きのう、友人から、借りて
読んだ本があります。

この文章の意味がさっぱり、わかりません。わかる方いらっしゃいますか?

『文章を書き慣れた人は、いまわたしがもっともらしく述べたようなこころの中での手続きを、文字化する以前に頭の中である程度はすませておくものだ。
その場合にしたって、書けば、かわる、
のである。』


「考える力」をつける本、より。

A 回答 (10件)

その文章は、多くの方が簡単に理解できそうですよ。


繰り返し、何度も本の頭から読み直すことで、分からない本も分かるようになりますよ。
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この回答へのお礼

すみません、10回くらい、読みましたが、わからなかったんです。だから、ここで、助けていただきたく、投稿しましたm(__)m
でも、がんばってみます。日々
精進します。((o(^∇^)o))

お礼日時:2017/05/27 04:45

まず、この文章の前段(示されていない冒頭の部分)で、筆者は「こころの中での手続き」について「もっともらしく(何かを)述べた」ということがわかります。


そして、「文章を書き慣れた人」というのは、今、わたし(筆者)が前段で述べたような「こころの中での手続き」というものを、文章を書く以前に、「頭の中である程度はすませておく」のが普通だ、と言っている。
また、このように、「こころの中での手続きを、文字化する以前に頭の中である程度はすませて」おいたとしても、つまり、文章を書く前に先に考えをまとめておいたとしても、実際に文として書き表わすと、先にまとめておいたはずの考えとは違うことを書くことはよくある。

大体、こういった意味でしょう。
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この回答へのお礼

天才やな

わたりやすかったです。勉強になりました。

お礼日時:2017/05/27 04:17

「きのう、友人から、借りて読んだ本があります。


この文章の意味がさっぱり、わかりません。わかる方いらっしゃいますか?」

あなたがこの程度の文章を書き慣れているなら、いまあなたがもっともらしく述べたようなこころの中での手続きを、文字化する以前に頭の中である程度はすませておいたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうかもしれません。✨✨✨

お礼日時:2017/05/27 04:19

監視社会と堂々と示して「共謀罪」審議を 荻上チキさん


http://www.asahi.com/articles/ASK5841LLK58UTIL01 …
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この回答へのお礼

ん?なにがなんだか。読んでも
意味が、よくわかりません!(´;ω;`)

お礼日時:2017/05/27 04:27

端末をどうするのかという問題はあるだろうけれど


図書館が電子書籍の配信サービスを始めるのは可能なのだろうか。
閲覧する権利だけが利用者に一時的に付与されて、
図書館側がいつでも削除できるようにする。
本の所有権は図書館。
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この回答へのお礼

端末てなんですか?なにが、おっしゃりたいのが、ぜんぜん、わかりません。わたしの、質問と、関係ありますか?なにか。社会に伝えたいことが、『わかる』ひとに
その場に、お伝えください。

お礼日時:2017/05/27 04:32

「その場合にしたって」の、“その”が何を指しているのか?


これが分かれば、ある程度の理解は可能かと思います。

多分、『文章を書き慣れた人は、』の一文の前に“その場合”の事が書かれているはずです。
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この回答へのお礼

その場に が、わかりません。
(ToT)

お礼日時:2017/05/27 04:36

「著者は、文章を書きなれていない。

」と言おうとしている事が、解ります。

前半の文章は、そのままの意味。

後半の意味不明の文章は、「文字化する以前に頭の中である程度はすませておく」作業を
「自分は、出来なかった。」と言っているのと、同意。

故に、
「著者は、文章を書きなれていない。」と、白状していることに、
なります。
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この回答へのお礼

はぁ、そうなんですね~!(´;ω;`)

お礼日時:2017/05/27 04:38

「その場合にしたって、書けば、かわる、のである」


⇒その意味は分りませんが。

「文章を書き慣れた人は、いまわたしがもっともらしく述べたようなこころの中での手続きを、文字化する以前に頭の中である程度はすませておくものだ」
⇒それは、文章を書く時は考えながら書くのではなく、何を書きたいのかの全体を頭の中で整理しておかなければいけない。そして、その整理されたものを文章に書くのである。ということでしょうね。
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この回答へのお礼

Thank you

かんがえながら、書くのではなく?頭で整理してから?( ̄∇ ̄*)
なるほど!!!わたしも、そう
なりたい!!!

