アレルギー対策、自宅でできる効果的な方法とは?

少し前から気になっていたのですが、日本文化を称賛する論調が多すぎると思います。
外国人タレントが文句を言ったりしています。
日本人である私も、食傷気味。

これって、どういう現象なのでしょうか?

「過剰な自画自賛?」の質問画像

このQ&Aに関連する最新のQ&A

映画 アイドル」に関するQ&A: 彼氏と別れるべきか。 彼がアイドルファンであること・好きな女優さんが何人かいて、映画やドラマは必ずチ

A 回答 (28件中1~10件)

昭和6年(1931年)から昭和20年(1945年)にかけてと同じ現象。

歴史は繰り返す。
http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-78 …

日本人の気質は奥ゆかしい(はたして本当にそうかはともかく)のに、自画自賛を大声で主張する行為は相容れなくて、行き過ぎると気持ち悪く感じます。


No.2さんの「自信喪失の裏返し」は成る程なと思いました。世界第2位の経済大国との自負も、2010年あたりに国内総生産(GDP)が中国に抜かれて世界3位になってしまいましたからね。日本メーカーの製品の多くも今では海外の工場で作ってますし、中国メーカーの製品も物によってはですがかつての安かろう悪かろうを脱してますし、日本の有名家電メーカーなどが中国や台湾の会社に買収されたりしてますからね。

日本に良い所が色々あるのはテレビで何度も繰り返し言われなくても分かってるし、他国の良い所を賞賛したり、見習ったりする姿勢が低下していかないか心配です。

ドイツの脱・原発の選択に日本も続こうというような風潮も少し前は多少あったのになぁ……
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「歴史は繰り返す」という言葉はなんと悲しいひびきをもっているのでしょうか。
「同じ轍を踏む」と、人間はどんどん生命力が無くなっていくものだと思います。
これは、経験上そう思っています。

なるほど、同じ発想での国策ですか。生命力が無くなると、創造力が無くなって
パクリばかりするようになる、現代人ですね。

GDPで中国に抜かれたことは多くの日本人にとってショックだったのでしょう。
途端に中国の悪口ばかり言うようになりました。
経済の成長率についてはこの20年でゼロに近いというのは、先進国の中で日本だ
けだということです。
一方、アジア諸国は成長しています。タイ・ミャンマー・インドネシアあたりに
抜かれたら、日本人のプライドはどうなるのでしょうかね?

お礼日時:2017/03/29 03:33

豊かな国に生まれた事で、貧しい国の人々を馬鹿にするようならそれは慢心でしょうね。

日本人って、そんな態度が主流だったでしょうか?
むしろ、豊かな国に生まれた事をありがたく思ってる人々が主流だと思っていましたが、しかし、あなたの言うことにも一理あると思います。
弱者に対する思いやりのようなものが、減って来ている気はするからです。ニートやフリーター、派遣社員ともなれば負け組と罵られはしても手を差し伸べられることは少ない。高齢者になればお荷物扱いはされど人として大事にされることも少ない。
これでは豊かな国に生まれても、しあわせを実感することは難しいですね。
立場ある人間が自分のことしか考えなくなれば、社会の体は崩れてしまいます。代謝によって更新されるまでは、皆が歪な社会で生きる事を強いられるでしょう。そんな不満のガス抜きとして、日本文化も使われてしまっているのかもしれません。そうだとしたら、許せないですねー。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

組織の中で役職が上がって急に気取りだした人、また、役職が上がらず、卑屈になって
愚痴を言う人、この二種の人をどれだけ見たことか(笑)。

これは、日本人のとても悪いところだと思う。

現代は、人間があまり大事に考えられない時代だと思います。だから、卑屈な人がとても
多いのだと思う。
卑屈な心は、人を褒められない、思いやりがない、イジメて差別する。

現代日本社会の分析は私にとって、まだ道半ばです。

お礼日時:2017/03/30 00:13

ただのクールジャパンの所為ではないように思えますね。


欧米初のグローバリズムに流されてアイデンティティが薄れた事に対する反作用、ってのも浅い考察のような気がします。
ほんとの日本文化を知る日本人ってそもそもどれだけいるのよって気もしますが、受け継がれた気性のようなものは遺伝子レベルで刻まれてもいそうで、口にしなくても外国に出れば日本人だとバレてしまう。外見以外のところで。

まぁ、一言で言えば自信喪失の現れってとこなんでしょうけど、考えればかなり深いとこまで掘り進めれそうな題ですね。

自分は、お国柄なんてどうでもいいよと若い頃は思っていましたが、歳を重ねるに従い自分が日本人的であることを意識することも増えました。でも、根っこの根っこでは、やっぱりお国柄よりも人間性とか、生き方が大事で、日本人である事ってのはその次の次くらいなんですよね。日本人である事は自分の小さくない部分を形成していますが、それはなんていうか、生まれですから。生まれてからが勝負な訳で、幸運にも現代日本に生まれたけれど、その事実におんぶに抱っこじゃまともな人間にはならないと思ってます。
日本人に生まれただけで、優れた日本の誇りを享受出来る、それはそうなんだけど、それって人間としては矮小な精神だよねって思ったりもするんで。

人間に生まれたというだけで、持ち前の人間性を誇るようじゃ、ある種滑稽なように、生まれを誇る自画自賛も度がすぎると滑稽ですね。名家に生まれてそれを鼻にかけるなら、嫌な奴になると相場は決まっています。日本に生まれても、それを自慢しない方が出来てる人の様な気がしますね。

自信ってなんだろうって話でもあるかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「自信喪失」というより「慢心喪失」といったほうがいいのかも知れません。

慢心なんか喪失したほうがいいのですが、当人にとってみればパニックになる
ことでしょう。
50代くらいの世代の男性。彼らの中のエリート層は30年ほど前には実に「偉そう」
にしていました、今の若者に劣らず。
それが、社会的立場が上がっても、威張れなくなったどころか、女性や若者に
馬鹿にされてきている。それで、腹を立てたりパニックになったり、やる気を
失ったりしている状態というのが、社会の上層部の内実だろうと思う。

ただでさえ保守的になる年代ですから、より保守的になり「自分の手柄になるよう
な仕事しかしない」からこんな社会になっちゃったのではないだろうか?

