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人をビョーキにする罠の森

「同じ」とは形而上学の架空の存在です。

これは誰の言葉ですか?

p.s
ググっても見つからないので質問です。
なお過去質問のお礼はお待ち下さい。

質問者からの補足コメント

  • no6 猪突さんとのやりとりに関して。

    抽象化するなから、「同じ」もさらに抽象化してしまえばいいんですよ。
    突き詰めると、何もかも「何か」になってしまえるんですよ。
    それおかしくない? と感じたらそれが言語の限界なんですよ。
    さらに言えば学問の限界というか。

      補足日時:2019/03/09 09:34
  • ちょっと偉そうな私自身の発言もありましたので自己フォロー。

    ほんと思いつきで書いてるだけです。
    こんなのどう? と提案するだけならクリエイティブなお仕事の人ならいくらでもあげられるワケで、数撃ちゃ当たるの結果として発見的手法の成果となりえますしね。

    (でも、それでもいいかなって。少しは自信もあるし) (*ノω・*)テヘ

      補足日時:2019/03/14 21:47

A 回答 (7件)

同一とは一つである事、、、これは木造100年の言葉でござる。

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この回答へのお礼

私達(の一部)は、あまりにも多くのことを単純化しすぎて、盲目になっている。

お礼日時:2019/03/08 01:03

あたしも若造に向かって常々、



「この世の中に同じものは一つもない」

と言っておる。んで、その若造たちに

「それにもかかわらず、俺たちは、なんであれとこれが同じだって言い出すんだろう。考えてみい。」

っと言っちょる。違っているものを同じものと言うために、我々は脳内である行為をする。その行為には名前がついている。この行為は学問をやる時の要になっているんだよ。それって、なんて言うか分かりますか、d_y_nさん。
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この回答へのお礼

用語は知りませんが、それは「分からない」の補集合ではないでしょうか?

お礼日時:2019/03/08 00:47

同化。



不安を解消(ビョーキに)してくれますね。

☆ これもcyototu氏の回答を参考にしてみたのですが?
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この回答へのお礼

入りました。
ニューボトル?
入りました。
理性された装飾。
入りました。
虎穴。

お礼日時:2019/03/09 10:09

人 A と人 B とは 人で同じ 個性で異なる。



――と言ったとき どう反応しますか?





▲ 「同じ」とは形而上学の架空の存在です。
☆ 誰の言葉かは分かりません。すみません。

形而上学のではなく 抽象的な概念だと言おうとしているのだと
思います。

ビョーキとは関係なく ふつうの言葉の用法だと思います。
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この回答へのお礼

一行目の第二句ですでにダウトです

お礼日時:2019/03/09 10:16

こんにちは、林檎さん。



哲学ではないのですが、心理学に「外集団同質性原理」というのがあります。
http://www.jumonji-u.ac.jp/sscs/ikeda/cognitive_ …

たとえば、在日10年以上になるフランス人がこんなことを云っていました。「日本人は何故白人を見るとアメリカ人だと思ってしまうのだろう。英語が話せない白人だっているのにね。」
実はわたしも白人の顔の区別がつきません。ドイツ人なのかもしれないしロシア人なのかもしれないのだけど、白人を見かけると「英語を話す人」という印象を受けてしまいます。
そして黒人の顔の区別もつきません。若い黒人の男の子を見ると、勝手に「ブレイクダンス上手いんだろうな」などと想像してしまいます。実はエチオピア人かもしれずダンスとは無縁かもしれないのに、です。
このように、自分が所属してゐる集団(この場合は日本人という集団)以外のメンバー以外がみな同じように見えることを「外集団同質性原理」と云います。

こうした例は日常生活いたるところで見らます。たとえば早稲田大学の学生は、東大生を「真面目なガリ勉」、慶大生を「都会的でスマート」だと十把一からげにして見てゐることが多い。しかし自分たちが「バンカラ」と云われると、「いや、ガリ勉タイプもいれば都会的でスマートなヤツもいる」と反論したくなるのではないでしょうか。これは、東大生も慶大生も同じ。自分の内集団については、接触が多い分よく観察しているから、みな個性豊かで多様性があると思っているのです。

一方、外集団に対して、このようにステレオタイプな見方をしてしまうのは、実はその方が脳が省エネだからです。「早大生=バンカラ」のようなレッテルを貼って置けば、それでひとまずは外集団のことが理解できたような気がして安心していられるからです。
相手のことをちゃんと知るためには、もちろんある程度付き合い、さまざまな情報を集めてそれを分析しなくてはならないのですが、そんなことは面倒くさいからやりたくない。一種の思考停止とも云います。

「外集団同質性原理」は、男女間でも働きます。「男なんて○○なものよ」「しょせん女なんて○○だ」というように。こうした気の利いたふうなことを云う人ほど、実は男(女)のことなどまるで分かっておらず、知ろうともしていないのだと思ひます。
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この回答へのお礼

