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愚痴や不平不満を一切溢さずに真面目に役割を果たす人を犯罪予備軍呼ばわりする輩について、如何思われますか?


真面目、生真面目、勤勉 = 犯罪予備軍

ですか?

不平不満一つ溢さずに、しかも人一倍、真面目に頑張る人を、「実は影で悪い事やズルをしているんじゃないのか?」とか「裏でネチネチしているんじゃないのか。」とか「批判される事を恐れているヘタレ」だの「犯罪予備軍」だ の何だのと言ったりして中傷するような、
そんな職場などはやはり、
いるだけ無駄ですか?辞めた方が良いですか?

因みに、友人C氏の前の職場がそうだったそうで、私の職場ではありません。

しかも友人C氏は、貫禄で、物事に動じず冷静沈着で、文学(ロシア文学メイン)や倫理学の他に、心理学や精神医学やその他、色々な教養本など、
300冊を越える、多くの書物を読んでおり、人間の本質を理解しているみたいです。

因みに、同僚のある人が友人C氏に「やっぱり真面目だね。」とか「大人しいね。」、「なめられないようにね。」
とか言うと、

「余計な御世話だ。」、「放っといてくれないか。」「俺を誰だと思ってるんだ。」
等と、少し怒られたそうです。(笑)


真面目、生真面目、勤勉 = 犯罪予備軍

なのなら、人類の約2〜3割が犯罪予備軍になりますよね?

A 回答 (3件)

少し怒る→動じて感情的になる→沈着冷静ではない


それくらいで上記のような反応をする→貫禄が無い
と誰しも感じると思います

申し訳ありませんが、その友人はただ嫌われているだけかと思います
犯罪予備軍呼ばわりは流石に言い過ぎですが

それよりも、このような書き方をして、あなたが友人をフォローしたいのか貶めたいのか微妙に取れてしまいました
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この回答へのお礼

寧ろフォローしたいですね。

お礼日時:2017/04/17 20:09

C氏が本当に人間の本質を分かっているのであれば犯罪予備軍扱いする連中の事なの気にしないでしょう。


同僚のその程度の発言に少しでも怒るようならまだまだ修練が足りてなさそうです。
読んだ本をもう一度勉強し直す事をお勧めしたいですね。

ただ、沢山の本を読んで積み重ねただけでは人間の本質なんて半分も分かりません。
特に心理学、精神医学については日本は研究があまり進んでおらず、大昔の海外のテキストをそのまま使っております。
正直この分野については研究書を読んでも「漫画で分かる心療内科」程度の知識しか身に入りません。
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実際にそれくらい不安定なものだと思いますよ。



大事なのは、自分をどういう方向に誘うかでしょう。

犯罪予備軍が多いから、自分もそうであって良いというわけじゃありません。

寧ろ、「俺だけは嫌だ。」とするほうが正常です。


どういう人が不安定であり、どういう人が将来的にそうなるのか、

判別する方法は簡単ですので、ご説明します。



どんな人間も、数日ご飯を食べないだけで死にそうになります。

今生きているという事は、

他人が知らないところで必死に真面目にやっているんでしょう?

そうでなければ生きていませんよ。

しかし、

誰もがそうしているので自慢すらできず、誰にも誉めてもらえません。

これが意外とコタエルものですよ。

その悔しさと言うか、鬱屈した気持ちをどう処理するのか?

ここが人それぞれと成ります。


大きく分けて、

誰かを助けるか、誰かを攻撃するか、何かを作るか、何か壊すか、

4つくらいになるでしょう。

人と言うのは不思議でして、

この4つから自由に(気分次第で)選ぶ様に出来ていません。

一度選ぶと、ずっとそれを続ける事になります。


子供の頃に、

誰かに暴力を振るった人がいたら、その人は、他人への攻撃を選んだんです。

この人を恐れて、陰口を叩いたとしたら、その人も他人への攻撃を選んだんです。

この両者は全く同じ手段を選んだのであって、

同じカテゴリの人となります。

これを選びますと、一時は快感を感じても、

その後は、不快感が続くはずです。

そしてこの不快感に潰されそうになり、また誰かを攻撃するのです。

そのため、一度選ぶと、これを継続するようになってしまいます。



次に偽善という概念の本当のところについて考えて見ます。

一見して、普通であり、善良であるように見えても、

憂さ晴らしの方法が、他人への攻撃である人もいます。

私はこれが偽善の根幹だと思っています。

ストレスが無いときどんなに良い人であっても、

ストレスが掛かると、陰口を叩いたり、悪者を探そうとしたりします。


では、

この偽善の変化パターンを知り、判別することもできるはずです。



この層の人は、

ストレスにより自分が他人を攻撃するという自覚があります。

後で不快感が残るため、必ずどこかで悩んでおり、自分を嫌っています。

ストレスにより自分が変貌することを恐れ、

嫌な事を避けようとします。

また、ストレスへの耐性を得ようと頑張ります。

「強くなりたいです。」

もしくは、

「立派な人間なんて居ない。おれはそれを知っているだけ立派なんだ。」

と開き直る人もいます。

しかし、どれを選んだとしても、

「ストレスにより、他人を攻撃することで憂さを晴らした人」

でしかなく、同じカテゴリの人です。

自己正当化のための理由を、色々と模索をして、

スタイルを選んだだけでしょう。


以上から、人を判別するときは、

本人の憂さ晴らしの方法に原因があるとし、

その主張の内容では無く方向で判別します。


例えば、

「xxxxxと言うわけで、一緒にxxxxを攻撃しないか?」

または、

「xxxxxと言うことがあったが、どう思う?(腹立たないか?)」

という文脈になっていれば、確定です。

話を聞く必要が無いでしょう。

(憂さ晴らしが攻撃なわけですから、怒りをかきたてようとするはず)


また、お付き合いをするときは、

「ストレスがあると他人を攻撃すると決めた人だよね?

