世の中のありとあらゆるものは、根本的に「自明」ではないと考えられます。
しかし、人間は何物かを「自明」なものにしなければおそらく、いわば「精神を固定できない」
ために、何物かを「あたりまえなもの」にしていると思われます。
つまりそれは、根拠なく自明なものにするという非科学的なこと、「信ずる」ということになる
でしょう。
ですから、「信ずる」という心は特定の宗教にばかり向けられるものではないと思います。
また、何を信ずるかと問われて、「自分を信ずる」と答えられる方は多いと思いますが、私も自
分の心身の存在は信ずることができますが、「自分とは何か?」と考えた時に、明確な答えを持
っておらず、従って大変に観念的になってしまいます。
1.あなたは何を信じていますか?
2.そして、それを信じているのはどんな理由が考えられますか?
3.科学を信ずることは間違いのないことでしょうか?
4.自明性ということについてお考えを。
以前も部分的に同様の質問をしましたが、改めて問うてみたいと思います。
A 回答 (47件中21~30件)
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No.27
- 回答日時:
日蓮大聖人は如説修行のひと
法華経の六難九易
心の固きによりて神の守り強し(護法の功徳力)
法華経の功徳を頂いて、自らの使命ある人生を全うして欲しい、という慈悲の行動です。
独断を述べているように思われるようなことを言われると困ります。
No.26
- 回答日時:
★ (№21お礼欄) そして、また新たな回答を寄せて、私の本意を無視し
ている。これも、あなた独特のやり方…困ったものです。
☆ 《本意をよく読んで汲みなさい》という要請。――でも わたしの書いた
内容は じつは 通じている・・・のではないですか?
★ 私が〔№14〕お礼欄で述べてことに対する応答をして下さい。
できないなら、できないと言ってください。それで終わりにしますから。
★★ (№14お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
☆☆ >よかった
問題は、あなたの持論の中身及び、それを根拠づける理論が私の経験合理性に
基づいて納得できない、つまり真理とは思えないということなのです。
~~~~~~~~~~~~
☆ 《経験合理性》は わたしのものとか あなたのものとかと言う風に分裂
しているわけではありません。
むろん人それぞれの解釈と判断にゆだねられていますが・だから 互いに異同
が出て来ますが それでも そのつど割り合い簡単に 結着がつきます。
つねに より開かれたより妥当な内容のものを 互いに採用し直し そうし続
ければよいのです。
つまり どこがどう納得できないか。これを 述べるのが 人間の対話という
ものです。
★★ ~~~~~~~~~~
これについて納得したいがために、これまでやり取りをしてきましたが、私の
一応の結論としては、あなたが議論のための議論をしているに過ぎない、とい
うことになっております。
~~~~~~~~~
☆ 中身が知りたいところです。次に説明があるようです。
★★ ~~~~~~~~~
なぜなら、繰り返しになりますが、あなたはこう言っています。
「自分の哲学の根本を論破されたら、別の理論を考える」
これは、思想的には独善的態度といえると思いますし、永久に終わらない議論
をしようという風にも受け取れます。
それが、哲学だというのならば、私には興味のない、場合によっては有害なも
のと考えます。混乱するからです。
~~~~~~~~~
☆ 論点のズラシです。
わたしの書いた文章の中身を取り上げて批判をおこなえば 何の問題もありま
せん。
あなたは それが出来ないからか したくないからか あるいはすでに心の中
では 文句のつけようなく賛同しているからか その中身についての議論には
手をつけない。
念には念を入れ そういうたぐいの(かなり 説得力のある)わたしの議論で
あっても 見直しが必要だと思うところがあるので:
☆☆ 「自分の哲学の根本を論破されたら、別の理論を考える」
☆ と――脇道にそれて―― 説明をしている。それだけのことです。
★★ それが、哲学だというのならば
☆ そうですよ。それが――つまり心の明けのもとに 問い求めの余地をつね
に開けておくことが―― 哲学ですよ。