ニュートラルさん

整った回答文とは思うのですが、なせがnさんが自分で自然と気がついた考えではなく、すでにある研究結果をリライトしてまとめただけの文章のように感じました。

まじめに勉強すると、どうしても他人の考えをなぞるだけで、自身の経験からにじみ出た臨場感のようなものが伝わってこない説明になりがち。なのでは? という感想をもちました。

心理の生き物なので。私の心の動きがここに溢れています。

私の感じ方が変なのかもしれませんけども。

ここにあまり容姿に関する個人的見解を発露することは避けるべきですが、nさんに嫌われたくないなーという思いと葛藤しながらこのお例文を書きました。

今後もよろしくおねがいします。

---
/* はっきりしないという意味合いだと neutral, slur, vague は類語かもしれないと思ったのでした */

お礼日時:2019/03/14 21:42

No.5のneutralingさんを読んで



何かを言うときには極端に違った表現法がある。一つは俳句で一つは和歌だ。たった十七文字の中に何か意味があることを言おうとすると、論理的な関係を示す動詞や余計な形容詞を使うと字数がたりなくなる。だから名詞の羅列が基本だ。d_y_nさんや木造100年のでえくがやる手法だね。十七文字じゃ短かすぎて、色を塗る余裕がない。だから、白黒の水墨画になっちまう。ま、ある意味盆栽みたいなもんだ。ところが三十一文字だったら、動詞も形容詞も使える。和歌には色がある。盆栽に対する生け花みたいなもんだ。neutralingさんは和歌なんだね。

柳田國男が南方熊楠とハガキでやり取りした書簡集が残っているんだが、柳田が一枚のハガキで民俗学の意見を書くと、南方熊楠から細筆でみっちり書いた十何枚のハガキが帰ってくる。柳田國男が俳句で、南方熊楠が和歌だ。neutralingさんも和歌派で私も和歌派だ。しかし誤解されちゃあ困る。柳田國男だってあれだけくどくどいろんな文章を書いてたんだから。俳句派のd_y_nさんも木造でえくも、他んところじや結構饒舌なんだろうね。

んであたしゃ、違っているものを同じものと言うために行われている脳内の行為を「抽象化」って呼んでいる。抽象化って、自分の世界観や価値観で重要なことではないと思われる物事を意識的に落として、この世に存在しない架空の事象を考えることだ。だから、抽象化するためには前もって自分の価値観なり世界観が存在していることが必要条件だ。だから未熟な世界観や価値観しか持っていない輩が抽象化すると、何と何が同じとか、同じでないってことが支離滅裂になってしまう。

あたしたちは失敗の経験からいろんなことを学ぶ。そして経験から学べる奴は抽象化能力がある。ところがあんたも含めてあんたの周りに、何度同じ失敗をしても学べない奴が一人や二人ぐらいいるだろう。そいつに、お前また同じ失敗をしたじゃないかって詰ってみな。そいつは、

「あれとこれは同じじゃない。だって、あの時あれは朝起こったが、今回は夕方起こったからだ」

っていうから。要するに抽象化能力がないんだね。

学問て、森羅万象の中に同じものが全くないにも関わらず、それを各学問分野が持っている固有の文化に基づいた価値観によって重要でないと思える事柄を強引に無視して、その固有の色眼鏡を通して世界を認識しちまおうっていう営みだ。だから、何かを学ぶ前にすでに物の重要度に固有の序列をつける色眼鏡をつけていない純真無垢な奴には学問ができないんだ。なんでも平等の民主主義じゃ学問はできない。学問をやるためにはその前に自分で生まれ育った特殊な文化にとっぷり洗脳されていなくちゃならんのだ。

だから、学問を始める前に知識をいっぱい詰め込んで置かなくちゃならん。ゆとり教育の失敗はここにある。ああだ、こうだ、という前に、若いもんの頭の中にいっぱい詰め込んで、そこの文化によって洗脳しておかなくちゃならん。その準備ができてない奴に自分で考えろと言っても無理だ。その準備が出来てからいよいよ学問が始まる。そして、いよいよ抽象化能力が試されるんだ。
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この回答へのお礼

それはこの宇宙での話なんですよね。帰るまで待ってて。

お礼日時:2019/03/09 08:16

「同じ」なんてない。



回答No.6、cyototu氏の後半の「学問って、 」以下の主張には、“学者になるためには”と云うタイトルを付けて読みました。

「同じ」なんてないですね。
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この回答へのお礼

学問は建物ですね。
文明滅びれば次は全く違った学問になるかも。
地球の外ならよりいっそう。

ちょいと無茶ぶってるかもしれませんけども、
未知は基底を探す旅。
とり方で見え方も変わる。

お礼日時:2019/03/09 15:19

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