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今の仕事に就職して4年・・初めの1年はそれなりに良かったのですが今の部署に来てから、『社内失業』状態です。いてもいなくても全く変わりません。私は必要とされていません。そんな状態で鬱病になり病院に通っています。今になり症状は重くなり私には死ぬしか道がないように思えてきています。
仕事場に行くと希死観念にかられ、死ぬ方法を考えてます。笑い声を聞くと憎しみの感情がわきます。病院の先生は仕事を辞めなさいと言っておりますが、親は許しません。私のことを怠け者・根性がない・おまえができない人間だからどこにいってもできないだろうと散々言われました。私もできない人間なりにパソコン教室に通ったり、現在、独学で英語を勉強していますがやはりこんな精神状態じゃ頭に入らず、できない人間を再確認しております。
私の同期は4年もたちそれなりに責任ある仕事についています。なのに私は『給料泥棒』『社内失業』です。仕事場でも必要とされてない、親からも必要とされていない、友達だって私の歳の年代となれば恋人が優先です。もう、どこもかしこも私は必要とされていないのです。
この感情は鬱病からきてるものだと思っていましたが薬を飲んでも変わらないので元々の性格だと思います。
こんな性格では、きっとこれから先も苦しむだけだと思います。未遂でさらに生き地獄を味わいたくないのでやるんだったら成功するものと考えており、幸い1人暮らしのため成功しそうです。(誰もいないため)しかし100%死ねる状態なのですが、ふんぎりがつきません。
しかし、もう行くべき道は死しかないことも自覚しております。自殺防止のためペットを飼っていましたが、実家に預けるつもりです。死に向けての環境はそろいました。
あとは私の最後の勇気だけなんです。

私の考えはおかしいですか?
友達は理解できないといいます。

A 回答 (57件中41~50件)

真夜中ですが失礼します。

loveryと言います。
あたしもつい最近、うつ病に掛かり、精神・心療科に通い始めました。
一人暮しで、就職もしていなくて、なけなしの貯金のみの生活で細々と暮らしております。
いつ、貯金が尽きるかもわかりません。
でも、今はとても働ける状況でもありません。
家族は、色々訳有りなので、お金の援助を求める事は出来ません。
友達もほとんどいません。
1週間引きこもって表に一歩も出ていません。
食事も2日位まともに食べてません。
もしかしたら、あなたより最悪な状況であたしは生活しているのかもしれませんね・・・。
そんな人もいるんですよ?
だから、”自分よりもっと最悪な人がいるぅ”と思って頑張って下さい。
あたしも、何とか頑張っております。


でも―――本音を言うと―――


あおる回答ではありませんが、あたしも凄く辛い。

働いてる時もあったので、職場等の辛さとかも経験しており、充分わかります。

だから・・・あたしも・・・今死にたい・・・。

あなたと同じで、今死ぬ方法を考えております。
楽に死ねる方法を。
自分なりに生きようとして頑張ってはいるんだけど、でも、もう、誰もあたしを必要としていないんです。
生きてる意味が見つからないんです。
あたしは、人間のクズなんです。

だから・・・あたしも・・・本当は今死にたい・・・。
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この回答へのお礼

こちらこそこんな遅い時間に回答いただきありがとうございます。

死にかけた自分がいうものなんなのですが、質問をした当時は題名をみてもわかるように死ぬしか道がないと思いました。もう現実に立ち向かう気力もなくなったんです。
そんな時、死というものは一生覚めない眠りみたいに見えて『究極の現実逃避』に見えました。
しかし死というものが現実として見えたときに痛い・怖いという感情にかられました。
それで、質問に書き込みしたんです。

びっくりするぐらいたくさんの方より回答を頂きました。
それらの回答を読んでるにつれ冷静になっていったのです。死を考えた時は自分のことしか見えてなかった。
他の方への回答を見ていただければわかりますように、友人の死を体験したり、今現在が生死を扱う職場なので命の尊さ・大切さがわかっていたはずなのに、死しか考えられませんでした。はたしてこれが鬱病からきているものか元々の性格からきているものかわかりませんが、こんな甘ったれた私にloveryさんをはじめたくさんの方が心配してくださり、貴重な時間を割いてアドバイスをしてくれたのです。私はもう死にませんと言うことでしかお礼のしようがありません。

私も生きてる意味がわかりません。
必要とされてない職場で仕事をしているフリをして、1時間で終わる仕事を1日がかりでして、友達は恋人に夢中で・・唯一自分を必要としてくれるものをと思いペットを飼っても全然慣れず・・・必要とされてないですよ。

