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世の中には、つるんで楽しい遊びと一人でできる遊びがいろいろあるのは言うまでもない。

しかし、後者の一人でできる遊びを「そんなの遊びのうちに入らない」と割り切る輩が少なからずいる(3~4人以上でつるまないと遊びではないと考えているようだ)。
戦後生まれで昭和20~40年代生まれの男性がそのほとんどで、昭和50年代以降生まれ世代どころか戦前生まれ世代よりも一人遊びには理解が無い。

彼らは特にラジコン、ガーデニングなどをそうと罵った。特にホビー的な遊びに否定的だ。

一体、一人遊びを遊びと見なさないその心って何なのか⁉

つるんで遊ぶのは楽しいことも多いが、必ずしもつるんで遊ぶことが良いとは限らないだろう。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    また、つるんで遊ぶも一人遊びも両方に理解ある人と、つるまなければ遊びじゃないと考えている人ではどちらがレベル高い?

      補足日時:2017/11/06 10:39

A 回答 (6件)

わかりません。


どちらも、遊んでいるのですから、。

理解ある人かな。
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遊びは自分のためにするものなので、一人だろうがつるもうが好きにすれば良いことです。



まあ、あなたがこれまでどれだけの人と係わってきたのか知りませんが、データをとったわけでもないでしょ。

あなたの周囲に「つるまないと遊びではない」と考える人が多いだけの事だと思いますよ。

「どちらがレベル高い?」って、何のレベルでしょう。
遊びに対する考え方の問題ですから測ることなどできません。

問題があるとすれば、それを押し付けようとするかどうかです。
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます‼

確かに見た範囲で大変申しわけありません。

わたくしは敢えて自らの趣味や好みは押し付けませんが、以前「遊びは必ずつるんで」を押し付ける輩、「一人遊びは成り立たない」とネガティブさを押し付ける輩がいたもので…。

お礼日時:2017/11/06 13:06

一応、人間は集団生活する生物、社会を形成する生物ですので、集団行動は本能的というか、基礎的行動だと思います。


本能的な反応としては、集団から外れて単独行動をする人は、社会を危険にさらす存在、排除すべき存在という反応は、一応理にかなっています。

しかし、精神性が高度になった人間社会では、社会の安全を危険にさらさないのであれば、単独行動は許容されるのが当然で、そういう単独者の行動によって、社会がさらに発展したいう側面もあります。

一人遊びを否定する人は、集団を守る本能が過剰なのではないでしょうか?

特に日本は「一糸乱れない集団行動」に美を感じるという文化があります。
学校の体育祭などでの行進や、応援などでも、きっちりと揃っていることを賛美します。
本能が教育で強化されたのだろうと思います。教育の成果を正しく反映している人ともいえるかもしれません。

会社も、従来は終身雇用制で、「一家」意識を駆り立てた経緯があります。
そのためか精神文化的にも、個人意識が形成されず、個人主義の利己主義の区別もつかない人も多い社会です。
さらに言えば、多数決が民主主義の真髄だと勘違いしている人も多いので、自分の頭で思考することなく「みんなと一緒であることが善であり、正しい」と勘違いに安住します。

そういう文化では、「みんな一緒」から外れる人は、「みんな一緒主義を否定する人」に思えます。
もっと言うと、「みんな一緒に安心を感じる自分の主体性の無さを否定されている気分」になります。

「つるんでいないと不安な自分」を見透かされ、否定された気持ちになるのです。
誰でも、「自分のありようを否定する存在」がいるのは不愉快です。
もちろん、そんなこと意識していません。無意識下で自分を否定される不快感を感じるのです。

だから、躍起になって否定しようとする。そうしないと、自分の存在が不安になるからです。

「ああ、あなたはそれが好きなんだね」で済むことを、「そんなことには価値がないよ」とまで言わないと自分の不安を鎮められないのです。
「相手の価値を否定することで、自分の価値を証明しようとする」という言動はしばしばみられます。
「みんな一緒主義」は「違いを認めることができない不寛容な主義」ですので、相手を過激に否定すればするほど、自分の価値を証明できるという心理になります。

