

苦境にある時、「南無観世音菩薩!」と唱えると、観世音菩薩が助けてくれるという説があります。
それは、あたかも、目には見えないが、何か、神のような力を持った霊のような者がいて、我々を助けてくれるイメージです。
しかし、お釈迦様は、天地を創造したような神は認めていないと思います。
また、霊魂の存在は否定していると思うのです。
なので、この世界に、「霊」のような菩薩がいるとは、おっっしゃっていないと思うのです。
そうすると、観世音菩薩が助けてくれるというのは、お釈迦様の教えとは関係なく、後世の人間が作り出した話しかと思うのですが、どうなのでしょうか?
つまり、観世音菩薩などは、本当は、いないのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか?
A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
連続回答ごめんなさい
前に浄土宗の法話を聞いた時の話なんですが
浄土系は阿弥陀さまなんですね
南無阿弥陀仏と唱えると阿弥陀さまが救ってくれる
で、浄土系でも浄土宗と浄土真宗はちょっとちがっていて
真宗のほうは「自分と阿弥陀さまが一対一」なんだそうです
南無阿弥陀仏と唱えた自分と、阿弥陀さまだけの関係
とすると例えば
「私の父は一度も南無阿弥陀仏と唱えたことがなく死んだのですが
阿弥陀さまは救ってくださるのですか」
と聞かれたらどうするのか、と
浄土宗の僧侶が
真宗の高僧にたずねたそうなんです
す
「もしそのお父さんの葬儀で聞かれたらなんと答えるのですか?」と
すると
「阿弥陀さまは、お父さんのところにもあなたのところにも私のところにも来てくださいます」
つまり、来てはくれるけど、救ってくれるかどうかはわからない、というんですね
浄土宗の僧侶はそれを聞いて
「そこまで徹底しているのはすごいなあ、そこまで原理にこだわるのは
立派だな」と思った、と前置きして
その僧侶は製薬会社で実験のために使われてる動物の供養などもしてるそうなんです
その話をして
「動物はもちろん、念仏は唱えられない、でも、生きてる時に辛い思いしかなかったあの子たちが、せめて亡くなってからは極楽で穏やかにいてほしい、そう願わずにはいられない」
だから、ましてや、南無阿弥陀仏と唱える自分の念仏が
亡くなった人の供養になるんだ、
そうとしか説きようがない、と言うんです
原理にこだわれば、動物は極楽には行けません(一度人間に生まれ変わらなければいけないみたい)
真宗の原理では、念仏を一度も唱えたひとは救われない(かもしれなあえ)
でも、そういう原理よりも
亡くなった命の幸せを祈る気持ち…
私はそういうもののほうが
大切だと思うんです
もちろん、ほんとのことはわかりません
阿弥陀さま自体、後世の創作なんじゃないかという話もありますしね
でもそれを原理的に
間違ってるとかほんとは違うとか言うのは
学術的には必要でしょうけど
祈る人たちの前では、そっとしといてほしい感じです
個人的な、勝手な理解では
神さまだか宇宙の意思、真理だかはわからないけど
なにかそういうものがあって
それの側面というか、一部がいろんな形で
世界各国、神だの天使だの菩薩だの仏だのになってるんじゃないかなーと思ってます
僧侶も、迷える人間だなーと言う話かと思います。
僧侶もいろいろですね。
>間違ってるとかほんとは違うとか言うのは
学術的には必要でしょうけど
祈る人たちの前では、そっとしといてほしい感じです
⇒ それは、私も同感です。
問題は、私が疑問に悩まされている、と言う、私の問題です。
ご回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
質問者さんの疑問は
「観音様って本当にいるの?」ってことだと思うのですが
観音様というと、私は野口英世の母、シカを思い出します
字がほとんど書けなかったシカが
アフリカにいる英世に
「どうか早く帰ってほしい」と書いた手紙があるんですがご存知ですか?
