができない幼少期から音楽教育を可能にするという考え方です。

その発想自体は必ずしも悪いとは思いませんが、
ごく最初の段階はともかく、幼少期以降も聞いて覚えるという方法を続けることには問題があり、
事実、スズキメソードの大きな欠点のひとつとして、
いつまでたっても楽譜が読めるようにならない、初見が聞かない、ということが指摘されています。

そもそも楽譜というのは図形でありシンボルであり、
異なる長さを表す音符の形をいくつか覚え、
拍子の原則や五線上の段階と音階の対応など基礎的なことを押さえればよいだけので、
次から次へとたくさん覚えていかなければいけない文字と比較したとき、
それほど極端に難しいこととは言えないのです。
私自身の幼少期を振り返ってみても、
楽器に触れる前に音感教育から始め、
楽譜の読み書きも3歳から教わりました。
ですので、音楽教育をなるべく早くから始めるという目的だけのために、
楽譜の読み書きの習得を意図的に避ける理由はありません。
ただ、幼児に楽譜の読み書きを教えるのには、教師の側に工夫や忍耐がいるというだけです。
それに、スズキメソードはそもそもヴァイオリン教育として始まったものです。
ヴァイオリンなら、最初の内は完全に単旋律なので、
聞いて覚えるということもかなりの段階まで可能だと思いますが、
ピアノの場合は複数の音を弾いていくので、耳で聞くだけで覚えるというのには限界があります。
やはり楽譜を見ながらでないと、細かい音がないがしろになります。

子供は覚えが早いので、耳で聞いた通りに弾かせるということを
ある程度繰り返せば、じきにできるようになります。
それで、教材のCDを家でも繰り返し掛けつづけることを推奨したり、
同じ曲を1000回繰り返し弾かせたりする教師もいるという話です。
スズキの教師にもピンからキリまでいて、全員がそうというわけではないようですが、
今言ったような体験談はかなり多いようです。
このようなやり方をすれば、子供の注意は聴覚へ集中しますので、
聞いたものを細部まで真似する能力はつくはずです。
ですから、手本として与えられたCDの演奏がある程度音楽的なら、
それを徹底的に真似て演奏すれば、自動的に音楽的に聞こえる演奏はできるようになるでしょう。
とにかく、かなりの回数の「反復」と「覚え込み」を課しているようです。
しかし、その結果音楽的に聞こえるとしても、それは錯覚です。
実際、CDのない曲は弾けない、という体験談も多く存在します。
これでは、音楽性を習得したことにはなりません。

この方法だと、集団でのレッスンも楽なのではないかと思いますが、
数十人の幼児が一斉に同じ曲を集団で演奏しているレッスンの情景は、何か異様なものがあります。
この辺が、スズキメソードは機械的、という批判が出てくる理由だと思います。

また、スズキメソードでは、もし将来本気で音楽を学ぶなら重要になってくる、
音階の練習などの基礎的なテクニックが組み込まれていません。
いくつかの課題曲を設定して、それだけを目標にしていくようです。
いろいろと大義名分を謳っていても、これではディレッタンティズムです。
そのため、本格的にやりたい人は、途中でスズキメソードを降りて他へ移るということがよく起きます。

曲のイメージを掴むためや、表現の参考のために優れた演奏を聴くことは、
もちろん悪いことであるはずはなく、勉強になるので全く問題はないのですが、
スズキメソードがいう、楽譜を使わずに聞いて覚える、という方法は、
それとはかけ離れた次元の話で、手本の演奏を徹底して反復、コピーするということです。

この点を誤解してはいけないので、つまり横山氏は、
イメージづくりや参考のために聞くことそのものを否定しているわけではありません。

横山氏は音楽大学で教えている人なので、
もちろんプロ養成という前提で言っていることではありますが、
ここでは子供も含めて指摘していることです。
(「教えている」と書きましたが、横山氏は、
教鞭をとっていた大学のひとつである上野学園に対し、
それを運営する家族の不正を刑事告発したため、
一週間ほど前に学園側から解雇されました。余談ですが。)

