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農家の方を百姓と呼ぶのは、現代では蔑称になりますね。(お百姓さんは別ですが)
江戸時代位までは、蔑称ではなかったような気がします。
どういう契機で、百姓が蔑称になったのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

日本国語大辞典(小学館)の「百姓」の項には、下記のように差別的な意味の用法とその江戸時代の用例が出ています。

江戸の町人の田舎者への差別意識から差別的な用法が生まれたということでしょう。都会の生活を洗練された上等なものとする価値観が主流なのは、昔も今も変わらないのではないでしょうか?


(4)田舎者、また、情趣を解さない者をののしっていう。

*雑俳・長ふくべ〔1731〕「なアわいら百性(ヒャクシャウ)がゐざ何こしめそ」
*滑稽本・浮世風呂〔1809〜13〕四・中「めらの乾魚等(なんざア)、一生立ても食ねへ徒(てやい)だ。かまはず行ッし。百性(ヒャクシャウ)だ百性だ」

"ひゃく‐しょう[‥シャウ]【百姓】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-08-06)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
回答ありがとうございます。
1.<都会の生活を洗練された上等なものとする価値観が主流なのは、昔も今も変わらない>
ですね。うろ覚えなのですが、平安時代に都鄙という言葉が使われていましたね。
2.江戸が世界でも有数の大都市・大都会に拡大し、何代も続く町人が増えてきたころから、田舎や百姓との繋がりが消え、<江戸の町人の田舎者への差別意識から差別的な用法が生まれた>ということになりますね。

お礼日時:2018/08/06 19:38

現代ではあまり蔑視されませんね。

だって小作人も地主になり、地主は山を育て自由自在。むしろ、専業農家はそれを出来る努力や才能、敷地をもち数千億円一族で相続争いすることも珍しくないです。丹田は取り合いですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました
<専業農家はそれを出来る努力や才能、敷地をもち>ですね。
サラリーマンとは違い、独立した自営業者としての強みがありますね。そして食糧という商品の強みは、(買い叩かれることはあってに)全然売れずに残る、ということはないようですね。<現代ではあまり蔑視されませんね。>
ただし ”私はブスすよ” と公言している人に向かっても、”あなたはブスだ” とは言えません。

お礼日時:2018/08/18 15:45

1871年 戸籍法制定


1875年 平民苗字必称義務令
..

従来の管理体制がパンクした、よって桁数を増やすことは電話番号の番号増設化でもみられるのではないでしょうか。
廃藩置県で中央集権化したかったのではないですか。
新制度を認められない勢力には、未だ百姓だとか。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2018/08/14 14:59

#10のお答えに関連して面白いことを想い出しました。

つまり大戦後も長い間東北から甲信越に掛けて莫大な農家の次三男時には長男までが上京して東京周辺で職を得ました。その傾向は身分制度がなし崩しになっていった江戸末期から続いてきたわけですが、現在の首都圏の人口の80%以上が上記地方出身者の末裔というわけです。つまりその末裔が自分の出自を誇れず、自分を先祖から区別したいがためにことさら差別的な用語として使うようです。同じ百姓の身分でも大百姓、庄屋、割元(士分の庄屋)出身で上京後そのまま旧制中学・高校、大学と経由して明治のエスタブリッシュメントになった層は自分の出自を「百姓の出だ」と誇ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
大百姓などの出身者で、<明治のエスタブリッシュメント担った>人たちは、自分の耳目を誇りをもって、「百姓の出だ」といえるのですね。
しかし、一般農家出身者は、たいして出世をせず(できない)ので、<自分を先祖から区別したいがためにことさら差別的な用語として>百姓を使うのですね。(連想して思い出しました。自分はあたかも欧米人のように、ことさら日本人は嫌だね、という日本人がいますね)

お礼日時:2018/08/08 14:14

こんにちは!



>言葉狩り以前にも、差別の萌芽が既に見られていたような気がします

仰る通り、差別が社会問題になる以前から、個人的な差別意識は、すでに存在していると思いますねえ。

1919年の第1次世界大戦終了後のパリ講和会議の国際連盟で、日本は人種差別撤廃条約を提案しましたが、賛成多数にもかかわらず、全会一致でなかったということで、米国のウッドロウ・ウイルソン大統領によって、否決される目にあっています。これに落胆した米国の黒人は、各地で暴動をおこしたそうですねぇ。

これは、一つの例でしたが、日本は昔から差別に対しては、敏感であったと思います。特に白人至上主義に対する、反発心は強くあったと思います。個人的には、人種の区別はあってもいいと思いますが、差別はいけないと思いますねえ。
結局、差別は個人個人の心の問題に帰するものと思います。個人が、人を差別をする、見下したり、蔑む事が無くならない限り、この問題は無くならないだろうと思います。

私自身も、そのような心の貧しさを克服する努力が必要だと、改めて思いました。(>_<)
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございます。
<個人が、人を差別をする、見下したり、蔑む事が無くならない限り、この問題は無くならないだろう>ですね。
私は、(つまらないことで)差別したりすることは(表向きはばれないようにしているようですが)内心ではたびたびあります。<そのような心の貧しさを克服する努力が必要>ですね。

お礼日時:2018/08/05 17:23

こんばんは!