(「野口シカ 手紙」で検索してみてください)
そこに、毎日、観音様を拝んでいるとあります
ロクに働かない大酒飲みの夫がいて
貧しい中
働いて働いて働いて子どもたちを育てたシカ
そのシカを支えたのは観音様への信仰だったのです
そんな人に「観音様さまなんていないんだよ、後世の創作だよ」
なんて言えます?
きっと観音様(的な存在)が、頑張って生きたシカを救ってくれている、今は極楽みたいなところで幸せになってる、
そう信じたいじゃないですか
もちろん本当のところはわかりませんけれども、だとしても
野口シカの手紙がある事を始めて知りました。
感動的なお話しですね。
>そんな人に「観音様さまなんていないんだよ、後世の創作だよ」
なんて言えます?
⇒ 私は、人の信仰をとやかく言っているのではありません。
私自身の問題として疑問を感じた訳です。
だから、信じている人に、「観音様さまなんていないんだよ、後世の創作だよ」などと、言うつもりはありません。
ご回答、ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
菩薩は階級名です。
オオボトケの大日如来の部下です
天国(楽園)で普段暮らしているけど、地球にピンチがおきたら『最善策』で世界を救うヒーロー、というより参謀の様な役割をして、人びとを煽動するようにひっそりと活動します
『世を観聴きする』から観世音です。
因みに女性でもあり、男性でもあります
すこし涙脆くて笑い上戸で家族大好きっ子ですね
別名天一貴人とも呼ばれ、地蔵菩薩とは双子らしいです
結びのカミでもありますし、ほどきのカミでもあって廻り合わせを善くする人です
何度か地上に生まれ、何度も死んで楽園に戻ってをくりかえしながら人間観察するのが趣味っス
そういうことらしいです。直接会ったことないんで知りませんが
No.6
- 回答日時:
⇒ 観音菩薩をはじめ、観音菩薩のような、いわゆる霊的存在としての菩薩と呼ばれるものは居ないのでは?
菩薩は「仏教観的存在」であって、「霊的存在」とは違うものでは?
あるいは、その「霊的」など言う考え方こそが、甚だ宗教的なのですが・・。
質問者さんにとって、「宗教的」と「霊的」の違いや使い分けは・・何ですかね?
釈迦は天上界の存在で、観音菩薩は霊界の存在・・みたいなイメージ?
それこそ釈迦の入滅後の「六道」みたいな話ですが、少なくとも釈迦は、そういう区別を設けていませんよ。
⇒ その神や悪魔は、実在するものとして描かれているのでしょうか、それとも、何かの象徴的なものとして描かれているのでしょうか、どうなのでしょうか?
また、神や悪魔が登場する場面について、もし可能なら、具体的な出典などをお教えいただけるとありがたく思います。
マーラ(魔神)やブラフマー(梵天)が典型的な例かと。
マーラは、悟りを開く前の釈迦に、美女で誘惑を試みたり怪物を登場させたり、武器類で攻撃したりと、とにかく釈迦に悟りを開かせまいと、ありとあらゆる妨害行為を行う存在で。
逆にブラフマーは、悟りを開いた後の釈迦に、それを広める様、導く役割などを担います。
これらは、原始経典の阿含経『相応部』などに登場します。
まあ現代的,科学的に解釈れば、マーラもブラフマーも実在するとは思えませんし、釈迦の心象的な存在なのでしょうけど、経典では実在的に描かれています。
> 果たして実在している対象に祈っているのか、単なる、心の中の存在に対して祈っているのか、知りたく思った次第でした。
これも少々、奇異で・・。
釈迦やキリストは、現在に「実在している対象」ではありませんので。
すなわち、釈迦であろうが菩薩であろうが、「心の中の存在に対して祈っている」です。
言い換えれば、かつて実在した釈迦に手を合わせたところで、現世利益が確実に約束されるものではありません。
また、宗教には、進化した部分と劣化した部分があり、更に分化もしています。
キリスト教も3~4つに大別されますが、怪しげなものまで含めれば、数万の教派に別れます。
イスラム教もスンニ派とシーア派が有名ですが、そこから派生したものなどで、少なくとも数十の教派,学派に別れます。
一神教でさえ、ある部分では正反対の考えなどが存在し、いずれかは明らかに教祖とは正反対の考え方で、あるいは、いずれも教祖とは違う考え方かも知れません。
だからと言って、現在に実在する考え方であることは確かで、それを個人的に否定したところで、無意味ではありませんか?
