社会学系の大学院で課題のレポートを書いています。
講義でフッサールの現象学においては、「世界」は意識の志向性とそれに応じた現われである、ということを学びました。その場合、物質的なものに対してはなんとなく理解は可能な気もしますが、他者(他我)についてはどのように理解すればよいのでしょうか?なぜ、他者と概念的な共有可能で関係性の構築が可能となるのでしょうか?(言語の意味はなぜ他者と共有可能(のように感じる)のでしょうか?
いろいろ見てみたのですが、議論が膨大すぎてどこから手を付けていいかわかりません。もし詳しい方がいらっしゃいましたら、フッサールの時代から現代にいたるまでどのような議論がなされてきたのか簡単な流れについて教えていただければ幸いです。(記号論?等についても)
No.11ベストアンサー
- 回答日時:
追伸:
>つまり各指の「自」および「他」は手の一部、つまり同じものの一部なのですね。これが共有可能であ>ることの証明です。 すべての生き物、存在物、人間も全く同じ原理なのですね。
>この部分だと思いますが、「東洋的」というのは具体的に誰のどの部分(どんな著書?記録?経典だとしてもどの時代のものの解釈なのでしょうか?)のものなのでしょうか?
○釈迦仏教(哲学)の基礎:涅槃教の一節、((一切衆生)悉有仏性)、曹洞宗の開祖、道元禅師道元禅師(山川草木悉有仏性)などが全て仏性で繋がっているという認識のことのですね。
仏性が、たとえの「手」ですね。
近代では、京都学派の哲学者の西田は、これを、自身あるいは自と他の関係に置き換えて、「絶対矛盾的自己同一論」を出しています。矛盾する自、あるいは矛盾する他は自身の一部であるという認識ですね。
どれもわかれば簡単なことですが、解説書読んでも、解説するものがわかっていないので理解は難しいですね。これも参考に。
いろいろ詳しく解説していただきありがとうございます。
>矛盾する自、あるいは矛盾する他は自身の一部であるという認識ですね。
これが部分と全体との関係ということですね。
今回、こちらの回答をベストアンサーにさせていただきます。ありがとうございました。
No.12
- 回答日時:
お礼欄読みました。
わざと数日、放っておきました。えーと、あなたは学部生じゃなくて、それが専門の院生ですよね。概説書を教えよ、と。なんか勘違いしてませんか。まず翻訳書と照らしながら、原書を読みましょう。フランス語がダメなら、英語で読みましょう。概説に頼って満足しているようなら、院に行く必要ないんです。次に翻訳者なりが論文を書いている可能性が高いです。註をめくりながら、それを調べましょう。簡単に手に入らなかったら、図書館に頼みましょう。カウンターに行けば、提携大学の図書館から取り寄せてもらえます。
まあ、この哲学カテに質問してくるくらいだから、基本的に省エネで知性ある態度を取りたいし、さらに学位もとりたい方なんでしょうけれど・・・。前回お答えしたのは、フッサールについて関係のない投稿が多くて、気の毒に思ったからです。がんばれ。
No.10
- 回答日時:
フッサールの問題点を捉えるためには、まずデカルトの独我論の問題を把握する必要があります。
というのも、デカルトによれば、他者などいないのですから。簡単な流れは以下の通りです。(1)デカルト
確実な存在は己だけであり、他者について議論するのは困難とみました。動物には精神がないから、痛いという感覚さえないと極論した話は有名です。デカルト的な独我論に基盤をおく限り、他者の問題は十全に考えられなかったのです。
(2)フッサール
デカルトの行き詰まりに修正を加えたのが、フッサールの晩年の著作『デカルト的省察』です。フッサールによれば、自己の存在は、他者があってこそ、認識出来るものです。これが共同世界の概念であり、『イデーン』で述べられる世界の概念にもその片鱗が見られます。
(3)メルロ=ポンティ
フッサールの共同世界をさらに進め、自己の存在の基盤を身体としました。彼は、他者が自分と同様に身体をもつのであるから、同様に精神をもつはずだと考えたのです。『見えるものと見えないもの』で彼は、自他の区別がつかない「野生の存在」という概念を提起します。
(4)レヴィナス
レヴィナスは、メルロ=ポンティとは逆に、自我と他者の差異を重要視します。他我と言ってしまえない、他者性を強調しました。
