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「食べ物に感謝しなければいけない」という風潮はなぜあるのでしょう。

動物を殺しておいて、感謝の気持ちを込めて「いただきます」と言うのは流石にサイコパスだと思うのですが。
動物からしたら「感謝とかどうでもいいから殺さないでくれ」と思うでしょう。
殺して食べている事の罪悪感を減らすために「いただきます」なんて言うのでしょうか。
自分は、肉を食べられるのが当たり前だと考えています。人間が食物連鎖の頂点なのだから当然です。

A 回答 (15件中1~10件)

それは日本人特有の考えでは。


頂きますとか。
日本は八百万の神だからどこにでも神がいるって言う、いわゆる自然信仰です。
身の回りのもの全てに神が宿り尊い存在であるから感謝しなさい的な意味ですよ。
だから食べる時もそれに携わった人、もの、殺された動物に対してもありがとういうんですよ。
ていうか日本人元々肉あまり食べなかったでしょう。
欧米ならあなたみたいに考える人多いかもしれませんね。
向こうは昔から動物を殺してきて食べてきた。その罪悪感を神に許された行為(向こうはキリスト教なので)として納得していたんだと思いますよ。そういう本を読んだ気がします。
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限りあるものは大切にしなさい。



我々の生命というのは命あるものを犠牲にしたうえで生きているのだ、ということを自覚して、そのありがたみを受けて食しなさいという考え方でしょう。

>動物からしたら「感謝とかどうでもいいから殺さないでくれ」と思うでしょう。
はたしてそうでしょうか?いずれにせよ、感謝すら求めてないかもしれないが、
殺さないでくれとか思ってるかなんてわかりませんよ。

>殺して食べている事の罪悪感を減らすために「いただきます」なんて言うのでしょうか。
罪悪感だろうがなんだろうが、自分勝手に生きていたら人類なんてのは簡単に破滅する可能性さえあるので、その意味で言えばそういう禁欲や戒めというのは自分たち自身の道徳の在り方にすぎませんね。

>自分は、肉を食べられるのが当たり前だと考えています。
当たり前のように肉がたらふく食えるようになったのは、日本の庶民にとってはそんなに昔のことではありませんけどね。

>人間が食物連鎖の頂点なのだから当然です。
だからと言って好き勝手取りまくってたらいずれ涸渇しますから、自分たちに帰ってきます。
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人工肉の培養という産業分野が勃興しそうです。


クリーンミートとかフェイクミートとか精進ミートとか呼ばれるそうです。
3月に入ってニュースになっていたので、詳細はググってみてください。

人工の培養肉だったら、倫理的には肉塊になる前の個体に感謝する必要が無く、
調理してくれた人に感謝するだけで十分になると思われます。
肉片も細胞の集まりなので、細胞に感謝すべきと言われれば、しますとも笑

個体になる前のタンパク質の塊を培養合成するそうです。
ハンバーガーが数年前に作成されたそうです。
ハンバーガーになるか分かりませんが、
2018年内には培養肉を使った料理を出すレストランが現れるらしいです。

生きた動物を殺さない畜産業として歓迎されているそうですが、
心理的嫌悪が根強いらしいです。
個人的には、衛生面では培養肉の方が優秀そうだと感じます。
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そう遠くない未来、世界的に食料が不足する日がやってくるらしい。


その時になればいやでも分かるよ。
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食べ物があるという事の有難みは、食べ物があるのが当たり前という人間にはわからないことなのでしょう。


食べるものが無くて、虫まで捕まえて食べてもまだ空腹 という状態を経験した人間ならば 食べ物の有難みというのは自然にわき起こってくるものだと思います。このとき、動物の命を頂いているなんてことには意識がいかないのかも。
目の前に食べ物が現れて、背中とお腹くっつきそうになるほどの空腹から救われるとき、理屈ぬきに感謝の感情が生まれるものなのでは。(自分は、そんな状態は未経験ですが)

人間は、失ってはじめてその有難みが分かるもののようです。私も病気をして失った健康の有難みがわかりました。
(食べ物への感謝に限らず、)あって当たり前と思っているうちは分からないのが、感謝というもの なのかもしれませんね。
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それはね、食料品を高く売るために商人さんがした愚かな洗脳です。

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まぁ頭でっかちの人間がよく言う台詞だね



君が、万物への敬意という考え方を取れないのならそれは仕方ない
敢えて強制する様な話ではないから構わないよ
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食べられることにありがたみを持つために作られた文化でしょう。



日本だって江戸時代までは飢饉がありましたし、戦中戦後だって食べ物が不十分な時代でした。

そういった時に食べ物を大事にするということを伝えるという意味では、食に感謝すると言うのは分かりやすい考え方だと思いませんか?

現代では必要ないかもしれませんが、文化というものは過去にできるものですから、必要なくなった後すぐに消えるわけではありません。

が、やっぱり少しずつしない人が増えているとは思いますよ。
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世界中には飢餓に苦しんでいる人たちが数億人いるといわれています。

食物連鎖の頂点?の人間でもこれだけ肉を食べれない人たちが存在しています。日本に生まれて普通に肉を食べれることが感謝ですね。
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罪悪感は人にしかないこと。


人は食物連鎖の頂点にはいません。
人は死んでも火葬、バクテリアに分解もされません。
否定をし今持っている知識に当てはめるのではなく、もっと深いところまで考え、簡単に結論付けない方が見識が深まりますよ。
動物や植物、たくさんの人の労力に感謝をすることは悪でもサイコでもありません。
あなたの考えだと、育ててくれた親すら否定しそうに思えますよ。
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