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お通夜に酒や食事はいらない。
お通夜、葬式 は故人にとって親しかった者だけで。
葬式に金がかかるのはおかしい。

なぜか分かりますか?
そしてそうならないのは、分かってない人がいっぱいいるからです。
ご考察あれ、
日本が少しでも今よりも良い国になりますように。そして、一人でも多くの人がこの葬式戦争で傷つくことがありませんように。

質問者からの補足コメント

  • ご高察あれ

      補足日時:2018/11/15 00:47
  • 慣習を重んじ哲学しない人はそれまでです。
    また、言葉は本質的には自分が言ったことに対して相手がどう受け取るかにかかっています。もし、リンゴしか知らなければナシなどは考えもしないと思います。したがって、あることを言われた側がそのことに関しての知識や哲学的命題の真偽が解っていなければ、元々あった知識のみをなんとか駆使して、それを打ち消すことでしかそこに“参加”し得ないということになります。そうでなければ無条件に信じることしかできず、自己の自由意思に基づいていないためそれは一人の人間の清潔な意見として認めることは到底できません。

      補足日時:2018/11/16 16:05
  • 私の言葉が、本文の内容で中枢を為す部分を除き多少誤字が含まれていたとした場合にも、もし“日々よく考える”ということをし、単なる個人の欲求を満たすものを超えて社会に貢献したいという意志が少しでも備わっているならば、“外人よ帰れ”とは読み誤らなかったでしょう。これに関してどうお考えににります?

      補足日時:2018/11/16 16:05
  • 同窓会みたい → 私もほとんど同じ事を言いたかった。借金を抱えている者の前で札束をチラつかせるようなものです。

      補足日時:2018/11/16 16:25
  • 心のけじめ → これも要は遺族のことですね。確かに、葬式等が心のけじめに繋がるのであれば大いに意義があると思います。しかし、これは日本の伝統や歴史の上で成り立つ日本人の風習によって形成される人間の中にある認識(誤謬)によるものであって、それ自体“慌ただしい”だけの葬式そのもの(=ヒュレーといいますか)によって遺族の心が癒されるわけではないと思います。キリスト教の御蔭で幸福である(と思っている)人の数が減るかもしれないのに、ニーチェがキリスト教を批判し続けたのは、彼が真実の上にしか人間本来の生きる意味や希望を見出せないと考えたからです。

      補足日時:2018/11/16 16:25
  • 日本人は特に、精神の回復(目に見えないもの)にはお金を厭わない → これに関しては、今までそうであった や、それが正しいとされてきた ということが我々の哀しみを回復する力をお金に依存させ、それに対して疑念を抱く力さえも剥奪してしまっているというだけだと私は思います。お金がないと精神状態が回復しないということであって、多大なお金によって精神状態が回復することが本来正しいことではないだろうということです。香典、憎むべき香典返し等の問題もあります。

      補足日時:2018/11/16 16:46
  • ふとした瞬間に金銭の問題や次々に降りかかる試練ともいえる状況 (日本人全員が、いつか必ず経験する)に、心の繊細な者ならば、この地獄から逃れるためにいっそ死にたくなるかもしれません。

      補足日時:2018/11/16 17:05
  • 本当に、お金をかけたい人はかけたらいい、お金のない人はあきらめたら済むこと、としてしまっていいのでしょうか?
    むろん、私のような無神論者ならば散骨とかでもいいでしょう。しかし、日本人は信仰心が薄いとは言うものの、実際はそれに変わる何らかの哲学を持っている人は少なく、最終的には“神(仏)頼み”なのではなかったですか?もし、しっかり拝んでもらわないと成仏できないと考えている人がいたとしら…つまり、その人にとってはお金をかけることが心の癒しに繋がるのです。そのような錯覚と誤謬に繋がるため、葬式では大きなお金が動くべきではないのです。

      補足日時:2018/11/20 15:59
  • 通夜振る舞いの意味、今までそうしてきた、そうあった、それが普通…などの回答が許されるのは、“家の外”だけです。“家の中”で悩む人がいなくなればいいなと思ったので、このような議題となっています。
    風習や慣習を絶対視するならば、場合によっては、カニバリズムも許されてしまいますからね...

      補足日時:2018/11/20 16:08
  • 訂正・追記
    無神論者でも散骨が嫌な場合もありえます。例えば、遺族の意思を尊重した場合や、お墓を作ることで自分のことを覚えていてもらいたいと考える場合などです。

      補足日時:2018/11/20 16:13

A 回答 (7件)

>そしてそうならないのは、分かってない人がいっぱいいるからです。



日本語で質問してくださいね

あなたが、一番判っていないですから

>ご高察あれ

考察ですよ
これで、バレちゃいましたね (^_^;

日本のことを心配してないで、祖国に帰りなさい
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はじめまして



>お通夜に酒や食事はいらない。
>お通夜、葬式 は故人にとって親しかった者だけで。
>葬式に金がかかるのはおかしい。

同感ですが、葬式というのは故人のためというより残された人のためです。
故人の遺志もさることながら、残されたひとがどうしたいかにもあるでしょう。
豪華にやるも良し、簡素にやるも良し、直葬でもよいです。

この年になると知り合いの訃報などを聞くことが多くなります。
この時には「葬式に参加したかったなぁ」「最後のお別れをしたかったなぁ」
なにか、心のけじめがつかないことも事実ですね。
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お通夜、葬式そのものも、不要かなと、最近は思っています。



故人とお別れに来たはずなのに、まるで同窓会のような雰囲気にいたたまれない思いを感じて席を立ったりします。
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日本人は感情、とりわけ悲しい感情、寂しい感情に対して、その感情を和らげるのに、多少の金額は厭わないと言う性向を持っているからです。

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金銭の問題はどうでもいいのでは?


お金をかけたい人はかけるし、かけたくない人は小ぢんまりとすればいいだけです。
問題は、一番悲しい思いをしている喪主がばたばた慌ただしく、悲しむ時間も許されないことだと思います。
少し距離のある人がフォローして、近しい人は悲しめる環境が整っているといいと思うのですが。
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通夜振る舞いは、酒で体を清める「お清め」の意味もあるので、アルコール類なども料理とともに用意されます。


また、通夜に料理を振る舞うことで、不幸を分かち合うという意味もあります。
豪華か質素かは喪主や施主の都合でしょうけど、通夜振る舞い自体はそういう意味があるんです。
なので、普通はしますよね。
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>私のような無神論者ならば散骨とかでもいいでしょう



日本の法律で散骨はできません。
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