私ががんばれないのでがんばれとは言えません。
ただ、1人ではないんですよ。
面識もないし名前も顔もわかりませんが、私はloveryさんが心配です。

お礼日時:2002/07/27 01:08

 注意事項は,十分承知の上での回答です。


 断定的発言(書き込みをします)言葉はストレートですから,しっかりと受け止めて下さいね。そして,生きて下さい。

 隠さず申し上げます。
 私は,成人型のアトピー性皮膚炎(全身)で,この5年間に5回も入退院を繰り返しました。痒さは,それは本当に経験しないと判りません。
 特に,夏は地獄の苦しみでした(今も直っている訳ではありません)。痒さの余り,全身を引っかき回す。朝起きると身体が浸出液(リンパ液や血液)の乾燥したものでくっついて,剥がすとまた痒み,そして掻爬(そうは)行動へと。82kgあった体重は,僅か一ヶ月で20kg近く減りました。それは,不眠と掻爬の連続で,体内のタンパク質が急激に減少したことが主因です。
 毎日・毎朝コップ一杯にもなろうかという,自分の皮膚のかつお節を集めては,悲しみに暮れました。

 最初の入院は97年8月。ステロイド軟膏・クリーム剤の効用もあって,一時的には良くなりました。
 しかし,98年初頭から,ステロイド剤の怖さを知って(ワイフからの,情報でした),今度はステロイド剤からの離脱を図り,見事に失敗しました。
 身体はだるくて,何をするにも意欲が出ず,引きこもり寝たきり状態になりました。当時は労働組合の役員という,とてもハードなそしてストレスの多い立場で,しかも睡眠時間は1日3時間足らずでした。

 再入院を余儀なくされ,クーラーのない病室で,痒みとの闘いは殆ど私から離れませんでした。
 色々考え悩み,相談した結果,睡眠薬に手を出すこととしました。何故なら,主治医から睡眠薬(無理矢理寝て,寝てると時だけでも痒さを忘れたかったからです)は,精神神経科でないと,ここは総合病院なので出せないと言われ,98年6月1日に,初めて院内紹介で精神神経科を受診しました。
 精神神経科を受診することは,どういう結果になるのか。それは偏見を持っていました。
 だから,主治医には,心身症(紅皮症=皮膚が真っ赤になる皮膚炎の最悪状態の一つです)との診断名を付けてもらいました。
 
 ところが,偶然とは余りに,いきなり訪れるもの。その精神神経科の医師が,僕よりひどいアトピーでした。顔は真っ赤で,髪の毛を掻いていました。私と同じ血液型はA型でした。私は,問診の際に,そのことを即座に感じてドクターに告げると,さすがのドクターも驚かれていましたが。

 日本は,御存知のとおり,A型の血液型が人口の約40%を占めます。最近は,血液型ではなくてAタイプ・Bタイプとして分類するそうですが,Aタイプ人間は実に几帳面で,神経質,頼まれたことには実に忠実にそして,人にはとても親切で自分には厳しく,自分を誉めることを知らない人間が多いのです。Bタイプは,明るくて,くよくよせず,何事にもこだわらない性格(少し,記述が足りませんが)とのことです(ワイフは一応,看護師です)。
 
 そして,職場復帰した私を待っていたのは,恐ろしいパソコンでした。ワープロは使えましたが,エクセルなんか,聞いただけでアレルギーを起こしてしまい,またまた引きこもってしまいました。ワイフは,ちょうどその時看護短大の学生(子育てをしながら)でした。ワイフにばれないように,家へ帰り,出勤は恐くてできませんでした。
 
 次に待っていたのは,痒さを押さえるための行動でした。お気に入りの主治医は,医局人事で転勤され,次に来られたのは,まるで人間性のない,しかし腕は切れる30歳の医師でした。
 ストレスを感じた私が何をしたか,それは痒みを紛らわせるため,顔や眼,耳や身体を叩きまくることでした。その結果,眼は人工的な白内障,右目は網膜剥離を起こしました。
 でも,鈍感なワイフは,私の水晶体が真っ白になっていることには気付きませんでした。
 二男からは,お風呂で身体を掻いたり眼や顔を叩いている自分に「パパ・ぱんぱんせられん=するな」と言ってきましたが,恐らく100万回くらいは,眼を叩いたでしょうか。そして忘れもしない98年12月7日,その二男を実家に送っていく途中,交差点で霞んだ目(バスの尾灯がぼんやりと見える程度でした)で自家用車を運転中,路肩に車をぶつけ,パンクしたことも判らないままに,近くに車を止めて二男を実家まで送り,その後また車の中で眼を叩いていました。
 