お礼日時:2017/05/27 04:41

自分の考えや気持ちを文章に書く前には、頭の中で文章を


作ってから書き始めるものだ。
それでも、文字に書くと頭の中で抽象的だった考えが、はっきり
目に見える形となるので、考えが変わったかのような印象を受ける
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この回答へのお礼

ん?考えがかわる?そうゆうものですか!わかりました!✨(*^ー^)
きっと、書いているうちに、考えがかわり、自己解決に向かう、あらたな考えが、浮かぶ、そゆことでしょうか?

お礼日時:2017/05/27 04:49

この本は読んでいないのですが、引用された部分からわかることを整理すると



1. 思考をブラッシュアップしていくにはテクニックとしての論理的な経路があり、文章を書くということは特にそれに沿ったプロセスが必要である、と筆者は考えている。
2. そのプロセスは、恐らくある命題とその結論に至る議論の展開に関して、自分の心で感じているものと照らし合わせて、その文章が本当に自分が感じていることを十分に表現しているかどうか、を検討するという類のことであると思われる。
3. 文章を書くことに慣れた人は、実際に文章を書き出す前に上記のプロセスをある程度済ませていることが多い。
4. その結果、実際に文章を書き出してみれば、それが本当に自分が感じていること、表現したいことを十分に表しているか、は直観的にわかることが多い。

ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

すみません。ご丁寧にかいていただいて、すみません、、、でも、
レベルが、高すぎてぜんぜんわからない、、、アタマにはいってきません。ちょっと、頭がパニクったので、あとで、ゆっくり、読ませていただきます。m(__)m

お礼日時:2017/05/27 04:55

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>
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> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
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まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Q善悪の判断基準

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>☆☆ 非知
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了解しました。

>でも 哲学する人は ぶらじゅ何とかというどこの馬の骨とも分からないや
つが 非知を言い始めたと知って ほかの方法を考えようとするでしょうね。

いえいえ、そうとは限りませんよ。
☆ 非知
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☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそう
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むしろ、それしかないと言えるほど稀有の視点ですよ。
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ただし、人間存在の最終原因とか、神とか、摂理とかいったように、その思考の対象がすでに定まったものに対して適用するのは妥当とは思われない。
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2.
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が、
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☆ この《続き》は 一たん非連続(つまり 淵があって超えねばならなかった)
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界と地続きだとなります。

☆超えねばならなかった
ものではなく、あくまで、当初から並立しているもの です。
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3.[ おまけ ]
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違います。
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☆絶対の隔たり
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それに関しては〕やはり見解の相違と判定するのが妥当じゃないですかね。

といった甘言に篭絡されるいわれもありません、ということになりそうです。

>★ むろん、この場合の「直接」は、一般の経験事象同士における直接とは意味
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☆ 鯉の滝登りではありませんが 一たん有限から無限の夢幻境へと論理で駆け
上ったからには その《精神の軌跡》を抜きにして この《直接》の意味内容を
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★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとうので、最終原因は永遠に不可知と言わざるを得ません。
という言及に関して、
・原因=有限での経験事象
・最終原因=無限の夢幻境での事象
のように分けてお考えなのだと思います。
しかし、
★原因が分かったとしても
という表現は、
「あ、これだ!」のように
★原因が分かったとしても
といった意味ではありません。
★原因に対する原因が永遠に付きまとう
というのは、論理的合理性に基づいて、つまり、これだけで成立している命題なわけです。
説明上、例として挙げることはありますが、経験事象としての原因を必須の要素として必要としているわけではない、という点にご留意いただければと思います。

#76です。

1.
>☆☆ 非知
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそうだと言おうとしています。

了解しました。

>でも 哲学する人は ぶらじゅ何とかというどこの馬の骨とも分からないや
つが 非知を言い始めたと知って ほかの方法を考えようとするでしょうね。

いえいえ、そうとは限りませんよ。
☆ 非知
に関しては、
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそう
といった謙虚なるご見解は不要で、
むしろ、それしかないと言えるほど稀有の視点ですよ。
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Qこの世界の行き詰まりを 三点突破だ!

