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どなたか添削や意見をください。

患者の自己決定の尊重について
あなたの意見を経験をもとに800字以内で書きなさい。

近年の医療では患者が病院や医師、治療方法を自らの価値観に基づいて決定する自己決定医療が広まっている。自己決定には自分以外の他人の意見や提案を採用しても、最終的に自らが決定する事も含まれている。しかし、入退院を繰り返したり長期入院を余儀なくされている患者は家族に生活を依存している中で自己決定権がどれだけあるのかも考えなければならない。

私が外科病棟に勤務している時、貧血が進み輸血が必要な患者がいた。その患者は意思疎通が取れない事から患者の娘に説明し輸血同意を得ようとした事があった。患者は無宗教であったが、娘が宗教に属し輸血をしてはならない宗教であった為同意を得ることが出来なかった。私は患者本人は無宗教であり、患者の意思とは反しているのではないかと腑に落ちない気持ちになった事があった。しかし、治療方針の決定を迫られた家族もまた苦しみ悩む事があるという事を忘れてはならない。

現在の医療では蘇生術や延命治療の発達によって命を引き延ばす事が出来るようになった。
自分で寝返りもうてず生命維持装置をつけ、食事も味わう事が出来ず人工栄養。それに伴いケアの長期化によって家族には負担が増加する。私が患者の立場で考えると、治らないのであればいっそ楽にしてほしいと思うであろう。しかし愛する家族が患者の立場になった場合、ケアする家族としてどんなに私に負担があろうと生きてほしいと願うはずである。

医療者としての価値観から最善である事が、患者にとってそうであるとは限らない。
患者がどのような医療を選び望むのか。それを導き出すために医療者はチームとして情報共有し患者本人やその家族とコミニケーションを密に取り合うことで患者自身の自己決定を尊重出来、最善の治療方法が出来ると考える。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

致命的な欠陥を二つ挙げます。



●大風呂敷を広げていること。

 文頭の「自己決定医療が広まっている。」
 この書き出しから一つの論理を完結させるのに、通常800字では収まらない。
 4000字でもギリギリである。
 普通最低でも一つのレポートとなる。
 収まったとすれば、それは必要なことをあちこち落としている、粗末な文章になっているということである。
 「自己決定医療」という言葉は包括語に属する言葉で、使ってしまうと、具体的論点に落とし込むのに相当の字数を費やすことになってしまうのである。

●ぶれてはいないが、説得力がない。
 例えが弱すぎるのである。
 「ある貧血の患者の家族が輸血に反対した。」
 具体的で客観的な事実はこれだけである。
 その結果どういうことが起こったのか、本人たちの気持ちはどうなったのか、などなど、そういう具体的エピソードが書かれていない。
 そして、問題の核心はふつうそういう具体的なエピソードの中にある。
 「神は細部に宿る」と言われる所以である。

 「自分はこう思う」などは読み手からすればどうでもいい。
 「こういうことがありこういう結果になり、こういう影響を及ぼした」それが読み手の頭の中で再現された時、あなたの主張は読者の共感と同一になる。
 自分の考えは事実に語らせなければならないのである。


冒頭「自己決定~」と書いた時点ですでにこの文章は収まりのつかないことになっています。
文章を書きなれない人や読み手の立場で読んだことのない人は、よくこういう過ちを犯します。

ためしに最後の2文を冒頭に回し、そこから話を膨らませてみてください。
論点も筋もすっきり見えてくると思います。


余計なことですが、私は何回呼んでもこの文章が頭に入ってきませんでした。
良い文とは達意の文、つまり一回読めばすっと分かる文だと思っています。
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まず第一段落


>「自己決定には自分以外の他人の意見や提案を採用しても、最終的に自らが決定する事も含まれている。」

「...自らが決定することも含まれている」という言い方では他にも自己決定権に含まれるものがあるかのように読み取れます。「...最終的に自らが決定する権利である」のようにはっきり言い切るべきです。

>入退院を繰り返したり長期入院を余儀なくされている患者は家族に生活を依存している中で自己決定権がどれだけあるのかも考えなければならない。

それをいうなら、(自己決定権は)どの程度尊重されるべきか、でしょう。権利はあるかないかですから、「どれだけあるのかも考えなければ...」というのは不適切です。
-------------
第二段落
貧血の患者本人が自己決定権を行使できない場合の問題と、家族の苦悩の問題は直ちには結びつかない問題でしょう。例えば、医者が患者(無宗教)は輸血を望むであろうと推認して、輸血をする場合、家族の宗教的感情とは対立するが、患者本人の自己決定権と家族の宗教的思想はどちらが優先されるのか、特に輸血をしなくても直ちに生命に危機が生じるか否かで結論は変わるのかどうか、そもそも、家族が輸血に否定的な認識を抱いている場合は、患者本人の意思としても輸血はしないで欲しいと推認すべきなのか、など家族の苦悩が患者本人の自己決定権(の尊重)にどのように関わってくるのか説明が必要だと思います。
--------------
第三段落
第二段落と似たような問題があります。
「...私が患者の立場で考えると、治らないのであればいっそ楽にしてほしいと思うであろう。しかし愛する家族が患者の立場になった場合、ケアする家族としてどんなに私に負担があろうと生きてほしいと願うはずである。」とのことですが、だからなんなのか、わかりません。
この第三段落の内容が、第一段落で提示されている問題提起とどう結びついているのか説明すべきです。
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まず自分の経験を400文字位述べてから


現代の医療では、いくら元気な時に延命に関する希望を明記していても、急変等が生じた場合、家族の意見が尊重されてしまう。
本人が延命を希望していなくても、家族が延命を希望すれば、延命をしざる負えない現状である。
患者本人の尊厳を守るためには、元気な内から本人、家族、医療従事者によるアドバンスケアプランニングが必要であり、病態の変化に合わせ随時実施していく事が望ましいと思われる。
てな感じでどうでしょうか‥

内容的にアドバンスケアプランニングを導き出してる感じがします。
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