素朴なことほど奥が深い。
今度は「自由」ということについて考えてみたくて、質問しました。
現代社会においては「~からの自由」のみを求める傾向が強いと思います。
それは、社会のシステムの見えざる操作によって、実は人間の自由を縛られ
ている反動であるとの指摘があります。
そして、そのいわば「消極的な自由」の行きつくところは、一切の外的な束
縛が取り除かれた、無秩序・無政府状態になってしまう故に、本当の自由な
どはない、という結論になってしまうのではないかと思います。
よく言われるところの「~への自由」といういわば積極的自由は、足して二
で割ったような妥協的概念ではなく、自由にしてしかも秩序が保たれる状態
をもたらすものであるのではないかと考えています。
さて、皆さんの「自由」に対するお考えを教えてください。
A 回答 (18件中1~10件)
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No.18
- 回答日時:
No.16です。
お礼、ありがとうございます。
ご指摘のとおり、法律にしても、経済制度にしても、本来の「互いの自由を尊重する秩序のためにある」という根幹を忘れたものがまだまだあります。
かつては、人の自由をうばう差別や暴力が、正当化された時代があり、今でも地球のどこかで、そのようなことが起きています。今でも、不十分なものが、たくさんあります。
自由の秩序ために、不断の努力が要求される所以です。
人間の社会が今現在、仮に完璧であっても、時代ととも
に変化がありますから、問題が次々に発生して、やるべ
き仕事はなくならないわけです。
なすべき仕事が常にあることはいいことですがそれにし
ても問題がありすぎますね。
No.17
- 回答日時:
>勉強は学年で一番、何をやらせても上手で、生徒会長、先生達からの信頼も抜群でした。
雑談ついでに。私はそういう器用なことはできませんでしたね。先生からの信頼はゼロです。
今にして振り返ると、私は組織の歯車にならなかったんだと思いますね。頭がキレると、ボスになるタイミングってありますよね。私もそう感じていた時がありました。学級委員や生徒会長は誘われる回数数知れず。
しかし私はお受験があったので、一人だけ、イベントに参加できなかったんですね。
割と田舎の学校でした。他人と違ったレールを走り、社会的にランクが上の学校に行き、人生を変えようとすることに、先生も同級生も、批判的だったのだと思います。お金ばかり使って親は苦しいはずだ、親不孝もの、なんてよく言われましたね。
これを先生がホームルームを開いておやりになる。お受験で公立からの離反者が出ることが、許せなかったんでしょう。
道徳的なお話をして、「さあみなさん、考えて」なんていう。しかし私の問題なんですねえ(笑)。
私は知らんぷり。え?誰のことなの?そいつは悪いやつだなあ、という顔をしていました。
先生も同級生も、お前のことだろうって睨むんですが、私は知らぬ存ぜぬ(笑)。週に一回の頻度です。
物理的な被害は客観的に見ると、大したことなかったのかな。大切なものを壊されることはよくありましたけれども、学校のものは全然大切なものではないんだと諦めました(今はドラマの真似をやるからえげつないそうです)。精神的には、自分の親しい人の気持ちを代弁するという形で随分やられました。書いていて気がついたけれど、だから誰とも口をきかなくなったんだなあ。口をきいていなければ、親しい人もいないし、自分の情報も渡さないし、代弁されても「そいつは嘘だ」ってわかります。
大人になってから教師に手紙を書いて、「あの時は何を考えてそうしたんですか?先生は今は何をしていますか?」って聞いたら、教師はやめました、心が折れました、なんて言っていました。彼女なりに信念と善意を持っていたんでしょう。
これまた興味深いお話でした。
小中学校の内部ってどうなっているんだろうと、よく思います。
いじめの告発本のようなものを読むと、ろくな話が出てきませんし、
知り合いの何人かの学校教師を見てみると、何か気難しく、傷つきやすい
感じなんですよね。
しかしまあ、世の中問題だらけだ。
