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民主主義の前提は「全員が対等である」ことだと思います。
憲法では天皇制を「特別な」存在として規定しています。
厳密に理屈を突き詰めれば、民主主義と天皇制は相容れないと思います。

しかし私は天皇制存続論者です(この国の元首が小泉さんや森さんや村山さんではぞっとします)。そしてその相容れない部分を埋めているのが、天皇の「無私」にあると私は考えています。あれほど禁欲的な人格を私は知りません。

今年になって皇太子妃殿下の心因的病状がさまざまに伝わってきます。曰く「海外に行きたい」、曰く「人格やキャリアを否定された」云々。

確かに現代の女性としてはもっともなことです。しかし天皇家に嫁げば当然覚悟すべきことです。もしそれを否定するのなら、天皇家に嫁ぐべきではないし、或いは天皇制そのものが要らないのではないでしょうか。

「東京の中心に空虚がある」と言ったのはロランバルトでしたか。
雅子妃殿下を批判するつもりは全くありません。彼女と皇后陛下を比較するのも酷だと思います。
ただ、極端に言えば、天皇(皇族)は人間らしくあってはならないのではないか、人間らしくありたいのであれば天皇制を否定すべきではないか、と思うのです。雅子妃に対する批判ではなく、天皇制と天皇の人間性という観点から皆さんのご意見を伺いたく存じます。

A 回答 (3件)

「民主主義」 下においては、「政治的、法律的」 に 「等しい」 権利を人間は有する、と言うことでしょう。

現行法下では、成人になれば (法で定められる特殊な状態を除き) 参政権が認められるように。戦前の日本のように、氏素性によってのみなり得る貴族院議員とか、性、納税額による参政の制限がない、と言うことになりますよ。

そうなると、皇統譜に記載されているヒトは、現行法下では人間ではありません。つまり、24 時間、個人として、日本人であれば誰もが基本的に有する自由権を、剥奪されている状態です。

この環境下で生まれ育ち、洗脳を受けたヒトにとっては、それは当たり前のことですし、彼らを扱う周囲の官僚 (宮内庁関係者) が、その洗脳を行なっていくことになります。この世界に、自立した人間が加わり、それまでと同じように自己主張を行なったら、何が起きるか、簡単に想像はつくでしょう。

質問者は、自分でふと疑問に思ったことを、こうして尋ねることができますね。これは貴方が自由な人格を有しているからです。歴史的根拠もない一家系を特殊扱いし、人間として扱わない状況を、放置することは、様々意味で問題だと考えています。

第一、内閣総理大臣を元首にすると仮定したとき、誰がなろうと、それを決めるのは国民自身なんですから。
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この回答へのお礼

#1-#3chicago911さん、ありがとうございました。

考えがよくまとまっていないうちにしてしまった稚拙な質問に答えてくださってありがとうございます。
いろいろ考えるところがありました。

ありがとうございました

お礼日時:2004/12/09 17:18

主義主張ではありませんが。



あの家系に関わるニュースを見聞きするたびに

佐渡ヶ島の朱鷺の件を思わずにはいられません。

今の保護施設は飼育係の雇用の為に存在するのかな。

国の象徴という名のDNA保護対象動物の檻から

国境の枠を越えて自由に飛び回れる環境に解き放つ

時期が来ているのではないでしょうか。
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まず初めに一言申し上げなければならない事があります。


そもそも「民主主義」とは「全員が平等である」と言う単純な一言で語ってはいけないと思います。「民主主義」とは「民主制」の「政治形態」を示し、その原理は、一定の国や地域に住む人が、統治者でありながら被統治者となる「政治的」な「平等」にある。とあります。意味の違いが判りますか?余談でした。失敬。

さて、天皇制の天皇についてですが、私は個人的に天皇及び皇室(皇族と呼ばず私は皇室の方々と範囲を狭めさせて頂きます。)の方々は本来の日本人の人間らしさを継承されておられる方々だと感じております。ご存知の方々も多いと思いますが、大正デモクラシー以前の日本人は「忠孝」の精神を持ち、私心よりも公心に重きをおいていたと言われています。そもそも政治に携わる者は私心を捨てて公心のみ持つべきであると説かれたのは聖徳太子の第17条憲法であり、その公心を誇れる歴史的憲法として世界に知られています。
それら失われつつある、本来日本人が持っていた公心を今尚継承され、公のみにお過ごしの、憲法記載どおりの「日本人の象徴的存在」であられます。雅子妃にも是非ともその辺をご理解頂けたらと願う次第であります。

尚、皇室の方々だけが公心を残しておられるのではありません。大企業と呼ばれる会社の役員や社長の多くの方々も立派に公心に重きをおいて過ごされてます事も見逃さないで下さい。

もう一つ余談ですが、2万人クラスの某製造会社の社長になられた方と元同会社の役員をしていた私の父との会話が今でも印象的です。
新社長「こんなにマスコミに騒がれてはプライベートも何もあったものじゃない。」
父「おや、プライベートを必要とするなら、その会社の社長を勤めてはなりませんよ。」
この延長線上に皇室の方々の姿が見えたような気がしました。
公に生きる方々。非常に人間らしいじゃないですか。
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この回答へのお礼

shin189さんこんばんは。早速の回答、ありがとうございます。

仰るとおり、民主主義の定義をルーズにしていたと思います。ご指摘ありがとうございます。

さて僕がこの質問をしたのは、天皇制が天皇個人の人格によって補完されているのであれば、非常に脆弱な制度だと言わざるを得ない、と思ったからです。

現皇太子を教育された美智子皇后の「ナルちゃん憲法」について書かれた本を読みました。皇太子がすばらしい人格であることに疑いはありません。

けれども5代先、10代先はどうでしょう。

実は僕はもともと天皇制には反対でした。けれど質問にもありますように、元首が有象無象では困ると思ったのと、皇室の人たちの人格を知るにつけ、今の考えに変わってきたのです。

天皇は国民統合の象徴ですが、時としておかしな象徴に祭り上げられてしまうこともありえます。その危険をどうやって排除すればいいのだろう、天皇の人格のみに依存するしかないのだろうか、と思った次第です。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/12/07 19:29

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