 またまた,偶然に同僚が一時停止違反のクレームを警察署に言いに行く際に,私を見つけ,その帰り道にまた私を見つけ,スペアタイヤに取り替えてくれ,久しぶりに出勤しました。しかし,霞んだ目には,出勤簿の印鑑欄が見えませんでした。
 もちろん,仕事などできるはずもありません。
 最上階へ上がって,自宅の留守電に自殺の予告電話を19回も入れました。迷惑を掛けた,実に憎らしかったワイフへ,そして残されるこどもや親に,そして職場のみんなに,申し訳ない気持ちを,繰り返し入れました。もちろん,プッシュボタンも手探りでした。

 さて,屋上に出て飛び降りようとしましたが,暗くて足下が判らなくて,紐に足を取られるは,さびた鉄柵にあたるは。そして,柵を乗り越えた時,迷いました。
死んでも,死亡保険金は十分に出る。でも,下の階に降りて今度は窓枠の外にぶら下がりました。その時,ワイフからの電話で私を探しに来られた上司と同期の同僚に,手をしっかりと捕まれてしまいました。
 振りほどいて,飛び降りようとしましたが,下では人の声が聞こえました。誰がぶら下がっていたかは,暗くて判らなかったでしょうけれども,そこで私は,ここで飛び降りて死んだら,下の人に自分が当たったら,自分の保険金はその人への賠償金になってしまうかも知れないなどと言う,心配性の性格が出てきて,結局は踏ん切りがつかなくて,飛び降りることは止めました。

 中略

 明日からは,二人のこどもと北海道へJASで行きます。昨年の秋には,黒岳へ行きました。今年は,千歳でレンタカーを借りて,阿寒湖畔で一泊し,女満別空港から千歳へ飛んで,28日には小樽で宿泊,29日に帰宅予定です(飛行機は墜落するかも知れないし,交通事故に遭うかも知れないです)。でも,人生半分終わりました。ワイフいわく「ふたつもDNAを残しているのに,小学校の時の交通事故で死に損なっているのに,残りの人生は余生と思い!」と言われると,負けず嫌いの自分は,死んででも死なないと,変な対抗心が出てきて,それが命の源泉になるのです。

 かのリスト(ピアニスト兼作曲家兼僧侶)は,「生は死への前奏曲」と言って,死の舞踏や前奏曲などの名曲を残しました。
 
 死へのこだわりは,少し方向を変えてみませんか!私の場合は,周りに恵まれました。『情けは人のためならず』,組合活動で体を壊したことは衆知の事実。誇れるものではありませんが,8回入院すると『七転び八起き』は,とうに過ぎてしまいました。
 
 やがて,心配しなくても死ぬ時は来ます,絶対に。この国は,既に安全な国ではないです。リストラ・自殺・殺人・・・。みんな,本当に乾いているんです。
 だから,生きるんです。

 北海道から帰ったら,8月4日には,今度は東京で子どもを連れての,アマチュアピアノコンクールに挑戦します。そして,梯剛之さんのように(あの方の演奏,6月22日に栃木県で聞きましたが,それは素晴らしかった。ピアノは,音楽は心の故郷です。別にクラシックだけが音楽ではないですが,ショパン・メンデルスゾーン。モーツアルト,シューベルト,日本では滝廉太郎,そしてかの楽聖『ベートーベン』は,聴力を失い遺書まで書いて,しかし作曲を続けました),今度は私が,コンクール歴をつけて,手弁当で下手かも,下手ですが,ボランティア活動にはまります。
 田舎の今までショパンなんか聞いたことのない方々に,だって,何処の学校にも,ピアノはありますよね!へたくそがいいんです。こだわり・変人の時代が,この21世紀なんでしょう。小泉さんも言った,真紀子さんもそう言った。地域の人と若い人,お年寄りが一体となった,暗い閉塞状態の僅かな栓抜きになれれば,それで満足です。

 繰り返します。命は,たった一つの命は,それは生きているのではないのです!
生かされている,生きていることはしんどいけれど,また,明日はあるのです。

 もう,死へのこだわりは止しましょう。死ぬ勇気は,生きる勇気の証です。
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この回答へのお礼