さすがの私も、ため息ひとつ。。。
No.16
- 回答日時:
他者の自由を侵害することなく、それぞれが幸福を自由を追求していけること、
この状態をルールとして体現化したものが、自由主義諸国の法律という秩序です。
互いの自由を認め合うというのが、(法的な)秩序なのです。
なお、物理的、時間的制限が、自由を制限するという考えがありますが、それはどういう社会秩序でも有る制限であって、「だから自由」なんてないというのは飛躍しすぎです。
社会秩序における自由は、物理的、時間的制限のもとで、人々が互いの幸福を追求できる「自由度」の程度に関するものです。
物理的、時間的制限があることで、自分の幸福追求が他者の不幸をもたらすことはありえますので、自由な幸福追求のルール(秩序)を定める必要が生じます。その秩序のひとつは、自由競争市場というシステムになります。(公正な所得配分については、ここでは論じませんが、、、)。
矛盾のない自由、つまり秩序としての自由の例としては、法秩序と自由競争市場があるということになります。いずれも、矛盾のない論理モデルとして表現できるはずです。
国家の定める法律は、秩序を与えてくれますし、従うべきものですが、
法律には必ず「抜け道」があり、悪法もあり得ます。
従って、法の「神格化」は悪を生んでしまう可能性があるでしょう。
国会議員に任せっきりではなくて、国民が立法の精神を知り、吟味する
必要があると思います。
No.15
- 回答日時:
>自分で言っちゃいますけど、
ははは、それは羨ましい。私は子どもの頃、性格最悪、頭は最高って言われていました。あだ名が、シンドウ=神童。
私もプライドが高いもんで、お前は悪だ、と言われても弁解しませんでした。結果、先生を含めて悪の枢軸だと思われていたようです。あれほどまでに悪魔扱いされたことはありませんでしたね。今の某老人の誹謗キャンペーンの比ではありません。
しかしねえ、私なりに良心も感情もあったんですね。それを発揮できないことが、どれだけ大変だったか。私がそういうことをしても、なんの意味もないような、そういう構造に周囲はなっていたんですねえ。
嫌になって小学校の最後の2年くらい、誰とも、家族とも、口をきかなかった時期がありました。
抗議すればするほどに、性格が悪い、攻撃的だ、だからあんたはいじめられて当然だ。こういう理屈になるものです。
実際、大人になってから抗議をし始めると、本当に狂人すれすれまでのクレーマーになってしまう人もいます。いくらも見ています。だから一番いいのは、丸く収めてあげることだと私は思っています。
私に関する限り、まあまあ、って言いながら切り上げていますでしょ?
DRさんはやさしいですね。その子にとっては初恋の相手でしょう。傷ついたかもしれませんが、でも、そこまで気にしてくれたことを知れば、許していますよ。それに相手が誰であれ、初恋はほろ苦いもので、うまくいくことは稀にしかないんですから。
ふ~ん。人生色々ですね。
中学の時に仲の良かった友人に似てる気がします。
勉強は学年で一番、何をやらせても上手で、生徒会長、先生達からの信頼も
抜群でした。
しかし、プライドが高く、頑固で、不器用で、わがままときたもんだ。
だから、いじめられていましたね。でもあれはもう大人のいじめでした。
勉強のできない、いわゆる番長グループの嫉妬からくる「無視」、それにほと
んどの人間が従っていましたね。
性格的に問題はありましたが(笑)、強い人間だなと思っていました。
No.14
- 回答日時:
David_Rossiさん こんばんは
>積極的「自由」
「自由」とは、自分の好きなことをしたり、自分の才能を活かして、生きていくこと。
自分が他人より優れていれば、自由に行えます。
>消極的「自由」
相手が得意なことは、相手に任せて、褒めてあげる。
口論になっても、自分はそのことについては興味がないので、その場を離れる。
これによって、社会的な分担が成り立ちます。
人間は、誰でも「自由」なのですが、何故、権力や義務にこだわって、自分を見失うのでしょうかね。
明晰なご指摘だと思います。
何故うまくゆかないのか?
