つい集めてしまうものはなんですか?

1. 悪の起こりは 道草である。

2. ものは ふと曲がるのだ(クリナーメン)。

3. 登下校のとちゅうでいつもの道とは別の道を行ってみようかと。

4. そのとき 胸の中に高ぶりが起きていたか? 起きていても なお
その我が道は よき道だと思っていたかも知れない。

5. いやあるいは 顔が赤らみ心になにかいつもとは違った変な感じを
おぼえたかも知れない。

6. やましいとか恥ぢといった言葉を知るようになったかも知れない。



7. おそらく持って生まれた性質やチカラとしての自然本性は 落ち着
いたもので安定性があり あの日あのときふと道をそれたからといって
ちょっとやそっとで傷ついたり壊れたりするものではない。

8. むしろ海のごとく ちいさな波風をつつみおさめている。やましい
ことを起こしたことを恥ぢ しかもこのうしろめたい心を 大きな心がお
さめている。



9. 問題は あたかも蛇が這いすすむがごとく――つまり決して一足飛
びにそうなるのではなく――少しづつ 一つひとつの道草の積み重ねを経
て それに慣れていくことである。か?


10. かくしてものごころが着いてゆくわれにも 良し悪しの選別が身
についてくる。

11. よからぬことの愉しみもあるわけだ。


12. ここから世に言う悪魔までの距離は どのくらいあるのだろうか?



☆ 哲学カテ諸兄の見解をうかがいたいと思います。

A 回答 (5件)

妹の暴言が非どす繰りウと思うのですよ。


変換が変ですが、
妹は妹で人生が有るのでしょうけど、
肩身が狭いです。っちがばないですから。
アキの氏もいやの過去様がオーストリアとか
2位かれてるようですけれど。

二位なのでh層化。誰が一意なのでh層化。
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この回答へのお礼

★ 妹は妹で人生が有るのでしょうけど
☆ このくだりが よいと思いました。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/09/19 21:57

お礼ありがとうございます。


人と人とのつながりについて。
アイヌ人の呪術師の話ではないですが、人は無意識、深層意識において繋がっているという説が存在します。
それによると、見知った人々とだけつながっているのではなく、言ってしまえば全人類がつながっているという事だそうです。
それが一体どういうものか、詳しく洞察が効くわけではないのですが、そのような経絡、路の流れが全人類に渡り巡らされているような気が、私も致します。これは漠然とした感覚で根拠を示すことは出来ませんが。これはいわゆる予感として働き、虫の知らせとか、前触れとして感知されるものであり、それが漠然とではなく、具体明確な形で現象することも有るようです。アイヌの話で言えば、山になぞらえた体の一部が痛くなる、と言った風なことです。ある場合は人の言葉の形をとって現れることも有るでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 人と人とのつながりについて。
アイヌ人の呪術師の話ではないですが、人は無意識、深層意識において
繋がっているという説が存在します。・・・
・・・アイヌの話で言えば、山になぞらえた体の一部が痛くなる、と言
った風なことです。ある場合は人の言葉の形をとって現れることも有る
でしょう。

☆ 無縁慈悲という概念も打ち出されたようです。
友だち・知り合いの衆生縁。同志としてのような法縁。縁に関係のない
無縁。それでも 慈悲がはたらく〔か どうなのか〕。

縁は異なもの。と言いますが 無縁は妙なるもの・・・なんですかね。





あくまと言いますか。例のサイコパスというのは なおまだ手に負えま
せん。

お礼日時:2019/09/19 21:54

1.2.について


自分を振り返ってみて、そうかもしれないと思いました。真っ直ぐ行けば問題無いのだが、違う道も気になった、みたいな。
しかし人生というものは後戻り出来ないもので、失敗と言うのは取り返しの効かないものです。後悔先に立たず、後悔しても時すでに遅し。簡単じゃ無いですよね。