長いアドバイスを頂きありがとうございます。

アトピーの痒さは体験したものではないとわからないかと思います。私なんて蚊に15箇所刺された時は血がでるほどかきむしったのですが、それとはくらべようがないぐらい身体的・精神的ダメージはくるかと思われます。

精神科の先生にもなにか趣味をみつけなさい。やりたい事をみつけなさいと言われました。
今はどうも、気力がなくやりたいこともないのですが、もう少し気持ちが安定したらなにかやってみたいと思います。いままで転職を意識してやりたくもない習い事してましたので・・・。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/26 23:49

こんにちわ。


私ももう自分の存在する意味がわからず必要でないと思い、自殺したいと思ったことあります。

それまではまったくそんな状態になったこともなかったので、
自殺の報道など見ては
「死ぬなら死ぬ気でなんかしろよ」
と思いましたが自分がそういう状態に立たされるととてもじゃないけどそんな気はおきませんでした。
ですのであえて頑張れ!とはいいません。

・・・先日親戚が亡くなりお葬式に行ってきました。
義理の親戚なのですが聞くところによるとかなりめちゃくちゃなことをしていた人のようでした。
しかしたくさんの参列者、そしてたくさんの人の涙。
そんなに接点がない私でもお骨を拾うときの悲しみはなんともいいようがありません。

・・・そのとき火葬場で若い女の子の写真をもった泣き崩れるお母さんらしき人を見かけました。一人では歩けなくて兄弟らしき人が支えていました。
とても見れませんでした・・・

自分がいなくなった後のこと考えてみてください
誰も悲しまないと思っていませんか?

誰も悲しくないお葬式なんてありません。



「自分のお骨を拾っているお母さんを考えてみてください。」
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

他の方でのお礼文にも書いたのですが、私は数年前に友人を自殺で亡くしました。
ひさしぶりに会って3日後に亡くなりました。
3日前まで喋り・笑い・私を見た目も3日後には青白く少し開いた目はどこもみていませんでした。
その衝撃は忘れません。
また、友人としてあったのは私が最後だったのにサインに気づかず、結果としてこうなってしまったことに自責の念にかられました。
その時、死というものがどれほど恐ろしいものかわかったのです。
その友人に会いたいです。借りた本を返したいです。
しかし2度と会う事はできません。私の中での友人は若いときの姿なのです。自分だけが歳をとっていき・・。

なのに、私は死ぬしかないと思いました。
あの時は、自分以外なにも考えられなかったのです。
愚か者です。
私はもう死ぬなど言いません。
そういう形でしかみなさんにお礼ができないのです。

がんばりますとは言えないのですが、生きます。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/26 23:32

ここに書き込んだのは



誰かに聞いて欲しいからだろう。

ほら

皆聞いてるぞ。

見知らぬお前にアドバイスしてるぞ。

お前は1人じゃない。

死ぬな!

完。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

私は孤独感でいっぱいでした。
こんな状態がずっと続くのでは・・と思うと逃げたくなったのです。

たくさんの方からのアドバイスを頂き、なんとお礼をしていいのかわかりません。
死ぬことは考えません。

つらくなったらこれらのアドバイスを読みます。
完全に復活はできていませんが、死なないようにします。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/26 23:18

 あなたを必要としている人が誰かいると思います。

1円も持たずに旅をしてみたらいかがでしょうか。
 人のやさしさや、思いやりを受けたら、同じように返してあげてみて下さい。自分はどうせ死ぬなんて態度があると、やさしさを受ける受け皿も失っています。星空をながめて自然のなかで懸命に生きているカブトムシやトンボさんに生きるって何って問いかけてみて下さい。新しい発見があると思いますよ。

実はnyannnyannnkoがここにアクセスしているのは、自殺する前にnyannkoが知っている事を誰かに教えてあげたいからなのです。これは書きたくはなかったんですが。自殺の前になにか出来る事はないかな、を考えたらここに
いました。

 日本の最東端や最南端へ旅をしてからでも遅くないと思いますよ。
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この回答へのお礼

nyannnyannkoさんへ

私は、衝動的にこんな質問を書いてしまいましたが反対の立場になりnyannnyannkoさんの回答を読み、ドキッとしました。自分はとんでもないことを書き込みしてしまったのではないかという思いです。