う~ん。
自分が自分の才能を生かして好きなことをするのに必要な「成熟度」が足りない、
あるいは、何らかの心理的圧迫感により、諦めてしまっていること、これが積極的
自由へと自らを開いてゆけない原因、といえるのではないか、と。
そして、だからこそ人を認めることができないし、得た地位・立場などに執着して
しまう、と。
つまり、その原因は教育をはじめとする「文化」に帰結すると思います。
No.13
- 回答日時:
>「闘い」という問題がありますね。
これが、「自由」と「倫理・道徳」とのバランスのなかにどのように食い込んできたのか?あるいは、どうあるべきなのか?そうですね。カントやサンデルとも少し違う論点かもしれませんね。前に書いたことを別の角度から書いてみます。
昔、自由について読んだ論文で、ドラクロワに関するものがありました。この画家は貴族の御落胤という説があって、どうもそうらしいんですね。で、この人は革命期に自由を求めて戦うことに懐疑的だったそうです。
当時、自由といえば勝ち取らないとならないものでした。そして勝ち取ることに誇りを持て、という考え方もあったのです。
ところが画家は斜に構えています。闘ってしまっては、自由がなくなってしまうではないか、というのです。自分はのんびりやりたいんだ、闘ったら好きにできないではないか、ということでした。
論文では、この人は貴族だし、社会的に地位も良かったから、金持ち戦わずみたいなことだろう、と結論してありました。
しかし私はこれに先立って、小学校なんかでいじめられておりまして、似たようなことを考えたことがあります。
いじめっ子はクズだ、気にするな、という人はいます。しかしこのクズに闘いを挑むと、どうあっても自分の意識の中央に、その存在が入り込んできてしまうのです。「あいつは、次にこうやってくるな。では、こっちはこうやって予防線を張っておこう」なんていう発想になります。そして私の時間の大半は、予防線を張るための準備に費やされ始めるのです。クズだなんだと低くみる割に、それがどうしようもなく、自分の意識の中心になってしまうのです。そして最後は、予防線を張っているあんたこそ、底意地が悪いと言われるようになるんですね。自分自身がまさに、クズの仲間に引きずり込まれるわけです。
前にタイガー・マスクについて問いがありましたが、引きつけてみることもできると思います。主人公は最後に、敵対する相手と同じ反則技を使い始めたわけです。虎の穴の流儀をよく知り、憎んでいる。しかしそれに対策を練っていった結果、最後は自分が「クズ」になってしまった。彼の根本的な悲劇は、こうやって自由を奪われたことにあったのではないか。私はこんな解釈を考えてみました。
バランスが難しいところです。自分のいる環境はクズしかいないんだと思って、クズと闘う中で成長していくことも必要でしょう。実際、生きていく力は必要で、これはある程度、闘争しないと身につきません。ただ立ち止まって、自分が向き合う相手を選ぶことも、大切だと思うのです。少し非現実的かもしれませんが、友達とか、好きなものとか、そこら辺をメインにできたらいいわけです。
私は商売人じゃないんでわからないんですが、喩えていえば次のようなことかと思っています。
クレーマーを意識して店を開くか。常連さんを意識して店を開くか。どっちが自分が自由な気持ちで店を開けるのか。クレーマー対策もある程度までは必要です。しかし私は常連さんを意識して店を開きたいと思うタイプなんでしょうね。仮にクレーマーに隙を突かれて、バツが悪かったとしても、「ああ、ミスった」くらいで笑って、次に行きたいわけです。
いじめというと思いだすのが、小学生の時の同じクラスの女の子のこと。
彼女は色が浅黒く、南アジア系の血が入っていたと思います。
兄さんが近所で有名な知的障碍者で、それもあってか「えんがちょ」って言われ
汚いもの扱いされていたんです。
「あいつの机だ、きたねえぞ。」「あいつのランドセルだ触るな」とかね。
で、私も一緒になってやってたんです、いや、本気で汚いと思っていたんです。
ある時、クラスメートが「お前誰が好きなんだ」と問い詰めたところ、私のことが
好きだと言ったそうです。
自分で言っちゃいますけど、私は勉強もできて、とても優しかったので、真面目で
おとなしいタイプの女の子にはモテモテでした。
でも、私が彼女の机を汚そうに持っているところを見ていたら、いや、小さな教室
の中だから見ていたはずですね。
どれだけ傷ついただろうかと、とても後悔しています、何十年たった今でも。
だから、いじめには特別の感情があります。
今の日本の社会はまさに「いじめの坩堝」ですよね。
いじめは法にも何にも引っかからない、また、やるほうはそればかり考えてやるわけ
です。
だから、議論にもならないんですよね。助けたくても助けられない。理論なんて無力
です。
いじめは人権蹂躙です。人間の自由を奪うものです。だから、闘わないと自由は得ら
れない。これは、間違いないです。
いじめが続くと、「差別」という形で定着すると思います。そうなると厄介です。ア
メリカの黒人に対する差別意識はまだ抜けていないといいますから。そうならないう
ちに闘うべきところは、闘うべきです。
「怒ること」「言い返すこと」、もちろん相手にもよりますが、これは重要な戦術だと
思います。あるいは「無視する」「軽蔑する」もありですね。
いじめられっ子は、「圧迫されて、諦めている」ところがどこかあるんじゃないかと思
うんです。いじめる人間はそこにつけこむんではないでしょうか?
