出産前後の痔にはご注意!

仏教の
法華経の教えとは何でしょうか?

仏教的な専門用語でではなく、素人でも解釈できる様に簡易的に教えてくださると有り難いです。

何に重点をおいて生きていく事が法華経の教えでもあるのかを自分が理解できる説明ですと助かります。

宜しくお願い致します。

A 回答 (9件)

No.8です。




>中山法華経寺であり、、、

・中山法華経寺でしたら、千葉方面の方なのでしょうか?
そもそも、日蓮大聖人は千葉県安房の国(鴨川市の小湊 誕生寺付近)で生を受け、清澄寺で得度された方です。
当時、本当の釈尊の教え(法)を求めて遊学し、比叡山でも学ばれた方でした。
その当時の比叡山は、第三代の座主である円仁(慈覚大師)によって真言の密教を取り入れられ、本来伝教大師の開かれた
延暦寺とは全く別の寺院になっていました。それは、今でも変わりません。
その中で、日蓮大聖人様は一切経を学ばれ釈尊の真理を見出したのです。

もともと、中山法華経寺というのは、当時の日蓮大聖人の在家信徒の一人、富木常忍様の御屋敷跡に建てられた法華堂が
ベースになっていると思います。しかし、日蓮大聖人御入滅後に弟子の分派があり、今で本来の日蓮大聖人の付系にはありません。

※一度、ご興味があれば、日蓮大聖人の生涯を勉強されても良いかもしれません。



>日蓮大聖人が説く以前は天台宗の教えでもあったそうですね。

・『法華経』は正式には『妙法蓮華経』という経典で、釈尊が入滅前に説かれた教えです。
当時は、弟子が直接説法を聞き、入滅後にそれも文字にして残そうという試みが起こりました。
その後、中国の鳩摩羅什が漢訳したものが受け継がれています。中国天台宗の根本経典が『法華経』で
日本には入唐した伝教大師が法華経を持ち帰り、比叡山を開山しました。それが、日本天台の始まりです。

伝教大師の時代にも『南無妙法蓮華経』といった、言葉としては存在していました。しかし、自行といって
自らの修業の中では御題目を唱えていましたが(書物に記載あり)、他人に対しての流布は行いませんでした。

日蓮大聖人は、32歳の時に清澄寺に戻られ、今までの日本仏教の誤りを正し、本来の法としての『南無妙法蓮華経』
を本尊とした教えを開教します。その後、拠点を当時の都である鎌倉に移されて、活動をしていきます。
ですので、『法華経』そのものは日蓮大聖人が説いたものではないのです。

晩年は、鎌倉を後にし山梨県身延に草庵を築きます。そこが現在の日蓮宗(身延派)の総本山となっています。
日蓮大聖人滅後、弟子の一人が勝手な法の解釈をし、滅茶苦茶にしてしまったため、直弟子の日興が富士の裾野にある
大石が原に拠点を移しました。それが『日蓮正宗 大石寺』なのですが、保身に狂った僧侶が適当な事を言いだし、
狂った寺にしてしまいました。

ですから、釈尊、日蓮大聖人の本来の正統な教え(法)は、日本の寺院には存在しないのです。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなりまして申し訳ありません。

詳細に有難うございます。

仰る通り、市川市です。

法華経寺が日蓮大聖人の付系では既に無くなっている事は本当に残念です。
近くに柴又帝釈天の題経寺があるのですが、同じという事になるのでしょうか?
題経寺にも日蓮大聖人が自ら彫刻されたとされる帝釈天板があるのですが、参拝すると安堵感も生まれていたので非常に残念でなりません。

日蓮大聖人の教えが元になっている寺院が日本には存在しないとは非常に残念でなりません。

誕生寺、清澄寺にも行った事があるのですが、聖域だと思っておりました。
中山法華経寺も正直、違和感を感じていました。
何故なら仏の教えに基づく様な雰囲気をもった僧侶の方を見受けられないからです。
私達日本人は神仏に安堵感を感じたい民俗ですが、それに通じる方々に尊敬の気持ちを持ちたいのですが中々お会いできないのも現実です。

