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生きてることに罪悪感を感じる。なぜだろう。

A 回答 (3件)

自分が周りに与える影響を過剰に意識するせい。


道を歩けば、他の通行人の邪魔になるし。
人の助けがないと一人では何もできないし。

生きる権利は生まれながらに持っているといわれます。
税金を払っているとか、見た目が良いとかは関係なく。
別に望んで生きているわけではないし。
迷惑はお互い様。
自分の与える影響など、大きな目でみれば些細な事。
自意識過剰かもしれません。

悪いとは誰が決めるのですか?
誰かがそう言うのはその人の勝手な考えで、
だからといって自分を悪く思う道理はありません。
絶対の悪というのはありませんので。
たとえ全世界が否定したとしても、
自分が自分を見捨ててしまったら終わりです。
条件づけなしに、生きているだけで偉いのだと、堂々としていたらよいのです。

周りと協調したり、軋ろわないと存在できないのは、この世の法則です。
それも、自分という境界を定め、それを中心に見るから、迷惑や悪害などとネガティブに捉えてしまう。
自己中心的で偏った感覚に浸っていても辛くなるだけで益はありません。

周りも己の好いように他人を利用するので、
これが上手い人だからとか、条件づけで存在価値を認めます。
たとえば、見た目が良い人がモテるのは、
整った外見は健康の証であり、
健康であれば、数多の能力に長けている可能性を示唆し、
優れた子孫を遺すための逸材としても、利用価値を認められるからです。

何も出来ない人は仕事すら貰えません。
人手不足ならば猫の手でも借りたいとなるでしょうが、
人が多いので、優れている人のいるなかで、劣っている人は不要です。

更に、人を殺さないといられないくらいの衝動を抱えて、皆にとって害にしかならないような人には、死ねというのです。
悪害を否定し滅ぼそうとするのは世の中の風向きであり、
保守的な社会では、印象から安易にレッテルを貼って、人を分別したがります。

差別と偏見の中にあって、どうとでも判断できるのなら、最後は自分で決めるしかない。
ある時代のある地方で異端者だと叩きのめされた人が、歴史上の偉人というのもよくある話。

どうしても辛い時、せめて心の中だけでも、手放しで自分を愛せなければ、
その力を失ってしまったら、熨され潰えるのは、ほんとうに簡単なこと。
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生きていると、色々悪いことを考えたり


やったりします。

だから罪悪感を感じるのです。

生きている。それ自体に罪悪感を感じている
訳ではありません。
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普通の毎日を送ることが幸せすぎると思っているからでは?

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