お礼ありがとうございます。

>百姓の初期の差別な意味は、何時ころ、どういう理由で生まれたのでしょうか?

そうですね…、個人的には、百姓という言葉に、差別的なニュアンスをあまり感じないのですが、百姓という言葉の前に、「ドン」とか「水飲み」とかの言葉が付けば、明らかな差別というか侮蔑言葉になると思いますねえ。
このような表現は、ドラマとか、映画で聞いた記憶があります。確か渥美清の「寅さん」シリーズで聞いた記憶があります。それは、寅さんというキャラクターを表している演出上のセリフなので、べつだん気にも留めていませんでしたが…。
TV等で、古い映画やドラマ等が放送される場合、「お聞き苦しい表現等が含まれていますので、ご了承ください」という、テロップが流れます。

これも時代の流れなんでしょうね。相手が傷つく、または傷をつける恐れがあるという事に過剰反応して対応しているとしか思えない事が多々あります。

つい最近でも、杉田水脈議員が「LGBT=生産性がない」と書いたと、マスコミでバッシングされていました。その寄稿文を読んだ限りでは、そんなにバッシングされる内容でもなかったのですが、酷い報道でした。

横道にそれてしまい失礼いたしました。明確にいつからと言えない感じです。「言葉狩り」が始まってから、意識されられた感じがしますねえ。(-_-;)
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<百姓という言葉に、差別的なニュアンスをあまり感じない>のですね。ただし、「ドン」とか「水飲み」とかの言葉が付けば>べつですね。差別語は、<「言葉狩り」が始まってから、意識されられた>ようですね。ただし、(私だけかもしれませんが)言葉狩り以前にも、差別の萌芽が既に見られていたような気がします

お礼日時:2018/08/05 10:05

No.5です。


>なぜ、百姓が<侮蔑的なニュアンスを持>つようになったのでしょうか?
これについてはNo.4さんの通りだと思います。
張った画像の漫画(こち亀の初期)の警官は生まれも育ちも東京ということで田舎を見下す思想があったことと『こういう滅茶苦茶な人物である』という描写のためこういうセリフになっています。
この漫画の趣旨、作者や出版社としてはそういう考えなどないのですが、これもNo.6さんが挙げた言葉狩りの対象となり、近年になって販売された復刻版では台詞が差し替えられてしまっています。

百姓 蔑称 経緯
これで検索すると色々Hitします。
時期としては昭和初期から蔑称とされ言いかえが進んだようです。

私見ですが、近代化が進み都市部は大きく変化した一方で農村には目覚ましい変化が見受けられなかったことから時代遅れといった印象が根付いたのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<漫画の趣旨)は若えいました。①<田舎を見下す思想>と②キャラクタの設定なのですね。前者だけを大騒ぎすることは片手落ちのような気がしますね。
そして、<農村には目覚ましい変化が見受けられなかったことから時代遅れ>と見られがちだったのですね。変化=近代化=善という式が<根付いた>のですね。

お礼日時:2018/08/05 08:11

こんにちは!



そうですね…、実はある事件がきっかけになっていると思います。1993年に、作家の筒井康隆氏が書いた『無人警察』という小説の中で使われた表現に「てんかん」というものがあり、これが患者への差別になるということで、日本てんかん協会からクレームが入り、マスコミのバッシングに遭いました。それ以降、「言葉狩り」が始まり、相手が嫌がる差別的な言葉としてマスコミはこぞって自主規制に入り、今日に至っております。
例を挙げると、マンガ「釣りキチ三平」の、キチは、「気違い」のキチだと…(私のPCで「きちがい」と入力して「気違い」と一発で変換されません)。歌手のさだまさし氏の「関白宣言」も女性差別とレッテルを貼られる始末でした。
これ以降、様々な言葉が自主規制され、言葉の言い換えが進みました。
例えば、「痴呆→認知症」「方端→障害者」など、すぐに意味が掴めないような言い回しが増えていますねえ。
その言葉が、前後の文脈から差別かどうかは分かると思うのですが、作家にとって表現しづらい時代になっております。因みに筒井康隆氏は、直ぐに『断筆宣言』をして、作品の発表を止め、1997年の『邪眼鳥』で、断筆を止めました。

ご質問にありました「百姓」という言葉も、その流れに入っていると思われます。

参考になれば、幸いです!(^o^)丿
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
多数の言葉・分野で<「言葉狩り」>がありましたね。行き過ぎもあったか、と思います。ただし、その際、例えば百姓も、軽いとしてもすでに差別的な意味合いが含まれていた、と思います。もちろん、この言葉狩りを契機としてますます重症になった、のだと思います。ところで、百姓の初期の差別な意味は、何時ころ、どういう理由で生まれたのでしょうか?

