出産前後の痔にはご注意!

普通、「歌わないです」は間違った文です、この文「ミュージカル出演、もちろん歌わないですけど(笑)」、玉城裕規インタビュー(下)の「歌わないですけど」はなぜ成立できるのか、聞きたいんですが、ぜひ教えていただきたいです。

A 回答 (10件)

#6です。



誠に申し訳ありません。
辞書記述をすっかり読んでいなかったため、誤った回答をしてしまいました。(大辞林でも、「歌わない です」の形を認めています)
お詫び申し上げると共に、全面的に訂正させていただきます。


「です」は、昭和初期ぐらいまでは、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方から、「歌わないです」ではなく「歌わないものです」のような表現が一般的だったようです。
「歌わないでした」と過去形にすることができないことなどから、「用言+です」の形は不安定だという認識があったらしい。
ただ、「です」が丁寧語であることから、「ません」よりも丁寧な表現になると思われ、特に若者の話し言葉として浸透していったとのこと。
2008年には、「ないです」の使用が「ません」の使用を約 3 倍も上回る結果が出たという研究結果もあります。↓(けっこう分かりやすい。短いのも助かる)
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_f …
因みに、わたしは(若くはありませんが)書き言葉でも使っています。
とはいえ、子供の頃は使っていなかったように記憶している。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2018/12/16 19:40

歌う、動詞の活用形の判断に、未然形は、ない、う、よう、せる、させる、につながる活用語尾。


歌わない、歌わせる・・・歌うの未然形です、わ行5段活用?。
>「歌わないです」は間違った文です
この前提のほうが間違っているのでは
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2018/12/16 19:40

その言葉が成立する条件というものがあって、その条件に対して、その言葉が成立し無理のない形で、相手に意味が通じるなら、間違っているとは言えません。



「歌わないです」の例文:

・中学校で合唱クラブが、みんなでコーラスします。でも、指揮をしている先生は、歌わないです。
・私の家の犬のポチは、ピアノを弾くと、歌を歌うのです。もちろん、本当は、犬は人間のようには歌わないです。
・彼は、昔、音痴だとけなされたことがあって、人前では、絶対に歌わないです。
・一度、猫に襲われたカナリアは、もう歌わないです。(『歌を忘れたカナリア』から)
------------
過去形
・歌を歌わないからと捨てられたカナリアは、その後、大事に育てても、二度と歌わなかったでした。(e.g.歌いませんでした。)

強調しているわけでもなさそうなのは、「指揮している先生は、歌いません。」というと、先生の意志なのか、ルールなのか、いろいろ事情があると思いますが、「歌わないです」というと、端的に状況を述べているように感じます。もちろん、人によっていろんな解釈はあろうかとは思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2018/12/16 19:40

ミュージカルに出演する=歌う役で出る、だが歌わない役は歌劇を含めたくさんある、その場合「歌わない方の役だ」という例外を強調する場合は構わない。

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どちらが正しいかという評価は辞書でも分かれているようですね。


大辞林では、「です」は、名詞、ある種の助詞、および体言に準ずるものに接続するとされていて、「歌わない です」の形は認めていません。
大辞泉は、「一部の助動詞の連体形」にも接続するとして「歌わない です」も認めている。

大辞林のように認めない理由は、たとえば、「歌わないです」は問題ないですが、「歌わないでした」という過去形にすることができないという点。
あくまで、名詞・体言に接続するのが基本だという考え方からきているようです。

ただ、実際問題として、「歌わないです」という表現を使う人が増えており、すでに違和感は生じていないように思われます。
「一部の助動詞の連体形に付く場合は現在形に限定される」のような注釈をつけた上で、認めていくのが順当な流れであるという気がします。
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普通、


「歌は無いです」を,
「歌わないです」と,書いたら,間違った書き方の文です。が,
しかし、
(ミュージカルに出演するのに,その舞台で,私は)「歌いません」の意味で
「歌わないです」と言ったのなら
 
