クラシック音楽演奏者の養成学校として有名なのはジュリアード音楽院、パリ国立高等音楽院、ウィーン国立音楽大学などが思い浮かびますが、それでは日本の東京芸大と桐朋のレベルについてはどれくらいになるでしょうか?この2校の卒業生は国際コンクールの入賞者を結構出しており、そこそこいくように思うのですが。

↓このランキングによると東京芸大は100位にも入っていないようですが、これは「舞台芸術」のランキングであり、今回の主旨(音楽)とは違います。
http://violinear.com/world-university-ranking-re …

質問者からの補足コメント

  • 藝大と桐朋の世界におけるレベルがどれくらいかを聞いています。
    欧州の本場の方がレベルが高いのか、藝大・桐朋も負けていないのか。

    最近の国際音楽コンクールには東洋人がけっこう入賞していますから、それなりにレベルが高いと思うのですが。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/04/18 07:17
  • 藝大や桐朋は別格に難しく、ヨーロッパの音楽学校にも比肩できると思うのですが。
    藝大と桐朋の世界におけるレベルはどの程度なのでしょうか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/04/18 07:22

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A 回答 (4件)

No.1の回答で充分と思って見ていましたが、どうも簡単にはいかなそうなので、少し詳しく解説します。


内外の音大の事情を直接知る者です。

大学というのは、それぞれ設置している専攻科目も違うので単純比較はできず、
ランキングはもともと無理で、意味もありません。

たとえばウィーン国立音楽大学は、「演劇・音楽大学」が正式名称です。
ヨーロッパでは、テレビドラマや映画よりも演劇の方が重要で、
ここの卒業生の多くが舞台俳優として活躍しています。
一方東京芸大には演劇科がく、音楽学部には日本の伝統音楽を専攻する邦楽科が、
美術学部には日本画科があります。
これらを専攻した人の活躍の場は主に日本に限られます。
この二つの例からだけでも比較するのが無理だということがわかります。

ネット上の情報を見るときは、注意しなければならないことがたくさんあります。
リンク先のホームページは、公的機関や研究団体のサイトではなく、個人が趣味で作成しているサイトです。
作成者のプロフィールには、楽器も弾けない、楽譜も読めない、とあります。
引用したランキングがどういうものかも調べていないようで、記事そのものの内容も誤解を招くものです。

このランキングを見ると、聞いたことのないインドネシアの大学が並んでいたりして、
不自然であることがすぐにわかります。
調べたところ、この企業のランキング調査の対象に音楽大学が含まれるようになったのは2016年。
リンク先のランキングはその年の結果で、まだデータが集まっていません。
今年のランキングを見ると、東京芸大ではなく東京大学が突然38位に入っており、
大阪大学が100位以内に入っています。
https://www.topuniversities.com/university-ranki …

このランキングについてはドイツでも「お粗末なデータに基づいている」として、
「das ranking ist kranking」という見出しで批判が書かれているサイトがあります。
「kranking」はダジャレで、「krank」は「病気」の意味ですが、
ミュンヘン音楽大学やザルツブルク・モーツァルテウムがこんなに評価が低いわけがないと論評しています。
http://blogs.nmz.de/wm2014/2016/04/01/musikhochs …

このランキングの選考基準は、卒業生が舞台芸術の世界で活躍しているかどうかとは全く関係がなく、
判断の基準になる評価指標は、以下の項目と評価配分です。

各国学者のビア・レビュー 40%
雇用者の評価 10%
学生一人あたりの教員比率 20%
教員一人当たりの論文引用数 20%
外国人教員比率 5%
留学生比率 5%
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C …

つまり、この調査は完全に「学究的見地」から行われているもので、
卒業生が音楽の世界で活躍しているか、コンクールで入賞しているかは反映されていません。
上位にイギリスの大学が多いのは、イギリスの企業の調査による偏りのようにも思えますが、
同時にアメリカの大学がたくさんランクインしていることを考えると、
論文の査読と引用が評価指標の60%を占めることから、
英語圏の大学の評価が必然的に高くなるということでしょう。
東京大学がランクインしているのも、文学部や哲学科の学生や教員が、
芸術関係の論文を英語で書いているから、という可能性が考えられます。
音楽大学の場合は、卒業演奏や卒業作品であり、論文というのは、音楽学専攻をのぞけばほとんど問題になりません。
このようなランキングを発表している機関はほかにもありますが、方法は似た様なもので、
「舞台芸術」で検索しても、上のランキングとは全く異なり、
オーストラリアのシドニー大学が1位表示されたり、なぜか「工科大学」がランクインしたりしてします。
ドイツに優れた音楽大学がたくさんあるにもかかわらず上位に入っていないのも、上のような理由からでしょう。