豊かになった日本に生まれたのは、自信でも誇りでもなく、慢心であったといって
も過言ではないと思う。
そして、困ったことにこの「慢心」が壮年から女性と若者に移ってしまったという
か吸い取られてしまったと思う。

お礼日時:2017/03/29 04:10

性欲の固まりの猿❗

    • good
    • 0

いつの間にか 《絶対性理論》のほうが締め切りになりました。



では 時と場をあらためまして。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

では、また。

お礼日時:2017/03/26 23:31

★ (№21お礼欄) 経験=無明、非経験=明知 ということで


よろしいのでしょうか?
☆ この一点についてのみ くどい発言をつづけます。

《明知》は 《非経験の場を受け容れたわが非思考の庭》におい
て 時として得られるヒラメキもしくは良心 これらからみちび
かれる知恵だと思います。



ブッダターのはたらき自体を 明知が言うのだとしたら そうな
のかも分かりません。そういう見解もあるかも分かりません。



あと 無明を《苦 ドゥッカ》のみとして捉えるのは あまりに
も片寄りすぎているというのが わたしの独断です。

あるいは・つまり 苦なる無明を乗り越えるチカラとしてのブッ
ダターがすでに 生まれつきそなわっていると言わなきゃウソだ
と思います。

(ゴータマ・ブッダは その点あいまいだったと言いたいのです)。


長々と このお話につきあっていただきありがとうございました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

先のご質問になかなか回答できないうちに締め切りになってしまった
ものですから。

では、このお話はまたの機会ということで。

お礼日時:2017/03/26 21:18

> 教育だけでなくあらゆる社会の根幹にかかわる部分には幾重にも堀がめぐらされています



ちょうど、texas-no-kumagusuさん(猪突さん)のブログが更新されたので読みましたが、この点について参考になることが書いてありましたよ。
出されない情報、書かれない文言のほうが重要であるということ、これはわたしたちがよく知っている事柄であるにもかかわらず、大衆向けの情報の次元になると、そうした注視はほとんど困難になりますね。マスコミが躍起になって流してくる声や文字があるとき、その裏焼きはどんな写像になっているのやら。

日本はいろんな矩や道や和のなかで守ってきたものを捨ててしまった国ですから、そして、捨てたことを知らない人がいっぱい育ちましたから、今になって薄っぺらい自尊心を謳うなんて気持ち悪い、というわけでこの質問なんでしょうね。
ものづくりとか、個々人とか、伝統とか、集団的性格とか、そんなふうに取材可能なものばかり謳いあげることになるでしょうけれど、損なわれた美徳に目を瞑りながら、というのが本質をごまかしているようで落ち着かない。
日本の今日は、人間が〈核家族〉で育って〈個別指導案〉と〈個性教育〉に踊らされ困惑しているサラリーマン教師だらけの小中学校に通って、ジェットコースターのように進学して就職していく社会なんですから、難しいですよ。個人というのは18世紀にヨーロッパで発明された概念に過ぎません。それより遥かに古く、社会の単位は家族だということは、ヨーロッパでも日本でも十分に吟味研究されてきましたし、日本はその結論を覆したこともないのです。〈個人〉を喜んで取り入れてはきましたけれど。(もっと切り込んだことを言えば、キリスト教社会だからこその個人だという地平が、すっぽり抜けるんですね。)
あいにく、家族の単位を維持しやすい体制はどんどん壊れてしまいましたね。これからも壊れていくのでしょうね。支え合う、困ったときはお互い様、お陰様、なんてことが、個人単位で持続して出来るわけがないでしょう。

教育現場だけ厳しくしようという揺り戻しもあります。でも、陸軍幼年学校で全人教育を厳しく躾けられたような人間の背景には、家族や地域の枷や絆があったということを忘れているんでしょうかね。家族と地域を取り戻さない限り、日本の美点は形骸化すると思います。
理念や教育でなく生身で穏やかに培う規律が、今は手に入れにくい。けれど何とかしようという動きもまた取りにくいように見えます。個を否定する動きと右傾化の動きにいくぶん重なりますから。かんたん便利でスマートな個の時代、を突き詰めれば、国家なんて何のためにあるのということになりますよね。投資家を儲けさせるためにあるんでしょうね。すでに。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

cyototuさんのブログはごくたまにですが読んでいます。
大変に見識の高い方であると認識していますが、これは絶対に賛同できないぞ
ということが、かなりある気がしています何故か(笑)。

出されない情報、書かれない文言のほうが重要であるということ、また、それ
を見抜くことは極めて難しいことであることは仰る通りです。
大衆のレベルでは、大衆が高い確たる見識を持つことが必要であるという結論
はもはや自明のことであると言っていいと思いますが、その方法論の考察と具
体的行動の段階へ入ってゆかねばならないと思っています。嘘や自己満足でな
くて。

