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神社についての質問です、外国人ですので、日本語はちょっと下手です、ご許しください
楼門と随身(神)門の区切りです

自分で勉強した結果は、

楼門とか随身門とかは全部「神門」と呼ぶことができます
二つの違いは門の両側は随身像があるかどうか決めます。二階建ては楼門、。像があるのは随身門。一般的な門(像がなく、一階だけの門)も神門と呼べます

ですので、以下のように、

神門-A楼門
-B随身門
-C神門

質問は、
1、
随身像がある二階建ての門は 楼門か随身門と呼びますか
富士山本宮浅間大社のサイトで、以下のリンクのように説明してます、随身像があるけど、浅間大社は「楼門」とkは呼んでいます....
http://fuji-hongu.or.jp/sengen/hongu/index.html
2、
随身門と楼門の位置は違いがありますか?写真の本は中国語版ですけど、中に随身門は結構本殿とか離れています...
神門は本殿の前にあります、
ですから、二つの位置は特にルールとかがありますか、どこにある方は楼門か随身門と呼びますか

そして社殿の前にある門は 垣か廻廊とかあります、これらのなんのようですか、本によると、神域と示したいためです
でも、鳥居も同じでしょうか?
鳥居と垣とかの違いはなんでしょうか

ありがとうございます

「神社についての質問です、外国人ですので、」の質問画像

A 回答 (1件)

まず「楼」という言葉は元々中国語で「2階建て、もしくは見張りのための高い建物」を意味していました。


ですから、建物の形状としての分類になります。

それに対して、随身門は用途による門の種類になり、
随身門の他に、仁王門:仁王像が奉ってあるもの、山門(三門)寺院の入り口、などがあります。

詳しくは https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80を見るといいと思います。

以上の前提で

1.について
ご質問の富士山本宮浅間大社の門は「随身を奉った楼門」となります。神門としては随身門であり、形状は楼門だということです。
どちらを優先するかという点についていえば、たぶん日本の大きな神門は随身門であることが多いので「随身を安置した楼門」と、どちらかというと珍しい楼門に焦点を当てた説明になっているのでしょう。


日本の神社の形式、門の使い方は少々独特な文化になっています。

通常、参道として一般の人が通り参拝するのは鳥居からで、門を通ることはすくないです。古来の神道の形式では門はなかったからです。

日本は城壁のない珍しい国です。異民族紛争がないので、城壁都市はまったくできず、そのため同じ文化圏の中国や朝鮮半島とも異なっています。

元々、日本の集落や神社には「門」という考え方はなく、神社の領域を占めるには「結界」とそれを表すゲートとしての鳥居しかなかったのです。神社形式だけの伊勢神宮や出雲大社は、領域を示す場所に門はありません。出雲大社は神殿の領域を囲う塀に門がついていますが、この社殿は250年ほど前に作られた歴史的には新しい社殿なので、それ以前は門がなかったかもしれません。

いずれにしても「門」は仏教思想が入り、寺院を作るようになった6世紀以降の神社仏閣に見られるものです。

富士山本宮浅間大社は806年に現在の土地に社殿が作られた、とあります。すでに仏教的な門を取り入れた後です。
今の社殿や門は徳川家康が作らせたものが元になっており、本殿・拝殿・楼門は当時のものだそうです。

ここに富士山本宮浅間大社の見取り図があります。
http://www3.tokai.or.jp/umaimono-mituke/sengen2. …

これを見ると、出雲大社と同じ造りであるのが分かると思います。神社の領域は結界としての鳥居で構成され、南側の「正面鳥居」と東西の鳥居になっています。そして本殿は楼門の奥にあります。楼門は本殿や社殿を囲う塀の一部であり入口になっていて、これは社殿で秘密儀式などを行うときにこの中に入れないように区切っているからです。この区切りが「垣・廻廊」と呼ばれるもので、昔の神道形式が残っていれば単なる塀に門がつくだけの「垣」、仏教形式を取り入れると「歩道がついた廻廊」となります。
一応この囲いの中が「神様が住んでおられるところ」なので、随身などを門に配置し、悪いモノが入ってこないように見張らせたり、その手前に狛犬を番犬としておいたりするのです。それ以外の領域は「境内」とよび、一般的にいえば庭にあたり、庭から先が「神社の領域」なので鳥居や、場合によっては門が配置されているのです。

出雲大社も本殿を囲う八足門から先は通常入ることができず、手前に拝殿を配置しています。
出雲大社見取り図:http://www.izumo-murasakino.jp/images/izumo-map. …

今は明治の国家神道時代の後なので、神社とお寺が分離していますが、江戸時代までは神社とお寺が同じ場所に立っていることも珍しくなく「神社を守る仏様の小さなお寺」とか「お寺を守る神社」というものがあったのです。ですから、大きな神社になると、大きなお寺も付随していたりして、本殿の様式も仏教的なものを取り入れていったのです。

そして、この二つを比べてみると、鳥居や門の配置が良く似ていることが分かると思います。そして、どちらも南側に参道の入り口があり、北の奥に本殿そしてその後ろは山(神社の森)になっています。これって、実は京都(平安京)と同じ作りなんですね。

そして、平安京は中国の長安を模倣して作られていますので、その当時の中国思想と日本の神道、さらには仏教思想がミックスされているのです。長安は仏教の一大拠点でありシルクロードの起点でしたし、この配置は「天の神様と地面の神様の間に人間の住まいを作る」という儒教的な思想(天命思想)を表す天国だったのです。

日本の神道も天命思想がかなり入っていますので、神社の形式もその思想に沿って設計されたのです。
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