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日本史
ノートに雄略天皇の頃に政権強化を強めると書いてあるのですが、頃に というのがひっかかります。
雄略天皇が政権強化したってことですか?

また、倭の五王とはどういうことですか?

江田船山古墳出土鉄刀銘に一部が、稲荷山古墳出土鉄剣銘に獲加多支鹵と書いてあったら
獲加多支鹵=雄略天皇なのはなんでですか?

A 回答 (3件)

ノートに雄略天皇の頃に政権強化を強めると書いてあるのですが、


頃に というのがひっかかります。
雄略天皇が政権強化したってことですか?
  ↑
あの時代は、資料が乏しく、明確に出来ない
ことが多く、謎の時代なんて言われているぐらい
なのです。
だから「頃」と表現しているのでしょう。



また、倭の五王とはどういうことですか?
  ↑
当時は、有力な五人の王が争っていました。
倭とは、中国からみた日本のことです。
倭国では、五人の王がいた、ということです。



江田船山古墳出土鉄刀銘に一部が、稲荷山古墳出土鉄剣銘に
獲加多支鹵と書いてあったら
獲加多支鹵=雄略天皇なのはなんでですか?
  ↑
通説では、稲荷山鉄剣の銘文の「獲加多支鹵」を「ワカタケル」と読み、
日本書紀に「幼武(ワカタケル)」、古事記に「若建(ワカタケル)」)
と記す雄略天皇に当てています。

したがって、倭の五王の武を雄略天皇に当てている通説では、
「倭王武=雄略天皇=獲加多支鹵(ワカタケル)大王」
という図式が出来上がるわけです。

異論があります。
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雄略天皇のときには関東地方から九州のあたりまでヤマト政権が広がり、大王と称していました。


雄略天皇ときよりも前にそうなっていた可能性もあるので「頃に」と書いてあるのかもしれません。

倭の五王だけで本が一冊書けます。
もっと絞って質問したほうがいいと思います。

雄略天皇の別名が大泊瀬幼武で、「おおはつせのわかたけ」などと読みます。
獲加多支鹵も「わかたける」と読めるので、雄略天皇だろうとされています。
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>雄略天皇が政権強化したってことですか?


⇒そのころの日本には歴史的資料が残っていないのです。中国の歴史書に出てくることを見て日本がそのころどうだったかを判断するしかないのです。そのため頃という表現になっているのだと。

>また、倭の五王とはどういうことですか?
⇒倭の五王の武が雄略天皇の事であるとなっています。

>江田船山古墳出土鉄刀銘に一部が、稲荷山古墳出土鉄剣銘に獲加多支鹵と書いてあったら獲加多支鹵=雄略天皇なのはなんでですか?
⇒それはそうなっているのだから覚えるしかないです。
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