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1943年の日本って私のイメージだともう苦しかったイメージがあるんですが大本営が出した何かに東南アジアの開発急げ見たいな奴が書いてあったってことはまだそのくらいの余裕があったということですよね。本格的に日本に余裕がなくなったのはいつくらいからですか?

A 回答 (4件)

前線と国内で異なります。



前線:
1943年のガタルカナル攻防戦では多くの将兵が戦死しました。
これ以降、戦死というより病死、餓死が多く、苦しいものでした。

国内:
やはり1945年でしょうか。
東京大空襲があり多くの庶民が亡くなりました。
また政府は「国体護持(天皇継続)」に大いに悩むようになりました。
敗戦が現実になることが認識できる頃でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。では1930年代から1944年まであまり変化は無かったとこですか?

お礼日時:2018/02/11 18:14

開発というより、食料や武器弾薬、現地で生産せよ。

という切羽詰った意味だったかと。
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1939年から苦しくて、徴兵制の延長や国家総動員法が施行されています。

私の父は、1942年ビルマで戦い、3ヶ月もの間、補給が無かったそうです。そして印面国境で現地除隊をしています。その父が1944年に再招集されているので、本当に追い詰められたのは、1944年と思われます。年末にミンダナオに向け出港したそうですが、米潜に船団が攻撃され、半分も到着しなかったそうです。護衛の海軍は、潜水艦を攻撃するどころではなく、逃げ回っていたようです。この時武器弾薬を積載した船舶は撃沈され、丸腰で上陸したため、撤退した米軍の錆びた銃器を手入れして米上陸軍と戦ったそうです。戦いになりません。
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1944年末くらいからですね。


本土空襲が本格化してから。
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