このように考えると、フッサールの位置づけは、デカルトのコギトに対し疑問を突きつけ、後のメルロ=ポンティやレヴィナスが出現する基盤を築くものです。フッサールを理解するためには、まず今日的な他者の認知という事を一旦脇においておき、デカルトの独我論の行き詰まりを想像してみる事が必要でしょう。
返信遅くなり申し訳ありません。非常に簡潔にわかりやすくご説明いただきありがとうございます。
デカルト的な視点の行き詰まりについてまでは、理解することができました。また、自己の存在が他者があってこそ認識可能であるということも理解できます。問題はそのあとなのですが、メルロポンティの「野生の存在」という概念、大変興味深いですね。これからいろいろ調べてみようと思います。
もし、何かこの概念についてわかりやすく解説している本や論文(とりあえず「後期メルロ=ポンティ存在論の予備的考察--「野生の存在」をめぐって 」というものがヒットしましたが、入手困難なようです。)等があれば教えていただければ幸いです。
No.8
- 回答日時:
こんにちは。
フッサールにくわしくありません。
★ 他者(他我)についてはどのように理解すればよいのでしょうか?
☆ けっきょく自分の思考や行動についての経験から推し測って理解するしかないようです。
さもなければ あれっ その考えは わたしはしたことがないなぁとか その行動は初めて知ったのだが果たしてどういう考えから出ているのだろうとか 考え込むだけです。
ということは
《他人(ひと)》をどう理解するか?
にかんしては 分かったぶんには これこれと理解するが それで合っているか? と確認します。
分からなかったところは いったいどういう発想であるのか? とその人に尋ねます。
そのようにして わが経験を広げ深めて行きます。
この地道なあゆみによるしか 《他者理解》はかなわないと考えます。
★ なぜ、他者と概念的な共有可能で関係性の構築が可能となるのでしょうか?
☆ たぶん ウソをつくと顔が赤くなり胸さわぎが起きて苦しいという経験を誰もが例外なく経験している。ここから 《間主観性》の場をわれわれは共有しているということなのでしょう。
いかにポーカーフェイスが板についている人も その幼い頃のことを思えば そうではないでしょうし また自分の子どもには ウソをつくな・イツワリを犯すなとおしえていることでしょう。
そのようにして《互いに最後までは理解しえない主観どうしの関係》においても なにがしかの共同主観を持ち得るということだと見ます。ひとは 二枚舌をきらいます。
言いかえると つねに分からないことがらは 互いに相手に尋ねる。こうして民主制としてのコミュニケーションが 過程的に成り立って行くのでしょう。(あるいは半永久的に発展途上の過程をあゆむということかも知れません)。
★ (言語の意味はなぜ他者と共有可能(のように感じる)のでしょうか?
☆ ものごとに対して 《あはっ!?》という言葉ないし感情の吐露をおこなうところから展開して この《あは》ないし《あはれ(もののあはれ)》の中身が 互いにその音ないし声の表出をとおしてそれが持つ意味の了解を共通のものにして行ったのではないでしょうか。
しかも意味は 時代とともに――あるいは時に地域の違いとともに――変わって行きます。相互の了解も 過程的な進み方をするのでしょうか。
これは いわゆる《生活世界》における現実の出来事だと思います。
★ 間主観性
☆ は 《純粋意識》をとおして互いに場を共有し そこに起きている事態を捉え 認め合うということかと考えますが たとえば直感および直観としてのヒラメキ これも――純粋意識に劣らず―― 大事な要因ではないかと考えます。
ちなみに
★ 他我
☆ って何ですか?
いろいろ丁寧にご回答いただきありがとうございました。「他我」の厳密な言葉の定義はわかりませんが、二元論(?)的な発想から他者が自分とおなじように自己をもち行動しているという意味において使いました。そんな理解不可能な(デカルト的にはその存在すらあやうい)他人となぜ意味を共有できるのか?という疑問が、質問の意図でした。
No.6
- 回答日時:
>他者(他我)についてはどのように理解すればよいのでしょうか?なぜ、他者と概念的な共有可能で関係性の構築が可能となるのでしょうか?(言語の意味はなぜ他者と共有可能(のように感じる)のでしょうか?
