横浜に灯台発祥の地碑ってあるんですか?あるとしたらどこにあるのでしょうか。(横浜でなければどこでしょうか)
住所、連絡先、定休日、見学時間、料金、地図などを教えていただけたら幸いです。

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A 回答 (2件)

わが国の洋式灯台発祥の地は、神奈川県横須賀の観音崎灯台です。

http://www.hps.hokudai.ac.jp/hsci/stamps/1869a.htm

参考URLをご覧ください。
記念碑も有ります。

参考URL:http://www1.ttcn.ne.jp/~ogawa/7.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました!助かりました!!!

お礼日時:2001/07/31 21:27

わが国最初の洋式灯台は横浜の観音崎灯台です。

明治政府のお雇い外国人、フランス人技師の設計で作られ、現在の灯台は三代目ということです。近くに観音崎自然博物館もあります。インターネットかNTTで電話番号を調べ直接灯台に必用な情報を問い合わせてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!助かりました!!!

お礼日時:2001/07/31 21:28

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Q【醤油の歴史】 醤油は日本発祥?中国発祥?韓国発祥?

先日、中国人・台湾人・韓国人、アメリカ人などの友人たちとご飯を食べに行きました。
「醤油はSoy sauceと呼ばれ、世界的に有名な調味料だよ。」とアメリカ人(クリス)が言ったので、
私は「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」と言うと
隣の中国人(プーチン)が「ちょっと待て!醤油はおよそ3000年前の中国で発祥したんだよ。中国発祥だ。」と言いました。
すると韓国人(パク)が「醤油は韓国発祥だ。」と言いました。
そこにいた全員が「韓国人が言う歴史だから・・・」といつものように無視したのですが、
醤油は日本発祥?中国発祥?韓国発祥?なのでしょうか?


調べてみると、中国にも大豆から作る「ジャンユ」があります。
韓国ではカンジャンと呼ばれる醤油があります。
インドネシアでも大豆を原料としたケチャップマニス・ケチャップアシンが使われています。
タイでも魚醤であるナンプラーがあり、大豆から作られた醤油(シーユー)もあります。
日本人が多く移民し、現在も日系人が多数在住しているハワイでも独自の醤油が生産されています。
日本では1640年代頃の寛永年間に、1年で製造できるこいくち醤油の生産が開始され、うすくち醤油は、1666年、円尾孫右兵衛によって開発されたとされています。

また「醤油のルーツは、古代中国に伝わる“醤(ジャン)”である。」という説から、「醤油は日本独自の調味料文化である。」という説など、多数ありました。

もし日本の薄口・濃口醤油が中国発祥なら、タイのナンプラーやインドネシアのケチャップマニスも中国発祥ということになりますか?

先日、中国人・台湾人・韓国人、アメリカ人などの友人たちとご飯を食べに行きました。
「醤油はSoy sauceと呼ばれ、世界的に有名な調味料だよ。」とアメリカ人(クリス)が言ったので、
私は「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」と言うと
隣の中国人(プーチン)が「ちょっと待て!醤油はおよそ3000年前の中国で発祥したんだよ。中国発祥だ。」と言いました。
すると韓国人(パク)が「醤油は韓国発祥だ。」と言いました。
そこにいた全員が「韓国人が言う歴史だから・・...続きを読む

Aベストアンサー

ルーツ・発祥などは「伝搬ルートが解明される事」によって特定出来る物だと言えます。

たとえば日本の麺類、蕎麦・うどんは明らかに中国にルーツを持ち、伝搬時期より前の物はありません。この場合、明確に「日本の蕎麦・うどんは中国に起源を持つ」と言える(うどんは中国で言う「雲呑」の訛ったもの)訳です。

さて、今回の醤油で「明確にルーツを特定出来る」でしょうか。
私は存じませんでしたが、質問者さんの調べた所に寄ると「明確な伝搬ルートは特定出来ず、同時発生的に生まれたとしても無理はない」のではないでしょうか。

先に生まれていたとしても伝搬がつまびらかでなければ、起源を名乗るのは異な物なのではないでしょうか。
これはたとえば日本の足軽と、イングランドのKnightについて、どちらかが先に生まれたとしてもそれを以て起源とする事は無理がある事と似ています。醤油について先に生まれたという事だけではなく、交易・文化交流の有無、文化伝搬などと併せて考える必要があるのではないでしょうか。