普通,間違いではありません。

No.4回答を支持します。
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「歌わないです」の語構成は次の通りです。



動詞「歌う」の未然形「歌わ」
否定の助動詞「ない」
肯定判断の助動詞「です」

「歌う」を「ない」と否定し、その内容を「です」と肯定判断した文で、正しい文です。通常は「歌いません」と表現しますが、この「歌う」を肯定判断したする「ます」を省略し、否定の後に、それを肯定判断したもので、否定が強調された正しい表現です。■
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そもそも日本語のような世界一の曖昧語において


「これが正統」
と主張すること自体が誤っているわけで。

俺はある外国人の見解を聞いて、
それがあまりにも合理的だったために、
「『ら抜き言葉』、確かにいいな」
と思うようになっている。

言葉は道具にすぎないのだから、使いやすいように変化しなければならない。
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日本語の文法のご質問だと思いますが、話し言葉ですから間違ってないと思いますよ。


なのでなぜ成立するかと問われると困ってしまうのですが。

買う→買わない と同じ変化だと言ったら分かるでしょうか?
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『「歌わないです」は間違った文です』というのを認めるのであれば、おそらく「ミュージカル出演、もちろん歌わないですけど(笑)」も間違った文ということになるでしょう。

世の中間違った言い方をする人など山ほどいます。
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 形容詞「素晴らしい」に「です」をつける言い方は、一部の人にあり得ないと判断されています。これは本来、「素晴らしゅうございました」といったものです。ところが「ございます」を使う人があまりいなくなって、「形容詞」を丁寧形で表現することが出来なくなりました。そこで登場したのが「素晴らしいです」です。ところがこれに対する賛成者は<少ないです>。
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 いくら何でも、そんな古めかしい言い方に戻れるものかという否定派は今もあります。ところがここでまた、「素晴らしかったです」「よかったです」を、「素晴らしかったでしょう」「良かったでしょう」と、「う」をつければスラスラ通じてしまいます。こんな話がこのサイトでも続けられてきました。
 さて、今度の質問は「歌わないです」が間違っているという話。これが、「美しくないです」だったらどうなるのでしょう。「歌わない」の「ない」は打消の助動詞。「美しくない」の「ない」は形容詞。「形容詞」+「です」は間違いという人がいても不思議ではありませんが、「助動詞(ない)」+「です」はあっても、また不思議ではない。(「ません」が普通ですが)
 皆さんのご意見をお伺いしたいと思います。

「歌わないです」について、間違った文だという質問が出ています。
(回答しようとしたらこの人からブロックされています。どうしてブロックされたか全く心当たりがありません。仕方なく、質問の形で話に加わります)

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こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやすく、私も勉強になりました。(私は、意味がほぼ同じで活用などが同じなら、品詞をごちゃごちゃ議論することもないだろう、という怠惰な考えだったので、あまりまじめに考えたことがありませんでした。要は、同じ語形が「多少」違った使い方をされるだけで、「基本的な」ところは一緒だろう、と思っているのです。)

皆さんが触れられていない点で、私が重要だと思うのは、「です」にも2種類ある、という考え方です。
これは、たぶん私の学生時代(ン十年前です)から言語学のほうではそうだったと思うのですが、確証はありません。私はずっとそう考えてきました。
今回、改めて国語辞書の記述を見、辞書の付録の「助動詞活用表」などを見て、「です」が一つしかない(「丁寧な断定」という用法)ことにちょっと驚いたくらいです。まあ、国文法の分析が言語学(少し前の「日本語学」)と違うのはよくあることですが。

かんたんに言えば、「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」と、「形容詞+です」の「です(2)」は違うものだ、という分析です。(「形容動詞」を「ナ形容詞」と言い換えるのは、今回はやめておきます。)

上に書いたとおり、「です(1)」のほうは、「だ」の丁寧な形、です。「断定」(この用語は好きではありませんが)の助動詞で、丁寧さによって形が分化します。
   学生 だ/です   まじめ だ/です