★★ それが、哲学だというのならば、私には興味のない、場合によっては有
害なものと考えます。混乱するからです。
☆ どちらの経験合理性なる物指しが より開かれていてより妥当であるか。
それこそ《自明》でしょうが それでも この問題点を重視し:
★★ 興味のない、場合によっては有害なものと考え
☆ るゆえに 対話をやめる・・・というのでしたら どうぞそうしてくださ
い。
めちゃくちゃな論理による理由説明であっても それが 本人の意思であると
すれば・その確認が取れれば そのままを とうとばなくてはなりません。
★★ しかしながら、あなたから長文の回答をいただいているので無視するわ
けにもゆかず、一つでも明らかになるものがあればと思い、応答しております。
☆ はい。
★★ 「神」という言葉に私が違和感があると言ったことは、「いらぬ誤解を
避けたい」ということです、これを読む人に、です。
あなたが、仏という言葉を使うにあたり、注釈をつけるのと同じことです。
☆ この点についてのわたしのお応えは すでに述べています。
★★ 「信じる」ということについて、そもそもあなたの言うことに納得して
いません。
☆ はい。
★★ これがあなたの宗教批判の論拠であり、あなたのとって要の論理の一つ
なのでしょう。
☆ はい。
★★ ~~~~~~~~~~~
あなたは、人間の知性の及ばない「何物か」を無条件・無根拠で受け入れるこ
とが「信ずる」ことであって、知性の及ぶものについては「考えること」であ
って、「信ずる」ことではないとしています。
~~~~~~~~~~
☆ こまかいことですが 重要な点ですので こちらの考えに沿った表現をし
ておきたいと思います。
神のことを言う場合には:
★ 人間の知性の及ばない「何物か」
☆ では 不確かです。なぜなら――《人間の知性を 超 え た ナゾの何
ものか》とわたしは表現するのですが―― この神は ひょっとしたら 人間
の思考や感覚にまで到来することがあるかも知れないゆえです。
そのときには 神からのハタラキカケによって 人知が《及ぶ》ことがあるか
も知れないからです。
そして この《神からのハタラキカケ と それに応じてそれを受け留める人
間の境地》――つまり 非思考の庭なる信仰の動態のことですが―― これは
そしてこれが 《特殊な 絶対性》として その人の主観なる世界に広がって
実現することがある。・・・と考えられるからです。
三身のうちの《法身(真理)》が 境智冥合なる信仰における《境》であると
いう説は 神の・つまり普遍神の一般的な説明になります。一般および個別の
絶対性なる理論の内におさまります。
そして このダルマを 妙法として・南無妙法蓮華経なる〔生命でしょうか
の〕《人知を超えたナゾの何ものか》として捉えるのは――そこに唱題という
実践を欠かせぬこととして含むというからには―― その人間の主観における
《特殊な絶対性》だとなります。
こういう神についての 基礎として《一般および個別の絶対性》理論であると
把握できるとともに さらにそれに加えて 《特殊絶対性》としても その特
定の主観にとっての実践のかたち(=内容)を成している。
このように全体として捉えられます。
問題は 《特殊絶対性》は その特定の人の主観にとどまるならば 信仰であ
ることにとどまりますが ほかの人に輸出したり 同じことですがほかの人が
その主観の中に輸入したりするなら 信仰は消えるということにあります。
輸出入は その《妙法なる概念や 唱題なる実践》――つまり 経験事物――
の思考や感覚をつうじての共有であるに過ぎないからです。
人びとは 神を共有することは出来ません。その概念を共有するのみです。
《仏》ならば できますか? 境智冥合した生命の当体であるなら 互いにそ
の仏を共有し得ますか? あたかも《一般絶対性》が〔個別の絶対性として〕
実現していて この有りさまが 人間によって互いに確認され得ますか?
★★ これが、大変恣意的な論理であると思います。
☆ つまり わたしの議論に《恣意的な論理》があるとすれば いまのその仏
の境地について 広く一般性をもった論理と現実とで 説明ねがいたい。
じぶんの議論が恣意的であるか否かについて 何の配慮もなさず 他人の議論
については・しかも理由も根拠もしめさず なじっている。・・・のではあり
ませんか?
