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最近、純文学小説を読み始めた者です。
本は前々から好きで、主にはやみねかおるさん、東野圭吾さん、三浦しをんさん、湊かなえさんの小説を読んでいました。
一方、最近読んだもので、純文学に分類される(と思われる)ものは、中島敦、谷崎潤一郎、森鴎外、梶井基次郎、井伏鱒二、織田作之助、太宰治、坂口安吾の小説です。また純文学ではないかもしれませんが、新美南吉、江戸川乱歩、夢野久作の小説も読みます。
前者の作品と後者の作品ですが、私はどちらも面白く読めます。ついでに言えば、ラノベも楽しく読めます。しかし、ネットで(特に東野圭吾さんと湊かなえさんについて頻繁に)文章力が無いと批判されているのを見ました。でも、このお二方の作品を読み返してみましたが、はっとさせられるような表現、自然と息の詰まるシーンの描写など、とても素晴らしいように思えます。
地の文の量ではないかとも思いましたが、例えば太宰治の「グッド・バイ」なんかは、会話文もかなり多いので……。
長々とすみません。ようやく質問なのですが、文章力とは、いったい何なのでしょうか?
私には、違いが分かりません。強いて言うなら、中島敦の山月記は、音読していてとても心地良いですが、そのくらいです。あとは好悪の差があるくらいです。
しかし、前者の方々が劣っているかどうかはともかく、後者の文豪の方々について、何もわからないのは余りに恥ずかしいので、知っておきたいと思っております。
文章の巧拙の見分け方について、よろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

