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諸説ありますが、彼女が深く愛してしまった妻子を持った男性を忘れるために書かれた
詩であるということで、激しい表現になっているのだと思います。

「愛こそすべて」ということは、愛を取るためにすべてを捨てるということではなく、
愛こそがこの上なく崇高で心を震わせるものであるということであり、その思いを胸に
抱くということだと思います。

1.クリスチャンの方にお訊きしたいのですが、キリスト教の説く愛というのはこのような
ものと理解してよいのでしょうか?

2.仏教に詳しい方にお訊きしたいのですが、この心は十界のうちのどれにあたるのでしょ
うか?

3.男性諸氏にお訊きします。女性からのこのような愛を受けたら。どのように思うと思い
ますか?

4.愛は人に深い満足を与えうるのものでしょうか?

質問者からの補足コメント



  • はじめ少し怖いですけど、愛に打ち震え、歓喜する心を彼(女)独特の
    超剛速球で表現していると思います。

      補足日時:2018/11/18 13:08

A 回答 (12件中1~10件)

キリスト教徒です。



西洋美術史では、人間は、二種類の異なるベクトルを持った、女性美を追い求めると言われ、そして、芸術家たちは、絵画や彫刻に表してきました。一つは、キリスト教的な、聖母マリア、聖なる母への敬慕で、もう一つは、アフロディテへの、本能的な欲望である、ということです。

エディット・ピアフの歌った愛は、アフロディテの愛ではないでしょうか。

愛の賛歌は、確か、プロ・ボクサーと恋に落ちて、彼女はアメリカで仕事があり、彼も、ヨーロッパでの仕事が終わり次第、NYで合流するはずが、彼の飛行機が落ちてしまい、もう二度と会えなくなってしまった。そんな状況で歌われたように覚えています。(確認していないので、間違っている可能性もあります。)でも、永遠に失ってしまった大切な人、そして、行き場のない自分の熱情を、正直に歌ったように思われます。

ビックリするほど激しい歌詞の連続なのも、うなずけます。(余談ですが、彼女はその後、息子ほども年の違う恋人を作って、彼が、最期を看取りました。愛人を可愛がる立場にモードを変換。進化したようです。強い女です。羨ましい。)

ご存じのとおり、一夫一妻制で夫婦関係を続けてゆくのには、経済的な安定が一番、次に来るのは、性愛の合致だそうです。裸のままで抱き合って眠りにつける幸せは、幸せな人生を送るには、必須条件らしいです。そのうえで、仕事をして、子供をつくり、家を建て、自動車を買い、共に老いてゆく。アフロディテで始まった愛が、次第に聖母マリア化してゆきます。

マリア化に不満で、ミッドライフ・クライシスが重なると、若い女性に走ることもありますが、その若い女性が、エディット・ピアフのような情熱を持っていても、また、年を経るとともに情熱が薄れて来るんじゃないか、その時は、どうするのかなぁ。人間が、何百年も生きることがないのが、救いになりそうです。
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この回答へのお礼

生来、感情の激しいところのある人間ではありましたが、このところ、
何かと感動することが多く、男の更年期障害なのではないかと心配する
ほどでした(笑)。

山本リンダにしても、韓国の若い歌手にしても、美輪明宏にしても、そ
んなに興味があったわけではないのに、そのストレートさを愛する気持
ちが湧いてきて、エディットピアフにいたり、その頂点に達したという
感じです。
ストレートな表現をする人がどんどんいなくなっていることが私の孤独
感を強めているのは間違いありませんが。

wikiでは、プロボクサーであった、マルセル・セルダンの生前に書かれた
詩であるとのことでしたが、いずれにしてもつらい苦しい別れであったこ
とには変わりありません。

これが、キリスト教的愛ではなく、アフロディテの愛つまり、通常の異性
に対する愛であるというご意見には一応納得です。

しかし、この人間の人間に対する「愛」というものは異性に対する愛だけ
でなく、家族愛・友情・同志愛・師弟愛など、様々なものがあるわけで、
これらの共通点としての「愛」というものを考えたときに、これこそが、
神の人間に対する愛(アガペー)と対になっている、人間の神、あるいは聖母
マリアに対する敬慕として表現されたものではないかと思ったのです。
(キリスト教的愛についてはよくわかっていません。)

また、仏教での「慈悲」と表現されたものの一端ではないかと考えました。

>アフロディテで始まった愛が、次第に聖母マリア化してゆきます

人間的成長がそうさせるということですね?