そもそも日本人は、昔から精神論に偏りがちで、
演奏における表現力や音楽性に関しても、
その源泉を人生体験とか感性のようなあいまいなものに求めやすいのです。
しかし、西洋音楽というものは理論的、合理的に構築された世界であり、
音楽的な演奏をするためには、その「音楽文法」を踏まえたうえで、
楽譜に書き記されたものの中から、
それぞれの部分をどう演奏するのがふさわしいかを自分で読みださなければいけないものなのです。
もちろんこれには、最終的には音楽理論や作曲理論などの専門知識が不可欠にはなってきますが、
教師が熟練していれば、子供のときからそういう音楽の読み方、作り方を教えていくことはできます。
楽譜だけを見て、そこから自分で考えるという自発的な音楽性を早くから学び始めた方がよいのです。
確かに、CDで聞いて覚えてしまうという方法は手っ取り早く、
最初はその方が、進歩が速く見えるかもしれませんが、
楽譜から自分でイメージを作っていくという方法は、
たとえ回り道のように見えても、長い目で見るとあとで伸びます。
録音にあまり頼りすぎるというのは、どうしても受動的になり、
最悪の場合は思考停止になります。スズキメソードにはその危険があるということです。
ですから、先に音で覚えて楽譜をあとで見るという方法と、
先に楽譜から入るという方法に対して、どちらの方が表現力が付くかという因果関係を結ぶことは出来ません。
もし楽譜から先に入って、演奏が楽譜通りで表現力が足りないとしたら、
それは教師の教え方に問題があります。
ただ、それをしっかり教えられる教師の数は必ずしも多くはないです。
そして音楽性や表現力は、日本人音楽家や学習者の課題であり、
スズキメソードを使う、使わないに関係なく、昔から欠けていると言われ続けていることです。

ある程度弾けるようになるまではCDなどを聞かない方がいいというのは、
決して横山氏に限った特別の考え方ではなく、
プロ養成を手掛ける教師なら共通した認識だと思います。

そもそも、録音が簡単に手に入るようになったのもこの50年ほどの間のことで、
それ以前は録音を手軽に聴くことは出来ませんでしたが、
優れた音楽家は昔からいたわけです。
また、長く音楽をやっていれば、楽譜だけ当て録音がない曲もやらなければならない場面が出てきます。
そういうとき、録音がないからイメージづくりができないという言い訳はできないのです。

もちろん、趣味でやっている人に関してはこの限りではありません。
たとえお手本のCDのコピーであっても、
そこそこ音楽的な演奏ができて楽しければそれでよいのです。
ましてや、情操教育そのものが目的なら、何も問題はありません。

いずれにしても、プロ養成という観点から見た場合、
音で覚えて楽譜を後回しというスズキメソードは必ずしも推奨できません。
ただ、スズキメソードのやり方は、小さい子供には楽しめるレッスンであることや、
とりあえず難しい楽譜の決まりを覚えることを強要しないことから、
幼児が音楽を始める初段階において、音楽への感性を開いて音楽好きにさせるという点では、
準備として有用なメソードのひとつではあるということでしょう。

スズキメソードのみで学んで一流のプロになった人というのはほとんどいないはずです。
海外の有名なヴァイオリニストで、スズキメソードの体験者として挙がっている名前は結構ありますが、
こういう人たちもよく調べてみると、最初の一年だけとかいう話で、
やはり子供のころから著名な演奏家や名教師のもとでしっかり学んでいます。

スズキメソードは国際的に認められているという紹介をあちこちで見ますが、
本来はこのようなもので、表現力の獲得という点で過度に期待できるものではありません。
また、創立者の鈴木慎一は、禅から大きな影響を受けており、
スズキメソードにも禅の哲学に基づく考え方が多くあります。
アメリカなどでスズキメソードをある程度評価している教師たちも、
この禅の哲学に基づく部分に関しては批判的で、使わないという人が多いです。
やっているのは西洋音楽なので、東洋の哲学や精神論を持ち込むことは、欧米では受け入れられないと思います。