では実際はどうかというと、ここにもやはり国ごとの学制、価値観、伝統、社会的評価の違いがあり、
単純に比較することは不可能です。

一般によく言われますが、日本の大学は入るのが難しく出るのが簡単、
欧米の大学は入るのは簡単だが出るのは難しい、ということがあります。
音楽大学も例外ではなく、東京芸大や桐朋学園の入試はレベルが非常に高いです。
ヨーロッパは、国と大学によって違うとは思いますが、日本ほどではなく、
入学後の学生全体の技術レベルという観点から言えば、
日本の音大生のレベルの方がむしろ高いかもしれません。
そして、芸大や桐朋で学んだだけでも、国際コンクールで入賞したり、
ヨーロッパの名門オーケストラに採用されるだけの力をつけられたりする可能性は十分にあります。
ヨーロッパの音楽関係者の間でもこれらの音大の名前はよく知られており、
「芸大ならば」、という信頼は持たれています。
しかしその一方、日本の音大生、音楽家は、技術はあるが音楽性がない、という批判は数十年前からあり、
この点はいまだに十分克服できているとは言えません。
たとえば、前々回のショパンコンクールでは、日本人参加者は一人も本選に進めませんでした。
コンクール後の審査員講評では、「日本の参加者は、楽譜通りに弾くだけでなく、もっと音楽を感じて弾かなければならない」
と指摘されました。前回のショパンコンクールでも受賞者は出ていません。

ヨーロッパの音大で、学内のクラス発表会などを聞くと、
技術的には荒削りでも、音楽的で、一人ひとりが個性的な演奏をのびのびとやっています。
このような日本の音大生、音楽家の欠点の原因の一つは、教え方にあります。
ヨーロッパの大学などでは、技術や音楽表現について、具体的かつ論理的に、
どうしたらよいか、なぜそうなるか、を明確に説明できる教師がたくさんいます。
日本の場合、やや曖昧な精神論で済ますきらいがあります。
教師と学生の関係も、日本では上下関係になる傾向が伝統的にあります。
ヨーロッパの学生は、たとえやっていることが間違っていても、
自分はこう考えたからこうした、という主張をし、教師と議論をします。
日本からの留学生に対する教師の印象も、先生に言われたことはきちんとやるが、
それ以上のことをやろうとしない、という評判を聞くことがあります。
こういった点は、大学のレベルの問題ではなく、民族性や気質の違いに起因するものでしょう。

コンクールでの業績も、必ずしも評価の指標にはなりません。
先ほど挙げたショパン・コンクールなどは、「ショパンの演奏はこうあるべき」という権威の認める演奏スタイルがあり、
それからはずれた個性的な演奏をすると、技術的、音楽的に優れていても落とされます。
そういうこともあって、現在ショパン・コンクールはヨーロッパの学生の間では人気がなく、参加者も減っています。
アジア人の入賞者が増えるのは、アジアの音大のレベルが上がったというより、
参加者の比率が変わったことに原因があります。
すべてのコンクールが不当な評価を下しているとは言えませんが、
審査員の中の特に力を持つ人が、自分の弟子を入れるためにほかの参加者を落とすとか、
審査員の息子が優勝したのが問題になり、次の回から、審査員の家族、親族は参加できないという規約に変更された例もあります。
コンクールの裏事情については、信用できる話からデマに到るまでいろいろあります。
ヨーロッパの若者には、当然、審査基準の不透明なコンクールよりも、
実力で地道にキャリアを積む方がよいと考える人が多くなります。
むしろそういうやり方が本来の行き方で、コンクールが盛んになるのは現代になってからですが、
そういう伝統が残っているヨーロッパと違い、日本などはやはり経歴や受賞歴が重視される傾向があるので、
どうしてもやらざるを得ないという事情はあります。

あとは、個々の音大の特徴や長所、短所があります。
ジュリアードなどのアメリカの音大も、どちらかというと技術は優秀ですが、
ヨーロッパの本格的で伝統的な演奏法とは少し異なる部分があると思います。
しかしその一方、ジュリアードなどは、かつて名教師と言われる人がいて、
そういう教師を求めてやって来る生徒がいました。
ヨーロッパの音大生にしても、一つの大学で学んだあと、特定の教師にさらに習いたいということで、
その教師が在籍する大学に移ってさらに研鑽をつむのはごく普通の道です。
芸大、桐朋の卒業生でも、海外で活躍しているような人は、
さらに欧米の音大で勉強をつづけた人が大部分と思います。

欧米の一流音大の学生でもダメな人はたくさんいますよ。
結局のところ、個々の学生が、何を学びたいのかという明確な目標意識を持ち、
それに一番適した大学や教師を選び、自分で道を選ぶものであって、
大学全体のレベルや名前による格の違いという話題は、通俗的なものになりがちです。
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この回答へのお礼

詳しいご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2017/04/18 19:02

No.1です。



>藝大と桐朋の世界におけるレベルがどれくらいかを聞いています。
>欧州の本場の方がレベルが高いのか、藝大・桐朋も負けていないのか。

私の感覚では、世界一流です。
世界中のオーケストラには、ヨーロッパでもアメリカでも、弦楽器を中心にかなりの数の日本人がいます。現地の音楽大学出身の方も多いのでしょうが、藝大や桐朋を出てから海外に出た人も多いと思います。また海外の音大出身者も、基礎を学び高校生ぐらいまでは日本にいた方がほとんどだと思います。藝大や桐朋には、そのぐらいのレベルの人がたくさんいるということです。