やはり人間いくつになっても努力をすることが大事ですね。

お礼日時:2018/11/19 04:59

しつこいようですが、大事な事なので。



「月を取って上げましょう 未来も盗みましょう あなたが望むなら」の後には「だから私を愛し続けて欲しい」という気持ちがあります。

愛、の必要性を歌い上げていますね。

ここで思いつきました。

ちょっと気取って。
『恋は愛を求めて・・・』
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この回答へのお礼

>「月を取って上げましょう 未来も盗みましょう あなたが望むなら」
の後には「だから私を愛し続けて欲しい」という気持ちがあります

私を愛し続けてほしい、という気持ちは当然あるでしょう。
そして、私に対する愛がなくなれば、あなたに対する愛もおそらく消えて
行くでしょうし、浮気でもしようものならその愛がそのまま憎しみに変わ
るでしょう。

それが仏教でいう「凡夫」の心で、キリスト教でいう「神の愛」は良く知
りませんが、仏教の「慈悲」は「抜苦与楽」です。
その心になるためには「修行」が必要で、そうそうなれるものではないわ
けです。
でも、その心は誰もが持っていると仏教では説きます。心の底では誰もが
そのことを知っていて、この歌を聴いて自分の中の「神の愛」「慈悲」を
感じるのだと思います。

だから、多くの人が感動をし、この歌を愛するのだと思います。

ということを実は言いたかったのです。

お礼日時:2018/11/21 22:41

多分、美輪明宏はこの歌の愛は“恋”とは別物、と思っているのだと思います。

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この回答へのお礼

恋の中に、彼女の高い精神性を見ているのだと思います。

お礼日時:2018/11/21 22:22

この歌のこころは、仏教の言葉で「渇愛」に当たりますね。



人の欲はいろいろありますが、愛への欲望は他の欲望よりも満たされ感が強いのでしょう。
物欲・金銭欲などは際限がありませんが、この歌は愛の究極の心です。

ただし、これは個人としての世界に於いてであって、隣人愛とか博愛と云った精神は全くありません。
だから、これを以て愛の総てを語ることは出来ないと思います。

この歌の「愛」は求め心ですね。
私の主張は「愛は与え心・恋は求め心」です。
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この回答へのお礼

そもそもが、歌の歌詞の解釈という、主観的なお話なのですが…

私はこの歌の心が、単に求め心とは思えないんですよね。

「月を取って上げましょう 未来も盗みましょう あなたが望むなら 」

と歌っています。

激しい恋には違いないのですが、隣人愛、博愛を含めた「人間愛」を
お互いに持った男女の恋に思えます。

お互いに不遇の半生を送ってきたもの同士だからこそ到達できた境地、
つまり、「菩薩界」じゃないかと思うのです。

あのうるさい、「恋なんていう遊びをやっている暇なんかないわ」と言う
美輪明宏が、あれほど讃嘆をしているし。

お礼日時:2018/11/21 18:13



この質問が少し怖い動画でしたか
キヨにお荒れてるkと側k利また

林檎に狂わされた書運干支ナニも考えてない実況貞夫です。

なんなのでしょうね。
林檎東南のニュースだkら
窃盗東南レトルトという子tなのでしょう

かごが一杯で小さい箱に無理やり入ろうとする猫がくぁわい伊

そんな感じでしょうか。
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お礼をありがとうございます。



キリスト教的には、キリストを通して、神から与えられた愛を、隣人たちに広めるのが、正統的な愛の取り扱い方で、これは、キリスト教徒にとっては、表玄関のようなものです。そうして隣人愛を高めていって、同時に、人間的にも、(キリストの名において)、成長してゆけます。

しかし、どんな人間にも必ず、裏玄関があって、そこでは、結ばれない男女の熱情を、強烈に希求するのではないでしょうか。光源氏の初恋の人は、母に似た、父の後妻さんでした。江戸時代に愛されたのは、心中もので、あの世でしか、一緒になれません。西洋でも、売春婦の椿姫や、マノン・レスコー、はたまたカルメンなど、悪い女に引っかかって身を亡ぼす男の話や、モリエールの寝取られ男の話など、読めば読むほど、普通の結婚生活では経験できない、滅びの美があります。