★★ 人間は何物か分からないもの、つまり認識できないものを信ずることな
どできないと思います。
☆ 《分からないもの――つまり 分からないと証明できたもの――》につい
ては その証明を(つまりその科学的な論理と実証を)信頼するのです。
《分かったもの》については 将来間違いが見つかるかも知れないとおそれつ
つも その内容について妥当だと思い信頼します。
《まだ分からないもの・それゆえ認識できないもの》については これから分
かるようになるであろうとして 受け留めます。
これらは 思考と感性とで扱う事柄であり問題です。
《信じる》という人間の意志行為は その《受け容れる》という意志行為が
経験事象であるとともに その受け容れる相手(対象)は 《分かるか分から
ないかが分からないナゾの何ものか》であるとなっています。
★ 認識できないものを信ずる
☆ のではなく そうではなく 認識できるか出来ないかが認識できないナゾ
を そのナゾゆえに 無条件に心に受け容れる(つまり 信じる)のです。
そのナゾの何ものかは 認識なんか出来っこないという人間の見方を許容する
とともに いや ひょっとしたら 認識しうる(つまり 神を見得る)かも知
れないという見方をも ゆるしている。
だから これを 神と言って絶対性として扱うのですし 考えるや感じるとい
う表現を使わずそれらを超えて 《信じる》という言葉を――この場合は 文
字どおり排他的に――用いて表わします。
★★ これは、まず、私の人生経験から言えます。・・・
☆ うけたわまりました。これ以下のご文章については 特にコメントはあり
ません。間接的に すでに述べたところをもって触れ得ていると思います。
★★ ですから、私の信奉する日蓮仏法においても、「仏」というものを理解
できず、信じられず、うんぬん
☆ について その《「仏」というもの》を ぜひ哲学一般として説明される
日を俟ちます。
№21のお礼欄で述べたように、これにて失礼させていただきます。
年末で忙しいということもあって。
時間があればお相手しないでもないですが…
どうぞ、他の方と。
No.25
- 回答日時:
☆☆(回答№21) >《法身仏》=神 ですので 誤解はまったく起こり得な
いと考えていますからには 応答のしようがない状態です
★ (№21お礼欄) あなた独特の屁理屈(糞理屈)ですね。
☆ 《独特》であろうと《ふつう一般的》であろうと 意志疎通ができればだ
いじょうぶでしょう。
★ ~~~~~~~
「これを読む人に」と私ははっきり書いています。
あなたではなく、読者一般は宗教のこと仏教のことをあまり詳しく知らない、と
言えるでしょう。
ですから、念のために「いらぬ誤解を避ける」という配慮に疑問を抱く人はいな
いでしょう。
~~~~~~~~~~~
☆ そこまで面倒見切れません。また クレームが出た時点で そのつど対応す
ればよいと考えます。
ほかの誰でもなく あなたには――それなら――通じている。ということではな
いですか。
★ それなのに、あなたはそれが理由で、応答のしようがないと言っている。
それは、応答できない、あるいはしたくないということなんでしょうね。
☆ もしこの問題で折り合いをつけるとすれば 次のようになります。:
あなたが これこれこういう問題点が このスレッドの素人の閲覧者には起きる
と思われるから ブラジェローヌはもう少し説明を広く詳しくして欲しい・・・
という物言いをつければよいのです。
あなたには意志疎通ができているのに:
★ 屁理屈(糞理屈)
☆ だと言うのは 解せない。
No.24
- 回答日時:
54. 日蓮にとっての特殊絶対性は 《久遠元初の自受有報身如来》
と《南無妙法蓮華経》であったはずです。
55. 人一般にとっては 法身(真理)〔境〕と凡夫衆生〔智〕との
あいだの《境智冥合》という《梵我一如》の類型でしょう。
56. 日蓮にあっては みづからがその如来であることを明らかにし
ているようです。法身(真理)が そのまま日蓮本人としての応身(現
実の姿)であると顕わした。(《発迹顕本》)。
57. (一般には 神であり人間である存在だと言っていると受け留
めるものと思われます)。
58. その真理は ダルマ(法)であり妙法だと言う。つまり:
▲ (経王殿御返事) 日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめなが
して・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たまし
ひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし
59. ただし ここまでが 特殊絶対性として 日蓮という人の信仰
のかたちです。
60. 一般および個別絶対性理論によれば その一体性なる《非思考
の庭(信仰)》が 《仏仏一如》なる姿として現実の実践(修行)を現
わしたものと捉えられます。
61. つまり・しかしながら それは 特殊絶対性としてあくまでひ
とりの人間の主観の世界における信仰の実践です。
62. 南無妙法蓮華経は 日蓮なる個人の主観を外に出かけるなら
その信仰――非思考の庭――は 消えます。
63. 《墨で書いた実際の物》を もし《信じる》ことになるならば
それは 信仰としてアウトです。
64. 《日蓮がたましひ》を信じるのか? ――だとしたら それは
法身(真理)を無条件に心に受け容れる(つまり 信じる)ということ
になるでしょう。
65. つまり それなら 世界でいくらかの異なった名で呼ばれる神
・つまりその元としての同じひとつなる普遍神への信仰と まったく同
じである。
66. もし そうではなく 《法身と応身との一体なる存在――つま
り 神であり人間である存在――としての日蓮なるたましひ》を信じる
というのであれば これは ふつうの実践としての特殊絶対性のほかに
さらに そこに人間の側から想定をほどこした超特殊性であるとなりま
す。
67. 《キリスト(神)であるイエス(人間)》という超特殊性は
たとえばイエスが そのように――神と人とのあいだのカカハリについ
てその真理を明らかにするために――大嘘をついたというかたちで 受
け取ることができます。
68. そして何よりも・かによりも 日蓮は:
▲ (前掲) 仏の御意は法華経なり 日蓮が・たましひは南無妙法蓮
華経に・すぎたるはなし
☆ と言って 信仰を 普遍神(つまり 一般および個別の絶対性)に
おくのではなく そうではなく その――日蓮なる主観による――特殊
な形態としての絶対性におくと言っています。
69. いやいや そのように特殊に自己表現した絶対性は 普遍神と
しての絶対性であると 同時に明らかにする・・・であろうか?