それに対して、「です(2)」のほうは、「だ」とは対立しません。
   美しいです (×美しいだ)
この「です(2)」は、「断定」の機能を持たず、「美しい」という、すでに「断定」の機能を持った言い切りの形に「丁寧さ」を加えているだけです。つまり、「断定」の助動詞ではなく、「丁寧」の助動詞です。(動詞文の「ます」に対応します)

また、「です(1)」は活用を持ち、「でした/でしたら」という形になります。
   学生でした   紅葉の名所でしたら、例えば、、、
(「でしょう」を活用形とは考えません。「だろう/でしょう」は一語の助動詞と考えます。)

それに対して、「です(2)」は活用を持ちません。
   ×美しいでした (美しかったです)  ×美しいでしたら (美しかったら)

(ここで、「美しいなら」の「なら」を、「だ」の活用と見るか、という問題も関係するかもしれませんが、まあ、これは「なら」をどう考えるかという、もっと複雑な問題になります。私は、「だ」と「なら」は、少なくとも現代語では、別物と考えます。)

ということで、多少の言い訳を必要としながらも、形容詞文の丁寧体として、「美しいです」は一つの位置を与えられるわけですが、さて、それがなぜ「不自然/不安定」に感じられるのか、1131tobiさんによれば「厳密には誤用」と言われてしまうのか、です。

ちょっと話の流れを変えます。
日本語の文の分析法として、文を「命題+モダリティ」という形で考えるということがあり、かなり一般的になっています。(国語学では「叙述+陳述」という、似た考え方が昔からあります。)

これによれば、文の終わりには、話者(書き手)の、その文の内容に対する「断定」や「推量」など、話者の「意志」、あるいは聞き手に対する「命令」や「勧誘」、「確認」「質問」などの、ある種の「態度」が現れる、とされます。
これは、用言のいわゆる「活用形」や助動詞によって表されるわけです。「ね」や「よ」などの終助詞もモダリティを表すとされます。

ここで問題になるのは、「丁寧さ」というのはモダリティなのか、ということで、どうも文法の中の位置づけが微妙なものです。
前からの呼び方では「文体」の一つの要素なのでしょうが、それは文を文として成り立たせる必須の要素、つまり「文法」の一部なのか。

で、私の考えでは、「形容詞+です」の不安定さは、この、「丁寧さ」が文を終結させるためのモダリティとしては不十分だ、というところにあるのではないか、となります。

「名詞/形容動詞+だ/です」の「です(1)」は、「断定の助動詞」に丁寧さが加わったもので、立派な(文を終結させる「力」を持った)モダリティですが、
   学生/まじめ です(断定+丁寧)
「形容詞+です」の「です(2)」のほうは、「丁寧さ」だけの機能しかないので、
   美しい(断定?)+です(丁寧)
という形が、文の終わり方としてどうも安定しない、と感じられるのではないか。

「美しいです」が不自然だという人も、「美しいですか/ね/よ」などにすると安定するように感じる、というのはなぜか。これに対するうまい説明は今のところないように思うのですが、どうでしょうか。(単に私が知らないだけかも)
終助詞「か/ね/よ」が文終結のモダリティとしての機能を持つからだ、と考えるとうまく説明できます。
   美しい+です(丁寧)+ね/よ/か(確認/主張/質問など)
もちろん、「でしょう」をつけても、「でしょう」の持つ「推量(あるいは確認)」というモダリティによって文として安定します。
   (たぶん)美しいでしょう。
   (どうですか?)美しいでしょう?