大石寺の事も以前に知人に聞いた事があります。

派閥ができてしまうと根本からずれてしまう事が仏教界で起きてしまう事に、非常に残念でなりません。

有難うございます。
今後とも宜しくお願い致します。

お礼日時:2017/11/17 09:14

No.7です。



>自分なりに正しい法を決めて、、、

もう既に『法』というものはこの世に存在し、後はあなた自身がそこに縁できるかどうかなのです。

実は、釈尊は法華経の中で『その法』を明確に説いてはいないのです。
もし、釈尊がその法を明確に指示していたら、世界はこれほどまでにも混沌としてはいないのです。

矛盾するようなお話ですが、しかしながら『法』はこの世の中に存在します。しかも、日本に。
鎌倉時代の僧、日蓮大聖人はこの法を御本尊として現わし、時により間違いの無いよう目に見える形として
残したりです。この『南無妙法蓮華経』こそが『成道の法』であり自身の仏種を開く鍵なのです。

これを明確に言っておかないと後で誤解をされてしまうので、明確にしておきたいと思います。

この『南無妙法蓮華経』の御本尊を保ち、朝夕に御題目を唱える事こそ、あなただけではなく人間として
生まれてきているもの全てが行うべき事なのです。


“我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし”日蓮大聖人御書全集 開目抄
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この回答へのお礼

本当に有難うございます。

私は何故か子供の時から神仏を敬う事や御先祖を大事にする心が普通の方より強かったと思います。

私が産まれた時に父が名前を決めてあったのに、祖母が知らぬ間に神社に行って命名してきてしまいました。

その私の名前の由来を調べましたら法華経の教えに関係する意味合いの名でした。
偶然かもしれませんが家の菩提寺は中山法華経寺であり、同じ宗の柴又帝釈天へ行くとホッとしたりと安堵感と言いますか凄く縁を感じるのです。
一連の流れがただの偶然と言われればそれまでかもしれませんが、私自身は偶然とは思えないのです。

きっと産まれた時から法華経の教えにそって生きていく事も自分の生きる意味なのかと自分で強く思い、深く教養を得たくなりました。

他の方の御回答に書いてあったのですが、私は法華経とは日蓮宗の教えだと思っていたのですが、日蓮大聖人が説く以前は天台宗の教えでもあったそうですね。

ks5510さん、
これからも様々な事を学びたいので今後とも宜しくお願い致します。
有難うございます。

お礼日時:2017/11/11 18:04

法華経の内容というものは、その時代に存在した教えを否定したもので、仏種の存在を説き仏になるための“法(理法)”を説いたものです。



仏道修行というものは、自身の人格を高めて最高の境涯である『仏』になるためのものです。法華経以前というものは、永い修業を繰り返し
行いその修業の中で『仏』というものに成る、あるいは近づくために行っていました。しかし、法華経が説かれたことにより、そのままの
姿でどんな人も仏になれる事が説かれました。

また、法華経で釈尊は自身の弟子ではなく、『地涌の菩薩』にその“法(理法)”を託され、未来においての流布を委ねます。

そしてまた法華経には、戒めも解かれています。それは、法華経を誹謗し、法華経を広める人を非難すれば仏には成れないという事です。

>何に重点をおいて生きていく事が法華経の教えでもあるのかを、、、

先ず、正しい法を持つ事です。そこがスタートです。
後は、その法を崇め日々生きて行くことが大切です。

それだけ。

後は振り返った時に、想像もできないような境涯を自然と得ているでしょう。
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この回答へのお礼

貴重なお話を有難うございます。
とても解りやすく説明して頂きまして有り難いです。
何に重点をおいて生きていく事が考えれば考えるほどに難しい事なのですが、
ks5510さんの仰る通りに自分なりに正しい法を決めて、今後の人生の生き甲斐にしていきたいと思います。
非常に解りやすく有難うございます。
想像ができない境涯を得るために残りの人生を努力します。
これからもまた宜しくお願い致します。
有難うございました。