小澤征爾さんが率いていた「サイトウ・キネン・オーケストラ」は、技術レベルでは間違いなく世界超一流のオーケストラです。最近は海外からのメンバーも増えましたが、当初は斎藤秀雄門下生つまり桐朋OBが中心でした。
(ヨーロッパのオーケストラが優れているのは、「技術」面だけでなく「伝統」とか「自然に身に付いているもの」なのだと思いますが)

海外を含め、コンクールには毎年日本人が多数入賞しています。


>最近の国際音楽コンクールには東洋人がけっこう入賞していますから、それなりにレベルが高いと思うのですが。

私は、コンクールというものをあまり信用していません。

コンクール入賞者の趨勢を見ると
(1)ソビエト崩壊前は、ソビエトおよび東欧諸国からの入賞者が多かった。=国家の威信をかけてのコンクール攻勢。スポーツ界での「ドーピング」を想像してみてください。
(2)ソ連崩壊後は、日本、韓国。
(3)最近では中国。
この傾向を見て、何か気づきませんか?

発展途上国が、まず経済分野で成長し、次に文化面で「一流化」を目指すという構図です。
豊かなアメリカや西欧からの「大量入賞者」はあまり出ていないと思います。ウィーンやパリ音楽院出身の入賞者も、中国、韓国、日本からの留学生、というケースが多いのではないでしょうか。

欧米特に西欧は「文化面でも一流になったことを示す」必要がないので、「勝つ」ことよりも「楽しむ」(聴衆、審査員の側、支援する側に回る)ことに重きを置いているような気がします。

No.1で「こと芸術に関しては、「ランキング」など無用のもの」と書いたのは、そんな意味も含んでのことです。
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この回答へのお礼

詳しいご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2017/04/18 19:03

日本人は日本語で授業をすることから情報得にくかったり


ヨーロッパに行けば民謡やクラシックの元になった基本的なリズムを生活の中から
得ることができるし・・・。
ヨーロッパに行きたかったな・・・。
日本人は外に出たがるのでは?

貨幣価値についても考えなくてはならないじゃないですか?
韓国の家族が子供をヨーロッパに留学させるのは日本以上に大変ですよね。
この回答への補足あり
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こと芸術に関しては、「ランキング」など無用のものと思います。



コンクールに関しても、その大学を出たから入賞したのか、コンクールに応募し続けるために「その大学にいる」のか、「原因と結果」をどう結び付けるかの問題もあります。しょせんは「学校」ではなく個人の持つ能力かと思います。
日本では活躍の場や周囲の環境が限られるので、早いうちからヨーロッパに留学して本場の環境に身を置く人も多いようです。

コンクールに関しては、藝大、桐朋だけでなく、最近は東京音大、上野学園など、いろいろ頑張っていますよ。

上野学園
http://www.uenogakuen.ac.jp/university/news/2017 …
 辻井伸行さん:上野学園大学。2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝。

東京音大
http://www.tokyo-ondai.ac.jp/about/2016Competiti …

桐朋
http://www.tohomusic.ac.jp/college/lesson/concou …

藝大は海外・国内コンクールの常連ですが、大学自体は受賞者を特別扱いはしないようで、ホームページにも特別な記載はないようです。
この回答への補足あり
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Aベストアンサー

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

ただし、東京芸大の、それも大学院卒の俳優である伊勢谷友介さんがテレビでおっしゃっていたと記憶していますが、東京芸大は貧乏人を算出する大学だそうです。つまり、極めて優秀な芸術家を輩出する大学なわけですが、そもそも芸術家は芸術を生み出す人なわけで、お金を生み出す人ではないので、お金儲けにはつながらないのです。

「難しい大学を出る=安定した生活を送る」という理論に基づいて考えれば、芸大は「難しい大学」ということには確かにならないかもしれません。でも大学は本来、学問をするところです。そして東京芸大が、人の心や感覚をゆさぶるような優れた芸術を生み出すための優秀な教育を施してくれるのは事実です。東京大学法学部を出ても優秀な芸術家にはなれませんが、東京芸大を出れば優秀な芸術家になれる可能性が極めて高いのです。そして、あくまでも芸術家として優秀なだけであって、優秀な教師を育てる大学ではありませんので、中学教師として劣っていたとしても、まったく不思議ではありません。

ちなみに、私の中学時代の美術の先生は、当時、現役の東京芸大院生でしたが、実践的なことと芸術的なことの両方を楽しく学べる工夫をしてくださった、人としてもすばらしい愉快な先生で私は大好きでした。今は東京芸大以外の芸術系の大学などで教えながら、たまに展覧会を開いておられるようで、作風は変わりましたが、当時と同じジャンルの芸術を生み続けておられるようです。

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

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バッハは宗教音楽を多く作曲しているから違うとしても、ベートーベンやショパンなんかは完全なポピュラー音楽だったのではないでしょうか。

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No.9です。きりがないので最後にします。

>権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

時間のことを言っているのではありません。「権威」になるのは「大衆」に認められることによってではなく、その時点における「権威」に認められることによってそうなるということです。