○元は一緒だから共有できるのですね。つまり自と他は一体であるが、各々が個性化しているということなのです。西洋哲学では自我の勧めのみですが、本当は自我を磨くと同時に、一体であるということの認識もより磨くべきなのですね、これが東洋的な無我の意味なのです。
もっとわかりやすい例を挙げれば、あなたの手を見てください。あなたの手には指が5本あるでしょ。
親指と小指は違うものですね。各指はそれぞれ役目も形も違いますね。これが個性化という意味ですね。
指は個性化していますが手の一部でしかありませんね。つまり各指の「自」および「他」は手の一部、つまり同じものの一部なのですね。これが共有可能であることの証明です。 すべての生き物、存在物、人間も全く同じ原理なのですね。
自と他の共有可能性は人間に限らないのですよ。あなたは花々や木々やすべての生き物、地球や宇宙でさえ共有可能性を有していることの証明が無我なのですね。
返信遅くなり申し訳ありません。ご丁寧な説明本当にありがとうございます。非常に求めている内容に近いご回答です。ここでのポイントは
>。西洋哲学では自我の勧めのみですが、本当は自我を磨くと同時に、一体であるということの認識もよ>り磨くべきなのですね、これが東洋的な無我の意味なのです。
>つまり各指の「自」および「他」は手の一部、つまり同じものの一部なのですね。これが共有可能であ>ることの証明です。 すべての生き物、存在物、人間も全く同じ原理なのですね。
この部分だと思いますが、「東洋的」というのは具体的に誰のどの部分(どんな著書?記録?経典だとしてもどの時代のものの解釈なのでしょうか?)のものなのでしょうか?
No.4
- 回答日時:
自我意識の形成は、環境認識の発達における外的
存在との相対化と共に深まります。
個々の感覚器官の刺激パターンに対する条件反射
の段階から、五感の相関した刺激の蓄積において
脳内にニューロネットが生じ、そのネットワーク
に環境を再構成するようになるのです。
認識される環境=時空的広がりは、つきつめれば
感受表面における量子相互作用に還元されます。
五感の違いは媒体の違い(視覚=光子、聴覚=空気、
味覚=化合物、触覚=物体etc.)であり、その中で
情報性の強い先行作用(光、音)に対する、過去
の五感の相関した経験の蓄積による生理的経験の
予測(そこで何が起きるか)が、空間的広がりを
生むのです。
そこにおいて量子論的世界像において有限な存在性
(=環境)は、認識される事によって派生しています。
換言すれば、「全てのものはあなたが存在するための
(物理的根源にまで遡った)補完である」という事
なのです。
認識される事で宇宙が生じる=潜在的な認識可能性
(感受=現在=光速)によって、自我仮設(時間的
流れ=記憶=過去=超光速)=時間軸と、時空仮設
(空間的広がり=予測=未来=空間=光速下)=空間軸
が相補分化しているのです。
「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=
不確定性(h)の収束におけるhの減少の時系列化で
ある時、それが架空の時間軸となって不確定的相補
分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説(階層
現象表面的な非光速性(超光速=過去と光速下=未来))
的に直交基底をなす事によって相補的不確定性を生じ、
有限的存在を幻出しているのです。
「何か有るんじゃ?」という疑問(自我仮説)の相補
として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだ
けどね」という無の射影として、存在は生じている
と言える時、そこにおいて、時系列(自我仮説)化
した認識可能性以外の可能性が、他人として射影し
ていると言えます。
そうして、階層現象表面的に派生した環境における
短絡的自我性(肉体)に由来する自己チューな認識は、
「自我仮説の相補としての時空仮説」=自己の必要と
しての環境を、認識するにつれ自己存在の本質に根
ざした他我意識(自己の生命の延長としての社会、
環境との物質循環)=愛に至って最大充足の目的
(生きること自体による充足)は果たされるのです。
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