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意見を聞かせてください。
次の三つのことが、人生において最も知るべきであり、これらのことを考えることが教育の全てであると結論づけるに至りました。
自由=人間
環境=外のこと=社会、自然、人文
健康=内のこと=心身
このなかでとりわけ、自由に生きることが、ただ唯一無二のことであり、そうあることが、善いと考えます。そして、環境と健康のことにおいて自分の中で考えられるようになることで、本当の自由にたどり着けると思っております。
というのも、人間は環境と健康に依存しており、それらには事実はあっても正解はないため、自分で考えて自分の中での正解をみつけようとするしかないからであります。そうでなければ、周りの意見に振り回されていることに気づかないまま、それが本当の自分であると思い込んだまま生きることになります。
すなわち、自由に生きるためには、自分とそれ以外のことについて、考える必要があるのです。そのサポートをすることが教育であるのです。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
私には、理解できません。
「自由に生きることが、ただ唯一無二のことであり、そうあることが、善いと考えます。」
↑
自由に生きる、とは、何?どういう状態?
好き勝手との違いは?
貴方の自由は、他者にとって、有用?有害?
全く理解できません。
「周りの意見に振り回されていることに気づかないまま、」
↑
よく解りませんが、そんな状態は、自己が確立できていないからでは?
自己が確立できて、判断基準が明確であれば、振り回される事は無い、と思いますが?
意気込みだけは伝わりますが、内容が全く理解できません。
もう少し、根拠を持って、具体的に・・・・・・。
No.3
- 回答日時:
1.階層現象性(認識体(脳)>細胞>分子>原子>素粒子>クォーク>超弦(量子)) 物
2.存在の無への還元(時間軸(自我仮説=記憶=過去=超光速)と空間軸(環境仮説=予測=未来=光速下)の階層現象表面的(仮想的)相補分化) 心
3.自己の生の社会生命的拡張の自覚化(自律的生=労働の助け合いとしての自覚=生存自体による充足=愛(他我)) 生
No.1
- 回答日時:
自由に生きることが、ただ唯一無二のことであり、
そうあることが、善いと考えます。
↑
脳科学的にいうと、自由は脳にストレスを与える
ことが知られています。
自由だと、まず選択で悩みます。
選択した後でも、その選択が正しかったのかと
悩むことになります。
そうやって人生をさ迷い、結局なにも出来ずに
人生の終焉を迎える。
果たして、自由が本当に究極の価値を持つものか
疑問です。
俺の生きる道は、これしかない、と決まって
いた方が幸せかもしれません。
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ありがとうございます
「自由」
人間は選ぼうと選ぶまいと「自由」からは逃れようがないと私は思います。奴隷であれ、平民であれ、貴族であれ、全ての人は「自由」です。これは人権的なことではなく、現実的なことです。この世の仕組みや生物の仕組みが分かれば、全てのことを行うことが可能です。一方で、この環境に甘んじることも、誰かに身を委ねることも、「自由」です。この選択だけは、逃れようがないのです。どちらの「自由」も大差はないことであると、私は思っています。1番大事なことは、これらのことを認識しているかだけであります。
方法は2つあります。1つは、自分はこういう世界で生きており、こういう生物であり、こういう仕組みの中で一応は生きているらしい、ということを知り、考えること。もう1つは、私はまだ何も知り得てないことを認めて、常に学ぼうとすること。このどちらかを怠らないことで「自由」を知り得て、そうなれると私は思っています。
苦手なことや嫌いなことを行うことで、脳の能力が上がるという事実を認識して、これを行う分には善いと思います。しかし、これを強制てきにやらされることは善くないと思うのであります。