私は、死と生がある職場にいます。(想像できるかと思いますが)命の大切さ・尊さは他の方より知ってるかと思います。弱い命を助けるため、たくさんの人がその命のともし火を消さないよう幾重にも守っているのです。
そんな職場にいながら、自ら命を絶とうと考えているなんて自分でもバカなんじゃないかと思います。
生きたくても生きれない人が目の前にいるのに、本当にオオバカ者だと思います。
しかし、あの時(質問時)は、自分のこと以外考えられませんでした。死んでからの云々よりもいまいる現実から逃げたい一心でした。
それで、あのような質問をしてしまったのです。
しかし、こうやって反対の立場になりまして、私はとんでもない事をしてしまいました。

みなさんに大変心配・迷惑をかけてしまったということです。nyannnyannkoさん、どうか死なないでください。
こんな私がいうのも変ですが、私はこうやって生きております。
1人ではありませんでした。
nyannnyannkoさんをはじめたくさんの方に助けられました。だから、今度は私が助けたいのです。
どうかどうか死なないで下さい。

お礼日時:2002/07/26 23:13

この回答の多さ貴方はどう感じますか?


人は一人ではないのです。

上を向いて歩いていこう!!

ひとりじゃないよ!!!!
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この回答へのお礼

たくさんの回答を頂き、驚きました。
また、こんな甘えた質問に時間を割いて回答して頂き申し訳ないです。

まわりの友人は「理解できない」「なんでこんな性格になっちゃったの?」と言うので孤独になってしまいました。
なのにこんなにたくさんの回答を頂き、ひとりではないということがわかりました。

まだ、自分から人生を切り開こう・立ち向かおうとまで気力は回復してないのですが、死は選びません。

お礼日時:2002/07/26 22:54

ここの回答の注意に、責任を持った回答を、との言葉があります。

ちょっとここが心配ではあります。読み間違えると、「あおっている」と勘違いされるかもしれません。

私はここで、私自身の考えを精一杯ぶつけます。受け止める覚悟をお持ちなさい。

私事ですが、最近、私は身近で、尊敬すべき先輩を無くしました。重い病死でした。非常に重い症状であったにもかかわらず、死の1ヶ月前まで、大変精力的に人と接しておりました。

私はあなたに同情し、心の叫びに耳を傾けるべきなのかもしれない。しかし、こと命に関してのみ、絶対に受け入れてはいけない意見だと判断し、今、述べております。「あなたに私の気持ちがわかるわけがない」「そんなもんわかってたまるか」という立場に、あえて立たなければならないように思うのです。

時間はかかってもよいから、まずは、エネルギーを補給しなさい。「何かをやろう」という気持ちを持つエネルギーです。私には、心が疲れているように見受けられます。

「命を大切に」という、ありふれたことについて述べます。
昨今、とにかく死なないことが、命を大切にする、ということのように述べられているような風潮があります。「生きていれば、きっといいことがあるよ」と。

てやんでえ、です。

戦争が終わるまでの日本では、「いかに死ぬか」という教育が行われてきました。江戸時代の武士もそうでした。命を粗末に考える、ということで、現在では唾棄されておりますが、私は、これはむしろ、「命を考える」哲学であったように思います。

今も昔も、死とは人生の一大事。また、切腹を含めた自殺も、昔からあったことです。いかに死ぬか、とは、

「その死の瞬間にまで、自らの人生に誇りを持つことができ、意義ある人生を送りきったと自信をもって言えるように生きよ。このすぐ後の瞬間に、何らかの事故でおまえの人生は終わってしまうかもしれない。しかし、そんなときでも、その瞬間までのおまえの人生が誇れるものであったとしたら、おそらくおまえはそれなりに成就感を持って一生を終えることができるであろう。」

「死ぬときこそが、おまえの人生の総決算である。いつも、死と隣り合わせでいよ。それでこそ、命は輝くのである。」

というようなことだと私は解釈しております。

あなたは、それだけの人生を歩んだと自信を持ってあなたの心の中に言うことができますか?文面からは、とてもそのようには感じられません。楽をするため、逃げるために自殺をしようと。

そんな価値観を、人類で「是」とすることはあまりにも危険であり、猛烈な怒りを覚えます。

私など、まだとても自分の人生に誇りなどもてない。まだまだまだまだ死ぬわけにはいきません。
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この回答へのお礼

回答頂きありがとうございます。

songbookさんのおっしゃる通り私は『究極の現実逃避』のため死を考えました。
死ぬ勇気があればなんでもできる云々よりも、もう立ち向かう気力もなくなってしまったのです。
もう、死というものが永遠に目が覚めない眠り程度に考えていたのです。