逆に言えば、質問者さんは質問者さんが信じる者に手を合わせば良く、観音菩薩は存在しないと考えるのも自由ではあります。
No.5
- 回答日時:
headさんの意見に賛成
もう大乗仏教の経典とか、みんなそうだと思う
釈迦が死んで何百年も経ってから成立していて
初期経典とは違う内容なんだから
それは「後世の人間がつくりだした」ものだと思います
でも、なんていうんですかね…
蝉丸Pってお坊さんの説明だと
「そういうのは二次創作」
アニメやなんかで、ありますよね
ファンが勝手に?違う物語を創作することが
例えばそのアニメで、ヒロインが不幸にも死んでしまう
それに納得できないファンが
「本当は幸せになる結末」を創作したりする…「本当はこうなるはずだ」って
大乗仏教も「それじゃ自分しか救われないじゃないか、慈悲深い釈迦なのだから、ほんとはこうなはずだ」
って感じなんじゃないでしょうか
(怒られるかなーこんなこと言って)
でも、私個人の考えでは
観音様だろうと阿弥陀さまだろうと
心から祈る姿は尊いし
それを否定してはいけないと思う
経典の根拠ではなく
たくさんの人が救いを求め信じてきたのならば
もうそれはそういうことでいいじゃないか、きっと救ってくださるよ、と思うんですけどね
>観音様だろうと阿弥陀さまだろうと
心から祈る姿は尊いし
それを否定してはいけないと思う
私も、全く同感です。
仮に、観音様が実在しなくても、祈ると言う事は、それ自体で心理的な効果をもたらすと思うので、一定の価値ある行為だと思います。
ただ、祈る以上、その対象が単なる心の中だけの存在なのか、あるいは、実際に存在するものなのかによって、随分、真剣さとか気持ちが変わって来るように思えるものですから、こんな質問になってしまいました。
もっと、素直な気持にならなければいけませんね。
ご回答、ありがとうございました。

No.4
- 回答日時:
>お釈迦様の教えとは関係なく、後世の人間が作り出した話しかと思うのですが
これはまったくそのとおりです。
仏教史から考えて最も妥当な考えです。
いわゆる「キリストは神と同体」と同じ類です。
ただし心の中に居つくことまでは否定しません。
現にそれで「救われた」と感じるのなら、その人にとっては確かな存在であろうと考えます。
>ただし心の中に居つくことまでは否定しません。
現にそれで「救われた」と感じるのなら、その人にとっては確かな存在であろうと考えます。
⇒ 私も、それまで否定するつもりはありません。
ご回答、ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
仏教に限らず、宗教観を根本的に否定する様な考え方かと思います。
釈迦は実在した人物ですが、その釈迦が説く中には、多くの神や悪魔が登場します。
それはキリスト教など一神教でも同様で、キリストは実在した人物ですが、キリストが説く「主」や「父」とは神であり、ミカエル,ガブリエル,ラファエルなど天使も登場しますし、堕天使ルシファーなど悪魔も。
観世音菩薩なども、それらと同様の存在であって、それを「本当に居るのか?」と疑問視することは、宗教の否定に他ならないかと。
すなわち、「キリスト教における天使や悪魔は、本当に居るのか?」と等しいワケで、キリスト教の信者は存在を信じているだろうし、逆にに存在を否定するのであれば、その宗教を信仰せず、その宗教そのものを否定する様なものです。
釈迦が観世音菩薩を説いたかどうかは不明ながら、最も有名な仏教経典の一つである「般若心経(仏説般若波羅蜜多心経)」は、観自在菩薩(観音)が仏陀の高弟である舎利子(舎利弗,サーリプッタ)に思想を説く形で構成されており、タイトルが「仏説」なので、釈迦が舎利子に、観音菩薩の教えを説いたと解釈することも可能です。
もっとも般若心経は、大乗仏教の中核を為す経典ながら、その大乗仏教は、釈迦の入滅後に成立したものですから、「お釈迦様の本人の、直接の教えではない」とは言えるでしょう。