そうした、愛の賛歌の強烈さにも似た、激しく、刹那的でインモラルな"恋”は、キリスト教的な、神を通した愛よりも、大きな声では言えませんが、人生を面白くさせるようにに見えます。

恋は、いったん結ばれて、安定してしまうと、そこから堕落が始まるんじゃないでしょうか。にもかかわらず、イブはアダムのあばら骨からつくられたから、男女は肉体的・精神的に一緒になることを希求する、というような、説話がもっともらしく、創世記に、あります。あばらは一本だったし、イブは一人だったんですが。

そういえば、16歳になる長男が、”ありのままの僕を愛してほしい”と言いだしたことがあります。”ハイハイ”と返事をしまして、お返しに、”お父さんとお母さん(私)の関係性はどう思う?”と訊いたところ、ちょっと首をかしげて、”なんか足りない、何だろう。。。そうだ、パッションが足りないんだ”というお返事をいただき、感謝したことでした。その後、夫と二人で、パッション回復に尽力しましたが、二年で、以前の穏やかな関係に逆戻りしました。十年以上前、やはり、更年期のころでした。懐かしいです。
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この回答へのお礼

率直なご意見をいただきまして、興味深く読ませていただきました。

>神から与えられた愛を、隣人たちに広め
>隣人愛を高めていって、同時に、人間的にも、成長してゆけます

この実践的哲学は、仏教の、菩薩行を積むことによって自身の境涯を
開いてゆくということと、全く同じ原理を示しているのではないかと
考えています。

そのレベルの高い聖書の哲学が何故創世記に示される(少しは知ってい
ます)宇宙観・人間観なのか?これが私には不可解なのです。

おそらく、比喩なのではないかと考えています。
仏教にも、地の底に地獄があり、閻魔大王がいるとか、西方極楽浄土が
あるとかいった比喩があります。
これは、要するに子供に数学を教えるのに、九九の算数から始めるとい
うことと同様のものではないかと思うのです。

>激しく、刹那的でインモラルな"恋”は

どこかで書いた気がしますが、私も激しく燃え上がるような恋をしたこ
とがあります。
愛の讃歌の詩、以上だったかも知れません。生命力が10倍に膨れ上がっ
たような感じでしたね。
あれから私の人生は変わったような気もします。

ご家族のエピソードをうかがって「へえ」と思いました。日本ではこうは
ならないと思います。
アメリカでは普通なのか、そうでもないのか、なんて。

お礼日時:2018/11/20 01:22

>しかし、この人間の人間に対する「愛」というものは異性に対する愛だけでなく、家族愛・友情・同志愛・師弟愛など、様々なものがあるわけで、これらの共通点としての「愛」というものを考えたときに、これこそが、


神の人間に対する愛(アガペー)と対になっている、人間の神、あるいは聖母マリアに対する敬慕として表現されたものではないかと思ったのです。

お釈迦様が突き止めた人間の全ての不幸の根源は「執着」という人間の煩悩でした。もし、幸せになりたいのなら「執着」から離れよ、とのことです。そして、人間にとって最も執着する行為は「愛」ですね。だから、「愛」は人間の全ての不幸の根源です。「愛」がある限り人類から戦いはなくならない。

要するに、お釈迦様は、「もし幸せになりたかったら、死にながら生きて行きなさい」との教えを説き、またイエス様は「愛を捨てることのできない人間どもの幸せになる方法は、唯一、死後に神の審判で天国に入り永遠の命をもらう以外、他に方法がない」と説いたのですね。
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この回答へのお礼

釈尊が説いた「四諦・八正道」は、三十で悟りを得てから一番最初に
説いたものとされています。
天台の解釈によれば法華経以前の仮の教え、ということになります。

教えの内容から考えて、それは妥当な解釈であると思います。何故かと
言えば、煩悩を滅することなど人間できないからです。できたとしても
それは仰るように「生ける屍」ですから。

私の信奉する日蓮は「煩悩即菩提」と説いています。

お礼日時:2018/11/20 00:48

愛万歳、セックス万歳ってな、ホルモン出っ放しの歌ですね。

人間の精神は肉体でコントロールされているよってな歌だ。そういえば「健康な体に健全な精神が宿る」っていうのも、人間の精神は肉体でコントロールされているよってな言葉だもんね。この歌と同じ精神で歌われている曲で、1960年にSam Cookeが歌ってアメリカで大ヒットし、今でもアメリカのFMラジオを聞いていると時々流れて来る "Wonderful World" と言う曲がある。



