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運とは何か?
子供の頃大家族でも貧乏と思わなかった。父親気の弱い酒好きで母と喧嘩してたがあまり気にしていなかった。母は偉大、器用で何でもできた顔もきれい、でも学校行くじぶん
もともと頭は回転わるい私、姉、妹できた、今で言う、スマホのような分からないこと調べる物があればしっかりついていけた
昔は教科書と共に虎の巻のブックがありそれに携えて勉強すれば理解もできたと思う
努力もして発言力もあったと思う、貧乏のおかげ、中学、高校はついていけない
人生書きたいがこれ以上書けないプライバシーがある4000じは無理

A 回答 (4件)

貴方だって、北朝鮮に生まれなくて、日本人として生まれた時点で幸運だろうね。



運なんて全体的を見ればほぼ確率的には平等にできてますよ。

あとは本人がどれだけ準備されてるかで、数ある幸運やチャンスをモノにできる人かそうでないかが決まります。
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このお答え、私も4000じでは無理



モンテーニュ
運命は我々に幸福も不幸も与えない
ただ その素朴の種子を提供するだけだ
それをそれよりも強い我々の心が
好きなように変えたり 用いたりする
われわれの心が
それを幸福にも不幸にもする唯一の
原因であり支配者なのである

これ、深い考え方だと思います

古来より 
その人の運命の捉え方に二つの考えがありました

一つが 宿命論
どんなに努力しても運命は変わらない
自分の境遇をうけいれるしかない
あきらめを植えつける   と言う考えで
結局 希望を奪う考えなのです

もう一つが 偶然論
どんな行いをしようとも 結果には関係ない
人生を無軌道にし 人々を傷つけても 意に介さない
これも 問題の考え方です

しかし 三つ目の考えがあります
因が同じでも そこにどのような縁が結びつくかにより
一人一人に現れる果は異なってくる
と言う考えです これは仏教の考えです

運命を、この世の不平等を科学的に解明する事はできませんが
科学的に考える事は出来ます
原因のない結果などあるわけない
そうなると運命は決まっている と言う事になります
しかし科学では、その真ん中に何かを入れると、結果が変わるのです
原因と結果の間に「縁」を挟む事で、結果が変わるのです
卵を落とすと割れる、しかし間にざぶとんを入れると割れない
これです
このざぶとんが、人生の羅針盤であり道標であり、深い哲学です

運命を哲学的に論ずると
シラー ・・(汝の運命の星は汝の胸中にあり)
ソクラテス・(汝自身を知れ)
になる

仏教では縁起の法と言うのがあります、これ科学と同じです
主観と客観の上に展開されたもので
どんなものでも、ある因とある縁が結び合って成り立っている
因と縁が仮に和合して成り立っている と言う概念です

日本文化の基盤となった仏教では
人間と自然の関係を考えるうえで、大切な真理を説いています。
それが 縁起の法」です。

「縁起」とは、「縁によって生起する」という意味です。
人間にせよ自然にせよ一切のものは、それ自体として単独で存在するのではなく、
互いに縁となりながら、すべて他との相依相資

(相依り、相資ける)
あいより、あいたすける
という関係で成り立っていると見るのです。

「縁起」を説明する譬えとして、インドの仏教哲学者・
竜樹は『中論)』で「火と薪との考察」をあげています。

--今、燃え盛る薪を見るとき、火と薪は一体となっており、
両者をはっきり分けることはできない。火は、薪がなければ、
そこにはなかった。薪も、火がないときは単なる木片のままであり、
薪とはなっていなかった。

つまり、燃える薪においては、単独に「火」があるのではなく、
単独に「薪」があるのでもない。しかし、どちらも存在しないかというと、
無いわけではない。火は薪によってあり、薪は火によってある。

このように、一切の事象は他との相依相資性によってあり、
「縁」によって起こると説くのです。

この「縁起論」を、生命主体とその環境に当てはめて、中国の妙楽は
「依正不二」論を示しました。一言でいえば、環境世界としての「依報」と、
生命主体としての「正報」は、現象面では相互に依存しあい資けあっている。
と言うのです

運命を量子脳理論から解明を試みる学者もいます
人は死んで土になるが、その情報は残る
情報があれば、条件が整えられれば再生する
すなわち生まれ変わる
前の人生の続きのごとく、又はじまるが
人を殺した人は、今度は殺される
人を泣かせば、今度は泣かされる
100人殺せば100回殺される
これ道理であり、科学的であり、運命は平等と言う事になる
因果応報、自業自得、仏教ですが科学なのです
更に詳しくはこちらの⓺を
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage1.html

又ね 最近書いた
http://rokusann.sakura.ne.jp/sub5.htm
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なにか怒ってるようだ。



人生に というのなら もともと生物とは そんなに出来た存在ではない。
始まりからして食い合い 殺し合い 奪い合い そして共存する仕掛けになっている。
野に走るシマウマはライオンに喰われ 年老いたライオンは群れを追われハイエナに喰われる。
強きものもいつかは滅ぼされる運命にある。
人間は そういった自然界の因果からすれば かなり優しい扱いで 運がいいと思う。

そういった恵まれた人間は さらに求めて 同族と自分を比べるのだな。
「あの人のほうが綺麗」「金持ち」「頭がいい」「楽してる」と。
そして同様に 同族を蔑む。
「なんてかっこ悪い」「貧乏人が」「バカなんじゃね?」「大変だねえ」と。

日々 他人を見て過ごすか。
隣のやつより 頭一つ上なら それで良いか。
文句を言い 喚き 意地悪して それでウサが晴れるか。

それは くだらない行動だと 自分は思う。
もっと立派なモノに 人はなれるはずだ。
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「運」とは、常日頃の自分の言葉に出してる思いですね。



言葉でなくても、心の中の思いも、自分の運命を決めます。

常日頃から「俺は、頭が悪い、頭が悪い。運がない」なんて思っていた通りに

その言葉、その思いのままに、それらが自分の人生として

運の悪い運命を現してきます。

巨人の長嶋茂雄選手は、常に「自分は運が良い、出来る男だ!」と

超ポジティブに物事を捉えておられました。

「悪いことは、何も起きない」と、自分自身に納得させて、言い切るのです。

そうするとその思った通りの、運が良い人生が現れてきます。
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