まあ、こんなことをヌケヌケと言ってしまう変わった人間ではありますが、世
の中変わった人間はいるもので、「昆虫食」を研究している学生とか(需要さえ
あれば商品化できる状態であるそうです)、教育改革を本気で考えている現役の
プロサッカー選手とか。。。
日本の青年ですね。彼らの特徴は「話が早い」ということと感じています。つま
り長々と演説をぶたないでサラッと結論を言ってしまうことです。頼もしく感じ
ます。

個人という概念は18世紀にヨーロッパで発見されたもの、キリスト教社会では個
人とだという地平がすっぽり抜ける、などという理解は私にありませんでした。
日本人から見ると欧米人は大人に見えてしまいますが、人類はまだまだ未熟なん
ですね。

お礼日時:2017/03/26 21:05

お礼をありがとうございます。



★ (№20お礼欄) ~~~~~~
「ミラーニューロン現象」というのは、他者の行為を観察者の脳に
映し出しているかのように、その部位のニューロンが活動するとい
うことが発見された、ということに過ぎないという風に理解してい
ます。
勿論、私は素人で全然詳しくはないのですが。

これを人間同士の思想とか文化とか複雑な心などが伝播していく現
象の原理とすることは、仮説とはいえかなり無理があるのではない
かと思います。
~~~~~~~~~~
☆ 厳密さを要求されれば 跡形もなく吹っ飛ぶ仮説の用い方であ
ったかもしれません。

要は 《相手に合わせる》ということです。

★ ~~~~~~~~
自未得度先度也、無住処涅槃、ともに大乗仏教が説く深い哲学であ
ると理解しています。
これに対し、聖書の教えは、同じ立場、同じ目線に立てば心が通じ
る「はずである」という考え方であるのだと思います。

大乗仏教のこの二つの概念は、「仮に」自分が悟りが得られなくて
住むところがないとしても、衆生を救ってゆくべきだという、もっ
と言えばその精神性がなければ、救ってゆくことなどできないとい
うことであると理解しています。
~~~~~~~~~~
☆ われながらですが わたしの仮説のキモは:

 《経験(相対・有限・無常) ‐ 非経験(絶対・無限・常住)》
  なる構造を 一人の人間が生まれつきの自然本性において持つ

です。早い話が だれもが:

 人間は 《無明 ‐ 明知》なる構造から成る自然本性として
 生まれて来る

という想定した存在のあり方です。娑婆即浄土だとか言います。



★ ~~~~~~~~~
あなたの「神論」のキモは、人間は常に「神」に包まれ交流をして
いるのだから、自然に生きていれば幸せであるのに、宗教や悪い政
治、偏頗な思想などが邪魔をしているのだ、と。こういうことでよ
ろしいのでしょうか?
~~~~~~~~
☆ 《宗教や悪い政治、偏頗な思想などが邪魔をしている》と見た
とき それらをもわが自然本性は 一たん飲み込み おのが精神の
胃袋において消化して行くのだと言おうとしています。

それが 《すべての人に対してすべてとなりました》だと捉えます。

無住処涅槃などの説は いくらか理屈を交えていると言いますか
理論的に問い求めようとする姿勢をも持っていると思います。

すくいは 理論を超えているが 理論によっても説明するというこ
とだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

経験ー非経験の構造

イコール

無明ー明知の構造をもって人は生まれてくる、と。

経験=無明、非経験=明知 ということでよろしいのでしょうか?

また、無明とは仏教的な「迷い」ということ、明知とは仏教的な「法性」「悟り」という
意味でよろしいのでしょうか?

お礼日時:2017/03/26 20:00

★ (№18お礼欄) ~~~~~~~~


仰るところの日本人の「ミラーニューロン現象」あるいは「猿まね現象」と
いう点について私は次のように思います。

〔* 中略します。〕

つまり、「猿まね現象」であるということです。ただし、そのこと自体はそ
んなに悪いことでもないでしょう。
~~~~~~~~~~~
☆ 両方の要素・要因があるとは思いたいのですが。

▲ 自未得度先度他

▲ 無住処涅槃

▲ 【Q:すべての人に対してすべてのものになりました》とは】 ~~~~
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8811185.html

たとえば無法者に対しても無法者と同じようになるということでしょうか?
 
無法者とは 《無条件におれの言うことに従え。さもなくば 物理的にいら
れなくするぞ》とまづは言って来る場合を言っています。

一般的な実際としては 後半の部分は別にして前半の部分を けっきょくそ
の行動で言っている場合です。

つまりは 対話や問答において 意味のないことをもって答えとするような
場合です。ナンセンスなことを言ってその勢いで 話を逸らせる。あるいは 
自分に都合のわるい内容の話を終わらせる。つまり ガキ大将のような場合
です。




 ▼ (パウロ:コリント前書 9章) ~~~~~~~~~~~
 19 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、
    すべての人の奴隷になりました。
    できるだけ多くの人を得るためです。

 20 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。
    ユダヤ人を得るためです。
    律法に支配されている人に対しては、
    わたし自身はそうではないのですが、
    律法に支配されている人のようになりました。
    律法に支配されている人を得るためです。

 21 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、   
    キリストの律法に従っているのですが、
    律法を持たない人に対しては、
    律法を持たない人のようになりました。
    律法を持たない人を得るためです。

 22 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。
    弱い人を得るためです。
    すべての人に対してすべてのものになりました。
    何とかして何人かでも救うためです。


