14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

「人間失格」も「走れメロス」も太宰治の作品ですが

同じ人間がこれほど違う作品を書いた

これは一体どういう事でしょうか?

昔の少女漫画(目に星の)作家 陸奥A子さんも実は太宰のファンだったと言う

陸奥A子の作品は一点の曇りもない様な 純粋なラブロマンスというか 乙女の作品です

どっちが本音と言えるでしょうか?

人間失格と走れメロス 太宰はどちらを書きたかったか 読んでもらいたかったのか?

6月19日は桜桃忌 太宰の誕生日であり死亡の日ともされています。

走れメロスか? 人間失格か?

A 回答 (8件)

はじめまして(^^)


私も太宰治先生の作品は、大好きです。

思えば恥の多い生涯でした…。自分にも重なってシビレました。
先生は、何度も自殺を試みています。首を吊ったら死ぬ程苦しかった!辺り退廃的な中にユーモアを感じたりします。

走れメロスも良いですね!こちらは子供の頃に読みましたが、子供ながらに深い情熱を感じて、この日本文学は、自分の成長に大きく影響したと言っても過言ではありません。

さて、さて本題ですが、どちらも太宰治作品です。本音はどちらか?と聞かれれば、どちらもと言えますし、先生の潜在意識を辿ればどちらでもない気がします。

どこかの評論家が言っていたのですが…。
太宰作品は、生涯2冊まで!しかも続けて読んではいけない!と…。それだけ太宰治作品は、影響力があり強いプロパガンダが含まれていると、妙に納得してしまいましたが、敢なくcheechanは、とっくの昔に太宰治作品を読破してしまいました。

良い質問を見つけて、食いついてしまいました。
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この回答へのお礼

助かりました

太宰は尾崎豊のようにどうしても納得がいかなかったのではないでしょうか。

時代は随分前ですから、戦前ですし。人間とは何なんだと 叫びたかったのかもしれません

それが人間失格であり走れメロスなのでしょう。

何で心中などしなければならなかったのか?

私は宮沢賢治も好きなのですが あまりに純粋な苦悩だったような気がします。

若い頃テーブルの納品に行った時 トラック補助のチンピラのようなおっちゃんが

「傷の一つくらい入っとったって どげあろかい」と言ってました

神経が図太ければよかったのでしょうか??

お礼日時:2018/07/02 23:10

お返事、ありがとうございます。



成れの果てって(笑)


私も前はそんな風に思っていたんですが、最近では、失格は浄化作品だったのかなと思うようになりました。

失格で今迄の井戸掘りの体験が表現出来た。
色々生きている上で、フリをしなくても良くなった。
自分自身の壁を抜けた感があった。

不条理や矛盾を自分なりに受け入れた。


ずっと以前から、望んでいた?浄化される時が来た。
俗世間の常識に沿う価値観なんてもう要らなくなってずっと前からこうしたかったことをした。

世間に成れの果てと言われて、本望、みたいな、風にも思えるんですよね。

桜桃は佐藤錦が大好きです。
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この回答へのお礼

Thank you

実は私は「桜桃」を読んでないんです。

人間失格はカタルシスというよりは人間というものはそういうものだという事を書いたのではないでしょうか?

恥の多い一生を送ってきました。私も恥ばかりです ぼーっとした田舎者が学校で失敗社会で失敗し

東京で病気になってしまったのですから お恥ずかしい一生です。私も人間失格かもしれません。

ただ走れメロスの様に在れたらと思いました。

実際には病気で仕事もろくに出来ないロートルです。役に立たない人間の筆頭です。

お礼日時:2018/07/15 18:47

書きたくないものなど書けない、書かないと思いますよ。



メロスは初期で、失格は終わりの方だから、ずっと同じようなテーマなわけないですし、その間に沢山書いているから、井戸をどんどん深く掘っていったろうし、どこをどうという、掘り方もあるから。

自分のことが嫌でも解っていっただろうし、狂気に取り憑かれるタイプの人もいるし、でも、どうなるにしろ、人は変わっていくものだと思います。

メロスはフィクション。
失格は所々に津島修二の実体験を込めていますよね。
失格の後にメロスを読むと、違うメロスが見えてきそう。

「失格」を表現したことがカタルシスになったのかなと思ったことがあります。
桜桃は「失楽園」のりんごかな?
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この回答へのお礼

Thank you

確かに調べてみるとメロスは初期から中期にかけての作品 人間失格は終わりの方ですね

メロスはフィクション 人間がこうであればという作品

人間失格は成れの果てに近い頃ですね

太宰がメロスを書いていたことが我々にとっての救いかもしれません。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2018/07/08 13:26

「走れメロス」のような理想的な人間関係をつかむことができず、


「人間失格」的人生の地滑りに飲み込まれてしまった。
そんなイメージがあります。
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この回答へのお礼

Thank you

人間何時かは人間失格のような思いをすることがあるのでしょうね

そう思わなかった人はラッキーです。

走れメロスのメロスの様な心が持てたら素晴らしいことでしょう。

なかなか善意だけでは生きていけない世の中ですが ありがとうございます。

お礼日時:2018/07/03 20:13

それは・・・・・言えない!

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この回答へのお礼

ありがとう

そうですねえ 絶望と夢ですかねえ?

お礼日時:2018/07/01 15:26

太宰は「私小説」作家です。



人間失格をストーリーで見るのは変で、「太宰そのもの」を小説の形で
表現した、と考えるのが自然。

走れメロスも、結局、太宰の中の、あるべき姿と葛藤を表現したもので、
「太宰そのもの」だと思います。

結果、両方本音なのだと思います。

太宰にしてみれば、

「太宰はどちらを書きたかったか 読んでもらいたかったのか?」と言った切り口は、
「貴方の本質は、右手に有るのか、左手にあるのか、頭にあるのか、足にあるのか」の
問のように、「分離できないもの」だと思いますが。

もっとも、最後に読んで40年以上経過しているので、記憶も虚ろですが。
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この回答へのお礼

Thank you

仰る通りかもしれませんね。太宰の希望と絶望を表しているのかもしれません。

人間歳をとると老いて何時かは死にます。

死んだ時には希望は絶たれるのです。

自己嫌悪の拡大が人間失格で 希望の小説が走れメロスなのかもしれませんね

お礼日時:2018/06/30 11:45

キュビズムの大家ピカソが初期にシンプルな絵画を残してます。



ポピュラーな作品が愛されているザ・ビートルズですが、「レボルーションNo.9」というミュージック・コンクレート作品も残してます。

つまりは、偉大な芸術家の振り幅の大きさということだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

振り幅だと言えるでしょうね。ただ太宰は自分の命を削ってまで文学に生きた

何か言いたい事があったんじゃないでしょうか?

理想と現実でしょうか 絶望と希望でしょうか?

お礼日時:2018/06/29 23:34

私が思うにどちらも本当の太宰治さんなんだと……。


きっと彼は今で言う、統合失調症(多重人格)に近かったのでは。

元々はあまりの純粋さ、繊細さに、きっと俗世間の汚さやズルさや醜さに傷付き、常に氏の心はボロボロで傷だらけだったのではないかと思いますよ。


もしかしたら時代を間違えてやってきてしまった、インディゴチャイルドだったのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとう

統合失調症ですか。多重人格ですかねえ?

太宰は38才で死亡しているようです。今考えると早すぎる。

インディゴチャイルド? 芸術家は何時も傷だらけなのかもしれませんねえ。

お礼日時:2018/06/29 22:27

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