これは、世代が違ってもあまり変わらないようで、今の若い人も「形容詞+です」には何らかの不安定さを感じるようですが、どうでしょうか。
「「ね」や「よ」をつければ自然だから、変じゃないよ」というのは、上に述べたように「形容詞+です」の弁護にはなりません。

以上、私の考えをざっと述べてきましたが、ただ、「モダリティ」という概念は、研究者によってかなり幅があって、不用意に使われすぎている感があります。この概念そのものの検討が必要であり、いろいろ行われているようですが、私は不勉強でよく知りません。
(さらに、「文が終わる」とはどういうことなのか、「文成立の要件」となると、もう、根本的な議論になり、わけがわからなくなります。「文とは何か」ですから。)

この「形容詞+です」の不安定さ加減は、話し言葉では語調によって文の自然さが変わってくるので、微妙です。

   「どうですか?」「いやあ、なかなかがんばってますねえ。面白いです!」

などと、ある種の強調を込めた言い方をすると、それなりに自然な文として成り立つように(私には)思われます。
(語調が(文終結の)モダリティの機能を肩代わりする? 語調が文の意味を変えることは、「ある。」「ある?」など、ごくふつうのことです。単に「歩く。」と言うと描写あるいは意志に過ぎませんが、「(さっさと)歩く!」とある語調で言うと「命令」になります。)

なお、「話しことば」と「書きことば」で、後者のほうが「正式な」ことば、「正しい文法」の基準になるようなものと考えることは、私はしません。

言語学の考え方では、話しことばのほうが言語として自然な形であって、書きことばはそれに何らかの人為的な手が加わっているものだと考えます。(明治期の「言文一致運動」などを考えればよくわかることだと思います。)
言語の音韻や文法は、人間の意図とは別に、それこそ「自然言語」であって、自ずから文法の体系ができあがっていき、また変化をするものだと考えます。

「書きことばの文法」というのは、「規範文法」への傾斜を持ちやすく、「素晴らしい言語文化・言語芸術」がその後ろ盾になります。そうすると、言語としての本来の自由さ・内発的なエネルギーが失われてしまいます。それでも、話しことばはそんなことにかまわず、本来、内部にあった動きがどんどん現れてくるのだろうと思います。
それに対して、より以前の文法を持った世代がいろいろ抵抗感を持つことは、当然のことですが、それはまあ、時代の流れということで。

上に述べた私の考えは、「形容詞+です」に関しては、「単に新たな変化の一つで、そちらへ(いやでもおうでも)動いていかざるをえないもの」というのではなくて、文の作り方として少し無理があり、世代が変われば移っていくものとはかんたんに言えない、という見方です。
あと50年もしたら、どうなっているのでしょうか。あまり変わらず、「ね」や「か」をつけて使われ続けているのでしょうか。(「動詞+ないです」のほうも、興味深い現象ですが、これはまた別の話だと思います。)

もう一つ、「国語審議会」が認めた、という話ですが、「これからの敬語」自体が国語審議会の答申の一つ、ということなのではありませんか?(今、「これからの敬語」のアドレスをコピーしようとしたのですが、なんと「メンテナンス中」だそうです!)

長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝します。

saburoo

こんにちは。

「形容詞+です」この問題は古くて新しい問題ですね。
私の思うに、はっきりした解決、というか、こうなれば落ち着く、ということの言い難い問題です。文法の体系性という点で、小さな矛盾を含んでいると思うからです。

「用言+ないです」のほうでは、「ない」が2種、あるいは3種に分けられるということは、異論の少ない(いろいろ言う人はいますが)ところだと思います。
「形容詞」「助動詞」と、「補助形容詞」。この点については、1311tobiさんが紹介された chiebukuro の解説がわかりやす...続きを読む

Q「良さそう」を「良さげ」と言うのはずっとどこかの方言だと思ってたんだけど、標準語なんですか?最近よく

「良さそう」を「良さげ」と言うのはずっとどこかの方言だと思ってたんだけど、標準語なんですか?最近よく聞くので。(自分は東京です。)

Aベストアンサー

辞書には「関東方言」として「…そう」の意、と出ています。

Q漢字をひらがなに改める問題文の意味がわからなくて困っています。

「傍線部の漢字を、ひらがなに改めなさい」という問題があるのですが、どう回答すればよいかわかりませんでした。
その為、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただければと思います。