お礼日時:2017/11/10 09:31

すみません、法華経の重要なところですね



本来はかなり長い話しになると思いますが

一番重要なのは、人には〝仏界〝という精神状態があるという事です

この、仏界は、最高の精神状態で、一言で言えば、何も不可能がなくなる状態とでも言いましょうか・・・

とにかく、人にとって、最高・最強の精神状態です

法華経は、この仏界を涌現!・・・つまり、表に出す事を目標
としています

仏法では、人の精神状態を10個に分けています

それを〝十界〝と呼びますが、その最高のランクが仏界です

一様、ちょっと書きますね

まず地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・・・この六個を六道といいます

基本的な人の精神状態で、普段はこの六道に収まる生活を送っている様です

簡単に、説明します
地獄とは、ただ苦しみを受けている状態です

例えば、日曜の深夜に歯が痛くなって、明日になるまで、痛くて寝れない・・・という状態とかです

次に、餓鬼・・・これは、欲望が満たされない苦しみの状態です

例えば、腹が減っているのに、明日、胃の検査なので食べれない・・・とかいう状態です

次に、畜生・・・これは、いわゆる動物的な行動をとっている状態、つまり欲望や本能のおもむくままにおろかな行動をしている状態です

例えば、糖尿病になりかけているのに食欲に負けて、バカ喰いをしているとか・・・

この三つの苦しんでるいる状態を、三悪道といいます

次に、修羅・・・よく阿修羅とかいいますが、つまり〝怒り〝の状態です

しかし、この怒りは、どちらかといえば、自己中心的な怒りになります

例えば、DVとか・・・
で、ここまでの四つを〝四悪趣〝といいます

人として、おろかな状態です

次に、人・・・これは、人としてのごく普通の状態です・・・とりあえず、苦しみからは抜け出した状態です

次の天は、喜んでいる状態です・・・よく有頂天とかいいますが、何かを手に入れたりして、喜んでいる状態です

で、普段の生活においては、だいたいこの六つを行き来してる事が多いのではないでしょうか

しかし、ある時にふと、自分はこの六道のなかをうろうろして、一生を終えていいのだろうか?・・・と疑問が生まれます

生まれない人もいるでしょうが・・・その人は、一生、六道のなかをうろうろして終わり・・・という事です

はたして、六道をうろうろして、天界を最高の幸せとする人生でいいのだろうか?・・・と考えた人だけが、その先へ進みます

次に来るのが、声聞界です!

これは、学んでいる状態です・・・まあ、話しの流れから、仏教を学び出した状態というところでしょうか?

次が縁覚界・・・縁に触れて目覚める・・・と書きます

これは、何かの発見や理解が出来て喜んでいる状態です

例えば、成仏の方法がわかった状態です

次が菩薩界・・・これが、一般的な最高の状態です・・・他人の為に努力をしている状態、自分の身を削って、他人に尽くしている状態

例えば、ボランティアとか・・・

仏教用語の菩薩とかも、そういう存在です

これまでの 9個は、それぞれ、その精神状態を生み出す縁があって、出て来る精神状態です

その縁は、この世の中に存在していますし、今まで説明した精神状態は、生活しているなかで見かけた事があるはずです

しかし、仏界は、その精神状態を出す為の縁は、一般的にはありません

その縁になるものが、南無妙法蓮華経なのです

つまり、仏界という精神状態を言葉で表したものが南無妙法蓮華経という事になります

だから、南無妙法蓮華経というお題目を唱える時に、仏界という最高の精神状態を涌現させる事が出来る事になります

その仏界を涌現して、末法をチカラ強く生きていこう!・・・という教えが法華経という事になります!
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この回答へのお礼

凄いです…
御親切に詳細に教えてくださり、
本当に有難うございます。
凄く感謝しています。
今まで自分なりに謎であった事が解りかけてくる事に凄くためになる御回答を頂きまして本当に有り難いです。
他に何とお礼の言い様がありません。
有難うございます。
またこれからも宜しくお願い致します。

お礼日時:2017/11/02 19:41

間違えました、下種仏教です!


