恥ずかしながら私はこういった歴史のことについて疎く、長子相続(家督相続?)の存在もなんとなくしか知りません
此処で質問なのですが、家督相続しない次男は実家からどれほど愛されていたのでしょうか
後継ぎのために男が必要だ、という話は様々なところで耳にしますが後継ぎが既に生まれている場合次男の重要度はそれほど高くないような気がして…
また次男は養子に出されることも多かったようですが、養家での愛され方はどうだったのでしょうか
単に後継ぎにするために…と歩む人生を強制したりされていたのでしょうか、またそれに対して次男はどう感じていたのでしょうか
自分で検索しても思うような物が見つけられなかったように、こういった心情については詳しく分からないことが多いのだとは思いますが分かる範囲で構いませんので教えていただけると嬉しいです。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
子供が労働力でなく子供として認められ始めたのは、戦後の池田内閣の高度経済成長社会に入ってからです。
貧困な家庭は、男の子は労働力であり女の子は売買する商品でした。
唯一長男だけが人間扱いされてました。
戦前以前から大正時代の間、子供が子供として扱われたのは商人がサラリーマン・公務員ぐらいでしょう。
明治になるともっと貧困ですから想像出来ません。
家督相続は日本の農耕文化からきます。
小さな農地を家族全員で耕し、家族全員で生活し食事をしていわけですから、大家族となると20人30人の親戚で固まっている場合もありました。
そうしますと家族の代表が必要となり、その人が身分と田畑宅地建物を管理所有していたのです。
ですから長男単独相続となるわけです。
長男以外は小作人と同じ扱いと思われます。
実質家族の代表で農作業をするので、今と違い死亡による相続でなく隠居による相続が多かったようです。
小説に書かれいる明治時代は、農村でなく都会で生活出来た人ですので日本人の僅かなことしか書かれていないようです。
こうしたことは、戦前の貧困な農家の実情は歴史に残っていまいすから、それから想像するしかありません。
愛されるという語を用いてますが、子供が愛されるようになったのはここ数十年のことです。
儒教思想からくる上下の感覚は若い方には想像がつかないと思います。
家制度が実質崩壊していったのは核家族によるものが多く、都心では団地の出現が家制度を崩壊してきました。
中国の儒教感覚はもっと厳しく、親が子に死ねと言えば死ななければならない程上下関係が厳しく、そうした慣習を断ち切ろうとしたのが共産革命により立法された50年婚姻法です。
子供が親から愛されるようになったのはつい最近のことで、世界でも未だ子供を労働力のために作る民族が大半をしめてます。
以上書いたことはまとまって本として出版されてません。
各国の家族法の立法背景となる歴史と社会について研究しますとおぼろげながら想像がつきます。
法律を作るというのは、作らざるを得ない背景がありますので、立法する過程の立案文書を読むとわかってきます。
長男以外は小作人と一緒ですし、小作人を雇えない貧困な家族ですと全員人間以下の生活をしていたのですから、愛するという概念自体が無かったでしょう。
普通に生活出来た商人以上の人たちは、今度は名誉としての家制度がありますから長男のみ人間扱いされたと思います。
私は三男ですが父親と会話したことがありません。
長男のみが母屋に住み、後の兄弟は物置小屋で生活してきました。
長く、また丁寧且つ分り易い文をありがとうございます。
今回の質問の目的として、時代背景を理解するということを考えていたわけですが、この回答は私が求めている答えを的確に示してくれました。
平成の世を生きる私にはとても想像もつかないようなことばかりですが、確かにそうだったのだろうとスッと頭に入ってきた気がします。
質問してからわずかに3時間、短い時間の中で大変為になる回答をどうもありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
家を継ぐのは基本的に長男なので、次男以下は実家にいても仕方が無いというのは多かったのでしょう。
軍隊に入る、家を出て別の仕事をする、養子に行くなど。
貧しかったから仕方なくということもあるでしょう。
先日テレビで観た満州開拓の話、やはり長男でなかったのでということで1「満州で地主になろう」という志で14歳ぐらいで開拓義勇軍に加わった少年の話をやっていました。
出発前に撮った一家総出の記念写真が残っていましたよ。
親はそれなりに心配だったんじゃないでしょうか?特に母親は。
愛情については人により・家庭により異なったのではないでしょうか。
実家でも、行った先でも。
昔は何人も子供がいる家庭が多かったので、「長男と次男」でなくて、「長男とそれ以外」だと思います。
山本五十六は六男で、大人になってから見込まれて山本家相続のため養子に出ました。
夏目漱石は五男で、里子に出されたり養子に出されたり波乱含みの幼少期だったそうですが、大人になってから夏目家に復帰しました。
やはり長子相続の時代ですから次男以下は家を出る、という選択を選ばざるをえなかったのですね。
私もまだまだ幼いですが、更に幼い14歳の少年が義勇軍…ちょっと想像もつかないような時代です。
今までの回答を見比べると、愛情が有るか無いかの意見は分かれていますがどこかに愛情があれば…と思います。
夏目漱石も波乱の人生を送っていたのですか、著名な作家もそういった人生を送っていたのだと思うと…少し驚きです。
昭和が混ざった、とのことですがある程度は差し支えないと思います。どうもありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
明治育ちの人がいました。
高等小学校を卒業後、14歳で単身故郷を離れ東京へ出ました。「笈(きゅう)を負いて郷関を出ず」の言葉通りです。 次男なので家にいても仕方ない。 東京で一旗挙げようとの志です。
官吏になり結婚し一家を構え分家となりました。 その時実家から、金を貰い住む家と貸家3軒を建てました。 私はその家で暮らしていました。
当時は今ほどの建築費はかかりませんが、それでも相当な金額です。
子を愛する気持ちは変わるものではありません。
財産のあるなしでは違うでしょうが、それ相応に愛していました。 生活が苦しく出来なかった事もあるでしょう。
当時は故郷から離れなくても、分家する事はよく在りました。
私の質問にこのような形で答えて頂けたことを本当にありがたく思います。
親が子を想い、また子も親を思う。
自分は本家の役に立てずとも、という考えはまさしく愛なのだなと感じました。
今という平成の世を生きる私が軽々しく言うのもどうかとは思うのですが、こうした考え方はとても尊いと思います。
ありがたいお話をどうもありがとうございました
No.2
- 回答日時:
1.4.2.3 家族形成と間引き
「生存している子供がいない場合、夫婦は男児よりも女児をもつ確率がはるかにまた不自然に高くなっており(出生児の性比は約91)、これは第一子出生時における男児の間引きの可能性を示唆している。」
女の子のほうが好きだったみたいですなぁ。
だから次男が云々の前に次男がいない。
婿もらった方が効率的なのかも。
なるほど、性別によってもまた違ったわけですね。
互いが互いの利益を求めて縁談を進める時代でしたからある種仕方ないのだとは思いますが、次男が養子、または婿入りしていたというのにもこうした男子不足があったのかもしれないですね。
参考ページのURLまで教えていただきありがとうございます。
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