         ___
漢字を、ひらがなに改める

なお、私は下記の2つの解釈が考えられ、1かなと思いました。

1. 「改める」に傍線がひかれているものの、傍線部の漢字は「改」のみのため、回答は「あらた」。

2. 「改める」に傍線がひかれていることから、回答は「あらためる」。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「傍線部の漢字を、ひらがなに改めなさい」

この「の」は、
1ー㋒所在。…にある。…にいる。「大阪の友人」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/171157/meaning/m1u/%E3%81%AE/
という用法の格助詞と捉えて良いでしょう。

「傍線部にある漢字を、ひらがなに改めなさい」

みなさんおっしゃるように「あらた」で良いと思います。

Q漢字は中国で発明されて、

漢字は中国で発明されて、中国語として使われて、後に朝鮮に渡って、日本人に漢字の書き方や読み方を教えたのは当時の朝鮮人ですか?回答をお願いします、

Aベストアンサー

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着した人も多いと思います。また、新羅による朝鮮半島統一の頃に大量の朝鮮人が移民として日本に流入して土着しており、日本史では渡来人と言う表現に変化しています。
これが、私の仮説で、根拠は以下のとおりです。

・現代日本の話し言葉と100年前の話し言葉はかなり違う。
・現代日本の話し言葉でも東北や鹿児島のお年寄りが方言で話している内容は、我々にはほとんど理解できない。
・中国語の文法は英語とほぼ同じであり、韓国語と日本語の文法もまたほとんど同じである。
・発音の特徴でみると、中国語と韓国では似たような発音もあるが日本語の発音は全く違っていて、日本語にはsとsh、rとLなどの発音の違いはない。
・古代中国の船は黄河や揚子江をさかのぼったり、渡河することが主な目的のため、古代ヨーロッパのような外洋船の造船技術や航海技術は有していなかった。
・このことから、古代における中国と日本の航海ルートは朝鮮半島経由のルートしかなく、他のルートについては漂着レベルである。
・古代における朝鮮半島と日本の航海ルートは、壱岐・対馬経由で、昼間の見通し航海が通常の方法。
・663年の白村江の戦いにより、日本と朝鮮半島との国交が途絶え、これ以後の遣唐使は、東シナ海経由による中国と日本の直接ルートになったが、遭難確率が異常に上昇する。
・また、日本に外洋船の造船技術や航海技術がないことが遣唐使の廃止に繋がり、遣唐使廃止により中国との公式な国交も途絶え、これ以後、日本語は独自の発展を遂げる。
・日本語による漢詩読破技術として、一、二点やレ点が生まれており、平安時代には漢字一文字を日本語の五十音にあてはめることにより、ひらがなが出来上がり、漢字かな混じり文の確立により日本語が飛躍的に進化する。
・李氏朝鮮時代の1446年にハングル文字が出来上がったことで、韓国は漢字を捨てハングル文字になっているが、これは全ての文章をひらがな文字のみにしているのと同じこと。現代日本人には到底考えられないことです。
・漢字は世界的に見て、非常に不思議な文字であり、日本人は漢字による多大な恩恵を受けています。それは、漢字を見ると意味だけではなくイメージすることができる。いわゆる漢字脳が出来上がっています。

以上長くなりましたが、とってもとっても素敵な質問、ありがとうございました。

まともな人がたどり着くひとつの結論だと思います。
しかし、残念ながらあなたの考えが正しいことを証明できません。
理由は、当時の音声記録がどこにも残っていないからです。
そのため、みんな好き勝手なことを言っています。

私はあなたよりももう少し進んでいて、古代朝鮮語が日本語の大元になっていたと確信しています。
 古代中国には戦乱の時期がありましたので、大量の移民が朝鮮半島に流入して土着していますが、これは何度か起きているようです。その際、戦禍を完全に逃れるため、日本に渡って土着し...続きを読む

Q日本語文法のグループ1動詞のタ形で不規則なものは「行く」の「行った」が「いいた」ではないのと、ほかに

日本語文法のグループ1動詞のタ形で不規則なものは「行く」の「行った」が「いいた」ではないのと、ほかになにがありますか?