私自身は、現在ピアノ曲を弾くにあたって、録音を先に聞いてイメージを作ったり、
いろいろなピアニストに演奏を聞き漁って参考にしたりということはまずありません。

ちょっと話が散らかってしまって、まとまりがないようなのですが、この辺にしておきます。

把握されている情報が十分ではなく、誤解されている面があると思います。
結論から言うと、横山氏の言うことが正論ですが、
その前に、何のために音楽を学ぶのか、という前提をはっきりさせないと何も論じられません。

まずスズキメソードなのですが、これはもともと音楽教育を主眼としたものではなく、
音楽による情操教育、人間育成を目的にしたものです。
そのため創立者の鈴木慎一は、スズキメソードの卒業者が
音楽以外の分野で活躍することを喜んでいました。

スズキメソードの、楽譜を使わず音で覚えると...続きを読む

Qこのメロディのクラシックを探しています

曲名を知ってる方いませんか?
10年前に同級生が弾いてて曲のなんとなくのメロディラインしかわかりません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

アルベニス作曲 アストゥーリアス(スペイン組曲~第5曲)
https://www.youtube.com/watch?v=aTFdrLCXqmE

Qクラシックのライブに行く時の服装

過去問を見ると、現代人がクラシックのコンサートに行く時の服装は概ね自由なようですが、大昔は貴族のものであり、平民には閉じられた世界だったようで、ドレスコードも決まりがあったみたいです。

近年の一般人が服装にこだわらないということは、それだけクラシックが俗化したということでしょうか?
一方、演奏者は今でも決められた服装ですが、もしカジュアルな服装でバラバラだったらどう思いますか?

クラシックのライブコンサートに行くたび腑に落ちないので、お聞きします。

Aベストアンサー

誤解です。
今で言うクラシック音楽が上流階級のパトロンによって成り立っていた時代があり、「平民に閉じられた」のではなくそもそも接する機会が無いし興味も無かったと考えた方がいいです。

ドレスコードというのはまさしく慣習とか格式のことであり、そもそも宗教音楽から上流階級向け「大衆音楽」となったばかりの時代にそんなものはまだ確立していません。当時は、上流階級の人達が好きにお出かけにふさわしいオシャレをしていただけ。
それが「ドレスコード」等という「形式」になったのはむしろ近代で、このドレスコードも軽装だったものがランクが上げしてフォーマルになったりと時代によって次第に緩くなっていく性質があります。

あと、当時の大衆音楽と言いましたが、今の格式や伝統を重んじる上流階級と、成り上がりの商人や領主しかいなかった当時の上流階級ではかなり意味は変わると思います。当時の音楽というのはまさしく成り上がり向けの馬鹿騒ぎしたり暇つぶししたりするような「大衆音楽」であり、当然ながら今のクラシックの扱いのように「格式」といった意図はありませんでした。格式なんてのは長い時間で出来ていくもので、最初から存在するものではないのです。

「現代人がクラシックのコンサートに行く時の服装は概ね自由」というのも、正しくはありません。そのコンサートの趣旨(格式)によっても異なり、厳格なドレスコードがある公演もあります。ファミリーコンサートや屋外コンサートのように一流の楽団であっても演奏者がカジュアルである場合もあります。また、日本のように「自由とは言ってもジーンズとまでいくとちょっと」程度の意識の国もあれば、アメリカのように平気でジーンズにTシャツで行く国もあります。ヨーロッパなんかは国や時間帯によって正装する人が多ったりしてやはりそれらよりはうるさいようです。

「クラシックが俗化した」のではなく、クラシックは元々が「世俗的な文化」だったのです。形式にうるさくなっているのはむしろ近代です。前の方が「大昔」と言っていますが、それ近代以降の話です。クラシックが大衆音楽の中心だった時代ではないです。

誤解です。
今で言うクラシック音楽が上流階級のパトロンによって成り立っていた時代があり、「平民に閉じられた」のではなくそもそも接する機会が無いし興味も無かったと考えた方がいいです。

