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邪馬台国論には九州説と大和説がありますが、その2つの説において古代国家の成立期にどのような違いが生じてくるのでしょうか。

A 回答 (5件)

発掘調査のたびに、「これが邪馬台国の証拠?」というようなものが、九州からも出雲からも近畿からも出てきます。



結局、「その時代」にそういう遺跡を残した「クニ」はいろんなところにあったわけで、「記録」にのこった「邪馬台国」がそのどれか、ということは大きな意味はないのではないでしょうか。だいたい、まだ日本に漢字はなかったのだから、自分で「邪馬台国」と名乗った人はいないはず。
(中国人が聞きかじった言葉を漢字に直しただけで、じつは「カンガルー」みたいな言葉だったかもしれない)
ちなみに「倭」とか「奴」とかいうのは、「おれ」「おまえ」を表す「わ」「な」じゃないかと思います。

ところで、「神武東征」って、邪馬台国より7世紀も前のはずらしいのですが。
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まず、国家の形成が何時からなされていたのか?について、違ってきますね。

畿内説の場合、弥生時代から、すでに、九州をも含めた国家が形成されていたことになります。九州説だと、やはり、時期が遅れます。
数年前、三重県の貝蔵遺跡から、3世紀の墨書土器が発見されました。
国家=外交=文字の使用と、考えるなら、邪馬台国は畿内に存在した!!と言える材料の一つになるかもしれません。
中国の外交は、「朝貢」が基本です。それに、伴うのが、文書外交です。文章を書いて、それを「漢奴国王」印あるいは、「親魏倭王」の印で「封泥」する必要が有りました。
まぁ、邪馬台国論争は、長引きそうですが、いずれ、決着が着くのでは無いのかと思っております。
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邪馬台国が近畿にある場合、邪馬台国=大和朝廷である可能性も出てきます。


(もちろん、だからといって絶対に大和朝廷に繋がるとも限りませんが)

邪馬台国が九州にある場合、神武天皇の東征が事実である可能性も出てきます。
(もちろん、だからといって邪馬台国から神武天皇が出てきたとも限りませんが)

と、まぁ昔は古事記・日本書紀の歴史的意義が強かったから天皇家の発祥にも
影響したのでしょうね。
現代はkohjiさんお仰る通りの論争だと思います。
でも、今でも天皇家の発祥を根拠に論争されている場合もあるようです。

余談ですが、話題の「新しい歴史教科書」
邪馬台国も神武天皇東征伝承が同じく1ページ全面という量で紹介されています。
日本武尊と弟橘姫伝承で見開き2ページ(!)
やはり、真剣に天皇家の発祥を根拠にする邪馬台国論争を唱え続けられている
世界もあるのでしょうねぇ。
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うるおぼえなので、その辺はご容赦いただきたいのですが、



大和説をとった場合…かなり早くから畿内~九州地方を統一した国家もしくは国家連合が出来上がっていることになる。

九州説をとった場合…その範囲は九州に限定されるため、統一(連合)国家の成立はそれよりも後になる。

こんな所でしょうか。
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邪馬台国論争のポイントは日本の古代国家成立時期ではなくあくまで魏志倭人伝をどう解釈するかの論争です。

解釈の仕方によって邪馬台国が大和になったり九州になるわけです。300年間研究、論争が続いてなお決定打がないため、魏志倭人伝から離れて、遺跡の発掘、遺物の研究から論争を試みる学者や研究家が現れています。
魏志倭人伝は三世紀に中国で書かれた書物で、大和朝廷が誕生する400年ぐらい前の文字に書かれた唯一の歴史です。その文字に書かれた歴史的記述が解読できない以上、文字を残していない3世紀の日本の遺跡をいくつ発掘し、分析しても答えは出ないと思われます。邪馬台国は永遠の謎かもしれません。
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