Aベストアンサー

「理解できないます?」→「理解できませんか?」
「理解できます?」→「理解できますか?」 (口語では普通「解る?」の方が多い)

Q和菓子の外郎(ういろう)は、なぜ外を「うい」と読むのでしょうか?

和菓子の外郎(ういろう)は、なぜ外を「うい」と読むのでしょうか?

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漢字「外」の音読みのうち、呉音=ゲ、漢音=ガイ、そして唐音(鎌倉時代以降に日本に伝わった漢字音)=ウイ、です。
「外郎」は室町時代以降にできたお菓子で、室町時代に元から日本に亡命した陳宗敬の官職名「外郎」が由来とされます。その「外郎」を、その時代に日本に伝来した唐音で読んだものでしょう。

Q「に」の使い方がよくわかりません。 朝ごはんに、うどんやにくまんじゅうを食べます。 朝ご飯に、ここの

「に」の使い方がよくわかりません。
朝ごはんに、うどんやにくまんじゅうを食べます。

朝ご飯に、ここの「に」ってどういう意味ですか。

Aベストアンサー

格助詞「に」の辞書における説明項目は山ほどあるので、判断に難儀します。わたしは「資格」を表す「に」と判断しました。「…として」
 「朝ご飯として、うどんやにくまんじゅうを食べます。」

Q「〜に聞いた?」についての質問です。

いつもお世話になっております。
「聞く」といえば、「誰かに聞く」とは「誰かに質問する」という意味を持ちますが、「に」という格助詞は「から」という意味で使えますか。(「誰かから何か聞いた」とか)
文脈は下記です。
(お母さんは大人の長男と話しますが、独り言のようなことになります。)
「Aくん、今日カナちゃんと食事の予定だったんだけどね。あ、カナちゃんってBくん(Aくんの弟)のガールフレンドで。Bくんにきいた?それでレストランの予約どうしようか。」
教えていただければ幸いです。

Aベストアンサー

皆さん、何をおっしゃってるんだか。

「(人)に聞く」は、「質問する」の意味で多く使われるのは確かですが、もう一つの用法として、「(人)から(その話を)聞く」の意味で使われるのも、ごくふつうのことです。

1311tobi さんが書かれたように、「そんな話、誰にきいた?」という形だと、受け入れやすいと思うので、その例を並べます。

国立国語研究所のデータベースから
http://nlb.ninjal.ac.jp/headword/V.00027/

そんなことはないよ。 誰に聞いたの? 当時のビデオとか持ってるけど、初球から打ってるのも多々あります。 (Yahoo!知恵袋, 2005, スポーツ)

道子の一言で八木の表情が変わった。「誰に聞いたんだ」「いえ。 (清水一行著 『末席重役』, 1989, 913)

「撃たれたって?」「だれに聞いた?」「おれをだれだと思ってるんだ。 (馳星周著 『ダーク・ムーン』, 2004, 913)

「そうそう、おぬし、上総屋と揉めてるんだってなあ」「誰に聞いたんです」「平六だ。 (IN POCKET(月刊[文庫情報誌]), 2002, 総記/マスコミ)

武器商人?! 「誰に聞いたんだね?」「シンジのガールフレンド。 (広山義慶著 『秘命捜査人』, 1992, 913)

スーパー・共栄によって狼火を上げられた、五万円台カラーテレビの、それは第二弾と評価されるものに違いなかった。「だ、だれに聞いた!」早来は、ほとんど詰る口調で、沼田に迫った。 (清水一行著 『機密文書』, 1999, 913)

