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ひさしぶりに「母をたずねて三千里」を見ました。
昔、感動した記憶があるのですが、いま見ると、マルコはちょっとわがまま?という印象をもちました。

ところで、その当時イタリアは貧乏で、アルゼンチンが金持ちだったのでしょうか?いまでもアルゼンチンはお金持ちとは言えないですよね?IMF介入しましたし・・・

当時、電車でブエノスアイレスから母のいる地まで列車で行くにはそんなに大金が必要になったのでしょうか?大人だったら簡単に行ける距離だったのでしょうか?いまの金銭感覚で表してくれるとありがたいです。

A 回答 (4件)

アルゼンチン関係者です。



この国は、今でも人口より牛が多いのです。

人口38百万人 飼育牛数 43百万人 食糧自給率からいえば今でも世界の金持ちです。工業発展のあることが文化経済富裕国の尺度とすれば、貧乏です。

世界の尺度からいえば貧乏国ですが、
スーパーマーケットでステーキ肉一枚が5-70円程度で買えます。安ワインと牛乳が同じ値段。こんな良い国は世界でも稀有でしょうね。

皆がズート移民子孫の侭で生活していると考えればこの国が理解できます。この国の人は皆住み易いと云ってます。

19世紀の末のイタリア・スペインから新大陸に移動した人が大勢おり、アメリカに行くべきか アルゼンチンにくべきか 南北戦争後のアメリカよりアルゼンチンの方が良いかなんて親戚会議があったなんて・・・
アメリカに親戚がいたり、高校生がこの親戚に会いに行ったり、日本よりも遥かに国際人が多いのも事実です。

ブエノスアイレスを除くと殆ど田舎で善人ばかりが
すんでいます。
オリンピックでバスケットとサッカーで金メダル
アルゼンチン万歳です。

マルコ少年に反応して書いたものです。

アルゼンチンのことを少し知ってもらいたくて・・
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この回答へのお礼

回答書いたのに消えてしまったので、簡略で。
アルゼンチンに行きたくなりました。

お礼日時:2004/08/30 23:50

南米というのは、基本的には「植民地」で、スペインから独立後も、支配者が変わっただけで基本的な社会構造は変わってない、というのが状況。



大土地所有者が儲けて、多数の一般住民は貧乏でいる、というのが一般的なパターンでしょう。
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こんにちは。



母を訪ねて三千里は、おそらく1880年くらいが舞台とされています。
アルゼンチンは、当時国際的貿易港ブエノスアイレスを持ち、広大な農地からの農産物や、牛肉の輸出で、とても経済的に豊かで、しかも人手不足だったため、ヨーロッパ、特にイタリアからの移民が多かったそうです。
当時、ヨーロッパは、不況の最中でした。
確か、マルコの親戚のおじさんが、移民で行って、事業に成功したので、借金を返すためにお母さんは叔父さんを頼ってアルゼンチンに行ったのではなかったでしょうか?
でも、残念ながら、叔父さんは事業に失敗していたんですよね。

20世紀に入ってからの世界大恐慌で、アルゼンチンの経済も打撃を受けたようです。
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お金の事はわかりませんので、他の事で。



マルコの母がアルゼンチンへ出稼ぎに行ったのは、イタリアが貧乏、ではありません。旦那が医者で、貧乏な人からは治療代を貰わず診察していたので、経済状態が破綻してしまったのです。そこで、マルコの母は集団就職でアルゼンチンへ出稼ぎに行く事になりました。

マルコが母を捜しに出かけたのは、集団就職の元締めが、故郷に送るための送金を私的に使い込んでしまい、その発覚をおそれて、手紙まで処分していたため、行方不明扱いになってしまったからです。

ブエノスアイレスからの列車の件ですが、マルコは初めは十分なお金をもっていました。それをスリに盗られ、放浪する羽目になったのです。途中でペッピーノ一座と再会しなかったら、行き倒れになったかもしれません。

元締めの男が母のいる場所をわざと正確に教えなかったり、途中で友人となった少年の妹の病気を治すために汽車代を使ってしまったりして、すんなり目的地へいけるようにはならなかったのです。

実際は、線路の果てよりまだ遠い処に母は病気でふせっていて、マルコと再会できて気力が付き、命が助かったのですから、その点を評価して頂きたいな、と思います。

物語をしっかりご覧になってくだされば、理解して頂けると思います。
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