ドレスコードというのはまさしく慣習とか格式のことであり、そもそも宗教音楽から上流階級向け「大衆音楽」となったばかりの時代にそんなものはまだ確立していません。当時は、上流階級の人達が好きにお出かけにふさわしいオシャレをしていただけ。
それが「ドレスコード」等という「形式」になったのはむしろ近代で、...続きを読む

Q弦楽四重奏曲とへ長調の関係性について

ラヴェル唯一の弦楽四重奏曲の調性はへ長調です。
他の作曲家では、
ドボルザーク12番「アメリカ」
伝ハイドン17番
プロコフィエフ2番
ブリテン、リムスキー=コルサコフ
(ベートーベンは数が多すぎるので省きます)

前提条件が間違っていたら、質問が成り立たないのですが、へ長調と弦楽四重奏、あるいは弦楽器に何か関係性はあると思いますか?
(正解ではなくても、推論でもOKです。質問する側が正解かどうか判断出来ないので)

Aベストアンサー

弦楽四重奏というジャンルは、古典から現代まで膨大な作品が書かれています。
主要な作曲家の作品表を網羅した辞典などで統計的にのみ見た場合、
ヘ長調が占める割合は比較的少ないと思います。
ベートーヴェンの場合は16曲中3曲がヘ長調なので、多い方だと言えますが、
もっとたくさん書いたハイドンやモーツァルトではそれほど目立って多くはありません。
挙げておられる曲以外にも、シューマンやチャイコフスキーなど、
書いた曲数が少ない作曲家に限ってヘ長調の曲があるのはちょっと不思議ですが、
ヘ長調の曲に特に名曲が多いとも言えないでしょう。

弦楽器がよく鳴るかどうかは、調弦と関係します。
ヴァイオリンが一番良く鳴るのはニ長調とされており、
多くのヴァイオリン協奏曲の名曲がニ長調もしくはニ短調で書かれているのはよく知られています。
ニ長調の主要三和音を考えてみれば、4本の弦が共鳴して楽器が鳴りやすくなり、
重音奏法のときに開放弦を活用できるチャンスが多くなるというメリットがあると言えます。

弦楽四重奏の場合は独奏ではないので、すでにハイドンの時代から
あまり特定の調への偏愛というのは見受けられません。
ただ、シャープやフラットがあまり多い調は選ばれないということはあります。
通常は、多くても4つくらいまでの調にとどまっています。

響きの豊かさと演奏技巧上の都合を考慮すると、
いずれかの解放弦の音を主音とする長調や短調、
もしくはそれらの並行調で書くのは理に適っていますが、
ヘ長調にも同じ観点から見て大きなメリットがあります。
すべての弦楽器が共通して持つD線とA線は、
ヘ長調の音階上の音で、Aは主和音の第3音、
Dは下属和音の第3音に当たります。
また、もっとも近い関係調であるニ短調ならば、どちらも主和音に含まれることになります。
ですので、音響的にも奏法的にもこれらの弦が生きてくるということがあります。
それに加えて大きなメリットは、ヴィオラとチェロの最低音であるC線を、
ヘ長調の属音という重要な音として生かせるということが大きいでしょう。
特に4つの楽器の中で一番低く、バスを支えるチェロの最低音を属音として活用できるため、
四重奏全体の音域を広く使えることになりますし、
属和音を使用するさいには、当然残りのG線も活用しやすくなり、豊かな響きが出せます。

ヘ長調で書かれた弦楽四重奏曲を見ると、やはりこれらの条件がメリットになっています。
特に、楽器法の大家であったラヴェルは、このメリットを十分生かし切る書き方をしています。
時代を下るほど、作曲家はこのような技法にたけてくるので、
プロコフィエフのヘ長調も非常に演奏効果が高くなっています。