Q文明発祥地のその前について

文明が発生する以前の、黄河流域、ナイル川流域、メソポタミア川流域、ガンジス川流域というのは、どういう状態がどれくらい続いてから文明が発祥したのでしょうか。

Aベストアンサー

何かのヒントになると思いますので、私の読書メモ(15年前)の一部を書いてみます。

5000年前と3000年前という年代は歴史学では注目。それは古代文明の始まりと終わりだ。
気候の変化と文明の発展には関係がある。
5000年前、ナイル、メソポタミア、インダス、黄河の周辺が乾燥し始め、人びとは土地を追われて逃げ出し、そして河のほとりに文明が発達した。この古代文明はそれから約1500年続き、今から3500年前にはほぼ一斉に滅んだ。

以上ですが、この中の「乾燥し始め、人びとは土地を追われて逃げ出し、そして河のほとりに文明が発達した」とあります。
この部分に注目して、新しい情報を得るために検索しました。

気候の変化と文明の発展
http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf116-1/p062-078.pdf#search='気候の変化と文明の発展'

71ページに興味深いグラフと解説があります。
紀元前11000年から10000年頃、それまで狩猟・採集をしていたパレスチナの人びとは、気候変動で森と草原の境界あたりに定住し、野生植物の栽培(オオムギやコムギ類、マメ類)を始めた。
他の地方、メソポタミアでは8500年前に農耕が始まった。
そして紀元前3500年頃の寒冷・乾燥化気候は、シュメールに「都市革命」をもたらした。
「乾燥化に伴い、人びとは大河のほとりで灌漑による大規模な農耕を発達させ…以下略」

想像で回答して申し訳ないですが、これらのことからメソポタミアの場合、文明発祥前の5000年間ほどは、人びとは小さな集団をくみ、大河の水を利用しなくても水のある森や草原に散在していたのでしょう。

このご質問を考えたことで、文明は人口が集中して興るということを私は理解できました。

何かのヒントになると思いますので、私の読書メモ(15年前)の一部を書いてみます。

5000年前と3000年前という年代は歴史学では注目。それは古代文明の始まりと終わりだ。
気候の変化と文明の発展には関係がある。
5000年前、ナイル、メソポタミア、インダス、黄河の周辺が乾燥し始め、人びとは土地を追われて逃げ出し、そして河のほとりに文明が発達した。この古代文明はそれから約1500年続き、今から3500年前にはほぼ一斉に滅んだ。

以上ですが、この中の「乾燥し始め、人びとは土地を追われて逃げ出し...続きを読む

Q黒巖神社の発祥地、(謂われ)を探しています。

我が家の神棚を掃除していたら古い御札が出て来ました。それには黒巖神社・・・守護とあり社務所印と水引も残っています。あまり聞き慣れない神社なのでネット検索しましたがヒットしません、黒巖神社自体私の住む備後地方に見当たりません、発祥地、由来でも解ればと思いお尋ね致します。

Aベストアンサー

確かに黒巖神社で検索するとありませんが、黒巌神社検索すると1件見つかります。字が簡略されているだけですし、場所的にいいのでは?

Q(寺社地、武家地、町地)の町地の読み方

江戸の地割で、(寺社地、武家地、町地)のうち、町地の音声訳読みをおしえてください。
マチチ、マチジ、チョウチのいずれでしょうか。
音声訳ボランティアで双葉社『浪人街無情』という本を読んでいます。完成したらサピエという視覚障害者のためのweb図書館に納めるものです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ネット上で辞書を引いた限りでは「チョウチ」のようです。
こちらで辞書の一部が見られますのでご確認を。
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%94%BA%E5%9C%B0&aq=-1&oq=&r_dtype=all&ei=UTF-8

ボランティア、素晴らしいですね。
拙い情報が少しでもお役に立てば幸いです。

Q【日本の土下座の文化の発祥はどこの誰が始めた?】日本人は土下座することを恥とする文化があるので土下座

【日本の土下座の文化の発祥はどこの誰が始めた?】日本人は土下座することを恥とする文化があるので土下座することに抵抗があるという。



昔の武士は土下座するくらいなら切腹した方がマシだと言って切腹して自害するほどだった。

いつから日本人に土下座文化が誕生したのだろう?

