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田舎に越して、接した人々に感じる諸々の違和感ですが、総じて言えば狭量かつ画一的な自己中心性に尽きると思います。これは代々続いた農家における家父長制(パターナリズム)の結果なのでしょうか?
たとえ今では非農家世帯と言っても、実態は土地資産(もとは農地、それも解放農地)が生むキャピタルゲインに一族郎党が依存し、教育・就業・冠婚葬祭全てにおいて、濃密な地縁血縁のしがらみの中にしか己が生存基盤を築けないでいる半独立の依存的な人々に思えます。戦前はおろか、江戸の昔からの変わらぬメンタリティーが温存されているとしたら、その温床・再生産の過程には、個々の家庭に残る家父長制が今でも生きているからなのでしょうか?

A 回答 (5件)

家父長制は関係なくない?


血縁関係とか、地主の力がつよいというのが大きいのでは?
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>田舎に越して、



この質問文における「田舎」とは農地/農村地帯という意味のようですね。
しかし一般的には、交通網の粗であるエリア、人口の少ないエリア、首都圏から遠いエリア、豪雪地帯など極端な気候のエリアも「田舎」という言葉で表現することがよくあります。離島や漁村も「田舎」と言われるでしょう。

「都」に対して「田舎」という語があるので極端には「都以外は田舎だ」とも言えます。

「農家/農村」に話を特化したいなら、田舎という語ではノイズが多くなりすぎるので「地方部の旧農村地帯に引っ越して、」とでも書き出してはいかがですか。

>接した人々に感じる諸々の違和感ですが、総じて言えば狭量かつ画一的な自己中心性に尽きると思います。

「諸々の違和感」「狭量」「画一的」「自己中心性」といった単語は具体的にどのような出来事や状態を指しているのか、この質問には手がかりとなる現実味がどこにもないのでわかりません。

また、「画一的」と「自己中心性」の語義は対立します。画一的な印象の集団は没我的、没個性的だといえますし、自己中心的な人は自我が強いので各自が個性を主張して画一的になりにくいと言えます。だからあなたが「総じて」何を言いたいのかわかりかねます。

文章自体が主観的(自己中心的)で言葉足らずな内容なので、それこそは「田舎者の話法」であると私は感じています。ここにおける「田舎者」とは「文人」の対義語です。

>これは代々続いた農家における家父長制(パターナリズム)の結果なのでしょうか?

「これ」とは何なのか不明ですが、非農家こそがパターナリズムの真の継承家系であるので「家父長制といえば農家だよね」といわんばかりのあなたの感性は理解に苦しみます。ちなみに家父長制は、それを遵守するならきわめて没我的かつ政治的(社会的)な家族制度です。世界中どこでも見られる家父長制ですが、その勘所は「婚姻」「ある既得権益のリレー」「氏族制度の継承」にあるので「農業」が勘所なわけではない。

>たとえ今では非農家世帯と言っても、実態は土地資産(もとは農地、それも解放農地)が生むキャピタルゲインに一族郎党が依存し、
>戦前はおろか、江戸の昔からの変わらぬメンタリティーが温存されているとしたら、

それは農地改革での振興地主のことですか。解放農地が生む金利で食うというなら、江戸時代の地主とかはあんまり関係ないんじゃないですか。

あと、ある時期まで農家だった家が、ある時期から非農家になり、解放農地が生む金繰りに一族(ってどこからどこまでか…)が依存して生計を立てている実例が本当にあるんですか。

>教育・就業・冠婚葬祭全てにおいて、濃密な地縁血縁のしがらみの中にしか己が生存基盤を築けないでいる半独立の依存的な人々に思えます。

「半独立」とはどのような状態をあらわしているのですか。

また各人は「濃密な地縁血縁」をどのように処理すれば、あなたの価値体系に於ける「独立」は完全に達成され得るのでしょうか。たとえば「国家への帰属・依拠」は個人の精神的独立が達成されている状態であると言えるのですか。「特定の言語圏にとどまる精神」はいかがですか。それに対してあなたの考える「己が生存基盤の完全な独立」を具体的に例示してください。

教育は現代日本の場合、義務教育制度は地縁血縁がコアでもないと私は感じているのですが、あなたの言いたい「教育」とは、なにのことですか。就業も地縁血縁のしがらみによるというのは、家業を世襲するという意味でしょうか。
しかし、あなたは「その田舎は今では非農家世帯」だと言っているので、非農家世帯に於ける就業のパターナリズムとは何のことか、しかとは把握しかねます。事例を挙げてください。