失礼!
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すみません、途中で終わりました



ちなみに、字は忘れましたが、正法の仏教は〝刈り取る仏教〝と言われています

で、像法は脱却仏法・・・で末法が下から仏教です!
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初めまして



法華経は一言で言えば〝下種仏教〝げしゅぶっきょうです

種をまく仏教です

シャカが滅して、千年間を正法(しょうほう)千年間から〜二千年間を像法(ぞうほう)それ以降を末法(まっぽう)といいます

正法の時は、シャカが、生死を繰り返しながら説法した人々が生まれて来た時代です

簡単に言えば、もう少しで成仏する様な人達が生まれて来ていました

だから、その人達については、シャカはその人達にとって足りない部分の教えを説法しました

つまり、教えの一部分的なものです

その後、像法時代に入ったら、シャカとは縁の薄かった人々が生まれて来ました

だから、正法の時の教えでは成仏する事が出来ずに、新しい教えが必要になりました

それが、天台宗による法華経の教えです

像法の法華経といいます

南無妙法蓮華経ではなく、字は忘れましたが〝エントンシカン〝というお題目だった様です

その天台宗の法華経により、像法時代の衆生は成仏する事が出来ました

ちなみに、日本の平安時代が長く続いたのは、その天台宗の教えが流布されていたためと言われています

で、平安時代が終わり、鎌倉時代になった時に、末法となりました

末法には、シャカと縁がある人々が生まれない為に、正法の仏教や天台宗の教えでは、成仏が不可能となり、新たな教えが必要となりました

その時に、日蓮大聖人がシャカが説いた法華経の教えの中から、南無妙法蓮華経というお題目を見つけ出し、末法の衆生を成仏させる為には、この教えでないとダメだ!・・・という事で、流布を始めました

法華経の下種というものは、つまり、成仏における素人を一から教えて成仏させる事が出来る教えという事です
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仏教の最高邦の教え 究極の教え 



「生命の法則」を説く 
 一個の生命の価値 大きさ(宇宙大) 原因と結果
 個性化の原理 個別化の原理 表す法則 深層の実態 
 仏(生命)の過去 現在 未来
 女人成仏 悪人成仏をはじめ すべての成仏の方程式

「仏法」とは 仏の法則 
仏とは生命 すなわち生命の法則 と言う事

専門用語を使わないでは なかなか 難しいよ 
どれ一つを 取り出しても 深く 難解

間違っても 直接学ぼうなんて 考えないで
必ず 迷路に迷い込む
しかるべき 講義集などからにしましょう

御義口伝講義とか 法華経の知恵とかの書 参考






生命の法則
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
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この回答へのお礼

御丁寧に詳細に教えてくださり有難うございます。

やはり奥が深すぎて私のような素人が本当の意味で解釈するのは難しいですね。
これからの残りの人生を、法華経の教えで生きていきたいと思い質問させて頂きました。

教えてくださった、
仏の法則=生命の法則 を大事にして生きていきたいと思います。
これをヒントに自身で考えたいとも思います。
本当に有難うございます。
また宜しくお願い致します。

お礼日時:2017/10/31 09:51

「生きとし生けるものは全て仏の心がある」


「(来世でなく)今を正しくきちんと生きましょう」
「学んだ教えを広めましょう」
この3つが主題であると私は理解しています。
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この回答へのお礼

有難うございます。
教えて頂いた通りに最期まで真面目に誠実に堅実に正しく生きていくように心掛けます。
一層に自分自身の性根が固まりました。
有難うございます。
また宜しくお願い致します。

お礼日時:2017/10/31 07:58

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Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q妙法蓮華経

法華経とは何をいっているのですか?
蓮華の花は、開いた時にすでに実を結んでいるものです。また、妙な法であるということです。
また妙法蓮華経の現代語訳が置いてあるページなど、いい所があれば教えてください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

 法華経を論ずるに当たっては、すべからく法華経に三種あることを知らなければならない。第一に釈迦在世および正法時の法華経二十八品であり、第二に像法年間における天台の摩訶止観であり、第三には末法に広布すべき南無妙法蓮華経の五字七字です。
 日本国に御出世の御本仏・日蓮大聖人様が、
 『今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし』
と明らかにお示しのごとく、末法の法華経とは、まことに三大秘法の南無妙法蓮華経にほかならないのであります。
 したがって、法華経二十八品は、三大秘法の仏法の序文として流通分として用いるのです。
 末法は、白法隠没とされ、釈迦仏法の効力がなくなっております。それなのに、現代語訳を論じ学んだところで、何になるというのでしょうか?