 23 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。
    それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 自覚していなくても――《独立心がよわく 内弁慶》であって ただ相
手の動きに反応しているだけだとしても―― 人間にはおのづから(自然本
性の発露として) 互いに社会性としての関係性(間主観性)がはたらきま
す。

その互いのマジハリの過程で 知らず知らずのうちにも アートマン(霊我)
ないしブッダターははたらく。と見たいですね。

と言いますか そういう良心やヒラメキは 人間がみづからのチカラ〔だけ〕
で発揮しようと思ってそうするものではないでしょうから。

そういった意味で 哲学とは けんかである。というお話もあり得ると思っ
ています。


★★ 過剰な自画自賛
☆ にも マジハリとしての社会性・つまり広く(正負の)愛・つまり潜在
性としてでもブッダターが はたらくと見たいですね。

言いかえると こちらに働きかけて来る相手の側に愛国心などとしての自画
自賛が過剰にあって それにこちらは内弁慶よろしく《素直に・バカ丁寧に》
反応している。

この《けんか》が 大きく広く愛である・・・・という虫のいい見方をも添
えたいですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「ミラーニューロン現象」というのは、他者の行為を観察者の脳に
映し出しているかのように、その部位のニューロンが活動するとい
うことが発見された、ということに過ぎないという風に理解してい
ます。
勿論、私は素人で全然詳しくはないのですが。

これを人間同士の思想とか文化とか複雑な心などが伝播していく現
象の原理とすることは、仮説とはいえかなり無理があるのではない
かと思います。

自未得度先度也、無住処涅槃、ともに大乗仏教が説く深い哲学であ
ると理解しています。
これに対し、聖書の教えは、同じ立場、同じ目線に立てば心が通じ
る「はずである」という考え方であるのだと思います。

大乗仏教のこの二つの概念は、「仮に」自分が悟りが得られなくて
住むところがないとしても、衆生を救ってゆくべきだという、もっ
と言えばその精神性がなければ、救ってゆくことなどできないとい
うことであると理解しています。

あなたの「神論」のキモは、人間は常に「神」に包まれ交流をして
いるのだから、自然に生きていれば幸せであるのに、宗教や悪い政
治、偏頗な思想などが邪魔をしているのだ、と。こういうことでよ
ろしいのでしょうか?

お礼日時:2017/03/26 16:00

>日本人にしかできない素晴らしい文化だと思いますが、



芝居ががったセリフがお好きみたいですから、ここは敢えて使い古された言葉を言っておきましょう。ナポリを見て死ね、と。たぶん、いろんな国でできることだと私は思いますよ。

「おもてなし」を誇るのは、本来の日本的な精神ではありません。伝統的なおもてなしは、さりげないものです。一期一会という言葉が茶道にはあります。これはその場では何のことかわからなくても、後から思い返したお客が「あ、あれはこういうことだったか」と気がつき、一度会っただけのことが、あとあと重要な重みを持ってくるような接し方のことです。

あらかじめ「自分たちは素晴らしいおもてなしをいたします」と予告しているのは、全く日本の伝統的な考え方ではありません。それはホテルマンの考え方でしょう。これはカズオ・イシグロが『日の名残り』で描いたような、イギリスの執事の文化に由来するようなものだと私には思えます。

しかし私の言い方は、やや非国民的かもしれません。
一方、DRさんは、日本に誇りを持っているんですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

少し前に「東洋の魔女」という質問をさせていただきましたが、「滅私奉公」ではないですが
何かに自分を捧げるという精神文化が日本には存在していました。
これは非常に高い精神性のもので、世界に誇れるものであると思っています。

しかし、現在の日本人はこれを完全に捨てようとしています。それなのに日本の旧来の文化を
たとえば「おもてなし」などの文化を誇りにしようとしているのがおかしいと言いたいという
ことです。

私も同じ非国民ですよ。

お礼日時:2017/03/25 00:07

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q過保護に育ち、甘ったれた自分勝手な論理も自由?

国際交流が盛んになって久しい日本ですね。
諸外国の様々な文化が入り混じり、民主化が進みました。
もちろん、いいことでしょうね。

しかし、子育ても自由になった中で、過保護に育った人間の自分勝手な論理も目につきます。
自由を振りかざし、自分勝手な自己弁護の論理も堂々と表現します。

例えば、心身共に虚弱なためにニート生活を余儀なくされてる人は別として、”ニートのどこが悪い”と豪語する若者もいます。

過保護が生み出した自分勝手な若者の論理、それも自由でしょうか?

Aベストアンサー

>過保護が生み出した自分勝手な若者の論理、それも自由でしょうか?

要はお前の考えは間違っていると、そういう若者に対して叱ってよいのかということを問いたいのですよね?
もしもその若者の論理も自由であるならば間違ってるなんて言っちゃいけないと考えてしまいがちですもんね

結論から言うと否定できます
その根拠は自由であることと、それが正しいかどうかということは全く別問題だからです
”ニートのどこが悪い”と豪語するのは自由ですが、自由はその考えを肯定も否定もしません
つまり何を考えても自由ですが、それは自由であることを理由に正しいとは言えないわけです
だから若者に対してお前の考えは間違っていると言うことができます

また我々がこの社会で自由という言葉を発する際の共通の理解があるはずです
それは法に反しない限り、他人の権利を脅かさない限り、人の迷惑にならない限り
など常識的な括弧がつくはずです
なので自由の内容が反社会的であったりするならそれは我々が認める自由の範疇を超えるため
この場合は自由そのものを明確に否定できますし
それらの括弧を守る限りは他人の意見を否定するのも自由であるはずです

>過保護が生み出した自分勝手な若者の論理、それも自由でしょうか?