ところで私の父系氏族は、江戸期には宮家(あるいは宮家の関連施設)の護衛みたいな仕事をしていました。江戸期には、というよりは、さかのぼれるだけさかのぼると古墳時代の昔から延々そういう職業集団だったようです。

農家は五体満足で田畑をよく管理してゆける知性があれば、出自をあまり厳しく問わないといえば問わないところがあります。

しかし宮家の護衛職は身元が不確かだとよくないので、職業柄どうしても世襲制メインで血縁地縁でガチガチに固めるのがお約束だったようです。それゆえ家父長制/世襲制の遵守度の高さでは、農家をはるかに凌ぎます。

そもそも宮家が思い切り血縁者集団です。
その傍流を形成している公家筋も大体そうです。
日本だけではなく、西洋の王家のゴチャゴチャした系譜も大体同じ手口でできています。
西洋史詳しくないですが、王家のルーツが「農家」だった例は多くないと思います。

私の学んだところでは、日本でも海外でも、古くから非農家世帯だからこそ「血縁」「ファミリー」の概念に異様にうっさい家のほうが圧倒的に多いです。

農家の場合、田畑を耕してナンボのお仕事なので「地縁」は確実に強くなるでしょうね。季節の巡りにしたがって、互いの順番を守って水を引いたり一斉に田植えしたり収穫したりする必要があるので、そういう仕事をしている土地の人々は個人主義ではやってゆけない。古くは交通網も発達しないので、婚姻も近隣で繰り返すことになり、血縁も濃くなりやすいでしょうね。

別系統で、土地コロガシも「ファミリー感覚」にうっさいですが、彼らは土地自体(たとえば先祖代々の田畑を守るという感覚)にこだわっているわけではなくて、あなたが言うキャピタルゲインにこだわっているんで、その正体は農家とも言いがたいでしょう。

日韓併合頃からは韓国系の人々も新規の土地コロガシになっているし、地方によっては中国韓国系の人が結構土地持ってますよ。江戸時代前の世界とは違う。
古くからの大地主だったら日本は特に「公家」「寺院」「神社」「武家」が一枚嚙んできます。

山林の所有者も埋蔵資源によっては儲けが多そうですが、純粋に田んぼだったエリアだけを農地改革で戦後多少せしめた振興地主が所有する土地の利権はたかが知れる気もします。マンション建てて稼ぐとか、上に何かいろいろ工夫しないとだめでしょうし、一族郎党がいまだに食えるほどの田畑を民間人で持てるものなのかな。農地改革はそれをさせないための改革だったので、いまどき無いと思うんですけどね。

>その温床・再生産の過程には、個々の家庭に残る家父長制が今でも生きているからなのでしょうか?

あなたが家父長制に変なこだわりをもつ田舎者だということだけは、わかった。
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欧米でも田舎は閉鎖的ですよ。



特に米国などは露骨です。

だから家制度とはあまり関係無い
んじゃないですか。

村社会は、付き合っているのが
何代も続く家柄や親戚だけなので
閉鎖的になるのです。
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自分の価値観は何に基づいているか考えたこともない。

考えても分からない。思考の根本がないから。
近代思想(学校で習っている)との乖離も分からない。近代思想は正しい?間違い?も分からない。
経験だけが現実なのです。経験の範囲が狭いので画一的な考えになります。逆に経験を共有して結束しています。結束するのは集団の利益を守り自然災害に集団で立ち向かうためです。

日本を覆っているのは朱子学の儒教、朱子学ヒエラルキーを因循姑息するのが正しいとしています。政治も同じ(田舎の政治家が首相です)です。韓国も同じ(日本とは異質な朝鮮儒教ヒエラルキー)なので特に仲が悪い。

>個々の家庭に残る家父長制が今でも生きているからなのでしょうか?
親が決めた結婚をする家はないでしょう。

田舎=日本の会社。新入社員は発言権なし、駒働きするのみ。会社辞め田舎に住んでも会社と同じ環境ですね。
日本の会社って目標が見つかれば一致団結猛然と目標達成するが、新しいものを見つけるのはへたくそ。皆同じ脳みそなので。

東京でもジジババは田舎もんそのもですよ。大人の思考できる人はマレです。
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家父長制もあるのでしょうが、昔ながらの村のしきたり(冠婚葬祭を含む)を守る「因習」が根強く残っている(引き継がれるように村全体が働いている)ためでもあると思いますよ。

つまり村全体の(潜在する、無言の)総意かもね。それはその村(のアイデンティティ=その村が他の村と違うその村らしさ)を残すためです。
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