 「南無妙法蓮華経」を表面的に解釈すれば妙法蓮華経すなわち法華経に帰依(南無)するという意味です。
 日蓮正宗以外の日蓮宗各派では、本仏といえば釈尊であり、究極の経典は釈尊の法華経であると立てておりますから、南無妙法蓮華経の意味も、「釈尊が説いた法華経二十八品の経典に帰依する」ということになります。
 しかし日蓮大聖人様は、
 「今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(三大秘法禀承事・新編一五九四)
と仰せられ、大聖人様が建長五年四月二十八日に唱え出された南無妙法蓮華経は、いまだ誰も唱えなかったものであると説かれています。
 さらに大聖人様は、
 「仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(経王殿御返事・新編六八五) とも、
 「彼は脱、此は種なり。彼は一品二半(いっぽんにはん)、此は但題目の五字なり」(観心本尊抄・新編六五六)
とも仰せられるように、この南無妙法蓮華経は釈尊の法華経とは異ったものであると示されています。
 では南無妙法蓮華経のほんとうの意味はなにかというと、
 「無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり」(御義口伝・新編一七六五)
と説かれています。すなわち無作三身(宇宙法界を我身・我体として悟られた根本の仏)とは法華経の行者のことであり、その仏名を南無妙法蓮華経と称するのであるというのです。ここでいう法華経の行者とは日蓮大聖人様にほかなりません。これについて、さらに、
 「本尊とは法華経の行者の一身(いっしん)の当体なり」(御義口伝・新編一七七三)
と仰せられており、法華経の行者の当体こそ一切衆生を済度する本門の本尊であると示されています。
 したがって南無妙法蓮華経とは本門の本尊のことであり、法華経の行者日蓮大聖人様の当体なのです。
 大聖人様は、
 「本尊とは勝れたるを用ふべし」(本尊問答抄・新編一二七五)
と私たちに本尊の大切さを教えられています。
 いかにお題目がありがたいといっても、日蓮宗各派のように、釈尊像を拝んだり、竜神や大黒天あるいは稲荷に向かったり、さらには霊友会や立正佼成会のように死者の戒名に向かって題目を唱えることは、本尊と題目がまったくちぐはぐなものとなり、大聖人様の教えに背く悪業を作ることになります。
 人でも自分と違った名前をいくら呼ばれても返事をしないどころか、かえって非礼にあたると同じ理屈です。
 せっかく日蓮大聖人様を崇め、南無妙法蓮華経の題目を唱えるのですから、大聖人様の御真意に叶った正しい御本尊に向って唱題すべきです。
 如何でしょうか?

 法華経を論ずるに当たっては、すべからく法華経に三種あることを知らなければならない。第一に釈迦在世および正法時の法華経二十八品であり、第二に像法年間における天台の摩訶止観であり、第三には末法に広布すべき南無妙法蓮華経の五字七字です。
 日本国に御出世の御本仏・日蓮大聖人様が、
 『今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし』
と明らかにお示しのごとく、末法の法華経とは、まことに三大秘法の南無妙法蓮華経にほかならないのであります。
 したがって、法華...続きを読む

Q釈迦と法華経の本当の教え

 なるべく簡単な質問にしたいと思いますので、要点を絞ってお答え下さい。また、質問者の無知をご了承の上でお願いします。

 本題ですが、釈迦(ブッダ)の本当の教えとは根本的に何なのでしょうか?
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 法華経は釈迦の説いたものと一致するのでしょうか。日蓮が釈迦の教えを基に新しく作り上げた仏教といえるのでしょうか。
 それ以外でも、釈迦のおっしゃったことをそのまま正しく伝えているもの(部分)は何なのでしょうか。

 的を絞って、難解な言葉はなるべく避けて頂き簡潔にお答え願います。
 

Aベストアンサー

>釈迦(ブッダ)の本当の教えとは根本的に何なのでしょうか?