バッハは、約100年「忘れ去られ」ていました。それを復活させ、「音楽の父」としてドイツ音楽の権威づけの基礎にしたのは、メンデルスゾーンやその時代の「批評家」たちです。その辺のからくりは、No.6に挙げた 岡田 暁生著「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏」(中公新書)に詳しいです。

クラシック音楽(特にドイツ音楽)がどのように成立したかは、こんな本も読んでみるとよいかもしれません。
ご紹介したような本もお読みなった上で、あとはご自分で考えていただければよいと思います。私の説明を押し付けるつもりはありませんので。

ハンスリック著「音楽美論」(原著は1854年)
https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%BE%8E%E8%AB%96-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9D%92-503-1-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4003350316

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https://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A8%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%AE%B6-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%9D%92-502-1-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4003350219/ref=pd_sim_14_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=MGRS25VPQ4NG24D0TDXQ

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>権威というのはある程度の時間とその分野における支配的地位が必要です。確かにベートーベンの生存時はバッハは権威だったでしょう。でも、その曲が生まれた当時はその作曲家も若く、権威が持てたはずはありません。

時間のことを言っているのではありません。「権威」になるのは「大衆」に認められることによってではなく、その時点における「権威」に認められることによってそうなるということです。

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クラシック作曲家は他の作曲家、たとえばブルックナーが3番の交響曲でワーグナーを引用したり、またジョン・アダムズが『Absolute Jest』という作品でベートーヴェンの交響曲第7番を引用しています。
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No.2です。「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。
引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。

 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R.シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。いくつ分かるかな・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=9YU-V2C4ryU

 ショスタコーヴィチは引用の天才で、交響曲第15番に限らず他人の作品、自分の作品を自由に引用して使っていますね。
・ピアノ協奏曲第1番の冒頭は、ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情」の引用。「リスペクト」ととるべきか「パロディ」と考えるか。
・有名な交響曲第5番の第1楽章第2主題は、提示部では短調なので気づきませんが、再現部で長調になるとビゼー「カルメン」のハバネラの合唱にカルメンが乗せて歌うオブリガートの引用であることが分かります。
・いろいろな曲への自分のイニシャル(D-Es(=S)-C-H」の引用。スターリン死亡直後の交響曲第10番や弦楽四重奏曲第8番など。
・交響曲第11番「1905年」に、たくさんの革命歌を引用。体制へのすり寄りか、革命の原点へのオマージュか。(ショスタコーヴィチ自身は父親も含めて革命に共感していた)
・弦楽四重奏曲第14番は、弦楽四重奏曲を初演してきたベートーヴェン弦楽四重奏団の創設以来のチェロ奏者「セルゲイ・シリンスキー」に献呈され、自作のオペラ「マクベス夫人」からのカテリーナが愛人セリョージャを歌うアリアがチェロに引用されます。「セルゲイ」の愛称が「セリョージャ」なので。
・最後の作品となったヴィオラソナタには、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」が引用されます。

 バルトークは、亡命先のアメリカで死の病の中で作った「管弦楽のための協奏曲」で、第3楽章「悲歌」に自作のオペラ「青髭公の城」から「涙の湖」の主題を引用するとともに、第4楽章「中断された間奏曲」に、直前にアメリカ初演されたショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」第1楽章の主題(侵攻の主題、これもレハール「メリー・ウィドウ」の引用)を嘲笑するように引用しています。体制を鼓舞するショスタコーヴィチを揶揄していると言われていますが、むしろこの曲のアメリカ初演権を争ったトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーやセンセーショナルに取り扱ったアメリカ音楽界を揶揄したのでしょう。

 思いつくだけで、いろいろな引用がありますな。

No.2です。「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。
引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。

 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R.シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。いくつ分かるかな・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=9YU-V2C4ryU

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Qフジコ・ヘミング について

最初にお断りしておきますが、これは、フジコ・ヘミングさんを誹謗するものではありません。 音楽家(芸術家)としての あり方についての 私見です。

先月、彼女のコンサートに行ってきました。 友人に誘われたのです。日本、L.A. NYC あたりだと $100 ぐらいするそうですが、安かったし、私の住んでいる州にくるので(それなら行こうかな。)と思ったしだいです。
個人的には彼女のこと、(素晴らしいピアニスト)とは思っていませんでした。ただ、日本ではかなり人気があること。 You Tube で、(魂のピアニスト、だとか、鳥肌が立ちました。)などという感想があったため、(どんな演奏かな?)と、聴きにいきました。

はっきり申し上げて、ひどかったです。 ミスタッチだらけ。 ベートーヴェン の Moonlight Sonata 第三楽章にいたっては、ミスタッチだけでなく、テンポもめちゃくちゃ。 おそらく、あの速さの曲はひけないのだろう、と思いました。十八番の ラ・カンパネラは 上手に弾いていらっしゃいました。 Chopin のノクターンも Interpretation はほとんどなく・・・・。