要はお前の考えは間違っていると、そういう若者に対して叱ってよいのかということを問いたいのですよね?
もしもその若者の論理も自由であるならば間違ってるなんて言っちゃいけないと考えてしまいがちですもんね

結論から言うと否定できます
その根拠は自由であることと、それが正しいかどうかということは全く別問題だからです
”ニートのどこが悪い”と豪語するのは自由ですが、自由はその考えを肯定も否定もしません
つまり何を考えても自由...続きを読む

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Q時代は変わったね(ずいぶん前からだけど)

少し前にテレビで若い女の子が、王貞治の言葉(確か努力についてのことだった)を
あっさりと否定していたことがあり、少し驚いたことがありました。

最近の若い人が作る歌を何気なく聞いていると、「夢ばっかり言わないでね」とか
「努力はたいてい報われない」なんてセリフがよくあります。

それが、けしからん、なんてここでは言いませんが、「夢」「希望」「努力」「忍耐」
などの、かつて日本人が美徳とした価値観を否定(回避?)する思潮は、そのかわりにど
ういう価値観を持っているのだと思いますか?

Aベストアンサー

こんにちは。
世間の10代~20歳前後の子供たち、二極化してるような感じはあります。
表現の世界とか、勝負の世界とか、努力や忍耐で掴みたいものがある子らには孤独な面もあるでしょうね。孤独というか、孤立というか。
いつの時代でもそうならざるをえないものですが、特に今は孤立が際立ちますから。
そういうスタンスを認める空気が、あるところにはあるわけですが、一方で、黙々と努力する泥臭いような孤立状態を、ださい、イケてない、なんか感じ悪い、なんか別世界、的な価値観で見ている、群れて繋がる子たちがたくさん居ますね。彼らも、肩書きを手に入れた成功者のことは大好きなんですけどね。
実力主義、成果主義な物の見方だけは植えつけられているのだけれど、時間も手間もかかり、意志を貫く必要のある事柄について、あんまりわかっていないんじゃないかなあ、と思います。大人が、そういう姿やそういう世界を見せてこなかったツケだと思います。

Q人びとはなぜ神のことが分からないのか

1. 神などはいるもんかと言う。
――けれども いると言ってもいないと言っても何と言っても そのことに
よって神が決まるなどということはあり得ない。《絶対》なのだから。

2. 人間がこしらえたものに過ぎないと言う。
――けれども こしらえることが出来たなら 神は人間のあやつり人形にな
る。《絶対》ということを知らないから そんなお遊びをしている。

3. 神は 精神だと言う。概念だと言う。
――けれども 精神も概念もは 人間のもの。自然本性としてそなわったも
の。《絶対》がどうして この有限で相対的でうつろいゆかざるを得ない経
験事象であるのか。



人びとはどうして神のことが分からないのか?

Aベストアンサー

遅くなりました・・・すいません^_^

悪の体験をすることも、望んでいる・・・という所ですか・・・

正確には、望んでいるとはいえないのですが・・・要するに、望んでも、望んでいなくともない・・・という事です

神には、望みはひとつしかありません
・・・それば、すべてを経験することです、いい事も悪いことも含めた、すべて です!

だから、神は、価値判断もしないし、優劣もつけません、ただ経験を観察したい・・・という希望を持っています

だから、すべての人のあらゆる行為や考え方を否定せず、ただ見守ります

その人が、悪事を働く場合も、否定をしません・・・なぜなら、その人が良い行いをする為には、正反対の悪い事とは、なんなのか・・・という経験も必要だからです

だから、神は最終的には、良い人を支持するのでしょうが、途中経過としては、悪の経験も必要だと考えます

正義を知る為には、悪を知る必要があります

ちょっと、違ういいかたをすれば、例えば、よく思うのですが、私は、いつも、ワガママな人とかに、あった場合、イライラしてしまいます

そして、自分を人として、ダメな奴だな〜〜と自己嫌悪におちいります

でも、そんなダメな奴でも、天国に行って、いい人のなかにいれば、それなりに、徳がある人の様な振る舞いはするだろうと思います

しかし、天国の様な場所では、悪い人がいませんから、こんな私でも、徳のある人の様な、振る舞いをしますが、この世に戻って、イライラする人に会えば、また自己嫌悪するような、行動を起こします

つまり、私には、自己嫌悪する様な、要素があるにもかかわらず、それを出させる対象物がなければ、その状態には、なりません

言い方を変えれば、その人に、悪の心があっても、それを引き出す 要因が無ければ、その人は、悪の心を出せません

では、悪の心を持ったまま、それに気づかずに、過ごすのと、悪の心をしっかり認識する為に、悪の経験をするのと・・・どちらが、良いのでしようか?

もし、不本意ながら、自分の悪をしっかりと受け止めたい場合は、悪の経験も必要になります

だから、神は、悪も否定しません、
よく、神と聞いて、慈悲あふれる神を想像する方は、神の半分しか理解していない といわれます

だから、悪を望んでいる訳ではないですが、否定している、訳ではありません・・・どちらも、成長する為に必要な要素なのです・・・

遅くなりました・・・すいません^_^

悪の体験をすることも、望んでいる・・・という所ですか・・・

正確には、望んでいるとはいえないのですが・・・要するに、望んでも、望んでいなくともない・・・という事です

神には、望みはひとつしかありません
・・・それば、すべてを経験することです、いい事も悪いことも含めた、すべて です!