70. そうではなく ひとりの主観の世界としての特殊絶対性である
ことは 他の宗教や宗派を排除する発言に明らかである。
71. まとめ:
(あ) 《南無妙法蓮華経》は 或る主観に発するものでありつつも
一般および個別の絶対性のもとにある。つまり 普遍神のひとつの呼び
名である。
(い) ただし そこには 日蓮の主観がその上さらになお 欠かせ得
ぬ超特殊性として 付け加えられています。これは 信仰であることを
すでに消しています。
(う) もしそれでも 日蓮こそがじんるいの歴史で唯一絶対であると
いう心であるとすれば その《超絶対性信仰》についてみんなが検証で
きるように説明があると よろこばしいものと思われます。
(え) あるいは もし:
★★ 信ずることにより物事は「自明」になる
☆ という事例――これは きわめて特殊な経験事象になることでしょ
うが――をしめすことができるならば 世界は歓迎することでしょう。
絶対性には 並みと特上との階級はないと 現在の人間は――自明のこ
として――思っていますから。
No.23
- 回答日時:
ミニオンズと言う映画をご存知でしょうか。
お馬鹿な小人族(ミニオン)が、自ら達のリーダーを探して世界を経巡り歩く冒険ドタバタ劇です。ミニオンは、リーダーが居ないと生きがいが無く、元気をなくしてしまうと言う習性を持っています。私も冒頭しか見てないのですが、この小人達は、世の中の人々の事をユーモラスに皮肉した結果生まれたキャラクターではないかと思っています。
現実の話に戻れば、民衆自身が、英雄や強大な支配者、救世主といった人物を希求する故に、社会にそう言った者たちが歴史のうねりの中で現れて来る。つまり、支配者を作っているのは民衆自身ではないか、そう言う見方もあるなと、ミニオンズを思い出して思ったのです。勿論、これは一面の見方に過ぎませんが。
その気になれば、民衆はいつでも権力者など引きずり降ろせるが、その後の統制をいかにして取るのか、その解を持っていない、自信がないので、いつまでも支配が終わらない。こう言うことかと思います。
その解とは、人々の自律性の促進であると思います。自律性が高ければ高いほど、従属する必要がないからです。支配者は武力など使わなくても人々を支配することができます。武力を使えばむしろ、大きな反感を買う事を知っています。支配者は人々の自律性をある程度にとどめておく事で、うまく自分の支配の効く範囲内に泳がせているのではないでしょうか。
そして、理想の市民のあり方と、修行者の在り方はまた同じとは言えないものであるでしょう。
修行者の行く跡は追うことができない。空飛ぶ鳥の跡が追い難いようなものです。
執著をはなれて独り行く者には、悪魔も寄り付くことができませんが、善知識はそのような者に、決定的な言葉をかけるものとと思われます。あらゆる立場を超えて(離れて)、しかもただ一つの立場に立脚しえた時、その言葉の意味を理解するに至ると思われるのです。
ミニオンズという映画は知りませんでしたが、仰ることは人類にとって実に切実で重要な
問題だと思います。
人間というものは「宗教的存在」であると私は思います。
つまり、人間はこの大宇宙のほんの一角である地球のある場所にポンと生まれてくるわけ
です。
生まれたときは、自分が何者なのか、生まれたところが何処なのか、何も分からないわけ
です。
ですから、本能的に親をはじめとして周囲のものを信ずる以外に生きてゆく術がないとい
うことになると思います。
そして、信じたものと自分との関係性の中で人は生きてゆくということになるのだろうと
考えます。
成長するにつれ人間は認識できる世界が広がるのだけれど、所詮は文明の範囲の中であって
そこから先のことは分かりませんので、結局人間は何物かを信じ、生きて、死んでゆくもの
だと言えるでしょう。
問題は、何を信ずるかということと、信ずることの浅深ということになると思います。
現代においては、権力者や英雄的な人物に対しての「際限のない信」というものはなくなった
と、私は思います。
なくなったどころか、むしろ人間不信に陥ってしまったと思います。
ですから、人間ではなく、社会のシステム、社会的立場、肩書、お金、機械的合理性などを信
じ、支配されるようになったのではないでしょうか?