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど推し進める。

5. いくらでも色んなよいアイディアを出し合ってこれを実行して行く。

6. 経済は それぞれのムラがインタナショナルなインタムライズムの場(市
場)へと企業それぞれを巻き込む必要がある。(連携でしょうが)。



B 《普遍神》論によって宗教という宗教の揚棄を!

7. 宗教にかんして オシへは二の次であって 個人の《わが固有の時》とし
ての信仰について それを一般論として知っておく。神は 普遍神だということ
だ。
  
8. すなわち わが固有の時に憩う《わが非思考の庭》なる信仰は類型として
だれにとっても 同じひとつであるということ。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:シューニャター(空)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(超自然および自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

9. このあたかも霊のつるぎによって世界をリセットしよう。




C やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的・世界的大合唱で ハラスメント
について本人に自省させるのがよいのでは?

10. 何気なく ♪あぁ アース役はつらいよ♪ とつぶやけばよい。

11. パワハラ・セクハラ・あるいはイヂメに際して みんなで合唱へと持
って行くとよい。

12. 半分は 減るのではないか?
    半分は あたまも気持ちもすっきりするのではないか?
    世界へも広げよう。

13. 無理をせずに 生産性が上がるのでは?
    社会保障費が省けて 財政再建に寄与するのでは?
    つまり 健康年齢(健康寿命)が上がるのでは?

14. その情況にあって いま横になっている人たちの半分は やおら起き
上がって来るのでは?


☆ ご見解をおしえて ぐー。

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど...続きを読む

Aベストアンサー

Aについてです。
国と言うのはいつ頃できたのでしょうね。
現代は、インターネットによる横のつながりによって、新しい共同体や経済の形が現れて来ているように思います。
それがインタムライズムというものの具体的な現れになるのかなと、ふと思いました。一人一人の意見や意思をダイレクトに吸い上げ、ビッグデータとしてそれを人工知能が処理すれば、一人一人が持つ小さな望みを、全体に反映する事も無理ではありません。今まで切り捨てられたり矮小化されたりと不当な扱いを受けて来た市井の人々に、力を復権させられるかもしれません。

Q教育哲学

教育の本質ということで「教育哲学」という言葉を思いついたのですが、
すでに学問の領域として存在していたことを知りました。

現代の日本において教育は、実利のみを動機とし、目的としていると思い
ます。これは、教育が欲望達成のための道具に成り下がっているというこ
とで、あるべき姿ではないと考えます。

教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?
また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

Aベストアンサー

>教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?

食糧の調達と保存と加工方法、それに栄養学、あとは哲学を教えるべきです。
上記を無償の義務教育として、それ以外は有料の選択科目とすればよいでしょう。

>また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

教師の収入・生活を確保するための議論は排除して、個人が自由に教育を買えるようにすることが重要です。
教育を買うだけのカネがない人達には、食糧の調達と保存と加工方法、栄養学、哲学だけは無料で(税金んで)教えるようにしましょう。

