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不老不死は辛いものだと思いますか?

永遠にこの生活が続くなんて恐ろしい、と思うかもしれませんが、実際はそうでも無いのかなと最近思います。

人間は「いつか必ず死ぬ」と頭では分かっていても、どこかで「自分が死ぬ訳がない、永遠に生き続けるはずだ」と自然と思っているように感じます。
自分が死ぬなんて、想像もつかないのだと思います。

A 回答 (9件)

> 不老不死は辛いものだと思いますか?



結構、しんどいし、つまらないんじゃないかな?

たとえばサッカーの試合で、全力を出し切れば、まあ勝っても負けても、「あ~しんど。でも頑張ったし、楽しかった!」と言えそうでしょ?
しかし、「お疲れさん。では、もう一試合行ってみよー!」なんて言われたら、楽しさは吹っ飛びます。

逆に、ハナから「二試合連続」の前提だったら、各試合では全力を出し切れないと言うか、出せないと言うか。
その結果、言わば手抜きしてるので、勝ったところで、充実感とかは減じるだろうし。
負けたら悲しいと言うより、後悔とかしそう。

それが「百試合連続」とかになれば、もうやる意味さえ見出せないです。

すなわち、有限の一度きりの人生だから、全力で充実させられるんじゃないのかな?


> 自分が死ぬ訳がない

私は真逆で、
・武士道とは死ぬことと見つけたり
・一期一会
・朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
・一寸の光陰軽んずべからず
などの境地を重視してます。

いずれも、人間なんてのは明日死ぬかも知れないから、「明日死んでも構わない」と思えるくらい、今日を大事にしようみたいな概念を含んでいる言葉かと思いますが、要は、ほどほどに「死」を意識した方が、人生は充実するってことでしょう。

「人生100年時代」なんて言ったところで、3万日ちょっとです。
だから1日が、切なくも愛おしく・・大切。
言わば「生命への尊重」にも等しく、人間や生物として、最も重要なものの一つじゃないですか?

従い、不老不死で、この気持ちを無くすのは、かなり恐ろしいことかと思いますよ。
果たして、人間とか生物と言えるのかも疑問で。
「無限の命がある」なのか、あるいは「命とは別のもの」なのかさえ判りません。
自分の死より、想像が出来ないと言いますか・・。
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どうして永遠の命が辛いかというとそれは人間の習性に関係しています。

 人間は常に新しい物を求めます。 そして、それがなくなったとき人間は精神的に死にます。 100歳くらいになると周囲に関心がなくなります。 これは老いのせいではなく年のせいです。 もし人間が永遠に生き続ければ新しいものがなくなり精神的に死ぬでしょうね。 まさに生き地獄です。 想像してみてください、太陽系がなくなったあと永遠に何もない宇宙をさまよう自分を。
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身近な人が「死」ぬことで、「生」を実感します。


失う事で、当たり前に気づきます。

なので、若いうちに「時間」の大切さに
気付くに越したことはありません。
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若い人にとって 『老いる』『死期』は 実感がわかないものです。



経験も浅く 人生の浮き沈みも知らず 甘さも苦さも知らない時期に

『不老不死』とか『永遠の命』とか 他人事です。


余命宣告されたり 身体障害になったら

そういうことを 考えて 望むこともあるけど


若くて 健康で 生活に恵まれているなら

想像もつかないのは 無理はないです。


もしも『不老不死』で永遠に生きられるようになるなら

自分だけでなく すべての人が 平等で 平和で 安全で

健康で 充実した目的と やりがいのある持ち場を持っているのでなければ

意味がないですよね。
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不老不死は辛いでしょう。


人間死ななければ、どんどん人口が増えて世界が蟻のようになる。
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「不老不死」と言うことは「老いない」だけではなく「成長もしない」ということなんです。


どんなふうにして不老不死になるのか知りませんが、なった時点で歳をとることがなくなります。
二十歳で不老不死になったとすれば、最初のうちはそれも楽しいし嬉しいかもしれませんが
例えば百年後、知り合いはすべて死んでしまって自分だけが二十歳のまま周囲から取り残された世界で
死ぬことも出来ずに生きていかなければいけないんです。
不老不死は、もしかしたらこの世で一番残酷な刑かもしれません。
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不老不死は辛いものだと思いますか?


 ↑
辛くは無いと思います。

味気ない、
面白く無い、
飽きる、

こんな感じではないですか。

人間には死があるから、美があるのです。
感動なりがあるのです。

不老不死になる、ということはそれらが
無くなることを意味します。

だから、味気ない、面白くない、飽きる
のです。




自分が死ぬなんて、想像もつかないのだと思います。
  ↑
想像はつきますよ。
あえて考えないようにしているだけです。
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死ぬときは死ぬもんだから


想像する必要性を
感じないのかも知れないですね
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この世でやり残したことだらけの中途半端な人生の高齢者が、不老不死を願うんじゃないでしょうかね。

自分のやりたいことを成し遂げた人は、数字上の年齢なんかどうでも良く、いつでもお呼びが来ても素直に受け入れられます。

70越えりゃ、どっか体にガタがくる。車みたいにパーツ交換できないのに、先生、何とかお願いします、なんて懇願する高齢者が大半で高額医療費を取られて、年金が足らんとか抜かしている。治らんガタを治そうとしないで、仲よく付き合うと決めれば、老人治療費なんてたかが知れた金額。

薬漬けにしなかったら、死が近づいてくると脳内からモルヒネみたいな物資が作られ、安らいだ気分で大往生。薬漬けにの体では、モルヒネ物資が作られないので、醜い醜態を見せ、苦しみでわめき散らしてのご臨終と。

人間死ねば、他の人の体の中で思い出として生き続けていきます。醜い醜態、苦しみでわめき散らしながら、矢も力も尽きて死んでしまったなんて人様に思いださせるような死に際を見せたくはないです。

数字は少ないですが、もうやりたいことはすべてやったで、大満足幸せ人生の71歳爺です。余命は皆さまに感謝させてもらいながら、おもいっきり楽しませて頂いています。
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