以下がその歌詞です。

Don't know much about history (歴史なんて良く知らない)
Don't know much biology (生物学なんて良く知らない)
Don't know much about a science book (科学の本なんて良く知らない)
Don't know much about the french I took (自分がとったフランス語なんて良く知らない)

But I do know that I love you (だけど、私は貴女が好きなことは知っている)
And I know that if you love me too (そして、もし貴女も私を好きだったら)
What a wonderful world this would be (そんなことだったら、なんて素晴らしい世界なんだろう)

Don't know much about geography (地理なんて良く知らない)
Don't know much trigonometry (三角関数なんて良く知らない)
Don't know much about algebra (代数なんて良く知らない)
Don't know what a slide rule is for (計算尺の規則が何のために有るかなんて知らない)

But I do know that one and one is two (だけど、私は1足す1が2であると知っている)
And if this one could be with you (そして、もしこのことに関して貴女と一緒だったら)
What a wonderful world this would be (そんなことだったら、なんて素晴らしい世界なんだろう)


この歌の内容をもっと判り易く言うと、

私は、歴史も生物学も科学も地理も数学も良く知らない
だけど私は貴女とセックスしたいことだけは知っている
なんて素晴らしい世界なんだろう

ってな歌なんですね。こんな歌が大ヒットして今でも人気がありアメリカのラジオでくり返し流れているとは、アメリカ人の知的興味の程度が知れますね。セックスだけでいいじゃないか、ってんだから。せめて、セックスも教養も両方とも大好きってな国民にならなくちゃ。

こんな国に戦争で負けた国も、セックスだけの国で何が悪いって言うようになってしまうのかしら。あっ、「愛の讃歌」が素敵だって、もう言われてんのか。
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この回答へのお礼

https://www.youtube.com/watch?v=SPWDhYiHl44&inde …

この曲がビルボードのシングル部門で№1を取ったのが1963年で、同年代ですね。
当時のアメリカ人がこの曲のどこを気に入ったのか知りませんが(いい曲ですが)、
Sam Cookeの曲との共通点は、生活のバックに流れていたら「何か楽しい」という
ことです。

一般大衆は、あまり物事を深く考えないところがありますよね。私もそうでした。し
かし、考えないといけないと思いましたので勉強をはじめたんですけれど。

科学者に限らず、ひとかどの人間というものは、人の考えないことを考えるものなん
ですね。

お礼日時:2018/11/18 23:52

人倫よりも愛を優先する、反社会的なメッセージですね。



現代は愛よりも人間の尊厳を重視する時代になりました。
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この回答へのお礼

その批判は過去にもあっただろうと思います。
その部分を変えて歌っている人もいるようです。

しかし、これだけ世界中で愛されているということは、

国も捨てましょう、友達も捨てましょう、というのは
月を取ってあげましょう、未来も盗みましょう…と同じで

あなたが望むなら、いや、あなたはそんなことは望むはずはないでしょうけれど、
それほどあなたを愛しています。
という解釈が一般的なのだろうと思います。

お礼日時:2018/11/18 23:26

クリスチャン的には旦那であっても人が賛美の対象になるのは偶像礼拝だからいただけないけど、みんながみんなが敬虔でもないから情熱や熱い想い、やるせなさ、激しい情愛に共感して死を超えるような愛を男女の愛の中にあるような錯覚したんじゃないですか?それはそれで芸術だし、ポピュラーソングとしてテーマの一つでアリですよねー。

男女の愛は世界共通ですし。キリスト教と絡めなくても純粋に音楽もいいし。
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この回答へのお礼

大変に主観的な話ですが、この「愛」というやつは、カントじゃないですが、
人間はアプリオリに認識形式を持っていて、認識するや否や激しい感動を起こ
すものだと思うんです。

それは、永遠だとか何とかと考える以前の問題であるし、「男女の愛」という
概念を超えていると思うんです、はい。

また、感じ方には個人差があって、苦労するほどに感じやすくなるように思い
ます。

お礼日時:2018/11/18 23:13

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