新聞は色々書いてるが、ほんとは青酸加里を飲んだっていうじゃないか」「誰に聞いたの、そんなこと」牡丹の眼が、きらりと光った。 (山崎洋子著 『花園の迷宮』, 1989, 913)

だが、いかにもありそうな話ではある」「誰に聞いたんだ、そんなこと? パソコンのネットとかいうやつで調べたのか?」 (高見広春著 『バトル・ロワイアル』, 1999, 913)

和茶が微笑み、「だれに私の名を聞かれましたな」 と聞いた。 (佐伯泰英著 『白虎の剣』, 2003, 913)

さっき銀次と掛け合っていた中年の女だけが、その場に残り、これまた不安そうにソクラテスのほうを見つめている。「こいつがサクラて誰に聞いた?」 「あほんだら、そんなもん、誰に聞かんでもわかるんじゃ。 (小川竜生著 『純情』, 2005, 913)

君は本当のこと知ってるんだろう?だれに聞いたか教えてくれないかな」言い方は静かだけれど、妙に迫力がある。 (宗田理著 『再生教師』, 2005, 913)

なぜ、NT系のWINDOWSはスキャンディスクが必要無いのですか? そんな間違った情報誰に聞きましたか? (Yahoo!知恵袋, 2005, パソコン、周辺機器)

或る日小山文学士の家に行く、色々の話から、北沢の妹に博ラン会で会つたが知らん顔をしてゐたといふ、北沢の妹の事は貴方知らないかといふ、先生の媒介で山内氏と結婚したまでは知つてるといふ 誰れに聞いたかといふ 加藤君にと答ふ、 (志賀直哉著 『志賀直哉全集』, 2002, 918)

 「シベリアでは腕時計を一つ売ると五年間は働かないで食べていけるそうですわ」誰に聞いたのか松戸夫人がそんな情報をもってきた。「それならあの人たち一生贅沢して暮らせるわけですわね」 (雲井瑠璃著 『瀬戸内を泳ぐ魚のように』, 2000, 913)

あの奈良の事件の犯人って学校の先生だったのですか? そんなこと、何処の誰に聞いたのですか?????????? (Yahoo!知恵袋, 2005, ニュース、事件)

それで、保養かたがた、日本へ帰ってきなすったんだね」「ふうむ、しかし、きみはいったいだれにそんな話聞いたの。 このへんに、一柳さんの知り合いのかたでもいるのかね」 (横溝正史著 『怪獣男爵』, 1995, 913)


文脈がはっきりわからないので、微妙なものもありますが、ほとんどが「質問する」の意味でないことは明らかでしょう。
実例を調べずに、

  「に」という格助詞を「から」という意味では使えません。

などと言ってはいけません。(いやまあ、うるさく言えば、[これらの「に」は「から」の意味で使われている]というのは、また問題があるのかもしれません。「に」は「に」としての意味用法で使われているのです。それが、「から」が使われるような位置にも表れる、ということです。) 

「誰に聞いた?」以外の例もあげておきます。
「先輩に/から 聞いた話」という形で検索すると、両方とも数多くあります。
もちろん、「先輩に」のほうも、「質問した」わけではありません。

"先輩から聞いた話"
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E5%85%88%E8%BC%A9%E3%81%8B%E3%82%89%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%9F%E8%A9%B1%22&aq=-1&ai=RbIUqaZfRcu4rwrNjlzrUA&ts=4380&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&b=61

"先輩に聞いた話"
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E5%85%88%E8%BC%A9%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%9F%E8%A9%B1%22&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=%22%E5%85%88%E8%BC%A9%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%9F%E8%A9%B1%22&ai=c9p90b6cQTipVTv_.eiVPA&ts=6919&fr=top_ga1_sa&b=1

「内省」というのは、意外に当てにならないものだ、という話です。

saburoo

皆さん、何をおっしゃってるんだか。

「(人)に聞く」は、「質問する」の意味で多く使われるのは確かですが、もう一つの用法として、「(人)から(その話を)聞く」の意味で使われるのも、ごくふつうのことです。