弦楽四重奏というジャンルは、古典から現代まで膨大な作品が書かれています。
主要な作曲家の作品表を網羅した辞典などで統計的にのみ見た場合、
ヘ長調が占める割合は比較的少ないと思います。
ベートーヴェンの場合は16曲中3曲がヘ長調なので、多い方だと言えますが、
もっとたくさん書いたハイドンやモーツァルトではそれほど目立って多くはありません。
挙げておられる曲以外にも、シューマンやチャイコフスキーなど、
書いた曲数が少ない作曲家に限ってヘ長調の曲があるのはちょっと不思議ですが、
ヘ長調の...続きを読む

Q無言歌集 / メンデルスゾーン

無言歌集の#7 に、とてもきれいな曲があるのですが、6曲の内、どれなのかがわかりません。 試聴できるサイトでは #1 と#2 しかなく。

どなたか、第7集の聴けるサイト(You tube) を教えていただけませんか。
調べたいのですが” Songs without Words #7 / Mendelssohn ” としか出てきません。

Aベストアンサー

メンデルスゾーンの「無言歌」は、第1集~第8集があり、各6曲で構成されますので、全部で48曲あります。
第7番ということだと、通算7曲目の作品30-1「瞑想」、あるいは第7集作品85のいずれかではないでしょうか。

作品85の方は #2 さんが挙げられているので、作品30-1「瞑想」を挙げておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=wR3t6vJOMe0

メンデルスゾーン/無言歌 Lieder ohne Worte
作品19(6曲)
作品30(6曲)
作品38(6曲)
作品53(6曲)
作品62(6曲)第6曲目(作品62-6)が有名な「春の歌」
作品67(6曲)
作品85(6曲)
作品102(6曲)

Qこのピアノ曲のタイトルを教えてください

この映画の予告編で流れているピアノ曲のタイトルを教えてください。
宜しくお願いします。

『At the terrace テラスにて』
https://youtu.be/a5BGOgGfGuc

Aベストアンサー

1. ショパン バラード第2番ヘ長調作品38
https://www.youtube.com/watch?v=MsoUIBcl7iw

2. スカルラッティ ソナタ変イ長調K.127
https://www.youtube.com/watch?v=5yvWCIvWxqk

Q東京芸大音楽学部、桐朋学園大学のレベルは世界的に見るとどの程度でしょうか?

クラシック音楽演奏者の養成学校として有名なのはジュリアード音楽院、パリ国立高等音楽院、ウィーン国立音楽大学などが思い浮かびますが、それでは日本の東京芸大と桐朋のレベルについてはどれくらいになるでしょうか?この2校の卒業生は国際コンクールの入賞者を結構出しており、そこそこいくように思うのですが。

↓このランキングによると東京芸大は100位にも入っていないようですが、これは「舞台芸術」のランキングであり、今回の主旨(音楽)とは違います。
http://violinear.com/world-university-ranking-result/

Aベストアンサー

No.1の回答で充分と思って見ていましたが、どうも簡単にはいかなそうなので、少し詳しく解説します。
内外の音大の事情を直接知る者です。

大学というのは、それぞれ設置している専攻科目も違うので単純比較はできず、
ランキングはもともと無理で、意味もありません。

たとえばウィーン国立音楽大学は、「演劇・音楽大学」が正式名称です。
ヨーロッパでは、テレビドラマや映画よりも演劇の方が重要で、
ここの卒業生の多くが舞台俳優として活躍しています。
一方東京芸大には演劇科がく、音楽学部には日本の伝統音楽を専攻する邦楽科が、
美術学部には日本画科があります。
これらを専攻した人の活躍の場は主に日本に限られます。
この二つの例からだけでも比較するのが無理だということがわかります。

ネット上の情報を見るときは、注意しなければならないことがたくさんあります。
リンク先のホームページは、公的機関や研究団体のサイトではなく、個人が趣味で作成しているサイトです。
作成者のプロフィールには、楽器も弾けない、楽譜も読めない、とあります。
引用したランキングがどういうものかも調べていないようで、記事そのものの内容も誤解を招くものです。