音楽に全く詳しくない友人も「やる気のなさ、がわかった。」と言いました。でも、彼女はミスタッチはわからなかったそうです。(多分、ピアノを弾かない人はそうかもしれません。) 聴衆(98%日本人)は スタンディング オベーションをしていましたが、私は失礼ながら”座ったまま”でした。 お歳もいかれているので 仕方が無い部分もあるかもしれません。人間ですから”気分がのらない時”もあるでしょう。 でも、プロでお金をとっているなら、それなりの演奏をするべきだと思います。 過去の彼女のインタビューに ミスタッチを指摘された際「人間ですもの、間違えるわよ。」とおっしゃったそうですが、プロならミスタッチを聴衆に分からないようにするべきだはないでしょうか。

あくまでも、私の私見ですが、日本で大人気の disability のピアニストも もし、彼が健常者だったらあれだけの人気がでただろうか、と思います。

スポーツ選手も芸術家も ピークというものがあります。 それを、著しく過ぎた方は潔くRetire するべきだと思います。 
音楽に造詣の深い方、フジコさんの演奏をどう 思われますか?
彼女の演奏は鳥肌が立つほど、素晴らしいですか?

 私の感性がおかしいのでしょうか?

私は、ラン・ランのコンサートでは鳥肌がたちました。

最初にお断りしておきますが、これは、フジコ・ヘミングさんを誹謗するものではありません。 音楽家(芸術家)としての あり方についての 私見です。

先月、彼女のコンサートに行ってきました。 友人に誘われたのです。日本、L.A. NYC あたりだと $100 ぐらいするそうですが、安かったし、私の住んでいる州にくるので(それなら行こうかな。)と思ったしだいです。
個人的には彼女のこと、(素晴らしいピアニスト)とは思っていませんでした。ただ、日本ではかなり人気があること。 You Tube で、(...続きを読む

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ホロヴィッツが初来日した際、「ひびの入った骨董」と酷評した故・吉田秀和氏。

もはや齢80歳、伝説的なピアニストを一目見よう(聴こう)と高額なチケットを求め期待に胸を膨らませて会場に足を運んだ聴衆たち。

ステージで弾いているのはまさしく本人。今までレコードやCDでしか聴いたことのない遠い存在の人が眼前に。

しかし、肝心な演奏は・・・ミスタッチだらけ・・・そこには確かにかつての世界的巨匠がいるのだが。

もはや骨董と化した伝説の名ピアニスト。

けれど、憧れの骨董品をやっとの思いで所有する喜び。残念ながらひびが入っている。価値は下がるがそれでも欲しい・・・

とにかく、生涯にあのホロヴィッツを生で聴けた・・・それが何より重要なのですね。

会場を後にした人たちは恐らく殆どがそんな思いを持ったのでは・・・?

で、フジコ・ヘミング。

勿論、第一級のピアニストでもなく、経歴等マスメディアにより持ち上げられた感が多分にあるようです。

ま、純粋なクラシックピアノ・ファンならば彼女の力量・レベル・知名度?を十分理解しているはずですので。

加齢によりテクニックの衰えを感じ自ら引退するか、それでもいいから熱望する聴衆の前に姿を現すか、

そのあたりは時のなりゆきに左右される場合があるのでしょう。案外、幾つになっても(出たがり?笑)かも。

ミスタッチだらけとしても、見てて(聴いてて)ホロヴィッツなどとは聴衆の受け取り方には明らかに違いがあります。

現に質問者さんもそう思われたのでは?

彼女に関して言えるのはこの位ですね・・・

ホロヴィッツが初来日した際、「ひびの入った骨董」と酷評した故・吉田秀和氏。

もはや齢80歳、伝説的なピアニストを一目見よう(聴こう)と高額なチケットを求め期待に胸を膨らませて会場に足を運んだ聴衆たち。

ステージで弾いているのはまさしく本人。今までレコードやCDでしか聴いたことのない遠い存在の人が眼前に。

しかし、肝心な演奏は・・・ミスタッチだらけ・・・そこには確かにかつての世界的巨匠がいるのだが。

もはや骨董と化した伝説の名ピアニスト。

けれど、憧れの骨董品をやっとの思い...続きを読む

Qピアノの先生・・・単純な疑問

大人でクラシックピアノを習っています。 5歳から12歳まで(日本で)と、大人になって6年間。
現在、海外に住んでおり、数年後の帰国を考え 先生探しを始めました。 日本ではピアノ人口が減っている、と聞きましたので。
まず、昨年、日本に一時帰国した際、銀座のYAMAHA 本店に行きました。もちろん、「大人のピアノコース」があります。 相談したところ、「あなたのレベルを教えられる先生は現在、一人だけです。」と言われました。 えっ? と思いました。なぜ?

次に自分の家がある街の先生をサイトで探しました。 思いのほか、たくさんいらっしゃいます。 桐朋や藝大院卒 といった素晴らしい学歴の先生も。 この先生方は「すべての年齢・レベル。音楽高校・音大準備も教えます。」と書いています。
そのほかの先生は 「幼児~子供 の 初級~中級」と言う方がほとんどです。
どうしてでしょうか? 音大をでて 先生をしているのであれば ほとんどのレベルの人を教えられるのではありませんか? 「子供に限る」というのは、変なクセがついていないほうが教えやすい、というのは理解できますが。なぜ、初級のみ?
謙遜??自信がない??