誰がいつから始めた文化なのか知ってますか?


ちなみに祖先が武士でない農民であっても土下座することに抵抗があるという。

大名が通るときは農民は土下座して目を合わせてはいけなかった。

通り過ぎるのを土下座して通過し終えるまで頭を上げれなかったので自分の藩主の顔を見たことがなかった。

無論、籠に入って担がれて通過するので顔を上げていても顔は見れなかった。


土下座することが嫌すぎて日本人は土下座を苦痛に感じるので礼儀作法を教える小笠原家は双手礼と言う土下座に見えて土下座でない作法を考案した。

要するに土下座の格好をして手が鼻より奥に有れば双手礼で土下座ではないと洗脳した。

鼻より前に手をついた格好が土下座だと門下生に教えた。

するとなんだ鼻先より奥に手先を引っ込めたら土下座風に見えて土下座ではないのかと今でいう心療内科みたいな武士の心のケアを行なって武士の間に広がり武士は土下座を強要された時に双手礼をして土下座をしている風で上官の目を欺いて自尊心を保っていた。

時代は流れてなぜか双手礼は奥義のように忘れ去られて農民は双手礼の奥義を習っていなかったので武士は文化大革命で皆死んで農民が明治大正時代に生き残ったので武士は死んで双手礼を伝わらずに土下座文化だけ残った。

農民も土下座が屈辱だったので土下座することを嫌った。

【日本の土下座の文化の発祥はどこの誰が始めた?】日本人は土下座することを恥とする文化があるので土下座することに抵抗があるという。



昔の武士は土下座するくらいなら切腹した方がマシだと言って切腹して自害するほどだった。

いつから日本人に土下座文化が誕生したのだろう?

誰がいつから始めた文化なのか知ってますか?


ちなみに祖先が武士でない農民であっても土下座することに抵抗があるという。

大名が通るときは農民は土下座して目を合わせてはいけなかった。

通り過ぎるのを土下座して通過し...続きを読む

Aベストアンサー

似たような質問を見たが、あれは別サイトだったかな? 早々に締め切られると答えようがないのが、この手の質問サイトの問題点ですね。

日本人に土下座が恥という感覚は、あまりありません。むしろ積極的にやっている感があります。魏志倭人伝には、(上の人に)物事を伝える時にはしゃがんだりして両手をつくとあり、土下座の原型であろうと思われます。ただし、頭を下げるというのは、世の東西を問わず敬意を示す表し方ではあるものの、日本においては手を打つ(拍手)ことで敬意を表し、頭を下げるというのは中国から入ってきた儀礼のようです。上記の魏志倭人伝にも、目上の人に敬意を表すのに中国で頭を下げることの代わりに倭では拍手する、との記述が見えます。

時代が下り、奈良時代などになってくると、朝廷の入り口の左右に板の間(縁側みたいな感じ?)が設けられ、下位の者は早くに来てここで土下座し(板の上なので土下座ではないとも言えますが)目上の物が来るのを待っていたなどのしきたりがあったようです。非効率なのでやめさせようと令を出したがなかなか改まらなかった、などという話が残っていたとか聞いたことがあります。

切腹に関しては、自殺の1手法だったのが、豊臣秀吉が賛美して武士の間に広まったものなので、それを良しとするのはそれ以降(まぁ江戸時代から)のことです。


土下座に話を戻すと、これを受け入れられないのは西洋の人々です。昔、映画の007で、主人公が両手をついて土下座する(私から見たらしゃがむ程度)をしたのですが、それを見てあまりの屈辱に気絶した(観客の)女性が居たとか・・。

似たような質問を見たが、あれは別サイトだったかな? 早々に締め切られると答えようがないのが、この手の質問サイトの問題点ですね。

日本人に土下座が恥という感覚は、あまりありません。むしろ積極的にやっている感があります。魏志倭人伝には、(上の人に)物事を伝える時にはしゃがんだりして両手をつくとあり、土下座の原型であろうと思われます。ただし、頭を下げるというのは、世の東西を問わず敬意を示す表し方ではあるものの、日本においては手を打つ(拍手)ことで敬意を表し、頭を下げるというのは...続きを読む


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