Qこの世は人間が認識するまでは存在しない

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

したそうです。
http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html
画像には複雑そうな機器が見えますが、人間、あるいは認識が、この実験にどのように関わっていたのかご存知の方おられましたら、お願いします。
どんな実験だったのか?
興味が尽きません。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、観測者が見るまで不確定と言うのも、おかしいような気がしますよね?
ただし、記録内容は、観測者が見るまで、誰も見ていないわけです。
そういう意味では、それが、確定した記録と信ずる証拠も無い事になります。
もちろん、マクロの範囲ではそういう事はありませんし、一般的に記録媒体の記録が、見るまで不確定と考える人もいません。
量子力学が、「因果性」、「局在性」、「実在性」に対して、確率的な法則しか与えられない以上、理論が述べられるのは、そのような事でしか無いと言う事です。
今、仮に、観測者自身も、量子力学の範囲の観測系として、その不確定性の影響を受けるとすると、観測者自身も一定の確率で、その収束結果を見る存在として、存在すると考える事も可能になります。
そうならば、未来にAと言う結果と、Bと言う結果を見る観測者は、観測するまでに、同等の確率で存在しえた事になります。
そう考えれば、観測の直前までは、観測者自身も未来の可能性において、確率的存在だと言える事になります。
もちろん、その事によって、観測者自身が変わるわけではなく、その未来の可能性が不確定なだけです。
これが、いわゆる量子力学の「多世界解釈」という解釈の方法です。
多世界と言う言葉は、同時に複数の世界があると言う意味ではありません。
未来の分岐可能な世界が複数存在すると言う意味であり、SFなどのパラレルワールドと言う意味では無い事に注意してください。
観測者は、量子力学の実験において、波動関数が示す確率によって、違う観測結果を見る可能性を持つ存在として、観測前は存在していると言う事です。
そして、観測によって、ある観測結果を見る存在として、収束すると言う事です。
これは、ある可能性が捨て去られたと言う事ですから、ある意味、観測者自身も、その結果の影響を受けていると言えなくもないです。
ただ、これは、実験がある確率で測定結果を与える不確定性を持っていると言う事だけであり、未来は不確定と言うのは、ある意味、当たり前の事です。
表れない未来として、違う観測結果の未来は存在しえたが、観測によってそれが収束したと言う事は、観測するまで、未来が確定しない事は言えますが、人間が観測するまで、物理的存在が、存在しないと言う事まで言及しているとは言えないと思います。

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、...続きを読む

Q哲学では、何が正解なのですか? どうやって、正解を求めるのですか? そもそも、正解はないのですか?

自然科学では、言い分が対立した場合、“実験をやろう”、“予測をしよう”、“論理の精密な積み上げをやろう”ということになり、正解が独りでに決まってしまいます。
哲学では、何が正解なのか分りません。各人が、勝手に言っていうだけ、と感じます。
百家繚乱とは言えず、百家争鳴のような気がします。

以下質問です。
哲学では、何が正解なのですか?
どうやって、正解を求めるのですか?
声が大きい(多い)方が正解なのですか?
そもそも、正解はないのですか?

Aベストアンサー

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
 (4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
   める。
 (5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
 (5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
   のかもしれない。
 ということですが、(0)(1)(2)(3)までで終わればまだ「科学」の
 体をなしていない。
 (0)(1)(2)(3)(4)まででもまだ中途半端。
 (0)(1)(2)(4)(5b)というのは、しばしば勘違いの誤謬を含む。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5a)となれば、これは立派な「科学」で、失敗報
 告という論文が書けます。既にある理論に対立する理論を構築
 し、検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5b)の場合、形而上学的に(1)を認めちゃうという
 短絡をやらかすと「科学」ではなくなるし、哲学としてもお遊
 びレベル。この場合(1)は「一応の仮説」として提言されるべき
 で、何度も(2)~(5b)のサイクルを回った上でようやく「一応最
 もらしい学説」に昇格する。でも反例が一つ出たら瓦解します
 。だから、哲学としては(0)を追加するなり、(1)を精密化するな
 り、(2)のバリエーションを作るなりして一層深い研究を進める
 べきです。
 かくて、(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間と
 コストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築すると
 ころまでは間違いなく哲学で、ことに(5a)(5b)の次のサイクルを
 方向付ける、(0)(1)(2)(3)こそ哲学の仕事です。その指針として(
 検証不可能であるところの)形而上学があったって、それは構わ
 ない。どの仮説から手を付けようかサイコロ振って決めるというの
 よりも、人間の洞察力を信じたいですね。(しかし何度か旨く行
 った形而上学が、だからといって信仰に化けてしまうのは感心いた
 しません。)

まとめ。科学は哲学の一分野である。テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べる。
(0)観察をする。
(1)仮説を立てる。
(2)仮説から演繹される予想を立てる。
(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
  める。
(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
  のかもしれない。
科学は(0)(1)(2)(3)(4)(5a)と(0)(1)(2)(3)(4)(5b)をたくさん集める。(5a)のとき失敗報告という論文が書ける。既にある理論に対立する理論を構築し検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。(5b)のとき、類似したたくさんの(5a)とあわせて科学。でも反例が一つ出たら瓦解する。
哲学は(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間とコストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築するところまで。次のサイクルを方向付ける。指針として検証不可能である部分を持つ。