ちなみに、わたしは Mozart , Beethoven の Piano Sonata を数曲。 Chopin のノクターンやワルツを数曲 弾く、普通のレヴェルです。
ただ、現在、総合大学の音楽科で教授について習っていますが。 決して、飛びぬけて上手なわけではありません。練習量と努力だけで必死でついていっているおばさんです。

日本のピアノの先生、どうして?

P.S....わたしの住んでいる国には「普通の人よりちょっとピアノがひける。教会で聖歌隊の伴奏をしている。」というだけでピアノの先生の看板を上げている人がゴマンといます。わたしも最初は知らずにそういう町の先生についていました。(約半年)すぐに「本物のピアノの先生じゃない。」とわかりました。先生もほどなくして「私ではなくて、大学にいったほうがいい。」と言いました。
そして、現在があります。

大人でクラシックピアノを習っています。 5歳から12歳まで(日本で)と、大人になって6年間。
現在、海外に住んでおり、数年後の帰国を考え 先生探しを始めました。 日本ではピアノ人口が減っている、と聞きましたので。
まず、昨年、日本に一時帰国した際、銀座のYAMAHA 本店に行きました。もちろん、「大人のピアノコース」があります。 相談したところ、「あなたのレベルを教えられる先生は現在、一人だけです。」と言われました。 えっ? と思いました。なぜ?

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Aベストアンサー

私は学習塾の算数、数学、理科の講師です。
中学受験(御三家など)、大学受験を中心に見ます。
が、実は学習塾は教員免許は必要ありません。
私は高校数学の教員免許を持っていますが。

しかし、いつも思います。
自分の教える教科においては、教える側よりも圧倒的な知識を持っておくべきであると。
これは塾の先生や予備校の先生なら必ず感じるはずです。

普通の小学生を教えるなら、高校数学レベルは完璧。
御三家など目指す小学生やそれらの学校に通う中学生を教えるなら大学数学レベルは完璧。
などなど。

ですから、例えば大人の方で、高校レベルの数学をやり直したいと依頼があれば、かなりの知識を維持している人間でなければ対応出来ないと思います。
大人は自由に勉強の幅を自分で広げられます。
また、高校数学と言えど、入試レベルになれば大学内容が多々入ってきますから。
「大人のピアノ」となると、引くだけでは無く、歴史や背景、どんなピアニストがどんな曲調であるかとか、はたまたオーケストラや他の楽器など、自由に生徒さんが学習します。
それらの知識が生徒さんよりも圧倒的であれば教えると言う立場に立つのだと思いますよ。

私は学習塾の算数、数学、理科の講師です。
中学受験(御三家など)、大学受験を中心に見ます。
が、実は学習塾は教員免許は必要ありません。
私は高校数学の教員免許を持っていますが。

しかし、いつも思います。
自分の教える教科においては、教える側よりも圧倒的な知識を持っておくべきであると。
これは塾の先生や予備校の先生なら必ず感じるはずです。

普通の小学生を教えるなら、高校数学レベルは完璧。
御三家など目指す小学生やそれらの学校に通う中学生を教えるなら大学数学レベルは完璧。
などなど。

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QBeethoven聞くならKarajan。

Beethoven聞くならKarajan。
一方でMozart聞くならBöhmと言われて居る様ですが、
私はどちらも素晴らし指揮と感じます。
只、クラッシック初心者の私には、(何故)その様に評価されるのかと言う
本当の理由の理解が不足しています、音楽に詳しい方より初心者でも理解為やすい
ご解説をお願い致します。

Aベストアンサー

カラヤンとかベームが評価されていた時代は、80年代のまだ「巨匠」と言う言葉が死語になる前の事です。
現代の隅々までネット環境が整ってグローバル化した時代には、巨匠は存在しません。何故なら情報が下々まで共有されてしまう現代では、カリスマは存在できません。
カラヤンのように目を閉じて、時折かっと目を見開くような指揮は、明らかに映像を意識しており、それによって聴衆がマインドコントロールされていた節があります。
また、こういった評価は一部の音楽評論家によって作られた面もあります。

21世紀の現代では、カラヤンやベームはとっくに死滅しており、あえてその演奏を聴こうと言う人はいないと思います。
巨匠と呼ばれる人達が存在したのは音楽の歴史のほんの一瞬の事です。

Q音楽で思いつくのは、ワルシャワ、ウイーン、ブダペストですが、 音楽の都パリとは何でしょうか?

音楽で思いつくのは、ワルシャワ、ウイーン、ブダペストですが、
音楽の都パリとは何でしょうか?

Aベストアンサー

こんばんは!

