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明治時代の次男以降の人は放任されてたんですか?

A 回答 (4件)

長男以外の男は 部屋住みと言われ 一生 独身か 養子に行く以外 道はなかった 遺産相続も長男に法律上 行く 大金持ちなら 分家さす

方法もあったが
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明治時代の次男以降の人は、長男とは違う生活を送るのが一般的でした。



明治時代以前も以後も日本には農家が多数あり、長男は跡継ぎとして優遇されましたが、次男以下はよほど才能があって取り立てられるか、街にでて商売をするか、幸運にも跡継ぎのいない家に婿に入るか、と言う条件がなければ部屋住みで死ぬまで下男と同じ扱いでした。

明治になってもこの状態は変わらなかったのですが、徴兵制ができ、資本主義になったために独立する機会には恵まれるようになりました。

まず、徴兵そのものが明治初期は長男や戸主は避けていましたので、徴兵されるのは次男や三男などばかりで、その中には軍隊に残ってキャリアを積む人も少なくなかったのです。また次男以降で学問の才能があれば、高等学校に行き並みのレベルなら師範学校に通って教師になるのが一般的、並み以上の才能があれば帝大にいって医師やその他の専門家になっていきました。
 普通のレベルで小学校卒ぐらいだと、商家や職人の家で修行を積んで独り立ちすることも多くなったのです。

ですから、放任とは違いますが、比較的早い時期から自立することが求められた、というのは確かです。
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分家として生活出来るだけの土地をもらったり 養子に出されています


紀ノ川を読めば解ります
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明治時代の と限定されますと自信ある回答を示しにくいです


地域性や階級などの違いも、あったことでしょうし
ただ、いえることは 放任というよりも、どうでもいい存在だった
らしいです 長男だけが格別に優遇されて、あとはその他大勢
です むかし乳幼児の死亡率が高かったため ようするに次男
以下は予備のストックですね
戦国時代の剣豪としても著名な武将は長男が戦場で負傷して
障害者となったら廃嫡し、ほかの男子を継嗣にしました
この武将の父は剣法の継嗣を別にも設けました 用心深いこと
です
どのストックにも公平に優遇するわけには、まいりませんよね

明治の事例ではなく申し訳ないのですが
わたしの亡父は○○院御家と呼ばれた名家の一つに末の男子
として生まれ、そして長兄とは雲泥の差がある育てかたをされて
生涯それを恨んで怨んで、うらみ切っていました
長兄は食べるものも部屋も別格で師範学校まで通わせてもらっ
て亡父は親戚の会社に勤めながら夜間高校に通ったそうです
明治でなくとも、わりあい近い時代まで日本は、そういう国だった
ということです
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