でも、その道草の動機をよく見てみると、"全ての道を把握しておきたい"と言う、パリのタクシードライバーみたいな気根があったような気もします。そう言う意味で、道草を食って悪路に出るのは想定の範囲内であり、ここは舗装が必要だなとか、標識が必要だなとか、そう言うことも体験的に分かるようになった。ここをこう行けば元の大きな道に通じるのかとか、そう言う道順なんかも理解できたりする。
道の逸れ方、曲がり方にもパターンがあるとか、どう言う小路で事故が起きやすいとかそんな事も有用な知識と思え、道に迷う事もこの様な"案内人的立場"に立てば無駄では無いかなと。思ったりもします。
そう言う知識が集積すれば悪路を管理する事もでき、より充実した安全な道を形成することにつながる。
究極的には、はからう必要の無い人生(道)であるとは言え、迷った時の道案内の需要は常に存在すると思うのです。
同じように道に迷っても、すぐに抜け出す様な実質的に迷ってない人と、混迷に陥って中々抜け出せない人と、繰り返し迷う人などがいて、それぞれに合った道案内があると思うんですね。道草どころか誤って山森に入ってしまう様な遭難者もいて、そのため色々の事について知っている人と言うのは、何時も必要とされていると思います。プロは、遭難する以前に遭難した時を想定した準備を促しますし、自分の位置の把握の仕方とか、方角の見方とか、水のありかとかを知る術を本やウェブサイトなんかに載せて啓発していますね。いざとなったら頼れるのは自分しかいない中でも、力になる知識を伝えているわけです。
それでも遭難者は出るもので、知識も装備も経験も無く不用意に山に入ったりする人もいる。事故防止の啓発に努めるのはもちろんしてきたが、起こってしまった事態に立ち会い、一体どうやって探し出せば良いのか、知恵を出し合うわけです。人の行動パターン、推定される失踪現場や時間、残された猶予など。

知識と、知識から編み出される知恵とで。

この様な観点から、人は自分で自分を案内して、復帰するとも考えられます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 1.2.について
(あ) 
★ 自分を振り返ってみて、そうかもしれないと思いました。真
っ直ぐ行けば問題無いのだが、違う道も気になった、みたいな。
☆ 勝手な言い方をすれば このような見解の一致を俟っていた
ような気がします。


(い) 
★ でも、その道草の動機をよく見てみると、"全ての道を把握し
ておきたい"――道の逸れ方、曲がり方にもパターンがあるとか、
どう言う小路で事故が起きやすいとか――と言う、パリのタクシ
ードライバーみたいな気根があったような気もします。
☆ ここで一点のみ見解を異にします。

登下校だとか仕事へ行く途中あるいは約束の場所へ急ぐ道の場合
には ひとこと家族や関係者らに知らせておくかどうかの一点で
す。

冒険は 余暇にすればよいわけです。(そのときも 知らせてお
くことはします)。

(う) 
★ そう言う知識が集積すれば悪路を管理する事もでき、より充
実した安全な道を形成することにつながる。
★ 究極的には、はからう必要の無い人生(道)であるとは言え、
迷った時の道案内の需要は常に存在すると思うのです。
★ 知識と、知識から編み出される知恵とで。
☆ 文句ありません。

(え)
★ この様な観点から、人は自分で自分を案内して、復帰すると
も考えられます。

☆ ほかの人とつながっているということ。この一点をめぐって
問い求めは つづくかも知れません。

その極端な事例を出します。
遠からぬ昔にアイヌの村でこんなことが起こったそうです。

一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。
巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。
果たしてその通りであったが そのわけは こうだと説明した。

 ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に 
   わたしの体を重ねてみる。
   そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山の
   どこにあたるかを考えてみれば そこに男は遭難してい
   るはずだ。


☆ カカハリ(関係)の絶対性。その具体現実は マジハリ(交
通)です。あるいはつまり シンライ関係 きづな。

アイヌの話は 経験合理性から自由な原始心性の話のようですが 
それでも ひととひととでむすばれたきづながあったればこその
現実であり人間性ではないかと。

お礼日時:2019/09/19 18:01

脇道・裏道・けもの道・極道・ミナミの帝王

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この回答へのお礼

本道と脇道 おもてとうら ひかりとかげ・・・

といった世界の成り立ちだということでしょうか?


ご回答をありがとうございます。



しゃれたコメントをと思いましたが いまひとつ出て来ませんでした。
あしからず。

お礼日時:2019/09/19 10:06

虫歯の起こりは砂糖だけど、歯を磨けばいいだけ・・・という話ですかね?

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この回答へのお礼

いや ここでは対策は まだ扱っていませんでした。

――ご回答をありがとうございます。


むろん 扱ってもらってかまいません。

★ 虫歯
☆ というとき・つまり《歯をみがく》というとき それは 虫歯を元の
よい状態に戻すという意味をふくみますか?


悪をふつうの自然本性がみづからの内におさめるという場合 たぶんタト
へで言えば次のようなのだと思います。

虫歯になったなら元の歯には戻らないごとく道をそれたときの心の・へそ
の曲がりも 完全に直るのはむつかしいけれども それが 自然本性の性
質とチカラにもとづき考え行動することを妨げることはない。

――これが 対策をほどこした結果の状態なのだと思います。


こんな感じですけれど どなりましょうか。

お礼日時:2019/09/19 10:03

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