たぶん、19世紀から20世紀にかけてのパリは、音楽でも魅了していたはずですね…。
当時は、サン=サーンスやフォーレなどがパリ音楽院で教鞭をとっていましたし。ドビュッシーやラヴェルが活躍していた19世紀から20世紀にかけてのパリは、新しい芸術が花開き、文学・演劇・絵画といったジャンルとの交流から産まれた音楽作品も多数ありました。そんなわけで、音楽の国際都市となったパリでは、異文化などが刺激しあって新しい音楽が生まれています。

それで、音楽の都パリと言われるようになったと、記憶しています。(^-^)

Q歌手(クラシック)の藤村実穂子さんも、森麻季さんも、色々な人が海外での人種差別が物凄く大変だと仰って

歌手(クラシック)の藤村実穂子さんも、森麻季さんも、色々な人が海外での人種差別が物凄く大変だと仰っている記事を見つけました。
藤村実穂子さんはオーディションで、君の歌は良かったけれど、ドイツ人を選ぶ。と言われたとか…。
よく、なんでもかんでも差別だと思いすぎだ、と言いますが、これは明らか差別ですよね?

オペラ目指して勉強(留学)してる人はこんなに大変なんですか?
実力があっても人種のせいでオペラに出られなかったり主役出来ないなんて、音大生の夢が無くなるような事実ですね……
黒人で活躍されている人もいますが白人ほどではないし、役も限定されるし、黄色人なら尚更…
外国人が歌舞伎しているようなものなのかもしれませんが…驚きです。

Aベストアンサー

やはりビジュアルは関係あるでしょう。
いくら寄せても発音、発声の限界もあるでしょうし
国や劇場にもよるでしょうけど
掘りの深さ、鼻の高さ、などだけじゃなくて
骨格とか。どうしても日本人は子供みたいになってしまう部分もあるでしょうし。
コンサートのオーでいションとなれば、同じ国の人であっても
外見で落とされるのなんて普通にありますよね?

イギリスのロイヤルバレエなんかだと日本人がトップに立ちますが
フランスのパリオペラ座なんかだと入るのもなかなか厳しかったり。
たださらにはやはりバレエでは黒人にはつらい環境ですね
かなり役がらが限られる。少なくともクラシックの主役は難しい。
比較的出身地が多様なABTでも
数年前にに初の黒人主席バレリーナというニュースが出たぐらいですから。
(男性なら他にもいたりしますが)
どうしてもクラシックではなく、現代ものなどの役が多いです。
ロマンティックな中世のヨーロッパ的古城に黒人のお姫様とか
白鳥というわけにはいかないのでしょう。
あと、体型もですね。筋肉や骨格がバレエの目指しているソレではないので。
もちろんコンテンポラリーという現在のバレエや、それをメインにした団体には
数は増えますが。伝統的な演目にはまず見ないです。
見た目をそろえるために身長制限で落とされることもある世界ですから。

でも、日本だってそれはあるでしょう

では白人が銀座に寿司屋を構えたらいろ物じゃなくて、どこまで実力を認めるのかなと。
「所詮日本の繊細な味の機微や、情緒は理解しないだろう」と思っている人も多いと思います
あるレベルまでは、日本の文化や料理に惚れこんでくれた外国人大好きという感じでしょうけど
自分たちの領域に踏みこんだり、仕事を取って替わるとなったときに
抵抗がない人も結構いるでしょうね。

一番日本の嫌だなと思うのは、相撲力士は外国からバンバン連れて来るわけですが
やはり外国人ばかりが活躍するより、日本人に活躍させたいという雰囲気がある。
人に寄っては差別ではない、同朋や同郷を応援するのは当然というだろう。
それは確かに致し方ないかもしれない

でもそれなのに一方で、イチローや本田は向こうで人気者になってほしい
自国選手と同様に扱われたい、とどこかで思っているだろうという報道や取りあげ方。
活躍した、声援を受けた、そんな話をニュースでちょいちょいやってますが
実際はいろいろと厳しいと思いますし
自国で相撲ファンがやっていることを考えてみろと思います。
なぜそれで能天気に外国にいった日本人が優しく受け入れられていると思うのか。
愛ちゃんが人気になると大喜びするけど
日本に来る外国人にはちょっと厳しいナーと思います。


ほかの競技でもそうでしょう。外国人を連れてきた選手と、日本人選手
差がわずかなら、自国選手を選ぶのでは。

もちろん劇場で使う、というのはその音楽家に経験を積ませ育てることにもなりますから
活動拠点を自国に置く可能性が高い歌手の育成という意味でも
差が圧倒的でなければ、自国の歌手が有利かもしれませんね。
外国人は終わったらどっか行っちゃうかもしれないし

日本でオペラやるときに日本人歌手よりちょっとうまいぐらいの韓国人が受けにきたら
自国の歌手を選ぶのでは。
見た目では大差ないですけど…。

あと地元だと集客力やスポンサーなども考えると
興業という意味では「強い」わけですから。
たとえクラシックだろうが興業はある意味ばくちです。
少しでも収益が確実に見込めるほうが強いんですよ

夢がなくなるというか、そんなことわかったうえで進んでいるでしょう。

あと楽器でもなんでもそうですが
点数のつくようなコンクール的な「お上手」な演奏は得意でも
個性とか、表現とかで殻を突き抜けられない、というのも日本の特徴かなとは思います。

やはりビジュアルは関係あるでしょう。
いくら寄せても発音、発声の限界もあるでしょうし
国や劇場にもよるでしょうけど
掘りの深さ、鼻の高さ、などだけじゃなくて
骨格とか。どうしても日本人は子供みたいになってしまう部分もあるでしょうし。
コンサートのオーでいションとなれば、同じ国の人であっても
外見で落とされるのなんて普通にありますよね?

