最速怪談選手権

アフリカは、列強の陣取り合戦で民族の居住地とは関係なく国境線をひかれ分断されました。
ところでルーマニアと国旗が似ているチャドは、チャドが仏に植民地にされる前に存在した国家と版図がだいたい同じです。つまり他のアフリカの国と比べると、いくぶん自然です。
このような国の人たちは、自国の歴史を連綿と捉えているのでしょうか。例えば、ゾマホンの祖国の南部地域には、ダホメ王国という象さんを模った国旗を持つ国がありますが、
現在の国名は、ベナンです。この名前は、記憶が正しければナイジェリア南東部の地域で嘗て独立闘争を行った産油地域のビアフラあたりにあった王国の名前です。つまりダホメとフランスの植民地政策の結果付いてくることになった、北部の人たちと
辻褄を合わせるために関係のない国の名前を持ち込んだわけです。同じく黄金海岸の名で知られるガーナも確か、現在のマリ共和国周辺で栄えたガーナ王国からその国名になったのです。
なんだか自己同一性が欠けるような感覚に襲われます。独立の結果、今まで連綿と営んできた歴史とあまり関係のない人たちがついてくるし、その人たちから見てもなんでこいつらと同じ国なのか(特にベナンは、南北対立が激しい)、と思うはずです。
しかしチャドは、殆ど植民地前の版図を引き継いでいるように見えます。このような国の人たちは、自国の歴史を連綿と捉えているのでしょうか。

A 回答 (1件)

> チャドは、殆ど植民地前の版図を引き継いでいるように見えます。

このような国の人たちは、自国の歴史を連綿と捉えているのでしょうか。

多くの場合、住民は「自国」とか「国」とかの意識を持つことは希なのだと思います。それは、チャドだけのことではなくて、多くの地域の住民の意識だと思います。さらに「自国の歴史」に思いを抱くというのは、多くの住民にとってむしろ特殊状態というような場合だと思います。
通常、生きているなかで社会的な活動が多いのは、十代後半から壮年期の終わりくらいで、それ以上高齢になると意識はそれまでの日常の繰り返しの中に埋没するし、十代前半まではごく身近な目に見える範囲のことしか気にしません。
「国・国家」を意識するようになったのは、王朝時代が終わってからのことで、王朝が存在していた頃には王朝と王朝の領土という意識のようなものです。そして、多くの経済先進地域の経済の主要部分に強く影響力をもつような人々はグローバルな意識が基本であって国家や国はただの行政区画、法制度の違う地域割でしかないです。
チャドの住民は、スーダン系黒人が大半を占めており200以上の部族に分かれ(大きく分けると、北部・中部のムスリム中心の部族と南部の非ムスリム中心の部族に分けられる)、少数派のアラブ系民族も人口の14%を占める。チャドで最も人口が多い民族であるサラ族でも、伝統宗教やキリスト教の信者が多い。フラニ族、ハウサ人、トゥーブゥー系、バッガーラ族とあるらしいですが、広域的な経済活動も少なく、道路事情もよくないのなら、各部族の中での暮らしが中心でしょう。
よほど歴史教育に熱心な社会ならば別ですが、世界中のどの地域でも、連綿たる歴史を語り伝えるというようなことはないと思います。

チャドの版図は、地図で見ると、この中で隣国が領土を争う可能性はなさそうです。経済社会状況や資源問題が理由で版図の中で民族対立や部族対立で国家を分けるという現実的な運動が起きるという可能性もなさそうです。
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