dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

今世代以降の人は大抵各種端末で”共通の”ネット空間にアクセスできるようになってますよね。
デジタルディバイドはある程度日本では改善されたかのように思えます。
それでもまだ個人の検索能力に大きな隔たりがないとは言えませんが、仮に情報格差が完全に是正され、大多数の人々が均一に情報を受け取り、ネット上での情報認識が一定となれば、それはある種の全体主義(字義どおりに従えば”ファシズム”とはならないが)ではないんですか?

※「ネットだろうが見方が変わっただけの”もう一つの世論”でしょうが。」とも思いましたが、前提としてそもそもネットは”第二の世論”としての十分条件は満たしますが、本質的にはそれを内包する、より影響範囲の大きいものだと思います。

A 回答 (1件)

一つだけヒントを。



経済格差自体は問題ではない。
問題は格差が広がりすぎて貧困層が発生することである。

これを情報に当てはめると

情報格差自体は問題でない。
問題は格差によって弱者が何らかの不利益を被ることにある。

学歴についても同じことが言えます。
「格差」と「格差が及ぼす影響」は、明確に分離する必要があります。
そして、格差をなくすことは非現実的ですが、影響をコントロールすることは現在の社会でも十分可能です。


情報処理能力とは、情報の入手だけでなく、その情報の分析、取捨選択、結論の導出までを含みます。
この点でも、情報格差をゼロにすることは不可能です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、ある集団が一様に同じ情報を受け取ったとしても、それをどう見るかは人それぞれであり、そういったこともほぼ起きないということですね。

お礼日時:2019/09/07 13:13

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!