お礼日時:2018/08/04 19:34

元々その言葉の対象となる人に敬意を持ってない人が悪意を持って侮蔑的なニュアンスを持ってそう呼んでいただけでしょう。


それをメディアが過剰反応して自主規制してるうちに差別用語、蔑称として定着してしまうのでは。

掲示板のNGワードじゃあるまいし、どのような意図で使われた言葉か、話の流れから読み取って貰いたいものです。
「農家の方を百姓と呼ぶのは、現代では蔑称に」の回答画像5
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なぜ、百姓が<侮蔑的なニュアンスを持>つようになったのでしょうか?
東京と新潟との、何の差でしょうか?

お礼日時:2018/08/04 17:02

主観なので実態とは言えませんが、百姓と呼ばれて気に障る人は農業従事者というよりも田舎という環境に劣等感を持っているタイプかなと思います。


百姓が蔑称になるのはあくまで、農業しかないような田舎者だと卑下する時、だと思うので、農業そのものを馬鹿にする言葉にはならないように思います。
なので、百姓と呼ばれること自体ではなく、百姓が一種の悪口になってることが悲しいですね。
例えるならサラリーマンという言葉が人を卑下する意味で使われるようになったなら、真っ当に働いているサラリーマンの方々はなんで自分の職業が他人を見下す意味で使われるのかと疑問に思えますよね。
そんな感じです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
私の方こそ<主観な>な考えに走っているか、危険性があります。
ぼー様が分析なされたように、農業としての百姓には蔑称の意味合いが少ないないような気がします。食物生産者として誇りを持っておられる方は、百姓にも誇りを持っておられるのでしょうね。しかし、(歓楽街などがある)都会に比較して<農業しかないような田舎>という意味合いで、百姓が蔑称になるのかもしれませんね。

お礼日時:2018/08/04 16:53

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ある所で百姓とは差別用語だと聞きました。
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Aベストアンサー

はい、確かに差別用語として扱われています。
古くは識字率が低くかった事で教養を学ぶ機会が乏しく、教養や知識を前提とする情緒を解さなかった事を卑しめて田舎者と同義で用いられていた、というのがその理由です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%94%A8%E8%AA%9E

しかし現在では、その意識もだんだん変化しています。
近年、歴史学者の網野善彦が中世社会、近世社会における百姓身分に属する者たちが農民、山民、漁民、職人、商人などの広範な生業の従事者であったことを明らかにし、「百姓=農民」と一概にまとめた従来の歴史観に対し批判を行った。さらに今日の歴史学では西欧中心の単線的な発展段階史観が強く批判されるようになった。そのため百姓が差別的な用語であるという認識は薄まってきている。
また現実の農業従事者は必ずしも百姓という呼称を差別的だととらえているとは限らず、むしろ一部の篤農家は自らを誇ってあえて百姓と自称する向きも見られる。こうした篤農家には歴史的百姓層が自らさまざまな生業を兼ね、またモノカルチャー化を避けて多様な農作物を栽培したことの復権にアイデンティティーをおく者もいる。彼らは生業や農作物の多様性に「百姓」の「百」の字義を投影し、しばしばこうした多様性を持った農業を行う者こそが「百姓」であると定義する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A7%93

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Q「貴様」は、丁寧語ですか、蔑称ですか。

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時代が変わって武家が力を持たなくなると、蔑む意を持つように
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・・・みたいなことが下記リンクに記されていますね。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AD%A4%B5%A4%DE&search_history=%A4%A2%A4%CA%A4%BF&kind=jn&kwassist=0&mode=0

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2つほど説明してくださると嬉しいです^^v

Aベストアンサー

 単純にお話しします。
「百姓」とは元々「ひゃくせい」と読む言葉です。意味としては「様々な職業の人」から派生し、多くの人々との意味で使われる表現です。「民草(たみくさ)」などと同じです。
 これに対し「農民」とは文字どおり「農業に従事する人」「農業を生業とする人」として「職業別の階層」を指す呼称です。
 こうした国語的表現とは別に日本史学での扱いですが、江戸時代に「小前の百姓」「大前の百姓」との呼び方が登場します。前者は「村役人以外の百姓」であり後者は「村役人を務める百姓」のことで、「村役人」とは代官や郡奉行の下で農村支配の末端機関の役割を果たした農民のことであり地方毎に大庄屋・名主、庄屋・肝煎などの呼び方がある職掌の下に組頭・百姓代などが置かれる組織構造を示します。
 江戸時代と仰られても、それが「どの様な史料に記されているのか」によっても内容は変化します。儒学系の書物ならば、儒教原理に則って記されていることから古典の意味としての「ひゃくせい」である場合もあれば、高札などの「下」では近郷近在の農業に携わる者に対する通達などの意味で使われる場合もありますので、「どの様なシチュエーションで使われているかを識別して考えること」が肝要です。

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 これに対し「農民」とは文字どおり「農業に従事する人」「農業を生業とする人」として「職業別の階層」を指す呼称です。
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