だから、神は、価値判断もしないし、優劣もつけません、ただ経験を観察したい・・・という希望を持っています

だから、すべての人のあらゆる行為や考え方を否定せず、た...続きを読む

Q神についての勘違いが なぜあとを絶たないか?

このような問いかけをすると 問い求めやすいかも分かりません。


A. 神は 精神であるという勘違い。
――勘違いでなければ 精神を持つ人間がそのまま 神であることになる。

B. 宗教を信じるという矛盾した言い方。
――宗教とは 一般に教祖・教義・教団を前提とするゆえ 人間の能力に
かかわっている。これを・つまりは要するに人間の存在および能力の一般
をけっきょくは信じるというおかしなこととなる。

C. 同じく 教義を信じるという間違い。
――教義は 人間の言葉で表わされている。ゆえに 人間の身体=精神的
な能力とその行為成果であるに過ぎない。オシヘは 神秘の部分をふくむ
けれど けっきょくは経験思想であり 倫理規範である。やはり 精神主
義的な人間信仰ないし《信念の人》主義となってしまう。

D. 要するに 神を人間の理性や想像力によって 表象しうると思ってい
る間違い。
――表象し得たならば その対象物は 人間の行為成果である。想像と思
考の産物である。《人間の能力》信仰となる。



ひとことで言えば 偶像崇拝という勘違いではないか。
 
偶像は 神本体の仮りのシルシです。正解へとみちびく補助線です。

オシヘが 偶像なのです。仮りの表現としての偶像です。神を指し示すた
めのシルシです。

人びとは 指の先を見るのではなく 指を見ている。

いかに?

このような問いかけをすると 問い求めやすいかも分かりません。


A. 神は 精神であるという勘違い。
――勘違いでなければ 精神を持つ人間がそのまま 神であることになる。

B. 宗教を信じるという矛盾した言い方。
――宗教とは 一般に教祖・教義・教団を前提とするゆえ 人間の能力に
かかわっている。これを・つまりは要するに人間の存在および能力の一般
をけっきょくは信じるというおかしなこととなる。

C. 同じく 教義を信じるという間違い。
――教義は 人間の言葉で表わされている。ゆ...続きを読む

Aベストアンサー

「神=究極の実在」は人間にとって非経験事象であるから、分かるはずのないものである。
しかし、宗教では「神」「仏性」などがそれであるとして、これを信ぜよとしている。
それが、正しい「神=究極の実在」であるはずがない。間違いである。
間違ったものを信ずれば、幸せにはなれない。
だから宗教は間違いである。

簡単に言えばこういうことであると理解しました。

であるならば、次のことが言えると思います。

「直観知=ヒラメキ」によって、「神=究極の実在」を覚知してしまうことが「ない」と
言いきれないだろう、ということ。
それは、「神」は「梵我一如」で自分の中にあり、ヒラメキや良心などから「一端」にせ
よその存在を常に感じることが可能であるから、完全に「非経験事象」とは言えないと思
うからです。
また、生まれ持った資質、努力の量と質によって、自分の中にある「神」の全体像を感じ
取ることは全く可能なことに思えます。

要するに、「神」は完全な非経験事象ではないから、「分かるはずのないもの」(とお考え
ならば)とは言えない、ということです。


>オシへは言葉で表されています。ゆえに考えるものであり、信ずる(無条件で受け容れる)
ものではない。

これは、信仰の微妙で難しい点をご指摘している気もします。
信ずべきものを正しく信じているか、です。
言葉や仏像やキリストの像などの「イメージ」によって惑わされていないか?聖職者自身も
含めて。
教義というものは本来、信者を正しい信仰に導くためのものであるはずですが(だから常に
研究を怠ってはならないのですが)不勉強により、逆に教義が独り歩きしてしまうというこ
とが、残念ながら往々にしてあると思います。

長くなりましたので、今回はここまで。

「神=究極の実在」は人間にとって非経験事象であるから、分かるはずのないものである。
しかし、宗教では「神」「仏性」などがそれであるとして、これを信ぜよとしている。
それが、正しい「神=究極の実在」であるはずがない。間違いである。
間違ったものを信ずれば、幸せにはなれない。
だから宗教は間違いである。

簡単に言えばこういうことであると理解しました。

であるならば、次のことが言えると思います。

「直観知=ヒラメキ」によって、「神=究極の実在」を覚知してしまうことが「ない」と
言いきれな...続きを読む

Q対岸の火事(は消してはいけない)、、、?

哲学のカテゴリーでご活躍の諸兄にお考えを伺いたく、質問いたします。

「対岸の火事」に対して、人はどのように対処するべきでしょうか。

1.対岸の火事は、傍観するしかないし、傍観するべきである。
2.対岸の火事であっても、傍観はいけないし、彼岸に渡って消火活動をするべきだ。
3.対岸の火事といってもその規模により、彼岸で済むなら傍観、(CO2やPM2.5などで)此方にも害が及ぶと予想されるなら防衛的な消火活動をするべきである。