イギリスのロイヤルバレエなんかだと日本人がトップに立ちますが
フランスのパリオペラ座なんかだと入るのもなかなか厳しかったり。
たださらにはやはりバ...続きを読む

Q佐村河内と音楽評論

先日、図書館から佐村河内守の交響曲第1番のCDを借りて来たところ解説に驚きました。
高名な音楽学者であっても作曲家の「背景ストーリー」に影響されてしまい、そのことによって音楽を語っているのですが、こういった専門的に音楽学を修めた人であっても、曲だけで語ることはもはや不可能な時代なのでしょうか?
なるほど、音そのものには意味がないわけで、たとえば親しみのない外国語は音声としか感じられないし、意味もわかりません。
それにもかかわらず、多くの人達が音楽から意味を読み取ろうとするために、件の音楽学者のような失態を演じてしまうと思うのてすが。

曲の印象としては、3楽章の終わり頃になって突然マーラー的なアダージェットになって鼻白んだのですが、曲の出来としてはどうなのでしょう?

音楽は説明しないと理解できないか?そしてこの曲の評価の2点についてお聞きします。

Aベストアンサー

こちらに、私なりの考えを書いてあります。
質問者さんは、この質問の #1 回答者さんですね。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9726907.html

そこの「お礼」に書かれている「岡田さんの著作」はこちらです。興味があれば読んでみてください。新書版で入手も容易です。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
https://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%81%AE%E9%BB%84%E6%98%8F-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B2%A1%E7%94%B0-%E6%9A%81%E7%94%9F/dp/4121018168/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1496418078&sr=1-1&keywords=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E9%BB%84%E6%98%8F


>こういった専門的に音楽学を修めた人であっても、曲だけで語ることはもはや不可能な時代なのでしょうか?

「音楽CD」は、「芸術作品」ではなく「商業製品」ですから。売れれば売れるほど、解説の執筆者の収入も増えるのでしょう。執筆者は音楽業界と一心同体なのだと思います。
CDの解説は、学術論文ではなく、拡販PR文章の延長線上です。もっといろいろ聞いてみたくなる、同じ作曲家の他の曲のCD、同じ演奏家の他のCD、同じ曲の他の演奏家のCDも買いたくなるための。「セカンド・オピニオン」ではないですが、1つの解説を金科玉条にするのは危険です。

>曲の出来としてはどうなのでしょう?

この作品の評価はよく分かりません。例の「贋作」公表以降、誰も語らなくなってしまいました。それまで、さかんに涙を流していた人も。その意味でも、「音楽」として聞かれていたのではなく、「音楽の背景」を聞いていたのでしょうね。
私はNHKか何かで放映された実演を1回聞いただけなのであまり語る資格はありませんが、そのときには「マーラー」と「ショスタコーヴィチ」を折衷したような内容で、曲の内容はともかく、オーケストレーションは職人技だと思いました。(その意味で、佐村河内氏の経歴からは書けないレベルの筆致で、第三者の手が入っているなと思いました。新垣氏の筆であることに非常に納得しました)

そういう「〇〇もどき」の曲が現代に作られることにも意味や意義はあると思います。何が何でも「独創性」や「新奇性」がなければ意味がない、ということではないと思いますので。
1980年代以降のペンデレツキなんて、そんな感じですよね。

こちらに、私なりの考えを書いてあります。
質問者さんは、この質問の #1 回答者さんですね。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9726907.html

そこの「お礼」に書かれている「岡田さんの著作」はこちらです。興味があれば読んでみてください。新書版で入手も容易です。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
https://www.amazon.co.jp/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%81%AE%E9%BB%84%E6%98%8F-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E...続きを読む

Q無言歌集 / メンデルスゾーン

無言歌集の#7 に、とてもきれいな曲があるのですが、6曲の内、どれなのかがわかりません。 試聴できるサイトでは #1 と#2 しかなく。

どなたか、第7集の聴けるサイト(You tube) を教えていただけませんか。
調べたいのですが” Songs without Words #7 / Mendelssohn ” としか出てきません。

Aベストアンサー

メンデルスゾーンの「無言歌」は、第1集~第8集があり、各6曲で構成されますので、全部で48曲あります。
第7番ということだと、通算7曲目の作品30-1「瞑想」、あるいは第7集作品85のいずれかではないでしょうか。

作品85の方は #2 さんが挙げられているので、作品30-1「瞑想」を挙げておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=wR3t6vJOMe0

メンデルスゾーン/無言歌 Lieder ohne Worte
作品19(6曲)
作品30(6曲)
作品38(6曲)
作品53(6曲)
作品62(6曲)第6曲目(作品62-6)が有名な「春の歌」
作品67(6曲)
作品85(6曲)
作品102(6曲)


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