骰子さんは結構闘ってきたんですね。これは貴重な(と言っては失礼かもしれませんが)
体験談でもありますね。
連休特別企画「いじめと闘う」でした。
No.12
- 回答日時:
人類がひずみのない方向へ進歩していくために
人対人の人間扱いをコアにおいて自由を展開させることが大切だと思います。
「自由」ということを思索するにあたり、「人権」「人間の尊厳」ということを
中心として考えるべきであると思います。
ただ、今私が気になっていることは、「競争」ということを削除してはならない
だろうということと、日本人の堅苦しい「平等観」「人権観」について議論を重
ねるべき、ということです。
例えば、相手に自分の思想を伝えること、相手の思想に対し「少々の」批評をす
ること、あるいは相手の言動に対し、「怒ること」などは決して相手の人権を侵
すことにはならないと考えますし、人として「あるべきこと」だと思います。
「この○○野郎!」とか「くたばっちまえ!」なんて、言われたら腹が立つでし
ょうけど、私としては許容範囲です。
No.10
- 回答日時:
なるほど。
お礼欄を読んで、また質問文を読み直して、趣旨がわかりました(と思います)。理想的な自由とは何か。それは秩序が保たれ、かつ束縛がないものということですか。
私はどうも瑣末なところに噛み付く書き方しかしていなかったと気がつきました。失礼しました。
別の問いにも書きましたが、私の自由はその場の支配者に目をつけられないことによって成立しているわけです。ただ全く力がないわけでもなく、イメージでいうと野党第二党という感じです。野党第一党みたいになると、目をつけられるので困ります。第二党くらいでやりたい。与党は諸般の事情で無理ですし、自分がならないでもいいかなと思いましたね。
結局、闘争は果てがないのです。仮に与党になっても、その組織では一番でも、同じくらいの外部組織がまたあります。どこまで行っても闘争の連続です。私はこういうことに向いていませんので、闘争が好きな人に与党を任せた方が、うまくいきます。自由っていうのは闘争がなく、そもそも論敵や外敵の存在それ自体を認識していない状態だと私は思います。私にとっては、勝ち取るものではないわけです。
哲学というより処世術として書くと次のような感じでしょうか。
・自分が管理できる範囲にとどめ、あまりグローバルにやらないこと。
・大きな政府より、小さな政府に賛成すること。
・地方自治、さらには市町村の自治など、下部組織の自治を尊重すること。
・チェーン店よりも、個人商店を支持し、物品の購入は可能な限りそこですること。
・以上を自分が所属している小さいコミュニティーにも当てはめること。
まあこういう風にやっていくと、回り回って、自分のいるところの自治=自由も保たれるのではないか、と期待しています。
田中正造のことはあまり知りませんが、生まれが名主の家だったというから、中央によって自分の地域がめちゃくちゃにされることが我慢ならなかったんじゃないかという気がしないでもありません。
骰子さんはとても平和的な、また少しおっちょこちょいなところもあるんでしょうね。
そういうキャラって、場を和ませる力があると思うんですが、それにケチをつける、
あの「うんこじじい」みたいなのがいるから、みんなガードが固くなっちゃって、本音
を出さない、ありきたりのことしか言わないようになりがちなんだと思います。
親しかった友達と久しぶりに会ったりすると、なんか気取っているんですよね。「なん
だよー」って言ってやると我に返る感じです。
骰子さんは、一往私を信用してくれて、正直に語ってくれることは嬉しいことです。
こんな世の中を、一人一人どんな処世術でもって生きているかを知ることは、とても興
味深いことだからです。
「闘い」という問題がありますね。これが、「自由」と「倫理・道徳」とのバランスの
なかにどのように食い込んできたのか?あるいは、どうあるべきなのか?新たな視点で
すね。
田中正造は、確か、小学生の時の夏休みの宿題の感想文を書くために、図書館から借り
てきた本だったと記憶しています。
大変な衝撃でした。内容はほとんど忘れてしまっていても、その時の感動は消えないも
のですね。
彼の言葉です。
「真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし」
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