1311tobi さんが書かれたように、「そんな話、誰にきいた?」という形だと、受け入れやすいと思うので、その例を並べます。

国立国語研究所のデータベースから
http://nlb.ninjal.ac.jp/headword/V.00027/

そんなことはないよ。 誰に聞いたの? 当時のビデオとか持ってるけど、初球から打ってる...続きを読む

Q名前の読み方

男性の名前で「浅利和美 」という名前の読み方を教えてください。

Aベストアンサー

「あさり かずよし」でしょう、私の叔父も「久美」で「ひさよし」と読みますが、たぶん祖父母が面倒になって女なら「くみ」男なら「ひさよし」と読むことにしたのでしょう。

Q日本語文法についての質問です。 「当時理系の学生だった私 が/は 思い切って自分の専攻を社会学に変え

日本語文法についての質問です。
「当時理系の学生だった私 が/は 思い切って自分の専攻を社会学に変えることを決めた。」

この文はどうして「が」が使えないのですか?

Aベストアンサー

すみません。しつこいようですが、もう一度。

質問者の元の文で「が」が不自然に感じられるのは「私が」だからだ、とNo.7で書きましたが、
どうも私の早とちりだったようです。

No.7で言いたかったのは、「現象文」(「存現文」とも言われます)では「私が」とは言いにくい、
ということでしたが、元の質問者の文は過去のことなので、また話が少し違います。そのことを私は
考慮していませんでした。

もう一度仕切直しです。最初の文とその「私」を他の名詞に変えた文を比較します。

  a「当時理系の学生だった私が、思い切って自分の専攻を社会学に変えることを決めた。」

  b「当時理系の学生だった私は、思い切って自分の専攻を社会学に変えることを決めた。」

  c「当時理系の学生だった田中が、思い切って自分の専攻を社会学に変えることを決めた。」

  d「当時理系の学生だった田中は、思い切って自分の専攻を社会学に変えることを決めた。」

aはあまり良くないと思います。その後に、「その理由は~」などとつけると、少し良くなりますと
いう意見もありますが、私はそれでもだめです。
bは問題ありません。

「私」を「田中」にしたcは、そのままでもいいようです。(私の内省は、この辺で揺れ出します)
その後に「そのニュースは皆をびっくりさせた」などとつければさらに自然になります。
dは問題ありません。

aとcを比べると、やはり「私」はこのような文では使いにくいと言えるでしょう。

次に、より社会的な報道にありそうな文に変えてみます。

  e「当時新憲法に否定的だったキシ首相が思い切って憲法を改正することを決めた。」

社会的な報道らしい内容にすると、「が」でもより自然に感じられる、と私は思うのですが、どうでしょうか。  
「思い切って~決めた」という、心理描写の文を、もっと単純な事実の報告の文にしてみます。

  f「三か月後、調査委員会委員長の山田氏が記者会見で結果を発表した。」

  g「三か月後、調査委員会委員長の私が記者会見で結果を発表した。」

  h「三か月後、調査委員会委員長の私は記者会見で結果を発表した。」

単純な事実の報告であれば、「私が」でも不自然ではなくなります。
逆に、hの「私は」のほうが、何か文脈を考える必要があるような気もします。

まだ、いろいろと考えるべきところがあるように思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか。

saburoo

(No.8で小さな間違いがありました。「私は1867年に生まれた」は「1967年」でした。)

すみません。しつこいようですが、もう一度。

質問者の元の文で「が」が不自然に感じられるのは「私が」だからだ、とNo.7で書きましたが、
どうも私の早とちりだったようです。

No.7で言いたかったのは、「現象文」(「存現文」とも言われます)では「私が」とは言いにくい、
ということでしたが、元の質問者の文は過去のことなので、また話が少し違います。そのことを私は
考慮していませんでした。

もう一度仕切直しです。最初の文とその「私」を他の名詞に変えた文を比較します。

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