このランキングを見ると、聞いたことのないインドネシアの大学が並んでいたりして、
不自然であることがすぐにわかります。
調べたところ、この企業のランキング調査の対象に音楽大学が含まれるようになったのは2016年。
リンク先のランキングはその年の結果で、まだデータが集まっていません。
今年のランキングを見ると、東京芸大ではなく東京大学が突然38位に入っており、
大阪大学が100位以内に入っています。
https://www.topuniversities.com/university-rankings/university-subject-rankings/2017/performing-arts

このランキングについてはドイツでも「お粗末なデータに基づいている」として、
「das ranking ist kranking」という見出しで批判が書かれているサイトがあります。
「kranking」はダジャレで、「krank」は「病気」の意味ですが、
ミュンヘン音楽大学やザルツブルク・モーツァルテウムがこんなに評価が低いわけがないと論評しています。
http://blogs.nmz.de/wm2014/2016/04/01/musikhochschulen-im-vergleich-das-ranking-ist-kranking/

このランキングの選考基準は、卒業生が舞台芸術の世界で活躍しているかどうかとは全く関係がなく、
判断の基準になる評価指標は、以下の項目と評価配分です。

各国学者のビア・レビュー 40%
雇用者の評価 10%
学生一人あたりの教員比率 20%
教員一人当たりの論文引用数 20%
外国人教員比率 5%
留学生比率 5%
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0#QS.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E5.AD.A6.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.82.AD.E3.83.B3.E3.82.B0

つまり、この調査は完全に「学究的見地」から行われているもので、
卒業生が音楽の世界で活躍しているか、コンクールで入賞しているかは反映されていません。
上位にイギリスの大学が多いのは、イギリスの企業の調査による偏りのようにも思えますが、
同時にアメリカの大学がたくさんランクインしていることを考えると、
論文の査読と引用が評価指標の60%を占めることから、
英語圏の大学の評価が必然的に高くなるということでしょう。
東京大学がランクインしているのも、文学部や哲学科の学生や教員が、
芸術関係の論文を英語で書いているから、という可能性が考えられます。
音楽大学の場合は、卒業演奏や卒業作品であり、論文というのは、音楽学専攻をのぞけばほとんど問題になりません。
このようなランキングを発表している機関はほかにもありますが、方法は似た様なもので、
「舞台芸術」で検索しても、上のランキングとは全く異なり、
オーストラリアのシドニー大学が1位表示されたり、なぜか「工科大学」がランクインしたりしてします。
ドイツに優れた音楽大学がたくさんあるにもかかわらず上位に入っていないのも、上のような理由からでしょう。

では実際はどうかというと、ここにもやはり国ごとの学制、価値観、伝統、社会的評価の違いがあり、
単純に比較することは不可能です。

一般によく言われますが、日本の大学は入るのが難しく出るのが簡単、
欧米の大学は入るのは簡単だが出るのは難しい、ということがあります。
音楽大学も例外ではなく、東京芸大や桐朋学園の入試はレベルが非常に高いです。
ヨーロッパは、国と大学によって違うとは思いますが、日本ほどではなく、
入学後の学生全体の技術レベルという観点から言えば、
日本の音大生のレベルの方がむしろ高いかもしれません。
そして、芸大や桐朋で学んだだけでも、国際コンクールで入賞したり、
ヨーロッパの名門オーケストラに採用されるだけの力をつけられたりする可能性は十分にあります。
ヨーロッパの音楽関係者の間でもこれらの音大の名前はよく知られており、
「芸大ならば」、という信頼は持たれています。
しかしその一方、日本の音大生、音楽家は、技術はあるが音楽性がない、という批判は数十年前からあり、
この点はいまだに十分克服できているとは言えません。
たとえば、前々回のショパンコンクールでは、日本人参加者は一人も本選に進めませんでした。
コンクール後の審査員講評では、「日本の参加者は、楽譜通りに弾くだけでなく、もっと音楽を感じて弾かなければならない」
と指摘されました。前回のショパンコンクールでも受賞者は出ていません。

