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事実は真実の敵である。
ということについてどう思いますか?

A 回答 (8件)

「真実とは、本当のこと。

偽りでないこと。歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかにされる事。」

「事実は、観測されなかったものを含む全ての起こった現象に対して適用される表現、現実のこと」

とするなら、「ありのまま」が「事実・現実」で、いまだ疑問点が多く残り、ありのままを見れていない人が、「それを知るためにいろいろな捏造などを廃していった結果、自らが発見できるであろうと考える現時点での憶測」をいだいて使うのでしょうから、これが「真実」・仮の事実思考過程または憶測。

私が思っている概念見解である「真実」。

こう見ることも出来ると感じます。

往々にして我々はありのままである事実を認めたくありませんね。「私は老いて体が壊れていくし、病気になる。最後は絶対死ぬんだ。」ということもなかなか…認めていると口で言っても心から納得いっていませんね。

納得がいっているならこれらに対する「心配・恐怖・怒り・欲」などでないはずですから。

と言うことで「ありのまま」である「事実・現実」を自らが経験して心のそこから納得するのに、「自己の見解・概念・願望など」である個人の各々持つ「真実」なる思い、は邪魔になる。つまり敵であると言えるでしょう。

仏教の大元であるパーリ語の三蔵では具体的に理性的に論理的に道徳的に実証的に、ありのままを観るための方法が説かれています。

スマナサーラ長老の書籍などはオススメです。
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ときどき曇ったり、雨が降ったりすること(事実)はあるけれど、


雲の上の空が青いこと(真実)が、それでそこなわれることはない。

(「夜になれば黒いじゃないか!」だって? じゃあ、ちょっと、詩情はそがれるけど、――
ときどき曇ったり、雨が降ったりすることはあるけれど、
雲の上の空が、それでその色を失うことはない。)
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まあ当たってると思いますね、ただ感情的には別としてですが、まあそれを書いた人も『例え』で書いたのだと思いますよ、なのであまり『敵である』というのに感情的になって欲しくないです。


それを踏まえて言いますと、単純に事実という現象の中に真実というのは隠れていないということを言いたいのだと思います。
ではなぜ?というはなしですが、それは事実というのは事実で真実というのは未開だからです。わかりますよね?
つまり事実という事実だけは未開ではないので真実ではありません、ですが未開には真実というのを勝手に見出すことが出来ますその意味で事実は真実の敵だと表現したのではないでしょうか?
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誰かの虫歯の穴の中や鼻の穴の中を見せて、これが人間ですと言っている、ワイドショー番組や新聞や三文週刊誌のやり方にケチを付けた表現じゃないですか。

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事実・・太陽が動いている・・と見えるもの



真実・・地球が動いている・・と認識できないものなので、あの手この手で真実の探求が行われる。

真実を元に事実を実行・・・宇宙への旅、月面着陸
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いかにも警句だなぁーと思いました。


「事実」と「真実」とは主体・主観に絡んで重なるところもあると思いますが、「事実」が「真実」をイコールで反映しているとは限りません、むしろ「真実」というコアを覆う衣になっている場合もありますし、「真実」が「事実」を左右するとは限りません。
「危ない!!」と叫んだために、声をかけられた人が驚いて竦んでしまい、そのために却って、、、現象としての事実は親切心からの行動のように見えて、その真実は、、、というような小説が江戸川乱歩だかにあるそうです。

「虚構でもって真実を語り得るという。事実でもって虚構をつくることも、また可なり」~byデモヘラクリトリス
                          
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事実は、あくまでも解釈する人の主観により左右されうるもの。


真実は、神のみぞ知る。

だから皆、真実の探求をし続けることになる。
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セルバンテスは賢いと思います。

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