哲学の問として成立するのかどうかよくわかりませんけど、諸兄のお考えをお聞かせください。

Aベストアンサー

1。

起こってしまったものは仕方がない。

缶ビール2本持参して見物だ。

Q以下の6人のニートについて、良い二―トと悪いそれとに評価して下さい。

先日、このカテで、二―トついて質問があり、nak777r様の回答に興味を惹かれました。それは、次のように、6人の二―トが上げられていました。

<A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
 B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
 C・20歳で宝くじ7億円当選、現在ニート
 D・自分のコンピュータが代わりに自動で働いていくれている、実質ニート
 E・月極の駐車場の管理人収入で、実質ニート
 F・親の金をあてにした、ニート >
 なお、アルファべットは、質問者(私)が付加したものです。

さて、この6人のニ―トについて、良い二―トと悪いニ―トとに評価して下さい。

(ちなみに、私は、良い二―トは、AとEであり、それ以外の4人は悪いニ―ト、と思います。

理由は、二―トを含め人は、この社会(他人)から恩恵を受けております。食べ物は、他の誰かが作り、配給してくれたものです。呼吸する空気も、誰かが清浄なように監視しています。水も、誰か供給してくれたものです。電気も道路も、社会の誰かが用意してくれたものです。

自分には金があるから、金さえ払えばよい、というわけにはいきません。各人が、自分が使う分に相当するものを、社会に貢献(還元)しなければなりません。したがって、人は、いくら金を持っていても、1月10万円ほどの労働やボランエア活動をし、社会に供給しなければならない、と思います。もちろん、老人・子供・心身の弱い人・妊婦などは除きます。)

二―トについて、良い悪いの評価をおろして下さい。

先日、このカテで、二―トついて質問があり、nak777r様の回答に興味を惹かれました。それは、次のように、6人の二―トが上げられていました。

<A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
 B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
 C・20歳で宝くじ7億円当選、現在ニート
 D・自分のコンピュータが代わりに自動で働いていくれている、実質ニート
 E・月極の駐車場の管理人収入で、実質ニート
 F・親の金をあてにした、ニー...続きを読む

Aベストアンサー

良い悪いの基準ですが、社会に対する
貢献度、貢献の有無から決める、という
のですね。


A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
   ↑
社会に対して貢献したのですから
問題ありません。
良いニートです。


B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
   ↑
これも「A]と同じです。
有能だったので、30歳で退職できたわけです。
彼の社会に対する貢献度は、「A]と同じか、
それ以上でしょう。


C・20歳で宝くじ7億円当選、現在ニート
   ↑
社会に貢献していませんのでアウトです。
ちなみに、英国の調査ですが、高額宝くじ
当選者のほとんどは家族崩壊などして
不幸になっているとのことです。


D・自分のコンピュータが代わりに自動で働いていくれている、実質ニート
   ↑
電脳を通して社会に貢献していますので
良いニートです。



E・月極の駐車場の管理人収入で、実質ニート
   ↑
その駐車場をどうやって入手したかに
よります。
有能の故であれば「B]と同じです。



F・親の金をあてにした、ニート 
   ↑
社会に貢献していないし、将来迷惑
かけそうですので、完全にアウトです。

良い悪いの基準ですが、社会に対する
貢献度、貢献の有無から決める、という
のですね。


A・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、55歳で早期退職し現在ニート
   ↑
社会に対して貢献したのですから
問題ありません。
良いニートです。


B・現在の預貯金と、老後の年金を考慮して、30歳で早期退職し現在ニート
   ↑
これも「A]と同じです。
有能だったので、30歳で退職できたわけです。
彼の社会に対する貢献度は、「A]と同じか、
それ以上でしょう。


C・20歳で宝くじ7億円当選、現...続きを読む

Q屁理屈と詭弁

「屁理屈」を辞書で引いてみると、
まるで筋の通らない理屈、道理に合わない理屈、とあります。

また、「詭弁」を辞書で引いてみると、
論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法、となりますので、
「屁理屈」と「詭弁」はもちろん違うものということになります。

要するに、「間違い」ということでは同じなのですが、「屁理屈」は間違いだと明らかに
分かりますので、「不愉快」ということ以外は実害はないと思います。

問題は「詭弁」です。

「詭弁」には何らかの意図がある場合が多く、またそれを証明することはできません。
そして、一般大衆においては、論理学をキチンと心得ていない人が大多数だと思います。

これは、そう簡単なこととは思えないのですが、「詭弁」に騙されないためには、どの
ような点に注意したらよいのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。緑萌ゆる季節になりましたね。
詭弁は、論理的思考や論理的対話におけるひとつのシステムと呼びうる地平で、誤謬を交えないことによって、制御できるものでしょう。

・要素であるものは何か、概念や共通理解をとおして明確であること
・作用また機能にかかわるような、必要な要素群は何と何か、明確に挙がっていること
・目的や結論をけっして要素としないこと
・木を見て森を見ないような視点を避け、何が部分であり何が全体であるかを区別し続けること
・論理は複数の論理と繋がっている構造物なので、論理間の正しさだけを問題とするのでなく、下位の論理について、ひとつでも複数でもいずれも正しくあること

こういう態勢にあれば騙されないと思いますよ。
ただ、言語活動の場合、要素とか部分とか、あるいは土台や隣接の論理とかが、経験的な合意形成だけで成り立つものですから、スルーッと流してしまう恐れがありますね。一方で、経験が蓄積されているほど、そうした経験的な合意の妥当性を判別することが出来るとも言えるでしょう。詭弁そのものを情報的要素とすることも可能だし、人間の知性の面白いところですね。

こんにちは。緑萌ゆる季節になりましたね。
詭弁は、論理的思考や論理的対話におけるひとつのシステムと呼びうる地平で、誤謬を交えないことによって、制御できるものでしょう。

・要素であるものは何か、概念や共通理解をとおして明確であること
・作用また機能にかかわるような、必要な要素群は何と何か、明確に挙がっていること
・目的や結論をけっして要素としないこと
・木を見て森を見ないような視点を避け、何が部分であり何が全体であるかを区別し続けること
・論理は複数の論理と繋がっている構造物なの...続きを読む

Q唯我独尊は治りませんか?