ヨーロッパの音大で、学内のクラス発表会などを聞くと、
技術的には荒削りでも、音楽的で、一人ひとりが個性的な演奏をのびのびとやっています。
このような日本の音大生、音楽家の欠点の原因の一つは、教え方にあります。
ヨーロッパの大学などでは、技術や音楽表現について、具体的かつ論理的に、
どうしたらよいか、なぜそうなるか、を明確に説明できる教師がたくさんいます。
日本の場合、やや曖昧な精神論で済ますきらいがあります。
教師と学生の関係も、日本では上下関係になる傾向が伝統的にあります。
ヨーロッパの学生は、たとえやっていることが間違っていても、
自分はこう考えたからこうした、という主張をし、教師と議論をします。
日本からの留学生に対する教師の印象も、先生に言われたことはきちんとやるが、
それ以上のことをやろうとしない、という評判を聞くことがあります。
こういった点は、大学のレベルの問題ではなく、民族性や気質の違いに起因するものでしょう。

コンクールでの業績も、必ずしも評価の指標にはなりません。
先ほど挙げたショパン・コンクールなどは、「ショパンの演奏はこうあるべき」という権威の認める演奏スタイルがあり、
それからはずれた個性的な演奏をすると、技術的、音楽的に優れていても落とされます。
そういうこともあって、現在ショパン・コンクールはヨーロッパの学生の間では人気がなく、参加者も減っています。
アジア人の入賞者が増えるのは、アジアの音大のレベルが上がったというより、
参加者の比率が変わったことに原因があります。
すべてのコンクールが不当な評価を下しているとは言えませんが、
審査員の中の特に力を持つ人が、自分の弟子を入れるためにほかの参加者を落とすとか、
審査員の息子が優勝したのが問題になり、次の回から、審査員の家族、親族は参加できないという規約に変更された例もあります。
コンクールの裏事情については、信用できる話からデマに到るまでいろいろあります。
ヨーロッパの若者には、当然、審査基準の不透明なコンクールよりも、
実力で地道にキャリアを積む方がよいと考える人が多くなります。
むしろそういうやり方が本来の行き方で、コンクールが盛んになるのは現代になってからですが、
そういう伝統が残っているヨーロッパと違い、日本などはやはり経歴や受賞歴が重視される傾向があるので、
どうしてもやらざるを得ないという事情はあります。

あとは、個々の音大の特徴や長所、短所があります。
ジュリアードなどのアメリカの音大も、どちらかというと技術は優秀ですが、
ヨーロッパの本格的で伝統的な演奏法とは少し異なる部分があると思います。
しかしその一方、ジュリアードなどは、かつて名教師と言われる人がいて、
そういう教師を求めてやって来る生徒がいました。
ヨーロッパの音大生にしても、一つの大学で学んだあと、特定の教師にさらに習いたいということで、
その教師が在籍する大学に移ってさらに研鑽をつむのはごく普通の道です。
芸大、桐朋の卒業生でも、海外で活躍しているような人は、
さらに欧米の音大で勉強をつづけた人が大部分と思います。

欧米の一流音大の学生でもダメな人はたくさんいますよ。
結局のところ、個々の学生が、何を学びたいのかという明確な目標意識を持ち、
それに一番適した大学や教師を選び、自分で道を選ぶものであって、
大学全体のレベルや名前による格の違いという話題は、通俗的なものになりがちです。

No.1の回答で充分と思って見ていましたが、どうも簡単にはいかなそうなので、少し詳しく解説します。
内外の音大の事情を直接知る者です。

大学というのは、それぞれ設置している専攻科目も違うので単純比較はできず、
ランキングはもともと無理で、意味もありません。

たとえばウィーン国立音楽大学は、「演劇・音楽大学」が正式名称です。
ヨーロッパでは、テレビドラマや映画よりも演劇の方が重要で、
ここの卒業生の多くが舞台俳優として活躍しています。
一方東京芸大には演劇科がく、音楽学部には日本の伝...続きを読む


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