昔は大乗仏典も釈迦の教えだとされていましたが、現代の仏教学では、大乗仏典は1世紀前後の頃から新たに創られた仏教文学のようなもので、釈迦の直説とは考えられておらず、大乗仏教には本来の釈迦の教えにはない要素が多く含まれています。
したがって、釈迦の本当の教えを知るには原始仏典を読む必要がありますが、原始仏典も後代に付加された部分が多く、釈迦の本当の教えが何なのかについてはいろんな解釈があり、こうだと断定できません。結局、自分で仏典を読み、いろんな人の意見を学びながら、自分で考えるしかないと思います。

>法華経は釈迦の説いたものと一致するのでしょうか。日蓮が釈迦の教えを基に新しく作り上げた仏教といえるのでしょうか。

法華経はインドの初期大乗仏典の一つで、日蓮が作ったものではありません。
釈迦の教えと一致するかどうかは、釈迦の教えをどう捉えるかによって変ってきますので、一概に言えませんが、一致する部分もあれば、一致しない部分もあると思います。

>それ以外でも、釈迦のおっしゃったことをそのまま正しく伝えているもの(部分)は何なのでしょうか。

岩波文庫から出ている中村元訳の「ブッダのことば」「ブッダ 神々との対話」「ブッダ 悪魔との対話」などに釈迦の直説に近いものが多く含まれていると言われています。
しかし、それ以外の後代に付加された部分にも釈迦の教えの重要なものは含まれています。どの部分が後代の付加で、どの部分が本来の教えなのか、また、どのように本来の教えが改変されたか、などについては、人によって解釈が異なります。本当の釈迦の教えを知りたいなら、結局、自分で仏典を読んで、いろんな人の意見も参考にしながら、自分で考えるしかありません。
原始仏典の全訳としては、やや古い文体ですが「南伝大蔵経」(大蔵出版)があります。廉価なオンデマンド版もあります。
また、現代語訳の「パーリ仏典」(片山一良、大蔵出版)、「原始仏典」(春秋社)などが刊行中です。

>釈迦(ブッダ)の本当の教えとは根本的に何なのでしょうか?

昔は大乗仏典も釈迦の教えだとされていましたが、現代の仏教学では、大乗仏典は1世紀前後の頃から新たに創られた仏教文学のようなもので、釈迦の直説とは考えられておらず、大乗仏教には本来の釈迦の教えにはない要素が多く含まれています。
したがって、釈迦の本当の教えを知るには原始仏典を読む必要がありますが、原始仏典も後代に付加された部分が多く、釈迦の本当の教えが何なのかについてはいろんな解釈があり、こうだと断定できません。結...続きを読む

Q法華経 と日蓮正宗の違いについて

法華経 と日蓮正宗の違いについて簡単に教えてください。

また、日蓮正宗と日蓮宗についても違いを教えてください。

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

>法華経 と日蓮正宗の違いについて簡単に教えてください。

法華経はお経の名前です
日蓮正宗は宗教団体の名前です

>日蓮正宗と日蓮宗についても違いを教えてください。

日蓮正宗は以前は日蓮宗○○派でしたが、
明治ぐらいに日蓮正宗と改名しました
日蓮宗も日蓮正宗も日蓮宗の一派と言う認識で良いと思います
日蓮宗△△派、日蓮宗□□派、
日蓮宗××派、日蓮正宗(旧:日蓮宗○○派)と言うことです

どうして派(わかりやすく言えば別の会社)が別れたかですが、
日蓮さんが700年ぐらい前に亡くなって
弟子のお坊さんが6人残りました
その後時代を経て、それぞれの大きめのお寺が
独自に活動をし始めた、と言うことです

教えの違いなんかはwikiをみてください
運営方法の違いなんかはちょっと語りきれないので
それも検索で実体験を読んでみてください


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