 一生これを治そうとしない人の仲間となって、自分は耐え切れるか?」

と自分に事前に問い、覚悟をするべきでしょう。


また、子供や若者がどうして、そうなっていくのか?

更に、立派な大人に見えて、どういう人がそういう性質を隠しているのか?

という判別を考えます。


ストレスが掛かったときの憂さ晴らしの方法についての着眼ですから、

体を動かすという方法もあります。

しかし、これは性質ではありませんので除外します。

万人が行う対処であり、

実際的に人が争うのは、いざと言うときであり、

ここにスポーツの実戦を持ち込むことは出来ません。


結局は、

誰かを助けるか、

誰かを攻撃するか、

何かを作るか(整頓する、整備するも同じ)、

何かを壊すか、

のどれかを選んでしまいます。



そして、本当に人を助けると言うのは、

その人に「自分で自分を救う道」を思い出させるしかありません。

しかし、その道が「他人への攻撃」となっている人は、救えません。

大体において、他人への攻撃の余波で本人が苦しんでいるからです。



総じて言うならば、

人と言うのは何かを作ったり育てたりする事が大事であり、

これが無ければ、他人を攻撃したり、モノを壊す衝動から逃れられないんです。

また、助けることも難しいとなります。


以上から、

モノ作りをしている人とは、

・努力次第で上手くやっていける。

・いざと言うときも、不快な思いをしないで済む。

・そういう趣味や道に進んでいる人とは、末永くお付き合いをしても大丈夫。

そうでない人とは、

・ストレスが掛かると攻撃される。

・ストレスから逃れようとして、必要以上に防御的になる。

・ストレスに強いことや能力を人の優劣としたがる。

と想定してお付き合いする必要があるでしょう。

(ストレスにより、自分が他人を攻撃することを自覚しているから、

 その人の嗜好が偏ってしまう。そういうものが見えてくる)

また、

「普通はこうする」

と言う発言がとても多くなり、違和感を感じるでしょう。

「自分がやりきらなければ、

 存在すらしない唯一のものしかない。常にはじめてなんだ。」

が本当ではありませんか?

「普通は・・・」と言う表現は、他人を攻撃する意思のあらわれであり、

いまからモノを作る人を助ける気持ちではありませんよね。

私は、人間全てが必死に生きていると思っています。

なので色んな良き部分を磨いていると思っています。

ですから、厳しく言えば、ここだけに着眼しています。

善戦をしているが衰退する人と、

油断をしていると、急成長している人がいます。

その差は意外と簡単に判別できます。

良い人だから救われるのではなく、

根底にある性質がストレスに対して弱いという事です。


さて、

4つのカテゴリがあり、個人が何を選んだか? 

だけに着眼し、

職業や収入、生活環境、本人のステージとは関係なく、

その人の囚われている性質とすると綺麗に分類できますよ。


また、人物の変化というのは必ず、

趣味や育成に力を入れた結果で生じると思っています。

しかし、そのジャンルに逃げ込むと、不安定な部分が残ります。


そうではなく、

「何に対しても、作る育てると言う思考を思い出そう。

 おっと、何か気分が変わったぞ。

 気になること、言うべきことが変わったぞ。

 ああ、こっちだ、こっちだ。

 俺は何やってたんだ。また、攻撃しようとしてた。」

モノ作りや育成の本質は、積み上げによる効率化です。

刹那の結果ではありません。

「これをやっとけば後で楽になるぞ。」

と言う思いで、耐え続け、未来を考えてニヤニヤするものです。

メンタルも落ち着きますし、判断力も復活します。

こうしたコツを得た人は、更に安定感を得ると思います。



如何でしょうか?

今度は人の状態や段階として捉えてみましょう。

夢遊病の様になって、他人を攻撃し続けている酷い状態。

自分を取り戻したが、ストレスを怖がって自分を維持する状態。

作り育てると言う趣味を見つけて、それに逃げ込んでいる状態。

全てに対して、作り育てる気持ちを適用し、安定を得た状態。

こういう4つの状態に分けられると思いませんか?


私たちは(自分も他人も)、人を見分けるとき、

上の4つの状態を判別すれば良いと思いますよ。

その人の印象ではなく、その人が頼りにしているストレスの解決方法。

これがどこにあるのか?

個人がどんなに隠しても、必ず違いが見えます。


最後に、

「ストレスが掛かると他人を攻撃することで憂さを晴らす。」

これを持っている人は、異常な犯罪を犯す可能性は高いと思います。

しかし、子供のうちは大体そうです。

ですので、年齢によって対応を変えるべきでしょう。


自分に対しては、

「他人が自分を助けられるかどうかは、

 『自分がやり遂げるものが常に始めてである。』

 と言う気持ちを持てるかどうかに掛かっている。」

と考えて、余裕がある時はこれらを確認できるように時間を使うことです。


そして、自分の意図が憂さ晴らしであることが、

他人には見えており、識別や判別に使われていることを知って、

用心することです。


以上、ご参考になれば。
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