リンク先の質問とno.1~no.83を読んでみると、哲学で意見が対立する場合、範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくるのだと思う。予測が否定されると、自身の信条が否定されたと強く感じてしまうと、自身の予測に矛盾があるのが自身で認められなかったり、自身の予測の反例となる現象が認められなかったりする。範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名が同意できなくなる。論争になる。正解が見つからない感じになる。

声が大きい(多い)方が正解というのは誤り。リンク先のno.2の説明が良い説明だというのはno.20の直感。どうして良いのかは説明できない。✕百家繚乱〇百花繚乱。

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。...続きを読む

Q唯我独尊は治りませんか?

いろんなことを考えるのは自由ですね。
哲学についても同様です。

ただ、自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。
自分の考えも、他の人の考えも共に尊重していきたいものです。

孤独の中で考えていると、どうしても自分の考えだけが正しいという結論にたどり着いてしまいます。
そうなると、他人が馬鹿に思えてしまうようです。

どんな考えも自由ですが、他の違う考えにも耳を傾けたいものです。
そうでないと、誰にも理解されず、最終的には自分が疲弊していきます。

人生も半ばを過ぎると、唯我独尊はなかなか治らないものですか?

Aベストアンサー

記憶によると、「天上天下、唯我独尊」だと思いました。
詰まり、当時は色々な宗教が、ごちゃごちゃしてましたので、
「新しい価値観を、自分が切り開いていく。」みたいな意味合いで
理解していました。

それはいいとして、「唯我独尊」と釈迦の言葉と結びつける
必然性もないし、確かに「己を信じる。」と言う意味では、
良いのではないか、と思います。

問題は、「自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。」です。

少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を
他者に依っています。

先ず、それを認めることが重要です。

教育を受け、書を読み成長してきたのであれば、それは
先人の知恵を頂いてきた事でもあります。
このことを謙虚に認めないといけない、と思います。
認めて初めて、他者に耳を傾ける事が、出来る。

哲学も同じでしょう。
私は、哲学で、路傍の石ひとつも動かせるわけでもなかろうに、と
思っていますが、それでも、存在を全く否定している訳でもありません。

しかし、独善的な論理構成と結論には、悲哀を感じます。

そういう人は、自分が受けてきた教育や読破した書の価値が
理解できていない。
どのように自分の血となり肉となったか、の理解も出来ていない、と
思っています。

まあ、病気なんだと思っています。

記憶によると、「天上天下、唯我独尊」だと思いました。
詰まり、当時は色々な宗教が、ごちゃごちゃしてましたので、
「新しい価値観を、自分が切り開いていく。」みたいな意味合いで
理解していました。

それはいいとして、「唯我独尊」と釈迦の言葉と結びつける
必然性もないし、確かに「己を信じる。」と言う意味では、
良いのではないか、と思います。

問題は、「自分の考えだけが正しいと言い張ってはいけませんね。」です。

少し謙虚に考えて、己の全ての知識、思考は、その源を
他者に依っています。

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Qなんで哲学カテで神や仏に対する質問するの?

本当に素朴な疑問です
なんで<宗教学><人類・考古学>等で質問しないので<哲学>なのでしょうか?
何を求めて問うているのでしょうか?

哲学的な質問では無いですが読んで回答して欲しい人は<哲学>カテの人達なので
<哲学>カテで質問します

Aベストアンサー

存在を知ることも哲学ですから帰結として神が原因なのかあるいは神そのものを知る、こういう働きもある。
今は頭を働かせば賢いとされる時代ですから、唯物論者も神を語れる。
ある事柄を否定したとたんに認めるという離れ業も出来る。
ようは頭がおかしい。
この哲学カテゴリーも低脳おっさんの語らいの場、社交場(サロン)と成っている。

四元素から原始の発見へ、万物は流転する(ヘラクレイトス)のエネルギー保存の法則やデモクリトス・エピクロスの原子論も、ストラトンの気体と真空説など昔は哲学者は科学者でもあった。


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