年代により性別により、その傾向に強弱があるかどうかは知りませんが、日本の文化ではさほど珍しい現象ではないと思います。
今でこそ「おひとりさま」は多少認められてきましたが、つい10年位前までは「ボッチ」などと言われ、嘲笑的、否定的なニュアンスでした。
「みんなと一緒がリア充の証明」という傾向は今でもあります。

人の好みを躍起になって完全否定するのは、その人自身の幼児性と不安の表れと思います。
まあ、日本は「田植え文化」だから「みんな一緒が大好き」は簡単には変わらないでしょう。
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この回答へのお礼

含蓄ある回答ありがとうございますm(__)m

自分の見た範囲で申しわけありませんです。

かと言って一人遊びを認めない彼らは団体行動して、秩序とか規範を重んじるかというと、意外と仲間の愚痴も多かったりします。

だから仰るように押し付ける事で自分が優位に立ちたいだけでしょうね。

お礼日時:2017/11/06 13:54

単に「その人はそう考える」というだけのことで、レベルとかなんとか、難しく考えすぎかと。


ひとりの趣味かどうかというより、「非社交的であるより社交的であれ」という意見はあってもおかしくないですけどね。
趣味はひとりでも多人数でもどっちでもいいと思いますよ。
ああ、でもひとりきりでやる趣味しかないと、老後の衰えは早いです。
やはりほどほどには人と交わらないとね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございますm(__)m

仰る通りですよ!

非社交的はネクラで内向的な人が多いですからね。

>ひとりきりでやる趣味しかないと、老後の衰えは早いです。

何故かなぁ?

わたくしの知り合いで、70歳くらいだけど、(どちらかと言えば一人趣味の)手芸が趣味で性格は人見知りの激しい人いますが、化粧しなくても凄く若く見えるおばさんいますよ。

反対に27歳で週末となると毎回仲間でつるんでスノーボード行ったり飲み歩いたりしてた人いましたが、彼はいくら若作りしても顔も性格も老けてましたね。

お礼日時:2017/11/06 13:45

「そんなの遊びのうちに入らない」と割り切る輩が少なからずいる」


はい、いると思いますよ。
皆、同じ価値観なわけないですもん。

>戦後生まれで昭和20~40年代生まれの男性がそのほとんどで、昭和50年代以降生まれ世代どころか戦前生まれ世代よりも一人遊びには理解が無い。

自分の経験を一般化するのは決めつけが強いのかなと思ってみる必要ありそうですよ。

昭和20~40年代という括り方には疑問です。
20年代と30年代ですと、日本は激変の時期で、学生運動一つ取っても経験している20年代と
全く経験していない、闘争心がない30年代、教育方針も全く違っています。
バブルは20年代はもうすっかり凝り固まった大人。
30年代はまさに大学生、社会デビューして早々の時期。
40年代はまだ子供。
20年代~30年代にからすれば40年代は「ゆとり」に思えるくらい違うのでは・・・・
20年代と40年代では、戦争を知っている親と戦争を知らない親の子になりかなり違います。


>一体、一人遊びを遊びと見なさないその心って何なのか⁉

自分の思い込みでしょう。

頭が固くて、自分の思い込みを他人にも押しつけてしまう人はどの世代にもいますんで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございますm(__)m

申し忘れましたが、あくまでも自分の見た範囲で申しわけありません。

まあ、押し付けは良くないですね。

お礼日時:2017/11/06 13:47

「戦後生まれで昭和20~40年代生まれの男性がそのほとんどで、昭和50年代以降生まれ世代どころか戦前生まれ世代よりも一人遊びには理解が無い」


⇒よく分りますよ。

私もまもなく70才なので、その世代です。
その世代は、戦後まもなくの生まれで、学校も職場も社会全体が集団主義だったのです。

でも、あなたの考えに賛成ですよ。
私も友人からはラテン系といわれ、一人で楽しむ趣味もたくさんあって自由人です。
そういうおじさんもいるのですよ。

自由に人生を楽しみましょう。
頑張れ!
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