仰るように、自律性が弱いので(教育によるのでしょう)、これらに従属してしまっていて、そ
れゆえに新たな悲劇が生まれるものと考えられます。
このままでは、AIに支配されるようになると思います。
No.21
- 回答日時:
№14です。
応答せよに応じますが:★ 本意をくみ取って
☆ というところが 理解しかねています。すべて 趣旨説明欄やお礼欄
の内容に沿って 回答を寄せていると思っています。
★(№14お礼欄) ~~~~~~~~~~
「神」という言葉に私が違和感があると言ったことは、「いらぬ誤解を避
けたい」ということです、これを読む人に、です。
あなたが、仏という言葉を使うにあたり、注釈をつけるのと同じことです。
~~~~~~~~~~~~~~
☆ ここは 割り合い理解できるかと思います。
ただし なぜそうなるかは わかりにくいです。
つまり:
★ 「いらぬ誤解を避けたい」
☆ の《いらぬ誤解》とは たとえばどういうことでしょう?
《法身仏》=神 ですので 誤解はまったく起こり得ないと考えています
からには 応答のしようがない状態です。
どなたか 質問者の文章を翻訳してその《本意》について解説してくれる
といいのですが。
到りませんで。
>《法身仏》=神 ですので 誤解はまったく起こり得ないと考えています
からには 応答のしようがない状態です
あなた独特の屁理屈(糞理屈)ですね。
「これを読む人に」と私ははっきり書いています。
あなたではなく、読者一般は宗教のこと仏教のことをあまり詳しく知らない、と
言えるでしょう。
ですから、念のために「いらぬ誤解を避ける」という配慮に疑問を抱く人はいな
いでしょう。
それなのに、あなたはそれが理由で、応答のしようがないと言っている。
それは、応答できない、あるいはしたくないということなんでしょうね。
そして、また新たな回答を寄せて、私の本意を無視している。
これも、あなた独特のやり方…困ったものです。
私がお礼欄で述べてことに対する応答をして下さい。
できないなら、できないと言ってください。それで終わりにしますから。
No.20
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
「信じる」と言うより、「信じるに足る条件」を考えるのが、超越論(先験論)的観念論とか、現象学などの認識論だと思います。
すでに、カントにより、純粋理性のみでは、全ての認識に、それを与えるのが不可能な事が示唆されました。
ただし、実践においては、何らかの「信じるに足る条件」を設定する必要があるわけですが、ここら辺の絶対的条件と言うのは、満足した結論が得られないと言うか、混沌としているのが実状でしょう。
もちろん、個々人は人生においては、そこら辺の折り合いはつけているわけですが、哲学では不満足と言うか、足りない面があると言う事でしょうね。(もちろん、実生活から、そのような「信じるに足る条件」を満足しそうな条件を抽出すると言う方法論もあり得ます)
科学においては、素朴実在論を科学的に展開した、科学実在論で、そこら辺に触れないで、現象を解析する方法を取っているわけです。
工業製品などは、出来てしまえば良いと言う発想もあるので、必ずしも理論などは重視しません。(より実践的だと言う事です)
ただし、製品としての安定性を担保する為に、余裕率と言う安全率を見込んで、最終製品の均一な性能を保証しています。
近年の問題は、このような安全率を軽視した為の事故が続発している事でしょう。
要は、ギリギリの設計をしすぎているんです。
科学不信と言うのは、実は工業製品に対する不信でしかないと思います。(工業製品は科学を利用していますが、科学そのものではありません)
「信じるに足る条件」を必要としないほど、生活がひっ迫すれば、それは現実に流されていくだけでしょう。
哲学者は、流されざる者として、現実に挑戦する存在なんでしょうが、そのような哲学者はなかなか出てこないですね。
No.19
- 回答日時:
抽象的な、だから曖昧模糊とした哲学的用語は、安易には使わないほうが良いと思います。
家はそう簡単には壊れません。だからその事を気にする事なく家の中に入れます。
この、家は壊れないという事を《信じて》いる、という表現に違和感はありますか?
そして《普通なら家は壊れない》という事を「自明」な事と言うのも、ここでの質問文で意図する「自明」と同じ捉え方になりますか?
根本、なんて用語も漠然としてますね。
ですから、いわば人為的に設定された「公理」のもとにあるものは自明に
見えます。
そこからはみ出しているものを、曖昧だとして考えないということは、人
為的に自明にされたものの中から出ないということになるので、よくない
と思います。
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その現実があるからといって、仏の覚りが「ない」という論理には全くならないということです。
書ききれませんが、私の本意をくみ取っていただき応答願いたい。