しかし、100%死ぬことができるということがわかったとき(一人暮らしのため、見つかるおそれがないので)急に死というものが苦痛・恐怖という現実になったのです。
たとえは変ですが死にたい死にたいと思っていた人間がいざ交通事故にあい死に直面したときの心情とでもいいますでしょうか『生きたい』と思ったのです。
しかし、山積みとなった嫌な問題に立ち向かうほどの気力まではわきません。

よって、自分の人生に誇りなんて持っておりません。
きっと誇りを持つということは、自分で自分の道を切り開いてこそ得られるものだと思います。
私はまだそこまで、回復はしていません。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/26 22:49

昨年、私の父が自殺しました。


突然父を失った私と家族は、ただ自分を責める事しかできませんでした。
今でも思い出すと自責の念にかられます。
残された者達の苦しみはきっと体験した人にしかわからないでしょう。
死んで自分は楽になるかもしれないけど、その事によって辛い思いをする人が必ず生じてくるのです。

よく『死んだつもりで』などと言いますが、まさにその言葉の通り死んだと思って邪念を捨てて本能のまま、なりゆきのままに見を任せてみてはいかがですか。
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この回答へのお礼

私も少なからず、残された者たちの苦しみを体験しました。(友人の死)このときはこの苦しみを他の人達にあじわせてはいけないと思っていました。

しかし、質問した当時は親も友人もなにもかも存在を忘れて、この現実から逃げるためには死ぬしかないと思ったのです。(題名をみていただければわかりますように)
それしか見えなかったのです。

いまは、冷静になって回答を読むことができます。
私の質問は気分を悪くされてしまったかもしれません。
申し訳ありませんでした。

お礼日時:2002/07/26 22:33

会社に行くとあなただけが仕事がないのですか?


親が許さないと言うのは今仕事やめたら再就職が難しいとか
いろいろ心配してるんだと思いますよ。
親元から離れているんだし、何を言われても
あなたが本当に辛いならやめてもいいと思いますよ。
あなたが好きなことをやったらどうでしょう。

最近、笑ったことありますか?
「笑い」には身体の細胞が活性化して強くなるし、自分もリラックスでき
癒される効能があります。
本当は心から笑えると一番いいんだけど、
そういうことがなくても一日に一回、鏡に向かって笑ってみましょう。

あなたを必要とする人は必ずいるはずです。
もう少し、生きてみませんか?
あなたにも幸せになる権利がありますよ!!
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この回答へのお礼

どうも、いままで自分で選んだ道がことごとく失敗して親から『あんたの選んだ道はロクなことがない』という言葉がグサリときて、つい親の顔を伺ってしまうみたいです。

仕事は、私以外専門職でして、仕事内容自体が全然ちがいます。しかし、その方達が優秀な方ばかりですので私の仕事の分もやってしまうため必然的に仕事がなくなります。
3年間、仕事があるようにみせかけてました(1時間で終わる仕事を1日かけて終わらせたり・・)しかし、こんなことをやってる自分に虚しくなってしまいました。

必要としてる人ですか・・・表だって必要とされてはないと思います。少しでも自分を必要とされたいと思いペットを飼いましたが、誰でも慣れてるので、誰でもいいのかと思います。

そんなことを考えると苦しくなってしまいました。
なんでこんな質問をしてしまったんです。

なんだかまとまりのない文ですがありがとうございました。

お礼日時:2002/07/26 22:24

こんばんは。


私はね、こんな事を考えてました。
痛いのは怖いなぁ。とか、苦しいのは嫌だよぅ。とか。
死ねればいいけど、間違って生き残っちゃって、しかも後遺症が残って今度は自由に死ねなくなったらどうしよう?
とか私もいろいろ考えた事があります。
自分で死ぬのは怖いし勇気が必要な事だから、「ぽっくり病で死ねますように」って毎晩寝る前にお祈りしてました。
でも、その祈りは聞き届けられませんでした。
それからだんだん考えが変わって来て、
死ぬのはいつでも死ねるから、とりあえず生きてみるか。
と思い始めたら、嫌になったらいつでも死に逃げられるからと、気が楽になりました。
気が楽になったら、あんまり死にたくなくなりました。
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この回答へのお礼

回答頂きありがとうございました。

嫌になったらいつでも死に逃げられるから・・・

とかかれておりますが、私も死を『究極の現実逃避』として考えております。私は1人暮らしをしています。死のうと思えば見つかることもないので100%死ねるのです。逃避の一環としての死が、痛み・苦しみが全面にたった死という現実に怖くなってしまったのです。

お礼日時:2002/07/26 22:13

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