いろんなことを考えるのは自由ですね。
哲学についても同様です。

ただ、自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。
自分の考えも、他の人の考えも共に尊重していきたいものです。

孤独の中で考えていると、どうしても自分の考えだけが正しいという結論にたどり着いてしまいます。
そうなると、他人が馬鹿に思えてしまうようです。

どんな考えも自由ですが、他の違う考えにも耳を傾けたいものです。
そうでないと、誰にも理解されず、最終的には自分が疲弊していきます。

人生も半ばを過ぎると、唯我独尊はなかなか治らないものですか?

Aベストアンサー

記憶によると、「天上天下、唯我独尊」だと思いました。
詰まり、当時は色々な宗教が、ごちゃごちゃしてましたので、
「新しい価値観を、自分が切り開いていく。」みたいな意味合いで
理解していました。

それはいいとして、「唯我独尊」と釈迦の言葉と結びつける
必然性もないし、確かに「己を信じる。」と言う意味では、
良いのではないか、と思います。

問題は、「自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。」です。

少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を
他者に依っています。

先ず、それを認めることが重要です。

教育を受け、書を読み成長してきたのであれば、それは
先人の知恵を頂いてきた事でもあります。
このことを謙虚に認めないといけない、と思います。
認めて初めて、他者に耳を傾ける事が、出来る。

哲学も同じでしょう。
私は、哲学で、路傍の石ひとつも動かせるわけでもなかろうに、と
思っていますが、それでも、存在を全く否定している訳でもありません。

しかし、独善的な論理構成と結論には、悲哀を感じます。

そういう人は、自分が受けてきた教育や読破した書の価値が
理解できていない。
どのように自分の血となり肉となったか、の理解も出来ていない、と
思っています。

まあ、病気なんだと思っています。

記憶によると、「天上天下、唯我独尊」だと思いました。
詰まり、当時は色々な宗教が、ごちゃごちゃしてましたので、
「新しい価値観を、自分が切り開いていく。」みたいな意味合いで
理解していました。

それはいいとして、「唯我独尊」と釈迦の言葉と結びつける
必然性もないし、確かに「己を信じる。」と言う意味では、
良いのではないか、と思います。

問題は、「自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。」です。

少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を
他者に依っています。

...続きを読む

Q【観覧注意】 ごめんなさい。 どうしても考えてしまうので、もう一度質問させてください。 こんばんは。

【観覧注意】
ごめんなさい。
どうしても考えてしまうので、もう一度質問させてください。
こんばんは。
少し重くて哲学的な話になってしまうのですが
よければよろしくお願いします。

ネットでこんな記事を読んでしまいとても怖くて仕方が無いです。
これについて考えているとこの記事に考えを合わせてしまって、死んだ後生きている人と違うパラレルワールドか何かになって時が自分だけ止まるとしたら、とか辻褄合わせをしてしまって信じてしまいそうです。

私の仮説は
死ぬと苦しかったり痛かったりそのまま脳が止まる、時間が止まる→永遠に感じ続ける
というものです。
もしくはこれを信じてしまった人のみ起こる、とか。
考えが止まりません。
本当に怖くて、よければこれに対する意見をお聞きしたいです。

重くてごめんなさい。
よろしくお願いします。

高校生なのにこんなこと考えている自分が怖いしもしかしたら警告か何か?と思ってしまいます。。。

Aベストアンサー

>>ネットでこんな記事を読んでしまいとても怖くて仕方が無いです。
これについて考えているとこの記事に考えを合わせてしまって

この記事 デタラメでしょうね。

 息子さんが後に インタビューに応じていますが、彼女は死を恐れるものとは考えておらず、卒業のようなものと考えていたそうです。それと、星とダンスするのが楽しみで、お迎えが来るのを待ちわびていたんだとか。
 また最後の数ヶ月間は、世界中からやってくる友達と話をしたり、タバコを嗜んだり、穏やかに過ごしていたそうです。

 ちなみに彼女自身は死について「蝶が繭をぬぎすてるように、肉体を離脱し、更に高い次元の意識に到達する過程である。そこでは引き続き、学習したり、笑ったり、成長もする」ということを言っていたそうです。

P.S
一応私が参照したサイトのリンク貼っておきます。もちろん英文ですが、大学入試程度の難易度ですので、勉強がてら読んでみてください。
http://www.nbcnews.com/id/5820045/ns/health-health_care/t/death-dying-author-kubler-ross-dead/#.WOL7RRjCNE5

>>ネットでこんな記事を読んでしまいとても怖くて仕方が無いです。
これについて考えているとこの記事に考えを合わせてしまって

この記事 デタラメでしょうね。

 息子さんが後に インタビューに応じていますが、彼女は死を恐れるものとは考えておらず、卒業のようなものと考えていたそうです。それと、星とダンスするのが楽しみで、お迎えが来るのを待ちわびていたんだとか。
 また最後の数ヶ月間は、世界中からやってくる友達と話をしたり、タバコを嗜んだり、穏やかに過ごしていたそうです。

 ちなみに彼...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報