ネットで調べて見ますと、文章力と言う定義はないようですね。




”文章”に”力”をつけた造語のようです。

検索で最初にヒットしたものは、

カリキュラムやテキストなど、教材の宣伝が多かったです。

こちらの用法では、

「文章力が無い」と悩む人に向上を呼びかけ、

ビジネスに結びつける目的で使用されているようです。


しかし、

作文一般で悩む人が、文章力なる解釈の難しい用語を正しく把握しているとは思えません。

「”文章力”という、なんだか分からないものが苦手の様に思えます。」

「ああ・・・”文章力?”ですね。分かります。知っています。

 私が何とかできるかもしれません。」

と言う実体のない使われ方をしていると思えます。

こうしたビジネスマン向けのカリキュラムは、

国語で習う基本的なルール、文章を構成するノウハウなどを指しているように思えます。

目的は、誰かを説得したり、簡潔に事実を伝える力みたいです。

これらは、ご質問の”文章力”とは違う意味と思いますので、区別が必要でしょう。


言語力と呼ばれる言葉もありましたので、調べますと、これも造語のようです。

色んな解釈がされているようですが、最終的には定義されていないとするのが無難のようです。


次に読解と言う言葉がありましたので、調べました。

つまり、発想を変えます。

作り手の力として判明しないものは、

受け手のすることや受け手の能力から類推することができます。

「受け手の力を補助する能力」として定義が可能でしょう。

例えば、

歌では、一般の人(音感の無い人)が聞いても楽しめて、

歌詞を覚えているようならば、歌い手の力が高いと解釈できます。

メロディーだけが心に残る場合は、歌い手の力は低いとなります。


読解について読みときますと、ヒントになる記述がありました。

PISA(経済協力開発機構(OECD)による国際的な生徒の学習到達度調査)によれば、

日本人は読解能力が低いとされているそうです。

日本では、内容を理解するのみに留まっているのに対し、PISAでは「解釈」し「熟考」して

意見を述べ、その意見の構成や表現方法を含んで読解能力としています。


もしこれが本当であるならば、

文章力とは、受け手の力を増幅して活発に議論を誘い、受け手からも文章力の高い表現を

引き出すものと捉えられます。

相手に刺激を与えて同種の力を引き上げる効果が正体に思えます。

確かに、プロの童謡歌手が歌いますと、子供が一生懸命真似をしますよね。

しかも上達が早いんです。

文章でもそうしたものがあると言うことでしょう。

そういう効果が得られないものは、内容が正しくても、文章力が無いとするのでしょう。

こちらには、嫌味を込めて”作文”と表現されるそうです。


心を動かすだけではなく、受け手の力も増幅する。

ここに鍵がありそうです。


次に小説と言うものの定義について調べてみました。

ご質問は小説作家の文章力についてですから、小説とは何かを把握しないといけません。

どうも、小説は物語と区別して扱うようです。

政治や思想などのテーマがあり、これに対して作家の意見がある。

そして、主人公の性格と事件を関連付けて、テーマに沿って必然(言いたいことに関連する因果

だけを描く)として描かれるものが小説だそうです。

偶然生じる事件が重なるものは物語だそうです。

近代の小説はここから派生し、日本では坪内逍遥の「小説真髄」の評論によって明確になり、

進歩しています。

「小説で大切なことはまず人情を描くことで、次に世の中の様子や風俗の描写である」

政治や思想に対する意見を述べるにしても、

人情を描いていないものは小説ではないと言う事でしょう。

例えば源氏物語などは、現代小説的な部分があると言われています。

近代において、坪内逍遥が再発見し、明確化をしたのでしょう。

源氏物語については、海外を含む多くの研究者が活発に議論をしていたようです。

つまり、同種の力を引き出していると言えますよね。


また、小説は文学の(純文学と言う意味ではなく、文章の形態が所属する)

カテゴリーに入るものだそうです。

そこで文学が属する芸術一般の定義についても調べてみました。

芸術は、

「作り手の創作により、受け手の精神活動に影響を及ぼし、行動を誘う」

ものだそうです。

さらに面白いのは、

アートと言う語源(古代ギリシャ)について調べますと、”技術”だそうです。

とくに美しい技術を指すとされていたようです。

後に科学技術の進歩により、科学技術を”技術”として扱い、

人手による技術において、美しさを伴うものを芸術としたのでしょう。



しかし、ここで”美しい”と言う更に曖昧な表現が登場してしまいます。

これについては、どう評価し、判別するか迷いますよね。

人が持つ根源的で原初の感覚に思えます。


ここで思い出したことがあります。

うちの父が良く言っていたことです。

わたしの父は絵を趣味でやってまして、

芸術と技術(テクニック、ノウハウ)の違いについて述べていました。

「あれは(絵が)達者であって、絵(芸術)ではない。」

そのためいつの間にか、私も”達者”と”絵”の区別がつくようになっていました。


これらは自分に生じた感覚、つまり結果論で判別します。

芸術が伝える美に出会いますと、単なる美しさの印象だけではなく、意識の断絶が生じます。

物思いに沈んで、幼少の頃の思い出などが蘇ります。

「いつの間にかそうしている。」

もし自分(実は誰でも、しかも何度でも)がこうなれば、そこにあるのが芸術の美です。

サブリミナル効果の様に、人の脳の仕組みに由来するのでしょう。

そうした効果に特化したものに出会いますと、何度も意識の断絶に出会います。

そうでないものは、そうじゃないんですね。

ですので、かなりハッキリと具体的に判別できるんです。


ここで芸術には、

「受け手が綺麗だと感じた後、受け手の意識を刈り取り、幼少の頃の記憶を蘇らせる。」

という効果が必要となります。

例えば、

「ハッとする表現」はどうなるでしょう?

それは、そこまで(意識を刈り取る)までの効果を発揮していませんので、

芸術の美ではありません。達者なんですね。


私は判別のために、

「(新鮮味が失われても)繰り返し効果を発揮するか?」

で判別しています。

確かにそういうものがあります。

(あるアマチュアの方の歌の評論を書こうとして、

 意識が何度も刈り取られました。

 大変時間が掛かり、苦労したことがあります。

 全く抵抗できませんでした。)

そうでない似ている(慣れると効果が薄れる)ものがあります。

後者を達者と呼ぶわけです。


俳句などを例に考えると、優れたものは何度も同じ効果を与えますよね。

これには芸術の美があると言えるわけです。


さて、まとめてみます。

「小説の文章力とは、政治や思想などで訴えたい意見を持ち、

 言語を正しく運用して文章に安定感と文体を与え、

 主人公の性格や行動から必然となる事件と成り行きを述べ、構成し、

 人情を主体に描くと共に、世の中の様子や風俗を描き、

 美しい綺麗な表現を用いて、読み手の意識を過去や幼少の記憶に誘う。

 結果として読み手の精神活動に影響を与え、

 作品に対する議論を活発にさせたり、その表現においても能力を一時的に向上させる。

 読後感として、同じ道を歩みたいと思わせるもの。」

となります。


仏教のお経もそういう意味では、大変な文章力であると言うわけですね。


私見ではありますがいかがでしょうか?


以上、ご参考になれば。
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