しかし「お釈迦様の教えとは無関係」は、明らかに言い過ぎで、お釈迦様の教えを汲んでいることは、疑いの余地はありません。
天地創造に関して言えば、仏教における「梵天」は、古代インドの神であるブラフマーを、仏教に取り入れたものですが、インド哲学やヒンドゥー教では、創造主の様な扱いです。
また、仏教は基本、天地創造などには余り関心のない宗教ですが、原始仏教の経典の一部には、仏教観における天地創造の概念が書かれているものも存在します。
ただ、釈迦本人の教えは、やや唯物論(物質一元論的世界観)的で、現代に伝わる多様化した仏教とは、かなり違います。
釈迦の入滅後、多くの弟子により派生した概念が含まれることや、あるいは仏教成立以前から存在した、釈迦が否定したバラモン教や、他の宗教とも融合し、悪く先祖返りした部分があろうことは、否定できません。
すなわち、原始仏教と現在の仏教は、イコールではないことは確かです。
とは言え、観音菩薩に限らず、乏しい根拠で、一部の如来や菩薩などを否定するのも、間違っていると思います。
再びキリスト教で言えば、「ミカエルは居ても良いけど、ガブリエルは居ないのでは?」みたいな話であって、甚だ奇異です。
いずれかを否定するのであれば、両方とも否定するか、両方に懐疑的な立場を選択すべきでしょう。
仏教であれば、「菩薩など居ないのでは?」なら判りますが、それがなぜ、観音菩薩のみなのか、ちょっと理解に苦しみます。
ちなみに、特に大乗仏教における菩薩などは、「法身(ほっしん)」である場合も多く、いわば「教え」を象徴する存在で、観音菩薩は、仏教観の慈悲や知恵を象徴する存在です。
とても詳しい解説、ありがとうございました。
大変、参考になります。
>「菩薩など居ないのでは?」なら判りますが、それがなぜ、観音菩薩のみなのか、ちょっと理解に苦しみます。
⇒ 私の言葉が舌足らずでした。
言いたかったことは、「人間が到達できる一段階を示す菩薩ではなく、観音菩薩をはじめ、観音菩薩のような、いわゆる霊的存在としての菩薩と呼ばれるものは居ないのでは?」という意味でした。
>釈迦が説く中には、多くの神や悪魔が登場します。
⇒ その神や悪魔は、実在するものとして描かれているのでしょうか、それとも、何かの象徴的なものとして描かれているのでしょうか、どうなのでしょうか?
また、神や悪魔が登場する場面について、もし可能なら、具体的な出典などをお教えいただけるとありがたく思います。(あまり詳しくは覚えていないのですが、たしか、「スッタニパータ」などに出てきていましたっけ? でも、あれは、実在するのか比喩的・象徴的に話しているのか、よく分からなかった覚えがありますが、・・・)
>・・・観音菩薩は、仏教観の慈悲や知恵を象徴する存在です。
⇒ 「象徴する存在」であって、「実在はしない」というのであれば、わかり易いのですが、・・・。
>原始仏教と現在の仏教は、イコールではないことは確かです。
⇒ そのために、私も原始仏教を中心に勉強中しているところであります。
なお、たとえ観音菩薩が実在はせず心の中にだけ存在するものだとしても、「南無!観世音菩薩」と祈れば、祈る本人自身がその気になり、そういう面から、良い影響があるであろう事は理解できるので、祈り自体を無価値なものとして否定するつもりはありません。
私も、時々、精神的な苦境に立たされた時、祈ることがありますが、果たして実在している対象に祈っているのか、単なる、心の中の存在に対して祈っているのか、知りたく思った次第でした。
もし、可能なら、再度お手数をおかけして申し訳ございませんが、上に書かせていただいた疑問点にご回答戴ければ大変幸いです。

No.2
- 回答日時:
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